第81話:麗華所長は舌鼓を打つ

 JR長野駅から大通りを少し歩き、裏道に少し入った所に居酒屋を見つけた。駅から五分で近いし、郷土料理が売り物の店で、ここにしようと即決した。


 二人がけのテーブルに向かい合って座る。麗華所長はいつものようにチューハイ、俺もいつもの生ビールで乾杯した。


 運ばれてきた郷土料理はどれも旨い。

 特に所長オススメの信州サーモンは絶品だ。確かにとろけるような食感。


「旨いっすね所長!」

「でしょ? 私も食べたことはなかったけど、ちゃんとネットでチェックしといたのよ」


 さすが段取り上手な所長。仕事だけじゃなくて、こういうことでも抜かりがない。


「うーん、美味しいね」


 やや猫目がちな美しい目を細めて舌鼓を打つ神宮寺所長。

 ピンク色の信州サーモンを箸で口に入れると、口紅で彩られた唇がやけにセクシーに見えてドキリとした。


 そしてそのままグビリとチューハイを口にする所長。


「はぁーっ、美味しい」

「そうですね」


 子供のように顔をほころばせる所長。


 ──あ、いや。


 子供は酒飲んで喜ばないか、あはは。

 それにしても、いつもはキリリとしてる美人だけど、こんな表情をすると可愛く見える。


 酒を飲みながら、長野グルメの話に花が咲いた。所長はグビグビと言うほどではないけど、クピクピくらいは飲んでいる。

 目の周りがほんのり赤くなって、セクシーさが増している。


 飲むのを少しは抑えてるみたいだけど、大きく酔いが回る前にもう一度牽制しておこう。


「所長。もうあんまり飲まないでくださいよ」

「え? ちゃんと抑えてるわよ」

「そうですね。でもここから先が心配で……あはは」

「んもう、平林君。もしかして私を子供扱いしてるの? 私はあなたの上司よ?」


 ──あ、ヤバい。


 上司に向かって、今の言い方はまずかったな。所長は眉間に皺を寄せて俺を睨んでる。


「あ、子供扱いだなんてとんでもない。失礼な物言いですみませんでした」


 俺は素直に頭を下げた。

 そして顔を上げると──


 さっきまでの憤慨した顔が、なぜか眉尻を下げて、唇を尖らせた表情に変わっていた。

 なんというか……情けなく拗ねたような感じ。

 神宮寺所長がこんな顔をするなんて珍しい。やっぱり酔いのせいかな。


「まあね……前に酔い潰れた前科があるしね……」

「あ、いや所長。それは気にしないでください」

「それだけじゃなくて、私が加賀谷製作所の専務の誘いに乗ろうとしたのを、平林君に止めてもらったし」


 そこまで言って、所長はニコリと笑顔を見せた。


「あなたの上司よ、なんて冗談よ。平林君はホントにしっかりしてるし、頼りにしてる」

「あ、ありがとうございます」

「それに、そもそも上司として敬ってもらうのは、仕事や人間性で尊敬してもらうべきものだからね。私は上司よ、なんてセリフは愚の骨頂」


 あ──


 やっぱり神宮寺所長って素敵だな。

 だからこそ尊敬して、ついて行こうって気になる。


「神宮寺所長」

「ん、なに?」

「心の底から尊敬してますよ」

「え? こらこら。いきなりお世辞を言わないの。平林君らしくないわよ」

「いえ、お世辞じゃないです。今の言葉とか普段の言動とか、ホントに尊敬してますから」

「そ、そう? ありがと」


 所長はちょっと恥ずかしそうに、コクリとうなずいた。

 さっきより顔が赤くなってる。照れてるのかな? それとも酔いがさらに回ってきた?


「でもホントに平林君が志水営業所に来てくれて良かったわ。頼りになるし誠実だし」

「所長の方こそお世辞はやめてくださいよ」

「私も全然お世辞なんかじゃないわよ」

「そ、そうですか? ありがとうございます」

「実を言うとね。平林君が赴任して来る前は、かなり不安もあったのよ」

「そうなんですか?」

「うん。ほのちゃんは知ってのとおり気分屋だし人の好き嫌いが激しいでしょ?」


 うん、まあその通りだな、あはは。


「ルカちゃんは決してコミュニケーションが得意じゃないからね。話し方や表情がつっけんどんに取られがちなのよ。いい子なんだけどね」

「ま、そうですね」

「でも私たち三人は気が合って、すごく仲良くしてるからね。そこに男性が一人入ってきたら、馴染めないんじゃないかって心配だったわけよ」


 あ、でも。

 俺も最初はそう思ったけど、ルカは最初から親切だったし、ほのかも態度が冷たかったのは最初のほんの一瞬だけだった。


 二人とも根はいいヤツだもんな。それにこうやって心配りしてくれる素敵な所長がいる。


 だからそれは、所長の取り越し苦労ってヤツだよ。

 俺ですら馴染めたんだから、他の男性ならなおさら馴染めたに違いない。


「それがまあ、平林君がものの見事に二人を手なずけちゃったからね」

「え、手なずけた? あはは、猛獣ですか、あの二人は?」

「うふふ。そうかもね」

「いえいえ、そんなことはないでしょ。二人ともホントにいいヤツらですよ」

「平林君がそういう目で二人を見てくれるから、二人もなついちゃったのよね、きっと」

「懐いた……ですか?」

「そうよ。前にいた男性社員との接し方から比べたらね、ほのちゃんなんて信じられないくらい平林君に懐いてるわよ」

「あはは、そうなんですか?」


 前の人、ほのかにどんなふうに扱われてたんだろ……? 聞くのが怖い気がする。


「ルカちゃんだってそうよ。ホントに平林君を慕ってるって感じがする」

「そうですか。それはありがたいです」


 そっか。二人とも、俺を大切に扱ってくれてるんだな。ホントにありがたい話だ。


「そうよ。それだけ平林君が凄いってことよ。私だって……」


 ──その時突然社用スマホからメッセージの着信音が聞こえた。


 仕事のメッセージだろうけど、誰だろ?


「あ、所長。話の途中ですみません」

「うん、いいわよ。どうぞ」


 スーツのポケットからスマホを取り出して確認したら、前にいた営業所の山野所長からだった。


 なんだろ?


『平林! 俺、結婚することになったから報告しとく。相手は知ってのとおり由美ちゃん』


 由美ちゃんってのは俺の三年上の先輩。

 俺がその営業所に配属された時から、所長と付き合ってた人だ。ようやく結婚か。こりゃ、めでたいな。


「あ、神宮寺所長は、山野所長をご存知ですか?」

「うん。平林君がここに来る前の営業所長でしょ? あまり面識はないけど、本社の会議で顔は合わせたことがあるわ」

「はい。その山野所長から、結婚するってメッセージが来ました」

「へぇ、そうなの。おめでたいわね。お相手は?」

「同じ営業所の人です。俺の三年先輩」

「あ、つまり山野所長の部下ってことね」

「そうですね」

「ふぅーん……」


 神宮寺所長は腕を組んで、片手の指をあごに当てて黙り込んだ。

 どうしたんだろ?


「上司が部下に手を出すなんて、良くないよね……」


 所長はテーブルに視線を落として、ブツブツとつぶやいている。


「そうですかね?」

「え? 平林君はそうは思わない?」

「上司が権力を使うとかはもちろんダメですけどね。この二人はお互いに惹かれ合って付き合いだしたって聞いてましたし。上司と部下でも、全然問題ないと俺は思いますよ」

「そうかな」

「そうですよ」


 神宮寺所長はやっぱり真面目だな。

 お互いに好きなら、立場とか関係ないと思うけどな。

 でも恋愛経験が皆無の俺がそんなこと言っても、説得力ゼロかな。ははは、ちょっと情けないけど。


 そう思って、手のひらを顔に当てて一瞬目を閉じた。そして目を開けたら──


 神宮寺所長は片肘をテーブルについて頬杖をつきながら、なぜかニコニコ顔で俺を見ていた。

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