第88話:所長みたいに素敵な女性……と凛太は言う
***
駅の売店でほのかとルカへの土産として、野沢菜を買ってから新幹線に乗り込んだ。
そして帰りの新幹線の車中。
俺と所長は今朝のできごとのせいで、ちょっと気まずい雰囲気の中、横に並んで座っている。
「あの……ホントにごめんね平林君。上司が部下に抱きついて寝てるなんて、完全にセクハラよね」
「そんな言い方しないでくださいよ所長。眠ってる間の無意識のことですから、所長が悪いわけじゃないですよ。それにセクハラってのは、相手が嫌がることをするからハラスメントなんであって、そうじゃなければセクハラじゃないですよ」
「ホント? 嫌じゃなかった……?」
いつもきりっと胸を張っている所長が、申し訳なさそうに頭を下げて、情けない顔で俺を見上げている。
こんな情けない思いを所長にさせたらダメだよな。
それに俺はホントに、全然嫌じゃなかったし。
むしろちょっと得した気分だ。
「全然嫌じゃないですよ。所長みたいに素敵な女性に抱きつかれて、嫌に思う訳がないじゃないですか」
「へ? す、素敵な女性?」
「はい。逆に嬉しいくらいですよ所長!」
「え……?」
しまった。所長が唖然としてフリーズしてる。
所長にセクハラじゃないってことを安心させようと思って、うっかり嬉しいなんて言ってしまった。
これじゃ逆に俺がセクハラ発言だって、所長は怒ってるに違いない。
今のは冗談だって言おう。
「あ、あの、所長……」
「あ、あはははは。あはははは。ひ、平林君?」
あれっ?
どうしたんだ?
引きつった顔ですごく笑ってる。
マズい! 所長が壊れた?
まさか喜んでる……はずはないよな?
きっとあまりの怒りで、笑いが漏れてるんだ。
「わ、私も、まあ嬉しかったかなぁ……なんてね! あはは」
「え? 所長……」
まさか所長がそんなことを言うなんて。
あっ、そうか。
きっとそうなんだ。
所長は俺のことを……
「所長、ありがとうございます! 所長は俺のことを、気を遣ってくれたんですね!」
「え?」
「俺がうっかり『嬉しい』なんてセクハラめいたことを言っちゃったから、それをフォローするために、所長も嬉しいって言い返してくれたんですよね。所長のご配慮に感謝します!」
俺は深々と頭を下げた。
なんて心配りができる、いい上司なんだ。
所長の心意気、イケメンすぎるよ。
「えっと……あ、そうそう。そうなのよ! それがわかるなんて、さすが平林君! キミは相手の心情がわかる人だわ」
「いえ。俺なんて、人の心情がわからない鈍感者なので、これからもしっかり頑張ります」
「そ、そうよね。キミはどん…………あ、いえ。そんなことないわよ、ほほほ」
所長が苦笑いしてる。
なんだろ?
「と、ところで平林君。朝起きたらあんなことになってたことはもちろん、おんなじ部屋に泊まったことは、ほのちゃんやルカちゃんにはぜーったいに内緒だからね」
「もちろんです! 口が裂けても言いません」
「これでまた、二人だけの秘密が増えちゃったね」
「そうですね」
「ごめんね平林君」
「いや、所長が謝ることじゃないですよ。ちょっとしたトラブルなんだし」
「そ、そうかな?」
「そうですよ、ははは」
「そうよね、ふふふ」
ようやく最後は、所長もいたずらっ子のような笑顔になってくれた。
大人っぽい女性が見せるこんな悪戯っぽい顔は、かなり可愛い。
昨晩から何度も見た神宮寺所長のセクシーな姿や可愛い姿が、脳内にフラッシュバックした。
普段のクールで理知的な姿とのギャップ。
そんなギャップが、所長の魅力をさらに引き立てる。
ホントに素敵な人だ。
見た目も内面もこんなに素敵な女性のハートを射止める男って、いったいどんな男なんだろう?
きっと一流大学卒業で、仕事がめっちゃできて、そして驚くようなイケメン男子なんだろうな。
俺とは真逆だな、あはは。
いや、あははじゃなくて、とほほか。
──とは言え。
落ち込んでいても仕方がない。
これからもこの素敵な所長を一生懸命サポートして、俺なりに頑張ろう。
そんな気持ちになった。
それからは二人でなんということのない雑談を交わしたり、座席で居眠りしながら、俺たちはのんびりと志水市へと帰って行った。
***
休み明けの月曜日。
出勤してすぐに、ほのかとルカにお土産の野沢菜を渡した。
ルカは素直に喜んで「出張お疲れさまでした」と労ってくれた。
しかしほのかは、「こんなお土産じゃ割に合わない」なんて訳のわからないことを言い出した。
なんのことだよって訊くと「自分が出張に行けなかったことが」だと。
ホントに意味がわからない。
そんなに長野に行きたかったのか?
今まで長野が好きだなんて、ひと言も言ってなかったのに変なヤツだ。
それとも出張マニアか?
遊びで行ってるんじゃないのに。
もちろん二人とも、俺と所長が同じ部屋に泊ったことなんて微塵も疑わなかった。
俺と所長だからな。
さすがにそんな疑いを持たれることもない。
そしてまた、志水営業所の忙しい日常が始まった。
=== 麗華と出張旅行編 おわり ===
麗華所長メインのエピソードでした。
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