第97話:ねえひらりん。どう思う?

〈凛太side〉

***


 その日、俺が外回りを終えて18時近くにオフィスに戻ると、メンバーは全員揃っていた。そしてちょうど神宮寺所長が外出しようとしていた。アポイントがあると言う。


「こんな時間からアポイントですか?」

「ええ。食事で取引先の接待よ」

「接待? だ……大丈夫ですか所長?」

「大丈夫に決まってるでしょ。平林君は何を言ってるのかな?」


 所長はとぼけた顔でそう言うけど、そんなの、酒が入ると所長は危ないからに決まってる。


「いや、あの……えっと……お酒は飲みすぎないようにして、お体に気をつけてくださいという意味です」

「なに言ってんのよひらりん。所長はお酒が入るとわれを失くすからって言いたいんでしょー?」


 うわっ。こらほのか!

 せっかくオブラートに包んだのに、あっけらかんと、いらんことを言うんじゃない!


 所長が怒り出すんじゃないかとヒヤヒヤしたけど、幸い所長はニコリと笑った。


「大丈夫よ。相手は女性社長でお酒を飲まない人だから、私も今日は飲まないから」


 なるほど。それならひと安心だ。

 所長はほのかとルカには見えない角度で、なぜか俺だけにウインクした。

 モデルのような美人にされるウインクなんて生まれて初めてだ。


 所長の顔が、まるで美しい宝石のように輝いて見えた。


「あ、いえ。所長なら大丈夫ですよね。あはは」


 なんて何げないふりをして返したけど──


 所長がベロベロに酔って家の最寄り駅まで送って行ったことや、出張先のホテルで酔って転んでたことをふと思い出した。


 あの時は俺が支えて、抱き合うような形になったっけ。

 その時間近に見た、所長の酔って色っぽい顔が頭に浮かんだ。その顔と、目の前のキリッと美しい所長とのギャップにドキリとする。


 さっきのウインクは、他の二人が知らない所長の姿を知ってる俺へのメッセージだろうか。『あの時はごめんね』的な。


「ねぇ、ひらりん」

「えええ? な、なに?」


 所長のことを考えてる時に急にほのかに話しかけられて、思わずキョドってしまった。


「ん……? どしたの?」

「あ、いや。なんでもない」

「ふぅーん……なんか怪しいな」


 ほのかがジト目で見ている。


「怪しくなんかないって」


 チラリと横目でルカを見たら、なんとなく冷たい視線を向けられていた。

 もしかしたらルカからも不審がられてるのか……?


 ヤバ。所長と一夜を共にした……じゃなくて同じ部屋に泊ったこと。

 バレるはずはないんだけど、女性の勘って鋭いからなぁ。ほのかやルカから不審がられるのはビビる。


「ところでみんな。勝呂すぐろさんの件だけど──」


 所長が俺たち三人を見回して、真剣な感じで言った。ほのかやルカからの怪訝な目つきから逃れられてホッとする。


「勝呂さんたちのことを探るのは、もうしなくていいからね。自分たちの仕事に集中しましょう」


 ん? 突然どうしたんだろ?

 ちょっと不思議に思いながらも、確かに所長の言うとおり、自分たちの仕事を大切にするということには賛成だと思い直した。


「はい、わかりました」

「あ、そうだ。今日の接待相手はとても礼儀に厳しい人だからね。連絡もらっても、接待中は電話に出られないと思うわ。じゃあ行ってくるわね」


 神宮寺所長は腕時計をチラッと見て、少し急いでオフィスを出て行った。


「ねえひらりん。どう思う?」

「なにが?」

「勝呂さんのことを探るのは、もういいって話よ」

「ああ、俺もそれでいいと思うよ。でも俺は何人かの人に調査をお願いしてあるから、その情報は集めるつもりだけど」

「そっか……じゃあ、あたしももうちょっと調べてみるかな」

「なに言ってんだよほのか。勝呂さんってあんまり筋がよろしくないみたいだし、逆恨みされたら困るからほのかは無理すんな。これ以上調査するなら俺がやるよ」

「結局それって、またひらりん頼みってことじゃん?」


 ほのかはちょっと頬を膨らませて不満そうだ。


「俺はほのかを心配して言ってるんだよ」

「それはありがたいんだけどさ……」

「ん? だけど? なんだよ」

「ああっ、もういいよ!」


 俺はほのかのためを思って言っただけなんだけど……

 どうやらほのかを拗ねさせてしまったようだ。何が何やらほのかの気持ちがわからない。


 ほのかはそのまま仕事に戻ってしまった。ルカもほのかの態度に首を傾げながら、デスクに戻って仕事を再開した。さすがのルカにも、訳がわからないようだ。



 それからしばらくして、ほのかとルカは仕事を終えて、声をかけてきた。


「ねえひらりん。もうそろそろあたしらは帰るけど……」

「おう、お疲れ」

「あのさ、今日は金曜日だし、飲みに行こかってルカたんと話してたんだよ。ひらりんも一緒に行く?」

「あ、いや……まだやらないことがあるから、今日は遠慮しとくよ」


 今日は商談が長引いたせいで、オフィスに戻るのが遅くなった。だからこれから事務作業をやらなきゃいけない。仕事を週明けに持ち越したくないから仕方ない。


「そっか……じゃあルカたんと二人で行くよ」

「ああ、悪いな。また行こうや」

「あ、凛太先輩。仕事が早く終わったら、いつでも途中参加歓迎ですよ」

「おう。ありがとう」


 そんな会話をした後、ほのかとルカはオフィスから出て行った。

 さあ、さっさと事務仕事をやっつけてしまうか。



 それからしばらくパソコンに向かって週報、つまり今週の活動記録を作成していた。

 すると机の上に置いたスマホから着信音が鳴った。加賀谷製作所、社長秘書の氷川ひかわ りんさんからだ。


「はいお世話になります。平林です!」

「あ、平林さん。加賀谷製作所の氷川です……」


 凛さんは前に言ってたように、ヒューマンリーチ社に関して、採用担当者から色々とヒアリングをしてくれたという連絡だった。

 かなり突っ込んだ訊き方をしてくれたおかげで、彼らがやっていることを掴むことができたようだ。

 しかも他の企業の知り合いにも連絡をして、ヒューマンリーチ社が、同じようなことを複数の企業で行ってることまで調べ上げてくれた。


「え? ヒューマンリーチ社は、そんなことをしてるんですか?」

「ええ、そうみたい」

「ありがとうございます。そこまで調べてくれるなんてホントに助かります。凛さんて、なんていい人なんですか! 感動モノですよ」

「いえいえ。頼まれたのが平林さんだからですよ」

「え……?」

「平林さんがいい人だから、協力したいって思うんですよねぇ。蘭もそう言ってましたよ」

「蘭さんも?」

「はい」


 電話の向こうでニッコリ笑顔が見えそうな、そんな明るい声で凛さんはそう言った。

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