第98話:今日は電話がよく鳴る日だ
「ホントありがたい話です。このお礼は必ず……」
「またお食事をご一緒していただけたらそれでいいですよ」
「はい。ご馳走させていただきます!」
「いえいえ。前と同じく、一緒に食事に行くだけで構いません」
「いやそれじゃあお礼にはなりませんって」
「いいんですよそれで、ふふふ。……あ、すみません平林さん。他の仕事があるので今日はこれで。またお出かけする日程は改めて連絡します」
「あ、はい! お忙しいところ、わざわざご連絡ありがとうございました!」
俺は思わず、スマホを握ったまま深々と頭を下げていた。
ここまで親切にしてくれて、お礼は食事を共にするだけでいいだなんて。
凜さんって、なんて優しいんだよ。
ここに実在したよ女神が。
ところで勝呂がやってることは、想像以上にヤバいことだった。
早速所長に報告しなきゃ。
──あっ、そう言えば……
接待相手が礼儀に厳しい人だから、所長は電話に出られないって言ってたな。
特に年配の人には、話をしてる最中に他からの電話に出るのは礼儀違反だと言う人も多い。
詳しくはまた後で伝えるとして、接待が終わったら折り返し電話をもらうように、所長にメッセージを送っとくか。
そう思ってスマホを手にした時。
ルカから電話の着信が入った。
──早く飲みに合流してよという催促かなぁ?
なんて呑気に思いながら電話に出た。
「はい、もしもし平林です。どうした?」
しかし電話の向こうのルカは、普段は冷静な彼女がここまで動揺するなんて驚くくらいオロオロと焦った声だった。
『大変です凛太先輩! 今すぐ来てください! ほ、ほのか先輩が……』
「どうした?」
『勝呂さんたちに誘われて、一緒に飲みに行っちゃいました……』
「ええーっ? まさか?」
ルカとほのかが飲み屋街を歩いていたら、偶然勝呂さんとその部下に出会った。
そして勝呂さんが、一緒に飲みに行こうと誘ってきた。
ルカはそう言った。
「それにしたって、なんでほのかは勝呂さんに付いて行くんだよ?」
こんなやり取りがあったと、ルカは説明した。
*
「まあ、そう警戒するなよ。俺はキミらと仲良くなりたいんだよ。一緒に飲んだら俺たちがいいヤツだってわかるからさ」
「ん〜、どうしよっかなぁ……」
「おっ、ほのかちゃんは乗り気だね」
「乗り気って言うか……」
「あっ、そうだ。いいこと教えてやるよ」
「いいこと?」
「ああ。麗華が、うちに入ってくれることになったよ」
「え? ウソっ!?」
「ウソじゃないさ」
勝呂さんはスマホを取り出して、ボイスレコーダーを再生した。
『なあ麗華、いいだろ』
『はい』
『そっか。じゃあヒューマンリーチに入ってくれるんだな』
『はい……入ります』
*
「まさか所長がそんなこと言うなんてあり得ないだろ」
『私もそう思います。でもあれは、確かに所長の声でした』
それを聴いたほのかは、勝呂さんたちについて行くと言い出したらしい。
ルカはどうするか聞かれたけど、とにかく俺に連絡しなくちゃと考えて『私は帰ります』と答えた。
そしてほのかと勝呂さん達が近くのバーに入るのを見届けて、俺に電話したらしい。
「わかった。すぐ行くよ。ルカは店には入らずに、その前で待っててくれ」
「わかりました」
俺は急いでオフィスの施錠をして表に出た。
ルカから聞いたバーの名前で店の場所を検索して、早足でそこに向かう。
飲み屋街の中ほどにある店だ。
──あ、そうだ。所長への連絡はどうしようか?
所長は、相手が礼儀に厳しい社長だから、接待中は電話に出られないと言っていた。
報告は後にするか?
いや。これはほのかの身に、何か危険なことが起こる可能性がある事案だ。
──よしっ。
飲み屋街に向かって歩きながら、俺は所長に電話をかけた。
所長は電話に出てくれない可能性は高い。その場合は留守電に事情を入れておけば──
『はい、神宮寺です。どうしたの平林君?』
心配は杞憂だった。
なぜか所長は、速攻で電話に出た。
「あ、所長。もう接待は終わったんですか?」
『いいえ、まだ真っ最中よ』
「え? 電話に出られないって聞いてたのに、かけてしまってすみません」
『ううん、いいの。それをわかってて、わざわざ平林君がかけてくるくらいだもん。なにか急ぎのことがあるんでしょ? どうしたの?』
あ──
所長はそんなに俺のことを信頼してくれてるんだ。
ちょっと……いや、かなり感動した。
俺はルカから聞いた話を手短に説明した。
「平林君! 私は確かに昨日、勝呂さんと会って話はしたわ。でもきっぱりと断った。私は勝呂さんの会社に入るなんて言ってないから! ……信じて平林君!」
信じてと言われるまでもなく、普段の言動を見て、所長が嘘を言うはずはないと俺は信頼している。
「はい。俺は所長のことを心から信じてます」
「平林君……あ、ありがと……」
所長はホッとした声を出した。
「私もすぐにそのバーに行くから、平林君もそのままそこに向かってちょうだい」
「え? 接待は……?」
そして所長は、目の前の商談よりも、部下の安全の方が大切だと言ってくれた。本当に部下思いの上司だと感じ入る。
「ありがとうございます、所長」
俺は所長にお礼を言って電話を切った。
それにしても──
「あれほど無茶はするなって言ったのに、なんでほのかはそんなことをするんだよ?」
ほのかの考えていることがわからない。
そんなことを思いながら早足で飲み屋街に向かっていると、またスマホから着信音が鳴った。
今日は電話がよく鳴る日だ。
俺は歩を緩めることなく電話に出た。
「はいっ、平林です……」
「おっ、平林君。どうした? 珍しくイラついたような声だな」
「えっ……あ、すみません」
電話の相手はウエブアド社の人事部長、平松部長だった。
エース社員の相原さんと一緒に、内定者のフォローのためにわざわざ志水市まで来てくれたあの平松部長だ。
俺は勝呂さんの会社の動向を調べるため、平松部長にも依頼をしていた。
平松部長はその報告のために電話をくれたのだった。
部長がウエブアド志水支社の採用担当者に聞き取りしたところ、氷川さんから聞いたのと同じような手法を勝呂さんが取っていることがわかった。
「ありがとうございます部長! 助かります。恐縮です」
「いやいや、気にせんでいいよ。私たちはひらひらコンビだからね」
いやだから。そんなコンビは結成してませんけど。
でも熱心に協力していただけるのは本当にありがたいことだ。
「ところで平林君。最初の話に戻るけど、なにがあったんだ?」
さすが平松部長。
俺がほのかのことで少しイラついていることを敏感に感じ取って、心配そうな声でそう訊いてきた。
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