第14話 「Straight No Chaser」
「――ってどーゆーことよ!」
達川の胸ぐらをつかんでぶんぶん振り回しつつ、明日夢が叫ぶ。
「何よあのうじうじした男の腐った態度、あぁ、もうあきれた、マジうんざり! やってらんない――って聞いてんの!」
「聞いてる、聞いてる、だから放せって、苦しい、叫ぶな、それから火を吐くな!」
明日夢は達川を離すと、生ビールのジョッキののこりをごきゅっと一気に呑みほして、おかわりぃ! と叫んだ。久川、持田、柿本の三人は頭をかかえた。
「嫌いになったっって……は! 冗談じゃない、こっちからお断りよ! もう知らん! のしつけて誰かにくれてやる、つーか死ね、マジ死ね、マッハで死ね!」
オカマのさとるさんが、三十もとっくにすぎているのに、まるで少年のような愛くるしさで、にこにこしながらジョッキを持ってきた。
「明日夢さん、呑みすぎたらいけないですよぉ」
「さんきゅ、心配してくれるのはさとるさんだけ~」
「ヤケ酒に無理やりつきあわされてるあたしたちは、勘定に入ってないわけね」
久川が箸で焼き鳥を串から厭世的に引っこ抜きつつ、むなしくつぶやく。
「内緒って云ったのに、意味なかったね……」
持田が達川に耳うちする。達川も憮然とうなずいた。
「人の気づかい、何だと思ってんだろね、こいつ」
「でも秀虎君、嫌いになったってことはさ、それまで明日夢のこと好きだったって意味?」
人の悪そうな笑みをうかべる柿本。急に明日夢は、ふてくされたように黙りこくってしまった。その後ろで達川が、ないないと手を振る。
「明日夢君はどうしたいのよ?あきらめるの?」
「だ~か~ら~、そんなじゃないって。これはね、礼儀の問題、礼儀!」
「礼儀って何だよ」
「仁義礼智忠信孝悌の義!」
「礼だ」
「そう、礼! わかる?」ものの見事に云いなおしやがった。「嫌いって云われたからあたし、怒ってんじゃないからね。ひとりで勝手にふてくされて、理由も云わないって態度にあたしは怒ってんの! ふざけんなっての」
「えっと、みなさんわかってると思いますが、第二回明日夢会議の最中ですよ。建設的な意見をお願いします……あぁ、何でこんなことしなきゃなんないのよ……」
久川が気のない様子で注意をうながすが、明日夢はそっぽを向いてジョッキをかたむける。
「でも……」いぶかしげに柿本。「秀虎君、何で急にそんな態度とるようになったの?」
「わかんない。達川君、知ってんじゃないの?」
「オレが知るわけないだろ」
「役にたたないエロメガネだな」
「あ~の~な~」
「とにかくっ!あんな陰湿ネクラミドリムシなんて、つきあってらんない!」
「つきあってたか?」
「やさしくしてあげてたって意味!」
「……」
「……」
「……」
「やさしく……?」
四人は何となく顔を見合わせる。
「こないだ、包丁で斬りかかったって聞いたけど……」
「その後、強盗ごと階段から蹴り落した」
「借金のカタに、待ち受け無理やり自分の写真にさせてるよねぇ」
「オンナ連れこんだ時、乱入して邪魔してたし」
「大体、コスプレで強引にせまってますが?」
「やりたい放題ですな」
「法学部、法的にどうなんですか?」
「訴えられても文句は云えませんよ」
「そーゆーことしといて……やさしく?」
「……何か云ってる?」
サイコロステーキを焼き鳥の串で何度も何度もえぐりながら、明日夢は口をとがらせ、刃渡り二十cmほどのドスのきいた声で訊ねる。
「いや、何も云ってないよ」
達川がこれ以上ないってくらい誠実そうな顔で首をふる。生存本能のなせる業であろう。
「北森、君の云うことはもっともだ。うん、全部あのバカが悪い。もうあんなやつのこと忘れて、新しい恋に生きるべきだ。オレは遠く遠くはるか遠~くから、君のことを見守っていくつもりだよ」
「あんた、秀虎君の友だちのくせに、そんな冷たいこと云っていいの!」
「どないせぇっちゅうんじゃ!」
「つーか恋じゃない、これは仁義の問題だ! それからどさくさにまぎれて、くどくな!」
「今のが、くどきに聞こえたの!?」
「持田、話がややこしくなるからやめとけ」
達川がげんなりとたしなめている間に、生おかわりぃ!と明日夢がまた叫ぶ。
「お前いいかげんにしろ!」
「何よ、達川君まで秀虎のくそチビぶわっかの肩持つの! あの態度、ふざけんじゃないって。あ~もうむかつく!」
再び胸ぐらをつかまれ、がくがくと揺さぶられる。
「……だ~か~ら~なぜ~そんな~話になるんら~?」
タイミングよく置かれたジョッキに、明日夢は手を離した。一気に半分ほど呑みほす。
「いい度胸じゃない。あくまであたしの善意を受けられないってんなら、考えがある」
「ちなみに、一応、念のために訊いておくけど、一体何をするつもり? ……あ、いい、やっぱり答えないで、聞きたくない!」
久川が慌てて前言と両腕をひるがえしたが、明日夢はじっとりと座った眼で凝視する。石の上の三年ともうちょっとがんばったような、なかなかに見事な座り様である。
「ふ~ふふ~、よくぞ訊いてくれました」
「いや~! お願い、答えないで。聞いてしまったら止める義務が発生するかもしれない、そんなのいやー!」
かくも美しき友情。
「それはですねぇ……つまりその、ここでしゃべってしまったら元も子もないから……まぁともかく!きっちり説明してもらうし、秀虎が謝るまで絶対赦さない!……てことであります!」
「要するに何も考えてないってことね……」
久川はひきつったような安堵したような表情でつぶやいた。
「つまり何をするか、見当もつかないってことだな」
達川が諦念したようにぽつりとつぶやくと、三人は呆然と顔を見合わせた。彼女たちの頭の中のスクリーンに、流血沙汰という文字が、赤く染み上がってきた。
明日夢はそんな彼女たちの様子など、まるで気にせずにのこりのビールをくわっと呑みほしてしまうと、どんとジョッキをテーブルにたたきつけた。
「……くっくっくっく、首洗って待ってろよぉ、熊谷秀虎……」
「うわあぁぁぁ、こんなに酒ぐせが悪いとは知らなかった……」
久川、持田、柿本は、なかよくまた頭をかかえた。
「……ってわけだから、何とかしてよ、君の責任でしょ」
秀虎の前の長テーブルに逆向きに座ると、柿本は頬杖をついてなげやりに云った。第二回明日夢会議の翌日。講義前の移動時間のコトである。ちなみに明日夢君、本日は宿酔いで優雅に自主休講のご様子。
「……関係ないだろ」
無表情に応える秀虎。
「そりゃ、ないって云えばないけどさ、明日夢のからみ酒に付き合わされて、小鳥のように震えてるあたしたちをかわいそうだと思ってよ、ぶるぶる」
「……」
「何があったの?」
「……」
「は、黙秘? 立場わかってんの?」
「柿本で三人目だ」
「何が?」
「そんな説教かまそうとしたやつ」
「……誰?」
「久川と持田」
「あらあら、出遅れちゃった?……あっそ」柿本唯衣はにこやかに笑って立ち上がった。「ひどい目にあっちゃえ、バ~カ」
明日夢が置いた黒石を見て、秀虎は鼻の先で笑った。
「だ~か~ら~、そのすぐツケるくせ、なおせっての、何でこんなとこに打つんだ」
長テーブルをはさんで対峙する秀虎と明日夢。場所は文化部サークル棟の一角、囲碁同好会のせまい部室である。
ふたりの間には黒白の石が並ぶ碁盤と、眼に見えない壁があるかのようだった。両者の間の冷たい戦争は、依然終結のきざしをみせない。みせないどころか、その壁ごしに放たれる不可視の砲撃は、日に日に陰惨さを増していく。
「どうしてよ、ここ切られたら、完全にアウトでしょ」
明日夢はむっとして云いかえす。
「今は急がなくていいの。急所はこっちだろ」
盤上の一点を指で示しつつ、しかめっ面で応えた。
「だからこっちがおさまってないのに、どうしてもう右にトブのよ」
「ここのワタリが保険になってんだよ、これでシノげるんだから、問題ない!」
「はぁ? 薄いじゃない。それでシノげるつもり? なめてんの?」
「もっと大局みろ、どこが大切か考えろ」
「は! 大局?」明日夢がわざとらしくため息をつく。「出た、いかにもな発言。そんな実力もないくせに」
「お前こそ、バカみたいに殴り合いしかできないくせに。碁ってな、そういうもんじゃないんだよ」
「きちんとケリつけないで、すぐ逃げ出すのって性格? あぁそうよねぇ、真正面からやりあう気力ないもんだから、回って回って逃げ打ちばっか。ねちねちしつっこいのよ、陰険男」
「石取りレベルが何ぬかす。幼稚園児だってもう少し考えるぞ!」
「うるさい、とにかくここが正着!」
「違う!」
秀虎は黒石を動かそうと指をのばすが、明日夢の方が一歩早く、人差し指で上からしっかりと押さえる。
「……勝手に動かさないでよ、そんな無礼なまねがゆるされると思ってんの?」
「指、ど、け、ろ」
「けんかうってんの?」
明日夢の指を動かそうとして力を入れる秀虎。動かされまいと明日夢。ふたりの眼は意地に燃えていた。
「柿本たちけしかけたの、お前だろうが」
「何のコトよ、因縁つけないでよね、根性腐れ」
「腐れてんのはお前だろ、巨神兵、巨神兵、巨神兵!」
「ぶっ殺されたいの、あんた!」
凶悪な顔で、それでも場所をわきまえて極力おさえた声音の明日夢に、一年の藤江が顔をひきつらせて壁際まで後退する。部長の貞清と副部長の石黒はすでに避難している。
「先輩、あたし、ふたりが怖いです」
「オレもだ」貞清が冷や汗をかきながら、うなずく。「もうこいつらに打たせるのはやめよう……」
収拾がつかなくなったふたりに、三人が顔を見合わせていると、部室のドアが開き、眼鏡に丸坊主の軽量級の柔道選手のような男が入ってきた。前部長の織田である。
「――ん、何やってんだ?」
持ってきた紙袋を藤江に渡した織田は、あっち見ろと顔だけでうながす貞清たちの視線をたどる。ひとつの石を押さえながらにらみあうふたり――ではなく、盤上をちらりと見ると、いかつい顔をさらにしかめた。
「そこはここ」
織田が碁笥から黒石をつまむと、ぴしりと置いた。
「……え!?」
全員が眼をむいた。指摘されて初めて気がつく急所だった。
「何やってんだ熊谷、お前ちっともうまくならねぇな。そっちほったらかしにして、どこが急所もないだろ? どうせまた北森のなぐりあいに付き合ってんだろうけどさ、まったくお前ら、ちょうどいいへたくそ具合だよな」
もう興味なさそうに、部屋の隅のカラーボックスに置かれた急須にお茶っ葉をざらざら入れはじめた。
「さぁお茶にしよ、お茶。砧屋限定販売の羊羹買ってきたから」
アパートへのいつも帰路である大学の裏門にもたれかかるようにして、達川の姿があった。うんざりした。
「お前まで、何か文句あんのか?」
「お前が北森にとった態度とやらについて、ひとこと云いたい」
冷たくそう云うと、達川は煙草をくわえた。煙がぼんやりとのぼり、未練がましく消えていく。秀虎ではなく、その煙に話かけるように達川は口を開いた。
「何か知らんが、自分のことは自分で何とかしてくれ。お前、オレに迷惑かかってる話聞いてる?」
「そーゆーこと云ってくるのは、お前で四人目だ」
「なるほど。オレが最期か。どうする? 振り上げた拳のおろしどころに困ってんだろ?」
「……うるせぇ」
「本当は後悔してんじゃないの、つまらんこと云っちまったって?」
達川の言葉は、遠慮なく自尊心やら良心やらをえぐってくる。高校時代から、口はやたら達者だ。憶いかえしてみれば、丸めこまれた記憶しかない。たまに爪とぎ板がわりにされてんじゃないかと勘ぐりたくなる。
悔しいことに、云っていることはまあまあ正論だ。振り上げたこぶしを、どこへおろしたらよいのかわからないってのも事実だ。
「北森に、ちゃんと云ってやっても、いいんじゃないか?」
秀虎ははっと顔を上げた。今まで見たこともない冷ややかな達川の表情だった。言葉が出なかった。
明日夢にあんなこと云ってしまったこと、胸の中でずっとくすぶっていた。自己嫌悪だ。だがすでに吐かれてしまった、のどがひりつくような言葉を冷ます魔法はない。自分でもよくわかっている。
「もうひとつ、お前に云いたいことがある」
達川はさらにおごそかに話しかける。その重々しい口調に、秀虎はうさんくさそうににらみつける。
「下ネタなら聞かんぞ」
達川の口がそのまま停止した。眼が泳ぐ。
「え……と……」
「やっぱりかい」
(了)
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