第80話:え? 日帰り出張ですか?
◆◆◆◆◆
〈凛太side〉
ある日の午前。その日は金曜日だった。
デスクで電話をしていた神宮寺所長が、受話器を置いたとたん満面の笑みで声をかけてきた。
「平林君、やったわよ」
相変わらずのモデルみたいな美形。
元々少し猫目なんだけど、嬉しそうな笑顔で目尻が下がってる。
「なにがですか?」
「平林君に担当してもらってる
「え? ホントですか?」
信濃精密さん。正式には信濃精密テクニカル株式会社。
長野市に本社があり、我が志水市にも大きな工場がある。
今まではライバル会社がメインで取引していて、ウチは年に1件成約があるかどうかって状況だ。
専属で依頼をもらえたら、年に五件は仕事ができる。これは大きい。
「そんないい話、いったいどうしたんですか?」
「ウチの本社に、信濃精密さんの本社とツテがある人がいてね。その人に前から依頼してたんだけど……ようやく社長さんの合意をほぼ得られたって連絡があったの」
「うわ、すごいじゃないですか。トップセールスですね」
現場同士ではなくて、偉いさん同士で商談をするトップセールス。それを仕掛けた所長もさすがだな。
「でね。現場の責任者と担当者で、長野の本社まで社長さんに挨拶に行って欲しいんだって。つまり私と平林君ね」
「あ、はい、わかりました。いつですか?」
「今日の夕方四時」
「へ? きょ、今日ですか? 長野まで?」
「東京まで新幹線で行って、北陸新幹線に乗り換えたら、ここから三時間で行けるわ。だから昼過ぎに出ても間に合うわよ」
「あ、なるほど」
所長はパソコンで、素早く乗り換え情報を検索しながら電話をしていたようだ。さすがの行動力だと感心する。
「えぇーっ? お泊まり出張ぉぉ?」
いきなり向かいの席のほのかが、大きな目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。所長と俺の顔を交互に見ている。
「え? 帰りの新幹線も夜の八時半まであるし、日帰り出張よ」
「あっ、そうなの…… でもでも、所長とひらりん二人で出張ぉ?」
どうしたんだ?
ほのかのやつ、口を尖らせてやけに不満げな顔をしてる。ほっぺもぷっくり膨らませて、フグかよ。
「こらこらほのちゃん。あなた自分も行きたいって思ってるんでしょ?」
「へ? そ、そうですよ所長。二人だけずるぅーい!」
ほのかはいきなり下心を指摘されたからか、慌てた顔でキョドってる。
「観光に行くんじゃないからね。別にずるいとかないでしょ」
「あ、それはそうなんだけど……むうっ……」
「あ、でも。そう言えば明日は土曜日で休みだし、一泊して長野観光するのもいいわね。そうする、平林君?」
「え? あ、はい。俺はどちらでもいいですよ」
どうせ休みの日と言ったって、たいした用事はないし。
「ええ-っ? だからダメだって所長ぉ!」
「え? なんでよ、ほのちゃん?」
「えっと、だって……会社の経費で交通費出して、そのついでに観光なんて。公私混同なんていけないから」
「え?」
所長が目を丸くして絶句した。
まるで珍獣でも見るような目でほのかを見つめてる。
「ほのちゃん……あなたがそんな固いことを言うなんて。どうしたの? 熱でもあるの?」
所長は真顔で言ってる。真剣に心配してるようだ。
確かにそんな真面目なセリフは、ほのかにはまったく似合わないよな。ホントに熱でもあるんじゃないか?
所長とほのかのやり取りを横で見ていたルカが、プッと吹き出した。
「ホントですよほのか先輩。いったいどうしたんですか? なにか悪い物でも食べました?」
「んもうっ! 所長もルカたんも、あたしがたまに真面目なこと言ったら、そんなにおかしいっ!? 二人していじめないでよぉ。ほら、ひらりんもなにか二人に言ってあげてよ!」
ほのかが拗ねた顔で助けを求めてきた。
まあ真面目なのは悪いことじゃないしな。
ここはほのかの味方をしとくか。
「まあまあ所長もルカも、ほのかは根は真面目ってことでいいじゃないですか」
「でしょーっ! さすがひらりん。これで二対二のドローだ」
「ほのちゃん、なんの勝負なのよ。まあとにかくバカ話はこれで終わり! はい、仕事仕事」
「ごまかさないでよ所長。ちゃんと日帰りで帰ってくるんだよ。それとお土産忘れないように!」
「はいはい。わかりましたよ、真面目なほのかさん」
「わかればよいのだ」
ほのかは腰に手を当ててドヤ顔をしている。ホントに面白いヤツだな。
でも案外くそ真面目なんだってことに、俺も驚いた。擬似デートでも今までとは違う一面を見たけど、まだまだ知らない面があるんだな。
俺はそんなふうに思って、少しほのかを見直した。
***
所長と二人で新幹線を乗り継いで、長野駅で降りた。
11月の長野は少し肌寒い。志水は温暖な気候だから、余計にそう感じるんだろう。
それに今日はやけに風が強くて、余計に寒く感じる。時折、まるで台風みたいな突風が吹いている。
俺たちは駅前のロータリーでタクシーに乗って、信濃精密さんの本社工場に着いた。
社長室で行われた、先方の社長との面談はスムーズだった。
ほぼ内諾とは聞いていたけど、色々と話をして、無事に我が社が専属で人材紹介をする約束を取りつけた。
所長のキリリとしてロジカルな口調と、俺の熱意を込めた話し口調を見て、君たちなら信頼できると褒めてもらった。
ぜひお願いしますよと、社長さんは笑顔で言ってくれた。
素直に嬉しい。
そこからまたタクシーに乗って、長野駅前まで戻った。時刻は18時をちょっと過ぎたところ。
駅前のロータリーでタクシーを降りたら、神宮寺所長がなぜか駅とは反対側の繁華街の方を向いて語り始めた。
「さて。平林君。帰りの新幹線は、8時半まであるのよ。それに乗ったら、志水に帰るのは11時くらいになるんだけど……」
「あ、そうなんですね」
「長野にはね。有名な信州そばだけじゃなくて、新鮮な山菜もあるし、なにより信州サーモンっていうのが絶品らしいのよ」
あ。こりゃ完全に、このまま帰る気はないな。まるでよだれを垂らしそうな顔だ。実際には垂らしてないけど。
「へぇ。海なし県なのに魚料理ですか」
「こらこら平林君。長野県を舐めちゃだめよ。信州サーモンっていうのはニジマスとブラウントラウトを交配させた、信州独自の新品種の魚でね。肉質が細かく、とろりととろける舌触りが特徴なのよ」
──いやアンタ、長野県の観光大使かよっ!
って、心の中でツッこんだ。
でもまあなるほど。それは旨そうだな。
周りは薄暗くなっている中で、繁華街のキラキラとした明かりが俺たちを誘っているようにも見えるし。
「はいはい、わかりましたよ所長。それ、俺もぜひ食べたいです。行きましょう」
「さすが平林君。察しがいいわね」
所長は整った顔を子供のようにほころばせてウインクする。
それにしても神宮寺所長って知的でクールな美人なのに、こと食べ物と酒の話になったら子供みたいだ。
「さあ、それでは出撃いたそうか、平林君」
「参りましょう。ただしお酒はほどほどにお願いしますよ所長」
「わかってるって。大丈夫だから」
前に酔いつぶれたこともあるし、さすがに所長も酒は自重するだろうな。
「どうせ新幹線でゆっくり寝れるから、少しくらい飲んでも大丈夫よ」
「え? なに言ってんすか所長。抑えないとダメですよ」
「わかってるわよ。冗談に決まってるじゃない」
所長はいたずらっぽく笑ってる。
モデルのように整った顔で見せるいたずらっぽさって、ずるいよな。すごく可愛く見える。
「それならいいですけど……」
ホントに大丈夫かよ?
でも若くして所長に上り詰めた理知的な人だ。きっと大丈夫だろう。
「さ、行くわよ」
所長は背筋をピンと伸ばして、スーツのミニスカートから伸びる長い脚をシャキシャキと動かして、早足で歩き始めた。
「あ、はい」
俺は意気揚々と歩く所長の後ろを追いかけるようにして、夜の繁華街の方へと向かった。
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