第6話 「Black Knight」(中編)

 テーブルの上に置かれた大量のピザを詰めこんだあの夜から、一週間ほどたった。あの夜、結局食べきれなかったので(当たり前だ……)、明日夢はのこったピザをラップして持たせてくれた。おかげで次の日の朝食が一回分ういた。だがしばらくはピザはいいや。

 学食前の自販機でコーヒーを買ってる明日夢を見つけた。手をあげると、あいつもあげて返す。

「例のあれ、どうなった?」

 缶を掌でもてあそぶ明日夢の隣に並ぶと、声をひそめて訊ねる。

「夜はバイト行ってたからわかんないけど、昨日はお蕎麦屋さんが来たみたい」

「みたい?」

「あたしのスマホに電話があって、十人前持っていったのに何で留守だったんだ、って文句云われた」

「そうか……」

「水曜日はウナギ屋。やっぱり鰻重十人前」

「げっ」

「イタズラだって説明して、申し訳ないから一人前だけもらった。久しぶりにウナギ食べたよ」

 苦笑いする明日夢だけど、何回もされたらさすがにたまらんだろう。

「一週間で三回か。無言電話は?」

「それはない」

「街中の出前する店全部が、一巡するのを待ってるわけにはいかんしなぁ」

「お金がつづかないよ」

 顔をしかめる。受け取らなくてもいいのに、お前も割かし人のいいやつだね。

「お金払ってくれるんなら、大歓迎なんだけど」

「なぁ北森。考えたんだけど……」ボクも不意にやたらと甘い缶のコーヒーを飲みたくなったので、自販機にお金を入れる。「ありきたりかもしれないけど、一応、警察に届けないか?」

「う~ん」顔をしかめる明日夢。「そしてどうなるんだろ? お店の電話を逆探知してくれるとか?」

「いつどこにかかってくるかわかんない電話に、そりゃできないだろ? でも何かいい方法があるかもしれない」

「たとえば?」

 僕は三秒ほど考えて、正直に答えた。

「……思いつかん」

「……そりゃそうだ」

 あははと明日夢が笑う。めげないやつだ。

「あとは、街中の店に行って、理由を説明して、お前の部屋には出前しないようにお願いするとか」

「いや、そりゃ無理でしょ、それに自分がとる時こまる」

「とるの、出前?」

「ピザぐらいだけど。あたしは『マストロヤンニ』からとるけどね」

 ボクは何となくため息をついた。

「店に行く時は、ついていってやるよ」

「ありがと、何か優しいじゃん。いよいよあたしに惚れた?」

「人類最後のふたりになっても、それはない」

「人類二百万年の叡智が、秀虎君のわがままで消滅してしまうとは……無念だ」

 本当に無念そうに明日夢が天を仰ぐ。そしてそのまま空になった缶を所在なげにいじりつつ、眉間にしわをよせ、何か考えている。警察に行こうとでも云うのかなと思ったが、口を開いて出た言葉は少し違った。

「実はさ、心当たり、ない……こともないんだ」

「ん?」僕は明日夢を見上げた。 「オレじゃないぞ」

「みんなの前じゃ云いにくかったけど、もしかしたらってこと、あるんだ」

「あるの?」

 ちょっと意外だ。

「ん……」云いにくそうに明日夢。「少し前にね、友達の別れ話に立ち会うことがあって……」

「別れ話?」

 明日夢と別れ話?あんまり意外な取り合わせに、ボクは驚いた。 鰻と梅干ぐらい喰い合わせが悪そうだ。

「二週間ぐらい前かな。あたしと同じ学部の麻紀ちゃんって知ってる? 彼女、一個上の先輩と付き合ってたんだけど、まぁ何て云うか……彼女どうしても彼に我慢できなくなってね、やっぱ付き合ってみると嫌な部分が見えてくるのかなぁ?」

「オレに訊くなよ、専門外だ」

「そいつ相澤って云ってね、何か嫌なやつでさぁ。経済学部って云ってたっけ? あっさり別れさせてくれるような感じじゃなくって、殴られるかもしれないって麻紀ちゃん怯えてたんだ。だからあたしに立ち会ってほしいって頼まれたの」

「それは立ち会いって云うか、護衛だよ」

「まぁ半分ぐらいは、そんな意味もあったんじゃないかなって思う」否定せずにあっさりと「ファミレスで話したから、さすがに暴力とかはなかった。そいつ、ずいぶんとしつこかったけど、麻紀ちゃんも最後は何とか意思をはっきりさせることができて、結局別れるってことで話は落ち着いたんだけど、どうもその彼、彼女にあたしが妙なこと吹きこんだんじゃないかって疑ってるみたいだっだんだよ」

「それであんな嫌がらせしてるんだったら、小せぇ男だな。別れて正解だよ」

「それでね、ピザ屋とお蕎麦屋さんに訊いたら、電話してきたのは男の声だったって」

「怪しいな。その二人、同棲みたいなことは?」

「そこまでじゃなかったみたい。だからお互いの荷物も少なくって、ごたごたはなかったって」

「いや、そうじゃなくって、相手のスマホとか見ることできるのかな?その彼女、ひょっとしてお前の番号、知ってるんじゃないか?」

「あっ! 麻紀ちゃんには教えてる」

「そんな彼女に執着するような男だったら、相手のケータイ、チェックしてる可能性も高いよな」

「う~ん、あ、でも秀虎君。あたしは君にチェックされても何も困らないよ」

「意味わかりませ~ん」何云ってやがる、バカ。「ところでその男の家、知らないよな?」

「麻紀ちゃんちの近くって云ってたから、大学の西の方かなぁ?」

「お前の家に配達してきたピザ屋――『ジェノヴァ』のバイパス店だったよな?」

「そっち方面だ。そう云えば鰻の『上村』も蕎麦の『明月庵』もだ」

「それにお前の部屋なんて、つけていけばすぐにわかるしなぁ」

「まさか、本当に? どうしよう秀虎君、怖いよぉ」明日夢がさすがに不安そうにつぶやく。「いっそあの男、闇に葬る?」

「いやいや、暴力はやめとけ」もう少し穏やかにいけよ。やっぱ乱暴なやつ。「もうこれ以上推測のしようがない。証拠がないだろ。その男がお前のケータイ番号を手に入れたかどうかもわかんないし……」

「拷問して自白させる?」

「いや、だからね……」

 凶悪な眼になるな!

「う~いらいらするよ~」缶を持つ手をぶんぶん振りまわす。「こんな中途半端なの、嫌だよ~」

「その彼女に訊いてみるか?そんなことやりそうなやつかどうか」

「だめ。そしたら絶対、麻紀ちゃん責任を感じるよ」

「でも最終的には、彼女に訊く必要があると思うけどな。元はと云えば、彼女の責任でもあるだろ」

 ボクの言葉に、明日夢は怒ったように首を振った。

「わかったよ、とりあえずは彼女には訊かない。もうちょっと様子を見てみよう」

 結局、怒りのぶつけどころのない明日夢と、今日はそこで別れた。

 だが、北森にはあぁ云ったけど、ボクはやはりその麻紀って子に少し腹をたてていた。もしその相澤ってやつが本当にそんなことやってるんだったら、原因は彼女にもあるんじゃないだろうか?

 別れ話なんて独りですりゃよいものを、多分自分だけだったら、なし崩し的にうやむやにされてしまうとでも考えたんだ。だから北森を巻きこんだ。甘えるなと思う。自分の色恋沙汰に他人を不要に巻きこむべきじゃない。

 しかし実際のところ、何をどうしていいのかまったくわからない。たとえそいつがやったのかと疑ってみても、ボクら素人には絶対わからないと思うし、証拠なんて見つけられるはずもない。

 結局、麻紀や店に話を訊いて可能性を探って、警察にでも相談して……ボクらにできるのはせいぜいそれぐらいしかないと思う。

 ボクはその時、本当にそう思っていたんだ。


 思わぬ形で話が急展開したのは、その夜のことだった。

 居酒屋『稲垣』は、県内に展開するチェーン店だ。週に六日ばかり、ボクは夕方から真夜中までここでバイトしている。ひと駅離れているだけだから、同じ大学のやつも何人かいる。そう、例の佳奈も――だった。厨房と接客に分かれているが、ボクはその時の状況次第によってどちらかに入る。

 その夜は平日だったこともあって、十時をすぎたぐらいでお客の出入りはひと段落した。カウンターとテーブル、座敷に何組かいるが、もう忙しくなるような気配はなかった。

 その日のボクは厨房にいたが、客席係の大島が顔をしかめながら入ってきた。

「どうしたんですか?」

「座敷に相澤が来てやがる」

 不愉快そうにそう云った。彼は同じ大学のひとつ上の学年だ。

「オレ、あいつ嫌いなんだよ。熊谷、しばらくフロア頼む」

「相澤? ひょっとして大島さんと同じ学部の?」

「熊谷、お前知ってるのか?」

「ええ、名前だけ」

「全然関係ないだろう?」大島は不思議そうに「それにあんなやつとは、関わり持つんじゃねえぞ。今だって、くだらんこと云ってたぞ」

「え、何て?」

「二股かけてたとか自慢してた」

「ふたまたぁ?」

 その声に店長のサチさんがこっちをじろりとにらんだので、慌てて業務用の冷蔵庫の陰に隠れる。手まねきをすると、大島もやってきた。

「何ですか、それ?」

 自然と小声になる。

「いや何かさぁ、二股かけてて片方から別れ話持ちかけられたらしい」大島も小声だ。「そっちの方は惰性で付き合ってるだけってことだけどさ、向こうから別れてくれって云われて気に入らない――とか」

「別れ話?」

「何でも友だち連れてきて別れ話切り出したらしくってさ、マナー違反だとか云ってた。それでその友だちが彼女のことそそのかしたんだって、彼女はもう未練ないけど、そいつにはむかつくって」

「ちょ……大島さん、ちょっと中、頼みます」

 厨房から出て、座敷に向かった。座敷にはボクらと同じくらいの年ごろの、七、八人のグループがいるだけだ。多分こいつらの中の誰かだろう。うまい具合に隣の席が帰ったばかりで、バイトの娘が片付けをしている。「手伝うよ」と云ってその席を片付けつつ、聞き耳をたてる。

「マジ、お前~!?」

「ヤベって、犯罪だろソレ」

 頭の悪そうな言語センスだ。

 尖った声は甲高く、店内に他のお客がいるなんてこと考えていないような不調法ぶりだった。このような店でバイトをしていると、呑み方、話し方、騒ぎ方、それに口にする内容で、お客のレベルというか人柄というか、そういったものを想像することができる。

 こいつらは正直、いっしょに呑みたくなるような連中じゃない。

「いいんだよ、大丈夫」煙草片手の茶髪が笑いながら「絶っ対、ばれることないって。たいしたことじゃないんだから。それに見つかったって冗談ですむって」

「それでそのオンナ、お金はらったんスか?」

「さあな。オレの知ったこっちゃねえよ、そこはそれ、自己責任ってやつで」

「うわっ、ヒデー!」

「さすが相澤さん、鬼畜系ですね~」

「ま、オレだってバカじゃねぇよ。店だって二回目からは簡単に注文受けつけないだろうから、ひと通りやったらそれで終わり。こーゆーのは引き際が肝心だからな」

 相澤の言葉に、他の連中がバカ笑いで応える。

「大体よ~関係ねぇのにオレと麻紀の間に口出してくるやつが悪ぃんだよ。自業自得だって。何だあの東京タワーみてぇな色気もくそもねぇゴリラ女。バカじゃねえの? そろそろ麻紀にも飽きてきたところだったけど、あいつがしゃしゃり出てこなけりゃ、もうちょっと……」

「……熊谷さん?」

 いっしょに片づけをしていたエミちゃんが、小さく声をかける。怪訝そうな表情だ。

「ん? あ、ごめん。引いちゃおうか」

 お盆を持って立ち上がったところに、連中が声をかける。

「お~い、生くれ~」

「あ、オレも」

「オレ焼酎。芋あんの?」

「おい、揚げダシ豆腐とさつま揚げ」

「は~い、少々お待ちくださ~い。エミちゃん、焼酎のメニューお見せして~」

 ボクはお盆を置いてエプロンのポケットから伝票を出すと、次々と注文をメモし、 厨房へ引き返した。

「サチさん! すみません、早退させてもらえませんか」

「さぼろうなんざ、いい度胸してるじゃねぇか」

 『稲垣』四号店の若きエース店長サチさんが、包丁ちらつかせつつドスのきいた声で答える。魚よりも男をさばいてる方がさまになっていそうな三十前の華やかな美人だが、四号店を系列店売り上げトップに押し上げた実力者である。よって怖い。ボクの周りの女の人って、どうしてみんなこうなんだろ?

「本当すみません。急用ができてしまったもんで」

「じゃあ明日は熊谷、早出しろよ」

「諒解でっす!」


(つづく)

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