第82話:麗華所長は聞き間違える

「じゃあそろそろ行きましょうか」


 時計を見ると八時を少し回ったところ。帰りの新幹線は八時半発なので、ちょうどいい頃合いだ。


 所長が飲んだチューハイは二時間で三杯。

 普通なら結構飲んだ部類だろうけど、この人普段は五、六杯は飲むからなぁ。


 いつもの半分だし、まあかなり抑えた方に入るだろ。

 見た目も顔は赤いけど、そんなに酔ってる感じはしない。


 駅に向かう道中、コンビニの前で突然所長が「ちょっと買い物していきましょう」と言い出した。


 ソフトドリンクでも買うのかと思ったら、所長が買ったのは缶チューハイと缶ビールを二本ずつ。そしてつまみを少々。


「まだ飲むんですか?」

「うん。新幹線の中でね。ちょっと飲み足りないし」


 うわ、なんて酒豪なんだよ。


「あ、缶ビールは平林君の分だからね。奢ってあげるわ」

「え? ありがとうございます。あ、それ、俺が持ちますよ」

「うん、ありがとう」


 そっか。まあ俺もまだまだ飲めるし。


「新幹線の中で、宴会の続きですね」

「そうね。うふふ」


 そんなことを話しながら駅まで歩いた。

 駅構内に入ると、なぜかやたらと人が多いしざわざわしてる。


「なにかあったんでしょうかね?」

「うーん、お祭りでもあるのかな?」


 所長はきょとんとした顔で言った。

 祭り?

 11月のこんな時期に?

 知らない土地だから、絶対に無いとは言えないけど……


 改札前まで歩いて行くと、掲示板に貼り紙がされているのに気づいた。


『強風による飛来物のせいで新幹線の架線切断事故が発生しました。復旧の見込みはまだ立っておりません。本日の新幹線の運行は休止とさせていただきます』


 ──は?


 確かに今日は風が強くて、来た時に突風が吹いてた。そのせいか。

 どうやら二時間くらい前に事故が発生したようだ。もしも飲みに行ってなかったらギリギリ新幹線は動いていたかもしれない。

 乗ってる途中で止まった可能性も高いけど。


「所長。在来線で帰りますか。何時間かかるんでしょうね?」

「平林君。ここから志水までの在来線の最終電車は、17時に終わってるわ。東京まで戻る電車も……18時17分で終わりね」


 所長はスマホで乗り換え情報を調べてそう言った。


 ──ということはつまり?


「つまり今日は、長野に泊まるしかないってことね」

「あ、そうですか……」


 一瞬ほのかの顔が浮かんだ。

 ちゃんと帰ってこいって言ってたよな。


 でも事故なんだから仕方がない。

 それに明日観光に行くわけでもないから、ほのかの言う公私混同には当たらないだろ。


「じゃあ、ホテルを探さなきゃいけませんね」

「そうね」


 二人で苦笑いを交わして、また街の方に歩いて行った。


***


「満室……ですか」

「はい。申し訳ございません」


 駅前のビジネスホテルを探して飛び込んだけど、フロントでそう言われたのはもう三軒目だ。


 俺たちと同じく、急きょ泊まる人がたくさんいるだろうから仕方がない。このまま足でホテルを探しても、うまく見つかる可能性は低そうだ。


 だからネット検索をして、二人で手分けしてビジネスホテルやシティホテルに電話をかけまくった。


 しかし──


『満室です』

『ダブルのお部屋なら空いています』


 どこのホテルも、返事はこればかり。

 長野駅近辺にはカプセルホテルもないらしい。


 うーん困った。

 さすがに何軒も電話をかけて空振りで、所長も俺も疲れている。しかし俺一人なら野宿でもいいが、さすがに所長にさせるわけにはいかない。


 とにかく電話をかけ続けるしかないか。

 その時横で電話をかけていた所長が、少し明るい口調になった。


「え? あ、はい。わかりました。ちょっと待ってください」


 所長はスマホのマイク部分を手のひらで押さえて、俺を見た。


「ここから近くのビジネスホテル。ツインなら一室だけ空いてるって。ここにする?」

「ツイン……ですか?」

「うん、そう」


 ツインということは、もちろん俺と所長が同じ部屋に泊まるということだ。


「いや、俺は良くても、所長は困るでしょ」

「私はいいわよ。ツインだったらもちろんベッドは別だし。緊急事態なんだし、お互いに信頼し合ってる相手なんだから、同じ部屋で寝るくらいは大丈夫」


 所長は疲れ果てた顔をしてる。酒も入ってるし、目つきもとろんとしている。


 そうだな。これ以上時間をかけても、結局野宿なんてことになるかもしれない。それならば宿を確保することを優先した方がいい。


「わかりました。そうしましょう」

「うん」


 所長は電話で、そのホテルを予約した。

 二人でとぼとぼと歩いてホテルに向かう。


「ごめんね平林君」

「え? 何がですか?」

「私が食事に行こうなんて言わなかったら、こんなことにはならなかったのに」

「いえ、所長の責任じゃないですよ。事故なんて予測できないし。食事しなくても、きっと途中で止まってたでしょ」

「ううん。やれることを先延ばしにすると、なんらかのリスクが発生する。管理職として、危機管理能力の欠如だわ」

「そんなこと言ったら、普段でも飲みにも遊びにも行けないじゃないですか。何が起こるかわからないんだし」

「それはそうだけど……」

「まあなにかトラブルが起きた方が、想い出に残りますよ。このトラブルを楽しみましょう! あはは」

「そうかな、うふふ。ホント平林君って、いつも前向きでいいね。元気が出るわ」

「そうですか?」

「うん、そうよ」


 そう言ってもらえて嬉しい。

 こんなトラブルのおかげで普段はできない話もできるし、まあ前向きに捉えよう。

 そんなふうに考えた。




***


 ホテルに着いた。ビジネスホテルと言っても結構豪華で、観光客も多く宿泊してそうな立派なホテルだ。

 所長がフロントでチェックインの手続きをしてくれて、エレベーターに乗る。


 狭い密閉空間に美人女性と二人きり。そして目指す場所はホテルの個室。

 すぐ目の前に、神宮寺所長の整ったモデルのような顔がある。


 さすがにドキドキするし照れる。


 少し恥ずかしくなって視線を下に落としたら、ビジネススーツの胸が見事な形に盛り上がってるのが目に入った。

 ヤバいと思ってもっと下に視線を落としたら、今度はスカートからすらりと伸びる美しい脚が目に飛び込んでくる。


 うわ、ヤバい。別にやましいことをするわけじゃないけど。

 それでもやはり女性と……しかもこんな美人と二人でホテルに泊まるなんて、緊張してきた。


 いや、落ち着けよ俺。

 別にやましいことをするわけじゃないんだから。

 そう自分に言い聞かせるものの、心臓の鼓動がどんどん激しくなって苦しい。


 ようやくエレベーターが停止して、密閉空間から解放された。俺の心臓とエレベーターと、どっちが先に停止するかって状態だった。

 先に停止したのがエレベーターでホント良かったよ。


 所長はなにごともない様子で、廊下をスタスタと歩く。

 後ろから眺める所長はスレンダーで、ホントにスタイルがいい。お尻の形もカッコいいな。


 ──あ、コホンコホン。俺はいったいどこを見てるんだ。落ち着け、俺。


 それにしても、こんなシチュエーションでまったく動じないとは、さすが所長だ。大人の女性って感じがする。


 いや。──って言うか、そもそも俺が男として見られてないだけだな。

 とほほな話だけど、それも仕方ないか。


 なんて思いながら後ろ姿を見てたら、所長の足取りがちょっとふらついた。


「大丈夫ですか所長?」

「あ、うん、大丈夫。ちょっと酔ってるからね」

「気をつけてくださいよ」

「うん。大丈夫だって」


 いつもより量は少ないとは言え、そこそこ飲んでるんだから、少しは酔ってるよな。なのにそんな早足で歩くのは危ないよ。


 心配したけど、部屋までは無事に着いた。


 目の前でドアを開けて、室内に入った所長は急に立ち止まった。そしてなぜだかフリーズしてる。


「どうしたんですか所長?」

「なに……コレ?」

「え?」


 所長が凝視する方向を見た俺も、思わず叫んでしまった。


「なにコレ!?」


 部屋の中には、ドドーンと大きなベッドが一つだけ、存在感マシマシで鎮座している。


「なによコレ!」


 もう一度同じようなセリフを口にした所長は、枕元に設置された電話を取って、フロントに電話をかけた。


「すみません。この部屋、ツインじゃなかったですか? え? はい。はい……え? ツインじゃなくて、クイーン!? さっき予約の電話で、そう言いました? ホントに?」


 クイーンって言うと、ダブルベッドよりも一回り大きなサイズの二人用ベッドだよな。もしかして所長……クイーンをツインと聞き間違えたのか!?


「他に部屋は? ……やっぱり満室ですか……わかりました」


 目の前では所長が青ざめた顔で、静かに受話器を置いた。


「平林君、ごめん。完全に私の聞き間違いだわ。やっちゃいました」


 ──え?


 所長は青い顔をしてる。


 ええーっっっ!?

 もしかして、ベッドが一つしかないこの部屋で、所長と二人でお泊りするのかぁーっ?

 ど、どうしたらいいんだよ……


 夜のホテルの部屋の中で。

 俺と所長は二人揃って、ただただフリーズしていたのだった。



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【読者の皆様へ】

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