サイドストーリー:ほのか合コンに行く?(3)
やっぱりこのまま帰る方がいい。
あたしはそう思い直した。
──あ、そんなことより。思い出した。
「あ、金崎君。さっきの食事代。自分の分は出すから」
財布から一万円札を出して金崎君に差し出した。
「いや、いいよ。あれは今日楽しいお酒に付き合ってくれたほのかちゃんへの感謝の気持ちだから。俺が出すからさ」
「いや、そんなわけにはいかないでしょ。初対面なんだし」
「いいから、いいから。俺はほのかちゃんが喜んでくれるなら、それだけで俺も嬉しいんだから。それに初対面だなんて思えないくらい、楽しく話ができたよね俺たち。いっぱい話をしたし、もう初対面じゃないって言っても過言じゃないよ」
──いや、過言でしょ。
それに、『君の喜びが俺の喜びだ』的なセリフ。
本気で言ってんのかな、この人?
そんなことを考えながら金崎君の顔を見ていた。
そしたら横を通り過ぎる男の人の肩が、あたしの肩にドンと当たった。
「イタっ……」
思わず手で肩を押さえて、ぶつかってきた男を睨んだ。
金髪のロン毛。細く剃った眉毛。派手なスーツ。
チャラチャラした柄の悪い男だ。
そいつがあたしを睨み返して、チッと舌を鳴らした。
「ジャマなんだよ。道の真ん中でイチャイチャしてんじゃねえぞコラ」
は? いきなりなに、この男。
ムカつく。
「道は充分通れる広さはあるでしょ? なにわざとぶつかってんのよ」
「あん? なんだとコラ。文句あんのかよ?」
「文句あるから言ってんでしょ」
「は? 偉そうに言ってんじゃねえよ」
「偉そうなのはそっちでしょ」
柄ワル男は、まさかあたしが言い返すなんて思っていなかったんだろう。
歯をギリと鳴らして、怒りに顔を歪めた。
そしてなぜか金崎君に向かって、怒鳴り始めた。
「おいコラ、そこの男!」
「コイツ、おめえの女だろ。ちゃんと教育しとけよ」
「あ、いや、俺の女じゃないです。今日、初対面なんですよ。だから俺の責任みたいに言わないでくださいよ」
──は?
ついさっき、『もう初対面じゃないって言っても過言じゃない』って言ってたのはどの口?
「そんなこと知るかよ! この女に謝らせろ!」
「なんで俺に?」
「四の五の言うな! 謝らなけりゃ、この女を
それを聞いて金崎君は、震える声であたしに言った。
「ねえ、ほのかちゃん。謝ろうよ」
「なんで? あたし悪くないし」
「謝れば済むんだよ。悪いとか悪くないとかじゃなくて」
「いや、謝るってのは、自分が悪いときでしょ」
何言ってんのこの人?
ぽかんと金崎君を見てたら、横から柄ワル男が「おいっ!」って金崎君を恫喝した。
「俺はこの女が謝るまで、ここを立ち去らないからな。お前がなんとかしろ!」
「なんで俺が? だってこの子と出会ったばかりですよ?」
「知るか、そんなもん。なんなら代わりに、てめえをシバくのもありだぞ。裏通りまで来い」
金崎君はびくっとした。
二、三歩後ずさりして、あたしよりも男から遠いところまで下がった。
なにこれ?
あたしが盾みたいになってる?
そしてあたしの両肩をつかんで、力説し始めた。
「俺はほのかちゃんのことを思って言ってるんだよ! 謝らないと、この男、ほのかちゃんに何をするかわからないよ。俺のためじゃなくて、ほのかちゃんのために言ってるんだよ。わかってくれよ!」
懇願するような金崎君の目。
その目を見てたら、ああ、なるほどなぁって気づいた。
この柄ワル男が、こんなことくらいでホントに暴力をふるうのかはわからないけど。
でも意地になってるのは確かだし、恫喝はかなり怖い。
だから金崎君がビビってしまうのは仕方ないと思う。情けない男だなんて思わない。
だけどそんな時。
こういう男は、自分が難を逃れるためにすることでも、君のことを思ってるなんて言っちゃうのよねぇ。
だから俺は優しいんだって言う。
もしかしたら口先で言ってるだけじゃなくて、こういう人は本気でそう思ってるのかも。
──こんな時、ひらりんならどうするんだろ。
そんなことがふと頭に浮かんだ。
そう言えば、あたしが志水物産に書類を届けるのを忘れてて、ひらりんが代わりに届けてくれた時。
あれはまだひらりんが赴任して二日目だった。
しかも相手は、気難しいと評判だった氷川さん。
だけどひらりんは『自分が行って謝る』って即座に言った。
そうルカたんから聞いた。
まだ出会って二日目の同僚のために。
しかも初対面から冷たく当たってたあたしのために。
一切迷うことなく、自分が行って謝るって即答したんだよねぇ。
金崎君が『初対面だから俺の責任みたいに言わないで』って言ったのとは正反対に。
そして氷川さんに謝る時も。
あたしのミスだってことで、
まずは氷川さんに迷惑かけたことを、心から詫びて。
そしてあたしが担当を外されないようにって……
『僕も小酒井と一緒に担当するつもりで、間違いのないようにしっかりと小酒井をフォローするから』って。
自分が責任を持つからって──
だから今後とも小酒井のことは、ぜひともよろしくお願いしますって、ひらりんは深々と頭を下げた。
そう、氷川さんが言ってた。
──これが本当の『君のことを思って』ってことじゃないの?
しかもひらりんは、その前日に初めて出会ったばかりのあたしのために。
ほとんど初対面みたいなあたしのために。
そこまでやっちゃう人。
──ホント、バカだね、ひらりんってヤツは。
大バカ者だよ。感動するくらいに。
だからひらりんなら、あたしとこの男の間に立って、盾になるかもしれない。
大声を上げて周りの人の気を引いて、男を追い払うかもしれない。
もしかしたらあたしの手を急に握って、一緒に逃げ出すかもしれない。
でも少なくとも、何も悪いことをしていないあたしに向かって、謝れなんて絶対に言わないと思う。
仕事ならともかく、こんなことで謝る筋合いはないもん。
ましてや『あたしが謝るのがあたしのためだ』なんて、自分を守るために偽善的なことを言うなんて、絶対にあり得ない。
実際にこの場にいたら、ひらりんがどんな行動をするのか、ホントのところはわからないけど。
今まで接してきて、たぶんあたしの思うひらりんの行動は、大きくは間違っていないと思う。
「ねえ、ほのかちゃん! 黙り込んでないでさ! 謝ろうよ!」
金崎君の声が響いた。
あたしは顔を上げて、柄ワル男をぐっと睨んだ。
そして──
「偉そうに言ってごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる。
それを見て、男は満足したというか、落しどころがそこだったんだろうなぁ。
唾をペッと吐いて、立ち去って行った。
「ああ、よかったほのかちゃん。俺の気持ちをわかったくれたんだね」
「あ、うん。そうだね」
私は金崎君に苦笑いを返す。
そう。
あたしには、金崎君の気持ちがわかったんだよ。
表面上だけの優しさ。
それは自分を守るために、言葉でだけ優しさを表現する。
この人は、自分が何かを得ようとする時にもきっとそうなんだろう。
女と付き合っても、いつも相手のためとか言いながら、本当は自分の我を通すんだろうね。
そんな金崎君の気持ちが、あたしには充分わかったよ。
今まで付き合ってきた男たちもそうだったから、特に金崎君を責めたりはしない。
人は誰だって自分が一番かわいいんだから、それは仕方ないことでしょ。
そう。あたしだってそうだもんね。自分が一番かわいい。
でも。だからこそ。
ひらりんみたいに、他人のために本気で一生懸命になれるヤツって、天然記念物並みに貴重なんだよね。
なんかさぁ。
ひらりんならどうするかって考えてたら、意地張って謝らないってことが馬鹿らしく思えてきたんだよね。
だってもしもぶつかったのがひらりんで、横にあたしがいたとしたら。
あたしを守るために、ひらりんは速攻で謝ってるよね。
自分のムカつきとか意地よりも、きっとあたしの安全を優先するはず。
そう思うとさ──
変に意地を張って金崎君を危険に晒すのって、単にあたしのためだけだよねって気づいた。
それならあたしは、金崎君のことを、本当は優しくないなんて偉そうに言う資格はないよね。
だから素直に謝ることにした。
「じゃあさ、ほのかちゃん。気分直しに、飲みに行こうよ」
「あ、ごめん金崎君。あたしさ。もう気分直っちゃったよ。なんだか今、とってもいい気分なんだぁ」
「え? なんで?」
ひらりんのことを考えてたら、なぜかすっごく気分が良くなってきちゃった。
なんか不思議と、あったかい気持ちになるんだよね。
「だからもう帰るよ。このまま、今のいい気分を壊したくないから」
「え? 待ってよほのかちゃん!」
「いや、待たない。じゃあね。バイバイ!」
金崎君の胸に向かって、一万円札を押しつけた。
彼は訳がわからないまま、反射的にお金を受け取った。
──よしっ、これで借りはなし!
あたしはくるっと踵を返して、駅に向かってスタスタと歩きだす。
そして歩きながら、振り返ることなく右手を上げて振る。
そう。金崎君に、背中で、サヨナラをした。
だって。
せっかくひらりんのことを考えて良くなったこの気分を、壊されてなるもんか。
家に帰って、今夜眠るまで、このいい気分を楽しませてよねぇ。
──ね、ひらりん。
=== サイドストーリー『ほのか合コンに行く?』 END ===
次回からまた本編に戻ります。
麗華所長編です。
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