第10話 「Go ahead, make my day!」(中編)


 一夜あけ、ボクは眠たい眼をこすりながら講義へと向かう。購買でかろうじて陰湿講師の著書を購入した。枕にするほど厚みはなく、でも無駄に厚いからハエもたたけやしない。要するに中途半端な本だってわけだ。こんなもののためにあんな騒動に巻きこまれたと考えると、とんだ無駄だと思えてしようがない。

 なぜならボクは、とうとうお金はおろせなかったわけで、結局明日夢に借りるはめになってしまった。あいつ、弱みをにぎったつもりになって、にたにたと笑うながら「北森バンク、またのご利用をお待ちしておりま~す」なんてほざきやがった。頭にくる。

「秀虎君!」

 退屈な講義が終わってようやく解放されると、待ちかまえていたように北森がいた。でもって、このテンションの高さ。寝不足の頭にはきつい。不幸中の幸いは、彼女はひとりだったってことぐらいだ。無視して歩くボクの横に並ぼうとしながら、延々としゃべりつづける。

「びっくりした!」

 明日夢がおおげさに耳元でがなりたてる。あ~うるさい。さっきから何回目だ?

「秀虎君があんなに絵がうまかったなんて、ぜんっぜん知らなかった! すごかったってば。さらさらさらってさぁ……あっと云う間に描いちゃって。でもってすっごくそっくり。あたしだって顔見たけどさ、憶い浮かべることはできても、あんな風に特徴とらえて描くことなんてできないもんなぁ。警察の人もびっくりしてたよ……秀虎君、ひょっとして同人誌でも描いてたの?」

「描いてねぇよ!」

 無視するつもりが、思わず怒鳴ってしまった。何でよりによって同人誌なんだよ。

「お、反応した。むきになって否定するところなんて、あやしいなぁ」

「アホか。それより北森、似顔絵のこと誰にも云うんじゃないぞ」

「え……」眼を見開く。「どうして?すっごい特技じゃない? 将来似顔絵描きでも食べていけるってばさ」 

「……もう誰かに話したんだな?」

「……えへへへ、朝会ったからもっちんに」

 ……持田のやつかよ。駄目だこりゃ、終わったな。

 そんなばかな話をしながら、ボクは結局自分のアパートまでいっしょに帰るはめになってしまった。

「そう云えば昨夜の強盗だけどさ、刑事さんから聞いたんだけど、最近外国人と思われるコンビニ強盗が多発してるって」

「じゃあ昨夜のも、ひょっとして?」

 なるほど、だから警察、あんなに大勢でやってきたのか。

「ほら、あのおもしろくない芸人みたいな店長も云ってたでしょ? イントネーションがおかしかったって。やっぱりそうなのかな?」

「そうかなぁ……?」

 ボクはあれっと思った。ぶつかってバッグをひったくった時の「返せ!」ってセリフ、そんなに外国人っぽく感じなかったけどなぁ。それにとっさに日本語で出るもんかねぇ?

「多発って何件?」

「昨夜で三件目って」

「それ、多発って云うのか?」

「う~ん、云われてみれば……警察の基準なのかなぁ?」明日夢も頭をひねる。「でもそれまでは顔もわかんなかったんだから、秀虎君が似顔絵描いたの、きっとすごく役にたつと思うよ」

「その話はやめろって」

「あ、それとあの刑事さん」

「どっちだ」

「オジサンの方」

 エビさんね。ボクらは赤サビのういたアパートの鉄階段を、脚音をたてながら上る。野ざらしだから、雨の日は覚悟を決めないと上れない、いわくつきの魔の階段だ。

「スマホの番号教わったから。何かあったらまた訊ねに行くからって」

「警察もスマホでやりとりの時代かい」

「貸して。番号入れといてあげるから」

 ボクはスマホを出すと、明日夢に渡す。明日夢は自分のも取りだして、何やら操作をはじめた。ところでどこまでついてくるつもりだ?

 外廊下の突き当たりの角を曲がって正面がボクの部屋だ。古いくせになぜか構造が複雑なボロアパートは、この大学の周辺でもめったにお目にかかれない低価格の逸品だ。いや本当、家賃、聞いたら耳疑うって。

 その時、かしゃって音がして、振り返るとボクのスマホに向かって明日夢がポーズをきめていた。

「お前、何すんだよ!」

「アタシを待ち受けにしといて」

「アホか!」

「利息分よ!」

「暴利だ!」

「ふふん、貸し主の正当な権利よ」

「こ~の~や~ろ~……」

 本気で奪取にかかろうとした瞬間、不意に廊下の角から人影が飛びだしてきた。あっと思う間もなく、ボクは後ろから首を締めあげられ、壁に押さえつけられていた。

 あ~前にもあったよな、こんな感じ、非常に嫌な予感……とか妙に冷静に思ってたら、何と今回はもう一段階上。首筋に冷たい金属の感触。血の気が引いた。

「――静かにしろ!」延髄の付近で男の声がする。「お前こっち来い、急げ! こないと、この女の命、保証はできねぇぞ……このおん……おん……な……え?」

 いぶかし気に、ボクと明日夢とを交互に確認しなおす気配がした……おいおい。


 後ろから押さえこんだ男は一瞬呆然としていたが、すぐに気をとりなおした。明日夢にいっしょに部屋に入れとうながす。とっさにボクに手を伸ばしかけた明日夢の動きが、ぴたりと止まる。

 自分との間に常にボクを挟むようにして、意外に巧みに明日夢を先導させて、ボクらは部屋の中に移動した。その間明日夢は血の気の引いた顔をして、おとなしく指示に従っている。

 そーゆーわけで、ボクら三人は今、ひとつしかないボクの部屋にいた。入り口にオトコふたりが立って、明日夢が部屋の奥に配置される。一息では飛びかかれない距離を、充分目測しつつの行動だった。

 一体誰だこいつ?

「でかいのと小さいのと、ふたりいたから、てっきりこっちが女と思ったんだがなぁ」

 部屋の中に一応落ち着くと、ボクの後頭部あたりでからかうような声がした。

 そうか、こいつ隠れて声だけ聞いただけだから、飛び出してみたらとっさにでかい明日夢の方が男と勘違いしたんだな。女である明日夢(想定では小さい方)を人質にとってって思ったんだろうけど……一言、云いたい。

 お前、眼医者行け。

「まぁいい、予定変更だ。おたくでもかまわんだろう」

 羽交い絞めにされて、首筋に何やら冷たいものをあてられた状況を自力で脱しようとするほど、ボクは勇敢ではない。ボクを助けるという、ささやかな英雄的行為の栄誉は他人に譲りたいと思う。

 でも屈辱だ。たとえ捕まったのが明日夢だったとしても、ボクにはどうしようもなかっただろうけど、今の状況よりははるかにましなものだったと思う。もっとも相手が明日夢では、こいつだってこうもうまく人質をとれていたか疑問だ――つーことは、やっぱりボクがへぼいのか……屈辱だ。

「どういうことよ」

 と明日夢がすわった声で訊ねる。

 男は答えず、何やらポケットから取り出すとボクの右手首にまたひやりとした金属の感触があたった。どきりとしたが、見ればそれは手錠だ。のこりを自分の左手首にかけると、ようやくボクを離した。もっともこの手錠の鎖の距離分でしかないけど。

「さて、これで自由に動けるな。もう少し手元にいてもらいたいが、いつまでも抱いてるわけにはいかないからな」

「どういうことよ、誰よあんた!」

 再び明日夢が叫ぶ。

「え、憶えてないの――?」

 わざとらしく驚く男。ようやく離れたそいつを見て、ボクの心臓は大慌てをはじめた。

 歳の頃はボクらよりいくつか上だろうか。エラが張って唇が厚く、何となく魚を想わせる。昨夜からどうも海産物づくしらしい。だけど結構体格がよくって、頭なんかボウズにしてる。おまけに小さな眼はいつも笑ってる感じがするけど、どうも気色悪い。

 要するに、つまりその、昨夜コンビニの前で思いもよらぬ出会いをした人物だ。できれば再会などはしたくなかったのだけど、向こうはどうもそうじゃないらしい。人生は皮肉だ。

「昨夜の……」

「……え?」

 ボクがつぶやくと、明日夢もようやく合点がいったのか、眼を見張る。ボクが描いた似顔絵と我ながら実にそっくりなんだけど、こいつは人の顔記憶するのは苦手なのか?

「おたく――」とボクに向かって「熊谷君だろ? ちょうどおたくの学生証拾ったもんだから、わざわざ会いにきたってわけ」

 ……学生証! ボクは青くなった。財布に確かに入れてたよ。今の今まで思いもつかなかった。

「おたくらとちょっと話したいことがあってさ」男はにたにたと笑いながらつづける。「ま、その前におたく、スマホ出してもらえる。それで、テーブルの上に置いて、三歩下がる……そう上手上手。熊谷君、取ってもらえるかな」

 ボクが自由な左手を伸ばして、明日夢のスマホを取りあげ、彼に渡す。強盗は電源を切る。

「君は? 熊谷君」

「……持ってない」

 ぼくがそう云うと、ズボンのポケットを叩いて確認をして安心したようだった。

「さ、これで話しやすくなったね、座って座って。俺たちも座ろうか熊谷君。むさ苦しい部屋でごめんね、お茶も出せないんだよ」

 自分で云って自分でけたけた大笑いをする。何がおもしろいんだ。明日夢もにらみつけるように強盗を見下ろしていたが、テーブルをはさんで渋々座る。男ふたり組も、のろのろと座る。なるべく離れて座りたかったが、手錠でつながっているのでどうしようもない。実に無様だ。

「さて――昨夜さ、どんなだった?」

「え?」

「ほら、いろいろ訊かれたんじゃない? おたくら見たろ、俺の顔とかさ? たとえばモンタージュとか作らされたんじゃないかな……とか思ったわけよ」

 云いながら、手錠をかけた方の手に持ったサバイバルナイフの刃の腹で、ボクの二の腕あたりをぺちぺちする。気持ち悪い、やめてくれ。

「モンタージュ……似顔絵……?」

 明日夢の顔が強張る。

「どうなの? 憶えてないの、昨夜のことだよ、ん?」

 ふざけてるようだけど、声の調子はどこか酷薄な感じがする。連続強盗ってことは、ナイフで脅すことには慣れてるはずだ。

「……似顔絵描ける人がいなかったから……そんなの描いてない。今日くわしく訊くって云ってた」

 明日夢が口ごもるように答える。え、ボクが描いたろ……と声を出しかけて、慌てて素知らないふりをする。

「本当か?」

 ナイフのぺちぺちが、腕に触れたまま止まる。ひやりとする。明日夢が答えたことにより、主に彼女と話をつづけるつもりらしい。

「本当だって! 昨夜ひき逃げ事件があって、そっちの方に行ったって、刑事さんが云ってたの!」

 ボクの腕に接触してるナイフとそいつとを交互に見やりつつ、明日夢が蒼白になりながら必死で叫ぶ。

「ふぅん……」と少し考えこむ。「そんじゃさ、今日、刑事が来るの? それともおたくたちが警察にでも行くの?」

「あ……あたしたちが行く予定だよ」

「おたくだけにしてもらえるかなぁ」

 うっすらと笑いつつ、強盗が明日夢に云う。自分の優位を充分に知った上での余裕だ。

「それでさ、悪いんだけど……まぁその何だ、もしおたくがモンタージュを作ってって頼まれても、あんまり似せてもらっちゃ、ちょっと困るんだよね。わかる?  困るってのは、俺はもちろんだけど、このおたくの――彼氏かな、彼もすごく困ることになると思うんだ、な」

 明日夢は彼の云うことを理解したみたいだった。強張った顔に怒りと屈辱が走る。

「できるわけないじゃない、そんなこと」

「何で?」

「あんたが捕まった時、似顔絵と違ってたらあたしたちが困るのよ。どうせまだやるつもりなんでしょ?」

「コンビニ襲うぐらいじゃ、いくらにもならないからねぇ……でも俺だってそんな危ない真似いつまでもしないよ。適当なところでやめるから。そしたらおたくらだってばれる心配ないだろ。な、誰も困らない」

「警察もそんなに無能じゃないと思うけど」

「あはは、警察なんてバカばかっりなんだよ!」

 強盗は歯をむきだして、せせら笑う。ボクは昨夜の海産物刑事コンビを憶いだした。そして残念ながらその件に関しては、彼の意見の方が妥当だって可能性が高いことをみとめざるを得なかった。

「おたくたち聞いた? 警察、俺のこと外人って思ってるんだぜ」

 確かにこの男、ねばっこいしゃべり方だが、生粋の日本人みたいだ。でなきゃ、むちゃくちゃ日本語がうまい東アジア人。

「何で?」

 思わず口をはさんだ。その質問に、強盗は憶いだしたようにボクを見る。何か傷つくなあ。

「最初に入った店でさ、金出すようにってセリフが外人みたいだったって、バイトが証言してんだぜ。おかげで警察は県内の不法就労者から在日まで洗ってるらしいってよ。こちらは便乗して、次からはわざとそれっぽいしゃべり方すんだよ。そうすると、ますます信じこむってわけ。うまいだろ?」


(つづく)

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