第3話 「Faire le Chat」

 オンナノコはいいもんだ。 特に普通のシチュエーションじゃ、ちょっと不可能なぐらい腕の中で密着してるオンナノコは。

 でもってその子が、髪サラサラのかなりかわいらしい顔立ちで、ボクより小柄で肩幅もせまい、きゃしゃな身体で、そのくせ意外に胸が大っきくって、その胸が衣服越しに僕の二の腕にあたってる場合なんて、なおさらだ。 さらに彼女のかわいらしい眼が軽く閉じられ、おとがいが少~し上を向いて、薄いピンク色のリップで艶かしく強調されている唇との距離が、わずか二十cmぐらいしかない場面なんて最高だ。

 後はその二十cmの距離を、ボクが縮めるだけ。

 ま、要するに自分が今現在、そんな場面にでくわしているわけなのだが、客観的にみても、大変よい瞬間だと思うよ。

 あぁ、いい匂い。いただきま~す……と思った瞬間――アパートのドアを思いっきり蹴飛ばす(多分)音がし、ものすごい勢いで開かれた。


 ええっと……ちょっと説明が必要だと思う。

 その時、ボクの腕の中にいたのは福間佳菜。最近、ボクのバイト先の居酒屋に入ってきた。バイトの1人に同じ大学の先輩がいたのだけど、彼女、就活やら卒論の追いこみで当分来ることできなくなった。そこで代わりにやってきたのが佳菜。同じサークルの後輩らしい。

 そういった経緯で、週の何日かをいっしょにすごしてきたわけだが(いや、変な意味じゃなくって)。

 佳菜、背小さくって、可愛らしくって、その上明るくって性格もいいもんだから、同じバイトの野郎ども、どうやら特定の男いなさそうだと察知すると、さっそく手ぇ出そうとしたみたいだけどね、店長のサチさんが眼を光らせてることもあって、彼女、あんな連中相手にしなかったわけ。

 まぁね、ボクもいいかなって思ってても、連中みたいに露骨にそんな態度とらなかったんだけど、そうしたらどうも彼女の方から結構話かけてくる。その時は多分、気軽くしゃべれる相手がほしかったんだろうなって考えただけだが、ボクもあまり妙な期待はしないようにしてたんだけど……でもやっぱり、いっしょに帰ろうって云われたってことはどうだろう?いつもは自転車に乗って帰る夜道を、その日は彼女と二人で歩きながら、いろいろな話をしながら帰った。

 そんなことが何度かつづくと、自販機のジュースを飲みながら無駄話ってことにもなるし、そろそろオレの部屋に来ない?ってことにもなるよね、なるよねみんな?

 わはは、ざまーみろ、負け犬ども。

 問題は、そのことをうっかり達川のやつに、ちょろりとしゃべっちゃったってことだよな……やっぱり自慢したかったのか、自分?


「お届け物でぇ~すっ!」

 百八十二cmの、女としては常識はずれの長身をほこる北森明日夢が、ドアをふさぐように立っている。

 彼女を見て真っ先に思ったのは、今度会った瞬間、達川を階段から蹴り落としてやろうってことだ。むしろ殺意と云っていい。あの野郎はいっつもいっつも……って明日夢、君一体、何!?

 ボクの腕の中で佳菜が固まっている。そりゃそうだ。明日夢はさっさと靴を脱ぐと、ずかずかと部屋に乗りこんできた。おい、いくら何でも、よりによって今日、やって来ることないだろう!

「な、何だお前!」

「いやいや気になさらずに、つづけて、つづけて」

 つづけられるか!

 ボクを無視して、明日夢は手にした紙袋から何やらごそごそ取り出す。見てぶっとんだ。

「ちょっと待てー! 何だ、それは!?」

「たいそ~ふく~。あたしが高校の時着てたの~」

 何だ、そのアホみたいなしゃべり方は?佳菜が腕の中で、ひくっと身体を強張らせる。

「あ、頼まれてたせーふくも持ってきたからね~。夏冬ちゃんとそろえて。それから部活で使ってたユニフォームと、スクール水着」

 そう云いながら押入れの収納ケースを開けると、持ってきた服をたたんで、順番に収納しはじめた。佳菜がボクの腕の中から、すぅっと離れていく。あ、ちょっと待ってって。

「あ~あたしが持ってきたメイドとナースも、まだ、ちゃあんと持ってんだ。大事にしてくれてんだ。また着てあげるね~」

 台詞、棒読み。バジリスクのような眼をしている。

「……あたし、帰る」

 佳菜は立ち上がる。立ち上がって、スカートのすそを直す。その仕草が、やけにそっけなく見える。

「ちょ、ちょっと……」

「彼女の着替えの邪魔になるでしょ?」

「いや、これは……」

 と云ったところで、誰が信じる? 佳菜が軽蔑するように見下ろしている。

「秀虎君、あんな恐竜みたいな女が好みだったんだ?コスプレごっこ、彼女と仲良くね」

「あの、誤解……」

「あたし、ずいぶんバカにされちゃった」

 ボクの言葉を聞くつもりもなく、さっさと部屋を出て行く。玄関ですばやくブーツをはくと、最後にマンモスでも冷凍保存できるぐらい、飛びっきり冷たい一瞥を部屋の中に放りこんで、いなくなってしまった。

「……恐竜? ……あたし?」

 背後で明日夢がぽつりとつぶやく。呆然と云うか、思考停止と云うか、とにかくそんな状態になってたボクは猛然と振り返った。

 明日夢は神妙な顔をして「ご愁傷様ですねぇ?」とのうのうと云いくさり、天井の染みでも探してるような顔をしていた。

 ……この女、どうしてくれよう。


* * *


 それから一週間たった、大学の講義棟でのことだ。

  講義が終わって、教室を出るのがちょっと遅れて、誰もいない外廊下を歩いてた。ばつの悪いことに、佳菜も同じ講義を取ってて、教室の中で友だちとまだ何やら話をしている。出る時、ちらと眼が合ったが、一瞬、険しい光を見せただけだった。

 ちくしょうと思いながら歩く。何回か説明しようとしたが、これっぽっちも聞こうとしない。バイト先でもろくに話しかけてもこない。こっちもそんな態度とられると、いやになってくる。

(もういい、好きにしろよ)

 何かもう、どうでもよくなってしまった。正直云うと、あそこまで頑なになることないんじゃないかと思う。

 だって、部屋の中であの距離まで近づいておきながら、恐竜みたいな女(佳菜のやつ、うまいこと云う)が乱入してきて、制服やら体操服やら置いて、そんでもってメイド服なんかを着てあげようって云っただけなのに。それぐらいだよ? それぐらいであんなに腹たてることないじゃ……

 やっぱだめか、ボクが女の子だったら引く。速攻で逃げる。間違いなくサヨナラだ。

 佳菜のことはまぁいい。問題は明日夢だ。あの晩、出て行けと追い出したが、疫病神め。頭きた。今度ばかりは頭きた。今までいろんなちょっかいかけられてきても、何となく我慢してきたけど、実害が出た以上、ゆるせない。

 廊下の向こうから明日夢が手を振ってる。思いっきり無視する。踵を返して反対の階段から降りよう。もう相手してられるか!

 明日夢に佳菜のことを話した(と思う)達川のやつは、罰としてあいつのパソコンに入ってるアダルトサイトからダウンロードした秘蔵映像の数々を消去してやった。ふん、ざまみろ。またしこしこと一から集めることだね。

 階段の陰から――突然人影が飛び出してきた。

「――っ!?」

 襟首をつかまれ、声をあげる間もなく脇のトイレに引きずりこまれ、そのまま奥の壁に押しつけられた。中には誰もいない。眼の前には、ごつい男の顔がある。何だっちゅうんだ!

「お前か?」

「はぁ?」

 呆気にとられるボクを壁に押しつけ、口早に喚きたてる。がなっているので、よくわかんないけど……は? 何でそこで佳菜の名前が出るわけ? おまけに、ずいぶん腹を立てている。何……って思った途端、襟をつかまれたままぐいぐいと、さらに後ろの壁に打ちつけられた。

 痛ってぇ! 頭きたんで、思わず脚で腹を蹴って引っぺがした。

「何すんだてめぇ!」

 後ろ頭をさすりながらどなるが、眼の前の男は荒い息を吐き、怒りに燃えた眼でボクをにらみつけたままだ。

 こいつ、学内で見かけたことあるような気がする。うちの学生か? ボクよりずっと背が高いが、明日夢よりは低い。わっ! ボクって明日夢を基準にしてる? 重症だ……なんて、阿呆なこと考えてたけど、オトコの眼が結構テンぱってるのが怖い。肩幅が広く、胸板も厚い。顔もごつくって、絶対何か武道やってそうな印象。ケンカになったら、多分敗ける。逃げてぇ。

 しばらく肩が大きく上下していたが、やがて息を整えた彼が口を開いた。

「お前か? 佳菜に手ぇ出してんのは?」

「ぶっ!」

 思わずのけぞった。何、何? この陳腐な展開!?

「何、笑ってんだ、お前が熊谷か?」

 確かめとけよ、あんた。つーか、ちょっと待て!

「何だよ、そりゃ。何か勘ちがいしてるだろ?」

「何が勘ちがいだ! ふざけんなてめぇ!」

「いや、だから……」

「佳菜といっしょのバイトだろうが、お前。無理矢理、送ってくとか云って、あいつ迷惑してんだよ!」

 あ~? そーゆー話になってんの?げんなりした。結構どーでもよくなってた佳菜に対する感情が、決定的にマイナスに大きく振れた。ぐわぁ、あの女……やってくれるじゃねぇの。

「おい、黙ってんじゃねーよ。人の女に手ぇ出しといて、何かねーのかよ」

 黙ったままのボクに、何かやましいところがあるとでも思ったんだろうか、彼はちょっと余裕ができたみたいで、一歩前に出た。やっぱりボクよりでかいから、威圧される。

「それ、佳菜が云ったのか?」

「だから何だ、お前に関係ねぇだろうが!」

 話が通じん。関係ないんだったら、帰っていいですか~?

 そいつは肩をいからせながら近づくと、また襟をつかむ。

 わっ! まだどうしたらいいか、考えつかないってのに。どーしよ。思わず引きつった笑いしか出ない。ぼ、ぼーりゃくはんた~い!誰でもいいから、入ってきて~!

 ボクの願いを聞き入れてくれたように、トイレのドアがものすごい音をたてて、大きく開く。

 助かったぁ、日ごろの行いが良いおかげだ。神さまありがとう……って、明日夢? 君……ここ、男子トイレだよ。

「ちょっと、痛い、痛い!離せ、このクソが、ブス!」

 ……あ、もう1人いる。明日夢に髪の毛わしづかみにされて引きずられてる女の子……佳菜?

 いつものかわいい顔をゆがめて、口汚くののしりながら必死でもがくが、明日夢はびくともしない。そりゃそうだ、頭ひとつ半はゆうに差がある。

 明日夢は佳菜を奥の個室に叩きつけると、今度はボクの襟をつかんでるこいつ(ええと、名前何て云うんだろ?)の背中を思いっきり蹴りつける。 男はボクから手を離すと、でかい二人はもみ合いをはじめた。さすがに男の方が力が強いみたいだけど、明日夢は髪の毛をつかんで離さない。うわ~すげぇ、互角だわ。

 何て思ってたが、はっと我にかえった。止めようと思ったけど、サイズ的に無理がありそう。もみ合ってる二人は、通常の四倍ぐらいに見える。うかつに割って入ったらはじき出されそうだ。

 とっさに思いついて、入口近くの清掃用の流し台に置きっぱなしになってる金属のバケツをひっつかんだ。一瞬、水を入れてやれと考えたが、さすがにいかんだろと思う。二人に、どちらかと云うとオトコの方に向かって、思い切り投げつけた。

 狙いあやまたず、バケツは見事、明日夢の後頭部に直撃する。派手な音をたてて、床に転がる。

「~~~ッ!」

 明日夢が頭を抱えこんでしゃがみこむと、声にならない声をあげる。あ、ひょっとして角が当った? わはは、ゴメン、気持ちいい。

 バケツの音は、試合終了のゴングのようだった。外からは学生たちの声が聞こえてくるが、男子トイレの中には、気まずい沈黙が流れている。

 男は最初の時みたいに、興奮して肩で息をしている(ところで、こいつ誰?)。

 佳菜はトイレの床にへたりこみ、鼻血をハンカチで押さえたまま、呆然とボクたちを見てる。

 明日夢はしゃがみこんで頭を抱えたまま、眼に涙までうかべて、ボクを恨みがましそうな眼で見てる。

 なぜか無傷なボク。あ~気まずい。誰かこの状況、説明して。

 ……誰もしてくれない。

「ええと……」誰もしてくれないので、とりあえず空気をなごませようと明日夢と佳菜にむかって「ここ、男子トイレ」

「……」

「……」

「……」

 男が横目で、明日夢と佳菜が下から見上げる。

 えっと……何でみんな、そんな頭蓋骨の硬さを目測するような、凶悪な眼で見るのかなぁ……「黙ってろ、ぼけ」って云われてる気がする。多分、気のせいだとは思うんだけど、すごく居心地が悪いです。ボクの視界の端に、床に転がったバケツが入ってる。なぜかやけにその中、居心地がよさそうに感じる。入っちゃおうかなぁ……

「何だ、お前」

 男が明日夢に向かって訊ねる。気まずい空気が動き出した。彼にちょっとだけ感謝した。名前は知らないけど。

 明日夢はまだ頭をなでながら、立ち上がった。やっぱり男より背が高い。

「ちょっとあんた、バカじゃないの?」いきなりかます。「この女にいいように振り回されて」

「はぁ!? 何云ってんだよ、お前に関係ないだろ」

 またですか、このアホは。関係ないんなら、帰るぞボクたちは。

「関係ないから何だってのよ、こんなことしといて関係ないもあるもないでしょうが。あのさぁ、あんたが好きで好きでたまんないこの女、別の男ともやってんだよ……秀虎君じゃなくってさ。むしろそっちが本命」

「ちょっ……!」今まで呆然としてた佳菜がいきなり立ち上がって、猛烈に抗議し出した。「何、でたらめ云ってんのよ、この女! ばっかじゃないの! あたしがそんなことするわけないでしょ!」

「そーゆーまねしてんだ?」

 これはボク。こんなめに合えば、いやでも実感できる。

「何云ってんのよ!」佳菜、男に向かって「ねぇ、あたしがうそ云ってるように聞こえる? 熊谷君はバイト友だちだから、いっつもいっしょに帰ろうって云われたら、断われないじゃない? ほら、あたし店でも新人だから。そりゃ、彼んちに行ったのは本当だけど、ほら、あのころ、ちょっとモメてたじゃない? 当てつけるってわけじゃないけど……別に変なことするわけないし、迫られたりしたら絶対帰ってたし!」

「うわ~上手~。お手本にしなくっちゃ」

 棒読みで明日夢。佳菜がにらむ。

「お前、オレに何て云ったんだよ……」

 本当、何云ったのよ。

「そ、それは、あの……ちょっと口がすべったってやつで……」

「オレはこいつがちょっかいかけてくるって、つきまとわれてるって聞いたから……」

 あははは、こいつってボク?

「大体、他にもいるってどういうことだ?」

「うそに決まってるじゃ――」

「本当だよ。コイツと同じ学部の佐山ってやつ。知ってる?」

 明日夢が佳菜の言葉をさえぎる。

「うそよっ!」

「知らない……」

「知ってる。あのにやけたやつだろ?」

 三人が三人、別々の答え。

「へぇ、だったらあんた、こないだの学部の懇親会の後、佐山と二人でどこ行ったか云える?」

 明日夢の言葉で、佳菜は棒を飲んだような顔になる。その表情がすべて白状していた。そこが佳菜の泣き所か。鼻血で下半分が赤く染まっている顔が、こっけいに見える。

「ど、どこってあんたに何の関係が……」

「観音町のラブホ街……」

 情報屋か、お前は。明日夢、ボクは今お前が怖いぞ。

「う、うそ……」

 かわいい佳菜の顔がゆがむ。

「おいっ!」

「うそだって!信じてよ。本当に絶対そんなことしてないって、あたしよりこんな女の云うこと信じるの?」

 うわっ、出た。まったく根拠のない二者択一。瞳をうるうるさせての、泣き落とし攻撃。そりゃ、佳菜みたいな護ってやりたいって感じの女の子から、こんな風に見つめられたら男なら誰だって迷うよ。このアホな男だって、ちょっと迷ってる。

 でもね、信じたくない気持ちもわかるが、チェックメイト、君らとっくに詰まってんだから、あきらめなよ。

 だけど明日夢はいちおう女だから、女には容赦ない。

「あたしだけじゃないからね。何なら今からいっしょに目撃したやつ、呼ぼうか?」

 そう云ってスマホを取り出し、今にも呼び出しそうな雰囲気だ。佳菜は青ざめる。もう何も云えず、少しずつ少しずつうつむいていった。男も毒気をぬかれたみたいに、情けない顔で佳菜をにらみつけている。終わったね。

「秀虎君に謝って、とっとと出ていったら?」

 明日夢が男にそう云った。男は口の中でモゴモゴと何か云うと、急に腹立たしそうな表情になって、佳菜の腕をつかんで引きずるようにトイレから出て行った。佳菜は痛い、とか悲鳴をあげているけどお構いなしだ。

 これから二人がどんなことになるのか少し興味はあるが、もううんざりだ。二度と眼の前に現れんじゃねぇって。ところで本当にくどいようだが……あいつ、誰?

 明日夢が大きく息をついた。その時初めて、こいつの口の端が切れてることに気がついた。あの男ともみ合った時に切ったんだろう。佳菜の鼻血は別に何とも感じなかったが、なぜか急に腹がたってきた。

「おい、顔! 唇切ってるぞ」

「痛てて……」

 明日夢が顔をしかめる。本人も気がついたみたいだ。ポケットにつっこんでいたくしゃくしゃのハンカチに水をつけてふいてやった。お前、一応女だろ?無茶すんなって。

「お前、かな……福間のこと、知ってたのか?だからあんなまねしたのか?」

 明日夢は眼をそらす。アホか、ばればれだって。

「お前なぁ」

 あの夜、明日夢がボクの部屋に乗りこんできたこと。考えてみたら、こいつのおかげでアホなもめごとに巻きこまれずにすんだんだ。いや、充分巻きこまれたような気がするが。

 多分、プライド傷つけられた佳菜が、妙なことあいつに吹きこんで、ちょっとシメてやれってことになったんだと思う。

 あれ? じゃやっぱ明日夢のせいじゃないのか? ――と思ったが、あのまま勢いにまかせてちゅうしたり、別んとこにちゅうしたり、そんでもってさらにいろんなことやってたら、もっともっと厄介なことになってたかもしれない。あの男、あんまり理性はなさそうだったけど、力強そうだったし。無理やりでも話がおさまって、よかったんだと考えることにしよう。

 あの夜やそれ以前の彼女の態度、ただのつまみ喰いだったのかなぁ? あんな風に複数の男とあんなことできる女って、ボクみたいな者にはやっぱり手に負えないと思う。

 明日夢に部屋に乱入された直後は、逃がした魚が大きかったような気がして腹もたったが、その後の佳菜の態度でずいぶんと熱も冷めた。今日の件で決定的だ。ボクは女、見る眼がない。

 あ~でも本当、わけわかんね~! 男も女もバカばっかりだ。何か明日夢の方がまともに思えてきた。

「あたしだって男いないのに、秀虎君だけラブラブになろうなんて、ゆるせない」

 思わず笑ってしまった。あ~そうかい、そりゃ悪かったね。

「自分の性癖を疑われかねないまねまでした甲斐がありました」

「おい、オレの立場は?」

 こいつ、毎晩制服入れた袋持って、待ち伏せしてたのか? だとしたら、怖えよ。考えないようにしとこう。

 その時、トイレのドアが開いた。利用者が明日夢を見てぎょっとする。さすがに女に見えるみたいだね。明日夢と顔を見合わせる。

「出よっか?」

「う、うん」

「あのさぁ、秀虎君。彼女、結構あのサークルの付近じゃ有名なんだよ。かわいい顔して、えげつないって」

 と、歩きながら明日夢。

 そう云えば、彼女を紹介した先輩「あの娘に手ぇ出したらだめだからね」って意味深なこと、云ってたな。あれはそんな意味だったんか? 先輩はしっかりした人で、結構好きだったのに。でもそのわりには佳菜、やることお粗末だったじゃない?

「オレのサークルまでそんな噂、聞こえてくるわけないだろ」

 憮然としつつ答える。

「秀虎君、何のサークルだっけ?」

「……囲碁同好会」

「暗っ! ……活動できてんの?」

「オレ入れて、四人しかいない」

「じゃあ、あたし入ってあげようか?」

「できんのか、お前。五目並べじゃないんだぞ」

「バカにしないでよ、ちゃんと打てるって。小さいころ爺ちゃんから教わって、大会にも出たことあるんだから」

「本当?」

「だから、入ってあげてもいいよ」

「う……少し考えさせてくれ」

 弱小サークルとしては、迷うところだ。

 ふと気になることを憶い出した。

「ところでお前、ラブホ街でいっしょだったのって、まさか男……?」

「お、妬いてる? 心配しなさんなって。ふみちゃんたちだってば」

「そっちの方だったの? やっぱお前がタチ?」

「ううん、意外に思うかもしんないけど、こうみえてあたし受け身……ってアホかー! あたしもその呑み会、出てたんだよ! 偶然だって偶然! ……みんなで後はつけたけど」

「……おいっ!」

 まぁそりゃそうだな。こんなでかくて、がさつで厄介な女、相手にするような男なんているわけないよな。

「それよりあたしに感謝してよね。面倒に巻きこまれかけてたの、助けてあげたんだから」

「……」

「……」

「……」

「……ん?」

「……アリガト」

「聞こえませんな~」

「あぁどうも、ありがとうございました、感謝してます!名誉の負傷までさせてしまいました」

 何かいまいち、釈然としないんだけど。

「うわぁ棒読み。でもそれ、あたしの中じゃ感謝の言葉としては、わりかしランク低いほうで」

「何だ、それ?」

「『お礼に美味しいモノ、食べに行こうか』って感謝のされ方がいいなぁ、うふ」

「しょせんはものか……」

「ご飯とお酒! そんぐらい、おごってくれるよね? 呑みに行こう!」

「だめ、昼メシまで。竹屋食堂の日替わり定食でどうだ?」

「冗っ談! 竹屋の日替わり、替わったことないじゃない? いっつもチキンカツでさ」

「じゃあ大盛りで」

「量の問題じゃない。アタシは秀虎君の誠意を見たいんだー!」

「日替わり定食ぐらい」

「小さっ!」

「小さいって云うな!」

「じゃあ、お酒呑ませてよー!」

「女が酒、酒、云うなよ」

「あたしはタダ酒が呑みたいんだー!」

「タダ酒だと~? たかりか、貴様?」

「お酒~!」

「昼メシ!」

「お酒!」

「昼メシ!」

「お酒!」

「昼……」


(了)

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