第38話:直感的に思ったのですよ

 りんさんはいきなり右手を上げて、そしてテーブルの上の丸めたナプキンに向けて、拳を振り下ろした。


「死ね、バカ専務!」


 ──どんっ!


 という鈍い音と共に、紙ナプキンがくしゃりと潰れた。

 同時に凜さんのショートボブの黒髪がゆらゆらと揺れる。


「へっ……?」


 突然の凜さんの行動に、俺は思わず間抜けな声を出してしまった。

 いったい何が起きたのかも、よくわからない。


「失礼しました、平林さん。常日頃溜まっているものを、ついつい吐き出してしまいました。お許しください」

「あ、いえ……相当大変な思いをされているんですね……」

「はい。あの専務。私も何度も食事に誘われて、ずっと断ってるんですよ。社長にはそのことは言わずに、心の内にしまっていますけど。……でも社内ならまだしも、社外にまでそんなことをしているなんて……あのセクハラ野郎は会社の恥だわ」


 凜さんは潰れた紙ナプキンを睨んで、そうつぶやいた。

 そしてすぐに顔を上げて、俺に申し訳なさげな表情を見せる。


「ホントにすみません、平林さん。初対面の人に、とても恥ずかしい姿を見せてしまいました」

「あ、いえ、大丈夫です。氷川さんが俺に本音で話してくれてるのがわかって嬉しいです」

「平林さんって、信頼できる人だと直感的に思ったのですよ」


 あ……

 俺が直観で凜さんを信頼できると感じたように、凜さんも俺のことをそう思ってくれたんだ。

 それはホントに嬉しい。


「平林さんって誠実そうだから、ついつい心の内を明かしてもいいような気がしたんです。さっきもわが社に勤める平林さんの知人の名前を言わなかったから、口が堅い人だと思いました。それと蘭から平林さんがホントに良い人だって聞いてたのもあります」

「あ、ありがとうございます」

「こんな姿をお見せして、ホントにごめんなさいです」


 凜さんはペロっと舌を出して、ニヒっと笑った。

 いたずらが見つかった子供みたい。


 ──なにこれ?


 知的でクールな美人が、てへぺろ?

 可愛すぎるじゃないか。


 そう言えば……妹のらんさんもこの前、肩をすぼめて、えへっ、という感じで舌を出す仕草をした。

 クールな美人が見せるこんな仕草は超絶可愛いのだと、その時俺は人生で初めて気づいたのだった。


 それと同じような超絶可愛い仕草を、またもや目にすることになるなんて。


 やはり双子の姉妹だから?

 そういった仕草の癖まで似ているのだろうか。


「いえ。氷川さんが俺のことを信頼して、そこまで本音を言ってくれてホントに嬉しいです!」

「とにかく話はわかりました。私から社長にしっかりと話をして、一度平林さんと所長さんが社長と面談できるようにセッティングします。それが優秀な人材を確保するという意味でも、ホントに会社のためだと思いますので」

「ほ、ホントですかっ!? ありがとうございます!!」


 俺は嬉しくて、飛び上がりそうになった。

 さすがにホントに飛び上がりはしなかったけど、席から立ち上がって、テーブルに手をついて頭を下げた。


「平林さん、大げさですよ。そこまでしなくていいですって」

「いえ、ホントに氷川さんには、感謝してもしきれません! ありがとうございます!」


 凜さんは、そんな俺を見て、ニッコリと笑いかけてくれた。

 そして凜さんが妹の蘭さんに、話は終わったよと電話をしてくれて、蘭さんが戻ってきた。


「平林さんの表情を見たら、話はどうやらうまくいったようね」

「あ、はい。ありがとうございます。氷川さんは社長さんに話をしてくれることになりました。これもすべて氷川さんのおかげです!」


 俺の言葉を聞いて、氷川姉妹はお互いに顔を見合わせて、クスっと笑った。


「あれ? 俺、なにかおかしいことを言いましたか?」

「「だって平林さん、氷川さん氷川さんって、どっちがどっちだかややこしいんですもん」」


 あ、また二人が綺麗にハモった。

 さすがに双子姉妹だ。

 息がピッタリ合っている。


 ──なんて言ってる場合じゃないか。


 確かに俺、どっちにも氷川さんって言ったよな。


「「ややこしいから、名前で呼んでください」」


 あ、またハモった。

 二人の気持ちもぴったり一致しているようだ。


「わ、わかりました。じゃあ、凜さんと蘭さんってお呼びしていいですか?」

「「はい、それでお願いします」」


 目の前に、クールで整った美人の顔が二つ。

 違いは髪の長さとメガネの色だけで瓜二つ。

 そしてセリフがちょいちょいハモる。


 なんだかとっても不思議体験だ。


「それにしても平林さんが凜と前向きな話ができて良かったぁ。私もホッとしました」


 前から知っている氷川さん、蘭さんがそう言うと、凜さんは嬉しそうに答える。


「平林さんが良い人だったからね。話が早かったよ。蘭があれだけ、良い人だ良い人だって言うのもわかるわぁ」

「ちょっと待ってよ凜。ご本人の前でそんなことを言わないでよ。恥ずかしいじゃない」

「いいでしょ、事実なんだから」

「それはそうだけどっ!」


 隣同士に座る二人が向き合って、ワイワイと喋っている。

 二人とも一見クールで厳しそうな人だけど、それは仕事柄もあって、そう見られるんだと気づいた。


 こうやって姉妹仲良く話している姿を見ると、二人ともフレンドリーで楽しい人たちだ。


 ──なんて思いながら二人の会話を眺めていたら、ふと会話が切れたタイミングで同時に二人が前を、つまり俺の方を向いた。


「「あ、平林さん。私たちだけで盛り上がってしまってすみません」」

「あ、いえ。大丈夫です。凜さんと蘭さん、凄く仲がいいんなぁって思って、ほのぼのとしてました」

「ありがとうございます。でもね平林さん」


 そう言って口を開いたのは凜さん。

 お姉さんの方だ。


 こうやって、いちいち凜さんがお姉さんの方とか心の中で確認しないと、まだどっちがどっちか戸惑ってしまう。


「普段は私たち、ここまでワイワイしないんですよ」

「そうなんですか?」

「はい。今日は平林さんのおかげでしょうか……」

「あ、ちょっと待って凜。ここからは私のセリフで」

「どうぞ、蘭」

「今日は平林さんのおかげで、なんだか楽しい気分です」

「そうそう。蘭はいつもより楽しそうです」

「もうっ、凜。いちいち解説しなくていいのっ!」

「あはは、ごめんごめん」


 さっきはああ言ってたけど、やっぱりワイワイ言ってる。

 俺のおかげって言ってくれたよな。

 俺が加賀谷製作所の社長と話ができそうになって俺が喜んでいることを、蘭さんもこんなに喜んでくれてるんだ。


 ホントに良い人だ。

 ありがたい。


「蘭さん、今日はホントにありがとうございました。このお礼は必ずしますから」


 俺は蘭さんに真剣な顔でそう言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る