好きだった幼馴染がいなくなったことに絶望して、ただ泣きじゃくり続ける女の子のお話

 ―――死ね、グズ、ノロマ






 ―――だからアンタはダメなのよ、もっと私に感謝して、誠心誠意尽くしなさい






 ―――そんなんだから、ロクに友達もいないんだ。ほんと、生きてる価値もないわよね。私がいなきゃ、まったくどうしようもないんだから






 ―――なに他の女のことを見てるの?気持ち悪い。そんな目で見るから、あの子怖がってたじゃない。もうアンタには近づかないよう、私から行っておくわ…身の程を知りなさいよ








 ―――アンタみたいなダメなやつ、いっそ生まれ変わったほうが、楽になれるんじゃないの―――










 思えばそんなことを、ずっとアイツに言い続けてきた気がする
















「水希、僕、ずっと君のことが好きだったんだ。どうか、付き合って欲しい」




 私、櫛原水希は驚いていた。ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染に突然告白されたからだ。


 長谷川祥真という、隣の家に住んでいる、生まれた時から同じ時間を共に歩んできた男の子。


 いつか告白されることを夢見ていたけど、素直になれない私は顔を合わせるたびに、彼に憎まれ口を叩くのがいつしか当たり前になっていた。




「し、祥真…!それ、本気で言ってるの…?」




「うん、僕は本気だよ」




 これでは私のほうから言わない限り、きっと付き合うなんて無理だろうな…そう諦めかけていた矢先の出来事に、私の心臓はドクンドクンと早鐘を打つ。




本当に、まるで夢のよう。好きな人に告白されているこの状況が私の全てで、ここがどこか、なんでいつの間にこの状況に置かれているのかなんて些細なことを思い出すのなんてどうでもよくなるくらい、私は舞い上がっていた。




「ふ、ふーん。そ、そんなに私と付き合いたいんだ。好きなんだ?」




 私の答えは最初から決まっていたから、迷う必要なんてまるでなかった。


 だけど、その気持ちを上手く伝えることができなくて、こんな無意味な確認をとってしまう。




「そうだよ、昔から好きだった。ずっと水希のことだけを見てたから」




 祥真は真っ直ぐに私を見据えた。相変わらずとても整ったかっこいい顔。綺麗な瞳だ。私の大好きな祥真が、私だけを見て愛を囁いてくれている。


 顔が熱くなっていくのを感じるけど、ここまで言われたら私だって鬼じゃない。


 しょうがない。本当にしょうがないけど、あのヘタレでグズな祥真にこうも情熱的に求められたら、さすがに応えてあげなくてはいけないだろう。




 だというのに




「そうなの。ま、まぁしょうがないからそこまで言うなら付き合ってあげるわ!でもその代わり、これからはずっと私に絶対服従だからね!他の女を見ることだって許さないから!」




 ああ、本当に。


 私は全く素直じゃない。




 こんなことを言いたいわけじゃなかった。ありがとう、私も好きだったと、そう言って涙を流して応えてあげるべき場面なのに……




「うん、分かったよ。そしてありがとう、水希。これからずっとよろしくね」




 なのに祥真は、こんな天邪鬼な私の言葉に頷いてくれる。


 本当に祥真は昔から、私の言うことをなんでも聞いてくれるんだ。


 どんなワガママを言っても、優しく受け止めてくれる。


 どこか達観していて、大人びていて、かっこよくて。そして大好きな私の王子様。




「う、うん!しょうがないわね!まぁアンタが私以外の女の子と付き合えるはずもないし、付き合ってあげるわよ。絶対幸せにしなさいよ!そうじゃないと許さないからね!約束破ったら、ぶっ殺してやるんだから!」




 ああ、この人だ。彼となら、私はきっと誰よりも幸せになれる。


 私はこの世の誰よりも恵まれた女の子だ。そう思えた。










 でも―――










「殺す…?僕を、殺すの?」








 私が最後に言った一言。


 いつも口癖のように幼馴染に言っていた言葉が、この幸せを狂わせる。






「え…あ、ちがっ」




「そっか。水希は僕を殺すんだね。僕はずっと水希のことだけを見ていたのに、いうことをなんでも聞いて、守ってきてあげたのに」




 私はすぐに否定しようとするけれど、その時にはもう手遅れだった。


 祥真の瞳からは色が消え、私を見る目にはさっきまでの優しさがない。それどころか、強い怒りを帯びていた。




「ひっ…」




 それを見て、思わず悲鳴の声を漏らしてしまう。


 私は誰かにこんな目で見られたことはこれまでなかった。今まではずっと、祥真が私のことを守ってくれていたからだ。


 私が困っていると、いつだって祥真が助けてくれた。だからこれまでもそうだと思っていたのに、その祥真が私を強く睨んでいる状況に、思わず身がすくんでしまう。


 縮こまる私を一瞥して、祥真は一度、大きなため息をついた。




「ひどいよ、水希。僕はもう付き合いきれない。これからはひとりで生きてくれ」




 そう言って、祥真はくるりと身体の向きを変える。


 私に背を向け、反対の方向に歩き出そうとしていたのだ。




「ま、待って祥真!」




 その先にはいつの間にか、黒くて大きな空間があった。


 真っ黒で光がまるで見えない。そこに行ったら、間違いなく帰ってこれないと確信できるその場所に、祥真は止まることなく歩いていく。私の声なんて、まるで届いていないかのように。




「祥真っ!待って、止まって!だめぇ!その先に行っちゃダメェッッ!!!」




 それでも私はあらん限りの声を上げた。


 いかせるわけにはいかない。絶対に、絶対に止めなきゃいけないのに。




「待つわけないだろ、もうお前のことなんて知るもんか」




「ああああ、ああああああ!!!!!!」




 何故か私の体は動かなくて。ただ祥真の背中を見ていることしかできなくて。


 黒い穴に吸い込まれるように消えていく祥真のことを、私は、私は―――!








「さよなら、水希」






「行かないで!祥真ぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!!!」




















 そこで、目が覚めた






「ハァ、ハァ……あ、ああ…」




 気付いたら、白い天井がそこにあった。私の部屋だ。


 ついさっきまで一緒にいたはずの祥真の姿はどこにもない。どうやら私は夢を見ていたようだった。




「そ、そうよね。あんなの、夢以外有り得ないもの…」




 うん、そうだ。そのはずだ。


 だって、祥真が私から離れていくなんてあるはずがない。


 そうよ、いつだって祥真は私の味方で、私をずっと守ってくれて―――








 ―――さよなら、水希








「う、うううううう!!」




 頭の中に、祥真の言葉が木霊する。


 夢のはずなのに、どうしようもない悪夢の中の言葉なのに。


 とてもリアルで、悲しくて。私をどうしようもなく責め立ててくる。




「なんで、なんで…」




 痛い。張り裂けそうなほどに、胸の奥がひどく痛む。


 まるで私が私でなくなるのではないかと錯覚するほどに、心がキリキリと締め付けられた。


 なんでこんなに痛いのだろう。早く、早くこの痛みから逃げ出したい―――




「祥真…」




 気付いたら、私は想い人の名前を口にしていた。


 そうだ、祥真だ。夢であろうと、祥真があんなことを言ったから、こんなに心が痛いんだ。


 私を不安にさせる祥真が全部悪い。そうだ、悪いのはあいつだ。


 いつだってグズでノロマで、他の女に目移りして私をヤキモキさせるから、夢に見るくらい心の奥で不安が積もっていったんだ。




 なんてやつなんだろう。


 私の心に勝手に居着いくものだから、気付けばアイツのことばかり考える自分がいる。


 だというのに、私の時間をこれまでどれだけ奪っていったのか、祥真はまるで分かっていないのだ。こんなにも長い間、私は一途にアイツを想っているというのに。


 本当に私の幼馴染は、とんでもない悪人だ。




「そうだ。祥真が悪いんだ。全部、全部祥真が…」




 そう思うと、だんだん腹が立ってきた。


 いつもは起きたら着替えをしながらアイツの顔を思い浮かべて幸せな気分になれるというのに今日はそうじゃないからだ。


 朝から健康に悪い真逆の感情をこの私に与えたのだから、その責任を取って貰わないと。


 私は悪くない。悪いのは、全部祥真なのだから。




 そう思って、私は祥真の部屋に目を向けようと―――










 ―――ダメ










 次の瞬間、心臓が跳ねた。まるで私の行動を、妨げるかのように、とても強く。






「え、ぁ…え…?」




 ドクンドクンと、心臓が大きく脈を打つ。


 本当なら聞こえないはずの鼓動が、何故か聞こえてくるような気すらした。


 同時に肌も泡立って、怖気が背筋にまで一気にぞわりと駆け抜けた。


 全身が総毛立つというのはきっと、この感覚のことを指すのだと思う。




「なに…?なんなの…?」




 訳が分からなかった。


 なんで祥真の部屋を見ようとしただけで、こんな感覚に襲われるんだろう。


 いつも私のほうが祥真より起きるのが早いから、今頃アイツはまだ呑気に寝てるはずだ。


 それを思うとますます腹が立つから、ストレス発散も兼ねて大声で怒鳴ってでも強引に起こしてやろうと思っただけなのに。


 そうすれば、アイツのことだからすぐにでも飛び起きて、私に謝ってくるに違いなかった。




 だから、なにも問題なんてないはずだ。


 仮にあるとすれば、それはあの日以来、締められることのない窓のカーテンが今も開いていることくらい―――








「あの、日…?」








 あの日って、いつだ。








 ―――やめて








 ドクン、ドクン。


 心臓の音が、うるさい。








 ―――気付かないで








 私は、なにを忘れているんだ。


 いや、なにを忘れようとして、逃げようとしていたんだ。








 ―――思い出さないで








 ドクン、ドクン。


 私はゆっくり顔を窓へと向けていく。


 私の中のなにかが、それを必死に止めようとしているのが分かる。


 だけど、身体は止まってくれない。まるで目をそらすなと警告するかのように、心に反して無慈悲に首を動かしている。








 ―――もう、やめよう?夢の中にずっといよう?








 ドクンドクン、ドクンドクンドクンドクン。


 息が、苦しい。もう秋に差し掛かっているはずで、室内は残暑が抜けて過ごしやすい空気であるはずなのに。


 まるで私だけ、深い海の中に沈んでいくかのようだった。








 ―――そうすれば、現実と向き合わなくいいんだから








 見たく、ない。心の声に従って、例え悪夢だろうと、また夢の世界にまた逃げ出したい。現実なんて、見たくない。


 だけど、私にはそれができない。いや、そもそも私にはそんな権利などなかったのだ。








 だって、私は―――ただの、人殺しなのだから










「あ……あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」








 たどり着いた視線の先。そこにある幼馴染の部屋には、誰も姿もありはしなかった。


 寝ているはずの祥真は、いなかった。当然だ。










 だって―――










 ―――死んじゃえばいいのに―――!










 私が祥真を、殺したんだから














「お、おぇぇぇぇぇっっっ!!」




 気付いたら、吐いていた。


 ベットの上が一気に吐瀉物で溢れ、部屋には一気にすえた臭いが充満していく。




 ―――ああ、これもちょっと違う。この臭いは元々だ。


 布団も乾いてはいるけれど、それでもよく見れば固形物のようなものが張り付いている。なんで気付かなかったかといえば、最近はこの臭気に鼻がすっかり慣れてしまっていたせいだろう。部屋のなかにはもうずっと、なにかが腐ったような汚物の臭いが充満していた。




「わ、私、私は…そうだ、なんで忘れて…そ、そんなことできるはずもないのに…」




 記憶が、少しづつ形を成していく。私の罪を彩っていく。


 その色は、黒だ。見るだけで嫌悪感が沸き上がるような、醜悪な色。




 幸せとは、程遠い色。




「しょう、ま…祥真を、わた、わたしが…う、うええええええ!!!!」




 また吐いた。


 昨日はろくに食べ物が喉を通らなかったから、ほとんど水だけしか飲まなかったのに、それでも出るものはまだあるらしい。逆流した胃液の酸っぱい臭いが、鼻の中に広がっていく。






 これはもう毎日行われる恒例行事のようなものだった。喉は痛み、以前のような声を出すことはもうできないんじゃないかと思うほどにガラガラだ。


 毎日吐いているものだから、胃酸で歯もそのうちボロボロになるかもしれない。


 だけど、どうしようもなかった。




 あの時のことを思い出すだけで、身体は勝手に吐き気を催す。


 祥真の部屋を見るだけで、私の身体は全てを吐き出そうとする。


 それでも罪は流れてくれない。消えてくれない。






 殺したんだ、私が。一番大切な人を。好きな人のことを、いつの間にか傷つけて、自分で幸せを壊していたんだ。






 あの時のことを、二ヶ月近く経った今でもはっきりと思い出せる。






 前日に日課だった祥真の寝顔をこっそりと見届けた後、たまたま閉め忘れたカーテン。




 私の着替え姿を見て、ぎこちない笑顔を浮かべた祥真。




 それを見てつい怒ってしまい、祥真にいつものように罵声を浴びせてしまった自分の声。




 そして、私の言葉に頷いて、窓から飛び降りた祥真の姿。






 その全てがまるで昨日のことのように、瞼の裏に焼き付いている。






 そして―――






 ―――おまえのせいだ






 血に塗れて、泣きながら言った彼の最期の言葉も、はっきりと覚えていた。








「ああああ…ああああぁぁぁぁぁぁ……」




 涙が溢れてくる。いつもそうだ。今さら悔やんだところでどうにもならないというのに、身体が勝手に後悔の叫びを口にするんだ。




 なにもかも取り返しがつかなかった。


 どれだけ泣いたところで、あの人はもう帰ってこない。


 いなくなってしまったんだ。私の前から。世界からも、彼は永久に消えてしまった。


 そしてそれは全て私のせい。想いを素直に伝えることができないだけでなく、弱くて馬鹿な私が、引き起こした最悪の結末だった。


 だけど、それだけじゃない。私の罪は、それだけじゃないんだ。






 あの日。


 祥真が自分から身を投げて、死んでしまったあの日。


 私はひとつの嘘をついた。それも、彼のためではなく、自分のためについた最悪の嘘を。








 救急車が到着して、救急隊員の人が駆けつけたときには私は半狂乱の状態にあったらしい。


 その頃には私の声を聞きつけて、近所の人も集まっていたらしいけど、そのことについては記憶がない。あの時の私には、祥真のことしか目に入っていなかった。


 血まみれで横たわる祥真の身体にすがりつき、泣きじゃくる私の姿はひどく痛ましいものだったという。


 隊員の人が祥真を連れて行こうとしたときなど、本当に凄かったと、後で近くに住むおばさんが目を伏せて話してくれた。




 そうして病院まで行って、呆然としている間に祥真の両親や私の両親も駆けつけて。


 そしてやがて現れた医者の先生に、祥真がどうなったかを告げられた。


 これについてはもう、語るまでもないと思う。






 ―――もう手遅れでしたと、ただそれだけを話された。






 私はその場にしゃがみこんで、また泣きじゃくった。














 それからは目まぐるしく時間が過ぎた。


 警察や学校への連絡。様々な手配。いろんなことが私を置いて、勝手に事態が進んでいく。


 現実のこととは思えず、まるで映画の撮影現場を見ているような気持ちだ。


 なにもできない私は、ただ流れに身を任せていた。




 祥真がいなくなった。その事実を、受け入れることができなかったのだ。


 当然だろう。だって、ほんの数時間前には生きている祥真をこの目で見ていたんだ。


 制服を着た見慣れた幼馴染が、目の前で姿を消しただなんて現実、素直に受け取れることができる人間が、いったいどれだけいることだろう。




 少なくとも、私には無理だった。


 ママが心配して、ずっと傍で呼びかけてくれていたけれど、そんなものなんの意味もない。


 祥真じゃなければ、なんの意味もないんだ。


 いつも傍にいて、私を助けてくれたのは、祥真だったのだから。




 気付けば抱き起こされて、椅子に座らせられていたけれど、なにも考える気力も沸かない。ただ呆然とする私に、二人組の男の人が近づいてきたのはそんな時のことだった。






 ―――すみません、ちょっとよろしいでしょうか






 最初はそんなことを言われた気がする。


 でも良く理解できなくて、数拍の間を置いてからようやく顔を上げた私の視界に飛び込んできたのは、紺の色をした制服だった。それには見覚えがある。昨日見たドラマでも出ていて、身近な存在でもあったからだ。警察の人だと、直感的に分かった。






 ―――なんですか、急に。うちの子は今、このとおりで……






 ―――申し訳ありません。ですが、一応詳しい事情を聞く必要がありまして……当時現場を目撃したのは、娘さんだけのようでしたので、お時間を少々……






 親と警察のやり取りが目の前で行われるのを、それこそ夢の中の出来事のように眺めていた。


 現実感がまるでない。ふわふわする。まるで頭の中身だけが浮いているようだ。


 それでも、心臓だけが高鳴っていた。なんのためにきたのか、それが分からないほど、私だって子供じゃない。いつの間にか、背中にも汗が伝っていた。




 やがてママとの話し合いが終わったらしく、警察官がこちらへと視線を向ける。


 ぎょろりとしたその目が、妙に怖い。まるで私のことを見透かしているかのようで、身がすくむ。


 そんな私の内心を察したのか、年配の警察官は安心させるかのように軽く笑った。






 ―――ああ、安心してください。少し聞きたいことがあるだけですから。事件性はどうやらなさそうですしね






 もっともその目は、まるで笑っていなかったけど。






 ―――そう、ですか






 私は内心の恐怖を押し殺して答える。だけど、多分声は震えていたと思う。






 ―――ええ……それでなんですがね、自殺とのことでして……時間が経たないうちに、こんなことを聞くのはなんなのですが、なにか思い当たるようなことはありませんでしょうか。


 …………ここだけの話しなのですが、彼のご両親にはどうも心当たりがないそうで……ご友人である貴女なら、なにか知っているのではないかと






 それを聞いたときの私の顔は、きっと青ざめていた。


 思い当たること。心当たり。そんなもの、ありすぎるほどあったからだ。




 思い返せば、私は祥真の優しさにずっと甘えてきた。


 小さい頃、よくイタズラをしては周りを困られることが好きだった私は、それがバレるたびに責任を祥真に擦り付けていた。


 皆は私のことが大好きで、私の言うことならなんでも聞いてくれるのだと、あの頃の私は本気で信じていたのだ。




 事実、大人たちは皆私の言うことを信じてくれた。


 祥真のせいにすれば皆祥真を叱ったし、それを見て私は思い通りになったことが嬉しくて笑っていたことを思い出す。


 そんな私を見た祥真は、まるで能面のような表情で…………あれ?そういえば―――






(最後に祥真が本当に笑った姿を見たのって、いつだっけ)






 最後に見た祥真の笑顔は、ひどくぎこちないものだった。


 笑いなれてないかのように、歪だった。






 私は祥真が笑うことがないのはいいことだと思ってたんだ。


 クールなタイプが私の好みだったし、祥真が私の望むように成長してくれたのが嬉しかった。


 第一、ただでさえかっこいい祥真が笑顔を見せたら、また顔だけに釣られた女が彼に寄ってくる可能性が高かったし、そうなると追い払うのが面倒という気持ちが強かったんだと思う。


 私は、私が好きな祥真が傍にいることに、とても満足感を覚えていたのだから。








 ―――おまえのせいだ








 だけど、もし。








 おまえがいなければ…おまえが―――








 もし、本当は違っていたのなら。


 祥真は笑わないのではなく、笑い方を忘れてしまっていたのだとしたら。






 それを奪ったのは、間違いなく私で。つまり、あの言葉の意味は―――








 ―――もしもし、あの、大丈夫ですか?






 深い思考の渦の中に沈んでいた私は、呼びかけてくる声に遅れて気付いた。


 周りを見ると、警察だけでなく両親も私のことをじっと見ている。






 ―――……え、あ、すみません






 ―――いえ、こちらこそ…やはり、ショックですよね。今聞くことではなかったようです。また日を改めて伺いますので、今日のところは………






 そう言って頭を下げて、彼らは立ち去ろうとした。


 その姿を見て、私は「待ってください」と声をかける。


 警察の人が振り向くと同時に、私の口は勝手に開いた。








 ―――知りません。なにも、心当たりはないです








 そして、嘘をついた。


 祥真のためではなく、ただ自分を守るための嘘を。


 また後でという言葉を聞いて、反射的に口に出たのがその言葉だった。






 だって、怖かったんだもの。


 時間を置いたら、そのぶん責められるに違いないと思った。


 他人が怒られる姿は、祥真で見慣れていたけど、自分が怒られる立場になったことなんて、私にはほとんど経験がない。




 いつも祥真が守ってくれていた。だから私は彼にいつも頼ってきた。


 その祥真が今はいない。だからどうすればいいかわからず、そんなことを言ってしまった。




 私はまた、取り返しのつかないことをしたのだと、この時には気付けなかった。


 それからが地獄の始まりだと、私にはわからなかったんだ。


















「長谷川くんのこと、大変だったね」


「元気出して、私達がついているから」




 その後、私は多くの同級生や周りから、励ましの言葉をもらっていた。


 警察も私のいうことを信じたみたいで、学校に登校した私を責めるような目で見る人は誰もいなかった。


 そのことに安心したし、心配してもらえたことは嬉しかった。


 弱りきった心を勇気づけてもらえるのは、素直にありがたい。




 だけど、私はすぐにある違和感に気付いた。




「水希ちゃんといつも一緒にいたのに、どうしてなんだろう」


「仲良さそうに見えたのに…悩みでもあったのかな?」


「イケメンだったのに、残念だよね」




 祥真について、本当に悲しんでいる人が、誰もいなかったのだ。


 皆が皆、私のことを心配していた。そう、私だけを。


 私を介した祥真がいなくなったことを、ただ悲しんでいるふりをしているだけのように私には思えた。






 ―――あの、みんな…






 本当に、祥真が死んだことを悲しんでいるの?






 その一言を言おうとして、出来なかった。


 私にそんなことを言う資格なんてないことに、すぐ気付いたからだ。




 だって、そうなるように仕向けたのは私で。


 そうなれば祥真を私だけのものにできると考えたのは、自分だったんだから。




「ん?なぁに、水希ちゃん?」


「どうした?悩みがあるなら言ってくれよな」


「そうだよ、私達、みんな水希ちゃんの味方だからね!」




 水希。水希。水希。


 出てくるのは、私の名前。そればかり。


 祥真の名前は、ない。まるではじめから、いなかったかのように。






 ―――う、えええええええ……






 それに気付いたとき、私は吐いた。




「え!?み、水希ちゃん!?」


「おい、櫛原が吐いたぞ!」


「マジ!?」


「誰か、先生呼んできて!」




 私は知らないうちに祥真から、多くのものを奪っていた。


 だというのに、誰も私を責めてくれない。


 聞こえてくるのはやっぱり、心配の声ばかりだ。


 人殺しで、大切な人の居場所を作ることさえ許さなかった私のことを、皆本気で心配している。






「殺して…」






 まだ口の中に吐瀉物が残るなかで、私は小さく呟いた。


 だけど、それに気付くクラスメイトは誰もいない。


 湧き上がった良心という名前の重りに押しつぶされそうになりながら、私は震える身体を抱きしめた。








 それ以来、もう二週間も学校へは行っていない。




















「ごめんなさい、ごめんなさい、ぁぁぁ……しょうまぁ……」




 私はベットの上で、ただ泣きじゃくる。


 これくらいしか、もう私にできることはない。


 両親は心配してくれて、当分学校へは行かなくていいとは言ってくれたけど、もう行ける気がしない。


 私のような人殺しのクラスメイトが通う学校なんて、行きたいと思う生徒がいるんだろうか。


 バレていないだけで本当のことが知られたら、皆きっと…


 そう考えると身震いする。今もスマホに連絡がくるけれど、出れるはずもなかった。




 さらにそれだけじゃなく、祥真の両親までもが、私の身を案じてくれた。


 自分たちも辛いだろうに、一緒にこの悲しみを乗り越えようと、無理に笑って激励された。


 貴方たちの息子を奪った犯人は、目の前の女だというのに、それに気付く素振りすら見せない。


 これが趣味の悪いサスペンス映画なら、きっと犯人である私は、陰で彼らを嘲笑っていたことだろう。






 生憎私にはその素養がなかったようで、祥真の両親が帰った後にまた吐いた。


 数えるのがもう馬鹿馬鹿しくなるほどの嘔吐の回数をこなしたというのに、私の胃と良心は己の罪を許してくれない。


 罪人を裁くのが得意なようだ。なら、いっそこのまま殺してほしいのに、素直に死なせてくれないのだから意地が悪い。


 いや、これはきっと、報いなんだろう。祥真を殺しておめおめと生きている女に対しての罰だ。






「死にたい…」






 でも、もう限界だった。そもそも生きる意味なんてもうないのだ。


 一番大切で、これからもずっと一緒に生きていくはずの人がいなくなってしまったというのに、これ以上生きてなんになるの?




 そんな気持ちがふと湧き上がり、気が付くと私は立ち上がって、ふらふらと窓へと足が吸い寄せられていた。




「祥真、祥真…寂しいよね、ひとりでいるなんて、いやだよね…大丈夫だよ、私もすぐ、そっちに行くから…」




 顔には自然と笑みが浮かんでいた。きっとあの時の祥真のような、どこかぎこちない笑い方になっているだろう。




 祥真も、こんな気持ちだったのかな。なら、怖くないよね。私達、おんなじなんだもん。やっぱり私達って、お似合いだよね。




「ふふ、ふふふ」




 窓へと手をかける。がらがらと音を立ててゆっくりと開いていく。


 風は、少し冷たかった。




「待たせてごめんね。遅くなっちゃった。でもね、すぐにきっとまた会えるからね、祥真ぁ、愛してるよ」




 ああ、大丈夫。もうなにも怖くない。


 だって、祥真が待ってる。なら、早く行こう。こんな地獄のような世界なら抜け出そう。




 そう思って私は窓際に手をかけて―――下を見た。






「ぇ…………」






 高いと、そう思った。落ちたら死ぬとも、同時に思う。


 地面、コンクリートだ。死ななくても、落ちたら絶対に痛い。間違いなく怪我をする。


 地面、遠い。落ちるまで何秒かかるだろう。実際は二階だからデパートやビルに比べて全然距離はないのだろうけど、その間私は落ちて死ぬまで、怖さに耐えないといけないの?






「ぁ、ぁぁぁぁ…む、無理…無理だよぅ…」






 怖かった。死を実際に意識すると、そこにはとてつもない恐怖があった。


 死にたくない。私はまだ、死にたくないんだ。


 そんな自分の醜い本心に気付いたとき、身体から力が抜け、飛び降りることもできずにへなへなとその場に座り込む。






「死にたくない…死ぬのは嫌…で、でも、死にたいよぉ……祥真がいないのに生きてくなんて、もう無理だよぉ…」






 生きていたくなんてない。でも死にたくもない。


 怖い、怖い、怖いよぉ……


 矛盾する心がせめぎあい、私はまた涙を流す。




 私は、なんて自分に甘い女なんだろう。祥真のような強さもなく、ただ弱音を吐いて泣くことしかできないんだ。私は、どこまでも愚かだった。






「助けてしょうまぁ……私を、私を助けてよぉぉぉぉっっっ!!!!」






 もう私には、助けてくれる王子様なんていないのに。




 私は許しを乞うようにその場に泣き崩れて、いつまでも泣き続けた。






「あ、ああああああ…………しょうまぁ、しょうまぁぁぁぁぁぁ………」






 もういない幼馴染にすがりつき




 取り返しのつかないことをした自分のことを、ただ呪いながら

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