第7話 「Black Knight」(後編)

 連中が店から出てきたのは、それから一時間以上たっていた。もう真夜中に近い。

 かたまりになって騒ぎながら、繁華街を歩いていく。全員、同じ大学だろうか?もう終電は終わっているが、大学周辺とはひと駅しか離れていないから、歩いて帰るのにも問題はないはずだ。

 駅前で二手に分かれる。相澤は大学方面へ。三人でワヤワヤ歩いていく。このままアパ-トまでいっしょじゃないだろうなと気が気じゃなかったが、のこりのふたりは途中で道を折れて右へ行く。

  相澤は線路沿いの、あまり人通りのない道を歩いている。大学周辺へはこの道が早い。酒が入っているはずだが、それほど酔っている様子はない。 不意に左に曲がり、小さな児童公園に入る。ここを抜ければ近道だからだ。ボクも急いで公園の入り口の車止めの柵を抜ける。

 彼はひとりで中ほどを歩いていた。

 相澤君、考えてみたらすごい偶然だね。あんたがボクのバイトしてる店に呑みにくるなんて、しかもあんな大声で自分のやったことを自慢するなんて。

 サスペンス劇場がすべてこの調子でいったら、二時間ドラマにはならないね。ただしこれはまぎれもない現実だ。 ボクはここまで押してきた自転車を、生垣に立てかける。

「ちょっと!」

 深夜、そんなに出したつもりじゃないけど、声は意外に大きく響いた。相澤が振り返る。街灯があるから不審そうな表情まではっきりとわかる。十メートルぐらいの距離をおいて、ボクらは向き合っていた。心臓が飛び跳ねるぐらい、激しく動悸していた。

「……あんただよ、あんた。相澤さんだろ?」

 引きつった声にならないようにするだけで精一杯だ。

「誰だ、お前」眉をひそめる。「何か用か、オレに?」

 ちょっとドスのきいた声。何となく感じてたけど、チンピラくさくって、けんか慣れしてそうだ。 いくら全入時代だからって、こんなやつ入れんなよ、うちの大学。

「妙なイタズラはやめてもらえないかな?」

 相澤はしばらくボクの顔を見ていたが、不意に鼻の先で笑った。

「何だよそれ。わけわかんねぇこと云ってんじゃねぇよ」

「北森は十人前も喰えないってよ」

「……あぁ? ……何だ、冗談もわかんねぇのかよ、ノリの悪ぃやつらだな。わかった、わかった。もうめんどくさくなったからやめるわ。それでいいだろ? じゃあな」

「……みとめるんだ? じゃあ、あんたが出前頼んだ店に行って、謝って代金はらってこいよな」

「……んだと、こら?」

 帰りかけた相澤が振り返った。

「当たり前だろ? 店は十人前も作って何万も損してんだから、注文したあんたが金はらうのが当然じゃないのか? そんなこともわかんないのか?」

 相澤は答えなかった。嘲笑って、それからものすごい速さでボクに走りよってきた。待ち構えてはいたけど、予想よりずっと速かった。よけたはずなのに腕が顔をかすって、だらしなくよろけてしまった。予想していたくせに、ろくによけることもできないなんて、自分のとろくささに腹が立つ。よろけたところに、相澤の脚がボクの腹を蹴り上げようとしたのを、かろうじてと云うか、偶然腕で防いだ。

 平衡感覚が狂ったように感じた。背中が押しつけられるような感覚があって、押し倒されたことがわかった。相澤が馬乗りになっている。表情は暗くて見えないが腕が振り上げられた。必死で両手でふせいだけど、どこかに何かが当たった。二度、三度と拳が振り下ろされる。顔に痛さよりもひりついた熱を感じて、鼻の奥がつんと金気くさくなった。

 くそっと思って、公園の砂をつかむと相澤の顔めがけて投げつけた。

「あっ?」

 悲鳴をあげて眼を押さえたところを、下から思いっきり押しのけた。悪いね、別に狙ってやったわけじゃないけれど、敵う自信ないから、はなっから卑怯な手を使うつもりだったんだよ。

 眼を押さえて尻餅をついた相澤の顔面を、サッカーボールの要領で蹴り上げると、ぐにゃりとした、でも中に硬いものが詰まっている感触をつま先に感じた。わおっ!意外な快感。

 後は簡単なものだった。派手な悲鳴をあげて転げたそいつの上に、今度はボクが馬乗りになって「やめろ……やめろ……」と呻き声をあげるまで殴りつづけた。

 動かなくなった相澤から身体を離すと、膝ががくがくと笑っていた。息が苦しくって、鼻血をぬぐうと手の甲にべったりとつく。たった三十秒ほどのことだったのに、もうこのまま休憩したい気分だった。

 横たわった相澤のポケットを探って、スマホを見つけた。開いて履歴を見ると、明日夢のケータイ番号も、調べておいたピザ屋と蕎麦屋と鰻屋の番号もしっかりのこっている。アホだこいつ。

「こいつもらっていくぞ」

「ちょっ!待で……ごら……」

 慌てて相澤が顔を押さえて立ち上がりかけたので、もう一度蹴り倒した。

「スマホぐらい買いなおせ!」

「くそがっ! ぶっ殺す!」

 その喚き方があんまり腹がたったので、また馬乗りになって殴りつけた。相澤の顔の下半分は、まっ赤になっている。髪の毛をつかんで地面に押さえつけると、互いの血のにおいのする荒い息がかかるぐらいまで、顔を近づけた。

「北森は迷惑かけられてんだ! いいかっ! てめぇがあいつに何かしたらこのスマホ、証拠として警察に届けるからな!」

 しばらく上からにらみつづけていると、荒い息の相澤がいまいましげに眼をそらした。身体を離すと相澤のやつ、さすがにもうそれ以上暴れる様子はなかった。

「お前、あのオンナの何なんだ……」

「うるせぇ、とにかく、あいつには手ぇ出すなよ」

 ふと思いついて、もう一度背中を蹴る。さっき呑みながら明日夢のこと、東京タワーみたいだとか色気もくそもないゴリラ女だとか云ってたからおまけだ。本当のことだけど、こいつから云われる筋合いはないと思う。

 何とかそれだけやり終えると、よれよれのボクは痛む身体を引きずるようにして、入り口に立てかけた自転車に引き返した。


 朝起きた時、身体中が痛かった。洗面台で顔を見てみると、ひっどい有様だ。片方のまぶたと鼻が腫れているし、唇も切っている。口の中もどこか切っているんだろう、ひりひりする。胸も腹もアザになってるし、手の指の付け根は両方すりむいている。手首まですり傷だ。おまけに右手の親指の付け根が紫色に腫れあがっている。一体どんな殴り方をしたんだ?

 今回の件でひとつだけはっきりした。ボクは格闘技なんかやるべきではない。身がもたない。昨夜だって、相澤のやつが酒呑んでたから勝てたんだと思う。卑劣な戦法の勝ちである。兵は奇道なり。昔の兵法者はよいことを云う。

 正直云うとそのまま寝ていたかったけど、朝から約束を入れていたので、いやいや服を着替えて大学へ行くことにする。

 この前、明日夢と話をした自販機の前でぼんやりとしていたら、待つほどもなく相澤の元カノ麻紀がやってきた。確かに見た顔だ。昨夜遅く帰ってから明日夢に聞いておいた彼女のスマホに電話して、ことの次第を話したのだ。

「あなたが熊谷君?明日夢君のカレシでしょ」

「違う、違う」

 相澤から奪ったスマホを見せると、彼女はボクの話を完全に信じたようだ。履歴を見て、相澤が嫌がらせの電話をかけた事実を確認すると、心底呆れたみたいだ。

「どうしよう、あたしのせいだ……」泣きそうになる。「あれから荷物とりにきたことがあったんだけど、きっとその時、あたしのスマホから、明日夢君の電話番号探したんだ。いつの間に……」

「多分そんなことだと思う」

「ごめんなさい……ひょっとして熊谷君、そのけがもあいつに?」

 うなずくと、ますます困ったような顔になる。そんな風情が男の保護欲をそそるっていうのかな、ほっとけないタイプだ。なに、あんなやつと別れても、すぐいいオトコ見つかるさ。

「でさ、頼みがあるんだけど……」

「何?」

「君から北森に説明しといてくれない? 嫌がらせは、君が気がついてやめさせたってことにして。その方が穏便にすみそうだから」

「え、熊谷君は?」

「話がややこしくなるから、オレは何も知らないってことにしといて。どうしても北森のやつが納得しなかったら、しょうがないけど」

 相澤出てこーい! 落とし前つけてやるー! ってぐらいは喚きそうだ。そしたら流血沙汰だぞ。

「あいつは多分君に腹をたてたりしないよ。君だって、これ以上ごたごたがつづくのは嫌だろ?」

「わかった、そうする。明日夢君がはらったお金は、あたしが立て替えるから」

「いいのか? スマホならともかく、金は無理やりとることは、いくらなんでもできなかったからさ……」

「しょうがない、あんなオトコに引っかかったあたしが悪いんだし。手切れ金代わりだ」

 そう云うと、麻紀は初めて晴れ晴れと笑ったが、すぐに表情を曇らせた。

「でも大丈夫? 仕返ししないかなぁ? あいつ、結構執念深いよ」

「う~ん」実はそれだけが心配の種なのだ。「考えてないことないんだけど……」


「そんなに都合よくいくわけないだろ」

 達川は、ばっさりだった。

「やっぱだめかな?」

「正直云って意味ないと思うな、あたしは」

 これは持田。

「それにしてもお前、意外に暴力的な傾向があるんだな。高校ん時にはオレにも隠してたろ、本性」

「愛する明日夢君のために、命かけたんだよ」

「待て、今、事実とはなはだしくかけ離れた単語を聞いたぞ」

「命?」

「そこじゃない!」

「あ~君たち」久川が学食のテーブルをとんとんと指で叩きつつ「静粛に。『第1回明日夢会議』の議題をすすめますよ」

「何の会議だ」

「あたしは結構効くんじゃないかなと思うな」と柿本。「元カノは何て? 彼女に迷惑はかかんないかな?」

「かえって妙なこと、できなくなるんじゃないかなって云ってた」

「またどこかで同じこと繰り返すって」投げやりに達川。「バカはなおらない」

「同感~」

 カップのジュースを飲みつつ、持田が手を上げた。

「そん時はそん時だ」ボクは答える。「とりあえず北森に手ぇ出してこなかったら、それでいい。他のやつが被害にあった時は、そいつが対処すればいいんだ」

「そんな風な噂流れたら、相手する友だちも少なくなると思うよ」と柿本。「明日夢君も秀虎君も、別に困るわけじゃないからやってみたら?」

「牽制ぐらいにはなるかな」

 久川がうなずく。

「それに、もし何かあっても、あいつ北森じゃなくってもうオレ目当てだと思うから」

「だったらいいか」

「あっさりだな、おい」


* * *


 明日夢は麻紀から説明を聞いて、案の定ぶん殴ってやるっ! って息巻いたらしいが、麻紀が何とかなだめたらしい。相澤のやつにもう何もしないって約束させたと聞いて、渋々納得してくれたようだ。血の気の多い女だよ。

「やっぱりあいつだったよ~」なんて今日もボクに云ってた。「麻紀ちゃんが、これ以上やったら警察に通報するからって云ったらあきらめたみたい」

「よかったじゃないか」

「うん……」と明日夢。しかし今回はちょっと歯切れが悪い。「ねぇ秀虎君、あたしってお節介なのかなぁ?」

「……お前がいたから、彼女あの男と別れることができたんだろ? あの男が勝手に頭に血をのぼらせただけだ。お節介かもしれないけど、北森は間違っちゃいないと思う」

「ありがと」

 ほっとしたように、明日夢は答えた。でもお人よしだから、頼まれたらきっとまた手を貸すんだろうな、こいつは。

「ところでその顔どうしたの?ケンカしたの?」

「こけたんだよ」

「へぇ? ドジだねぇ、ぬけてるねぇ」

 明日夢は呆れたように、そう云って笑った。

 スマホを証拠としてにぎられてしまったので、手出ししたらまずいと思ったのか、それとも久川、持田、柿本の三人組み、そして達川に流してもらった“ウワサ”がきいたのかはわからないが、その後、特にごたごたはなかった。ボクとしては多分前者じゃないかなと思うが、結果としてボクも明日夢も麻紀も何事もないから、一応は安心してる。

 相澤は時々構内で顔を見かけることもある。ある程度まじめには、大学に来てるみたいだ。向こうはかなりふくむところのありそうな眼をしてにらむが、ボクは知らん振りをしている。君子危うきに近づかずである。


――相澤がストーカー行為で警察から眼ぇつけられている……うちの大学でも被害にあった子がいる……


 流してもらった“ウワサ”ってのは、だいたいそんな感じの内容だけど、半分、いや三分の一ぐらいは当たってるから、まぁいいんじゃないかな。実際何かあったら、警察権力に介入してもらうつもりだし。

 どれぐらい広まったかもわからないが、そもそも相澤ってやつ、一部では評判悪かったらしく、その“ウワサ”に便乗した、やたら悪意に満ちた風評もあったとも聞く。

 まったくもって卑怯なやり方ばかりで相澤君には恐縮だけど、自業自得だとあきらめてもらうしかないと思うのだ。 何かしでかして、さっさと退学にでもなっちまえばいいのに。


 そうそう、ひとつだけおまけがある。

 どこでどうそんな話になったのかわからないが、相澤がストーカーしてたのは実は明日夢で、キレた明日夢にぼっこぼこにされた――という“ウワサ”がまことしやかに流れたことだ。

 簀巻きにされて河に放りこまれかけたところ、泣いて土下座をして(簀巻きにされてるのに、どーやって?)謝ったらしい。

 柿本や持田がおもしろがって大げさに脚色した可能性が大きいと、ボクはふんでいる。明日夢の名前が出てきたのがその証拠だ。

 たしかにあの晩から何日か、顔を腫らした相澤が(友だちには、何て言い訳したかは知らんが)大学で目撃されていたらしく、その“ウワサ”には、やたらと信憑性があった。

 めちゃくちゃだけど、明日夢ならやりかねない、いやできるだろ、絶対にやってるよ、やらない理由がない! ……と彼女を知るみんなは納得して、結構それが定説になっているようだ。あははは。

 しかし本人に確認するやつはいないから、いつの間にか武勇伝が増えていることを、明日夢自身はまったく知らない。


(了)

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