第35話:氷川さんからの電話

 今日も一日がんばったおかげで、俺とほのか合わせて、さらに4名の転職希望者が、企業への応募を確約してくれた。

 これで合わせて11名だ。


 それらの採用試験は、来週と再来週に面接や筆記試験のスケジュールを組んである。

 この中から企業の採用内定をもらい、実際に入社までいく人が何人いるか?


 俺たちの元々の営業目標プラス3件上乗せを達成できるだろうか?

 ここから先は転職希望者が面接を突破できるかどうかだから、俺たちの力は及ばない。


 転職希望者の皆さんの健闘を祈るしかないのだ。


 でも経験則からすると、これだけの応募者を確保できれば、目標を達成する可能性も大いにある。

 あとはさらに応募者を増やす活動をすることと……加賀谷製作所か。


 秘書である氷川さんのお姉さんと、直接話をできるチャンスが得られたらいいな……


 そんなことを考えながら、俺は自宅マンションで晩飯を食っていた。


 俺は大学時代から一人暮らしをしていたおかげで、料理はまあまあ得意だ。今夜は肉野菜炒めをささっと作った。


 ──とは言っても自己流だし、人様に料理を振る舞ったことはほとんどないので、他の人が食っても旨いのかどうかはわからない。


 自分が食って旨けりゃそれでいいじゃん。

 男の手料理なんてそんなもんだろ。



 飯を食い終わって食器を洗っていたら、突然社用携帯の呼び出し音が鳴った。


 こんな時間に誰だろ?

 所長から何か急ぎの連絡だろうか?


 急いでタオルで手の水気を拭って、携帯電話を手にする。

 表示されている相手は携帯の番号だけど、見覚えがない。


 どこかの取引先の人だろうか?


「はい、リクアドの平林です!」


 社用携帯にかかってくる電話は大体同じ会社の人か取引先の人か、それとも我が社に登録済みの転職希望者だ。

 いずれにしても仕事の電話なので、俺はいつもどおり元気に電話に出た。


 すると電話から聞こえてきた女性の声は、とても意外な人だった。


「あ、平林さん? 志水物産の氷川です」


 電話の主は、あの・・氷川さんだった。

 ちなみに志水物産という氷川さんの会社は、地元でも有力な住宅設備機器系の商社だ。


「あ、氷川さん! お世話になっています!」

「こんな夜にすみません。今、ちょっとよろしいでしょうか?」

「はい、大丈夫です」

「加賀谷製作所に勤める姉に、ついさっき平林さんのことを話してみたんですよ」


 早速お願いしたことをしてくれたんだ。

 ホントにありがたい。


「それで……もしも平林さんが良ければ、明日にお会いすることはできませんか?」

「え? 明日は土曜日だから、氷川さん……あ、いえ、お姉さんはお休みじゃないのですか?」

「はい。姉はぜひ平林さんと会ってお話がしたいと言ってるんですが、勤務中に会社でお会いするのはなんだかちょっとマズいようなんですね。だから平林さんもお休みかもしれませんが、良ければ休みの日にお会いできたらと……」

「そうなんですか? あ、もちろん僕は大丈夫です! 願ってもないお話ですし」

「よかった! じゃあ明日、11時に駅前のショッピングモールにあるスペリオール・カフェってお店でどうですか? わかりますか?」

「あ、はい、わかります! それで結構です。よろしくお願いいたします」


 駅前のショッピングモールはファッションや雑貨の店を中心に、フードコートなど、ひと通りの店が揃ったモールだ。

 俺の高校時代にはまだなかったから、モールの中にどんな店があるのかよくは知らない。


 だけどそのカフェは外の公道にも面しているから、俺も知っている。


「あっ、私も行きますから安心してください。いきなり初対面の姉と二人きりだと話しにくいでしょうから」


 ──こっちの氷川さんとも、今まで一度会っただけなんだけど……


 でも確かに仕事で一度会っているのとは違い、まったく初対面の女性と二人きりで、しかも休みの日に会うのは気まずい。

 氷川さんの心配りはありがたい。


「氷川さんにまでそんな手間をかけて、本当に申し訳ないです。ありがとうございます!」


 氷川さんからは見えないんだけれども、俺は電話で話しながら深々と頭を下げた。


「あ、それと平林さん。もしよかったら、明日はスーツじゃなくて私服で来てもらえませんか?」

「えっ……?」

「姉がですね。これは最初からビジネスとしてお会いするんじゃなくて、妹の知り合いと休日にたまたま会ったら、そういう話になった……ということにしておきたいそうなんですよ」

「あっ、はい。わかりました。大丈夫です」


 なるほど。

 その方が、後々社長さんに話をする時も都合がいいのかもしれない。


 まあ、社長さんに俺のことを話してもらえるのかどうかは、まだわからないけれども。


「誰にも見られなければ、そんなことはわからないって平林さんは思うかもしれませんけど……姉はそういうところはちゃんとしておきたいって言うんで、お願いします。まあ私も性格的には姉と似てるので、同じことを考えましたけどね」

「あ、僕もわかりますよ、そういう考え方」

「そうですか。それはよかったです」


 氷川さんは、ホッとしたような声を出した。

 ホントに真面目で誠実でいい人だ。


「では氷川さん、明日はよろしくお願いします」

「はい、こちらこそ。明日は楽しみにしています」


 氷川さんはそう言って電話を切った。


 ──ん?

 楽しみにしてる?


 何を……?


 あっ、そっか。

 俺の仕事がうまくいくことを楽しみにしてくれてるんだな。

 氷川さんって……ホントにいい人だ。ありがたい。


 俺はそう思って、もう電話は切っているのに、もう一度深々と氷川さんに向けて頭を下げた。

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