第3話 通り魔、かみつく
ふわり、ふわり、のんびりと、綿雲がただよう青い空。そこにかがやく太陽から降り注ぐ暖かい日差しが、身体ものんびりゆるませる。そんな、お出かけするには最高の日曜日。
お昼前に、とあるアパートの前に立つのは母娘の二人。二人とも動きやすそうなパンツスタイルに、足元はスニーカー。大きな鞄に水筒も持っていて、それこそお出かけなのだなとすぐわかる。
その二人の前に、白いミニバンがゆっくりと止まった。
「おはようございます。ありがとうございます、ごいっしょさせていただいて」
車の横のスライドドアが開いたところで、小春ちゃんのお母さんは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえいえお気になさらず。ピクニックは大勢の方が楽しいですから。それに健斗が、小春ちゃんにはいつもお世話になってますし」
健斗のお母さんがにっこりとあいさつを返す。小春ちゃんがお母さんの後ろからちょこんと顔をのぞかせて、車の中の健斗とハナにおはようと小さく手をふる。健斗は手を、ハナは尻尾をふって、それに答えた。
本日は町外れの植物公園に、新島家そろってのピクニックだ。そこに小春ちゃんとお母さんをご招待したのだ。
そういうことになったのは一昨日の話。算数の授業が終わった時のこと。
「健斗くん、今日はずいぶんうきうきしてるね。何かあるの?」
「え?」
となりの席の小春ちゃんにそう話しかけられて、健斗は首をかしげた。わかってないんだと、小春ちゃんはくすくす笑う。
「鼻歌。朝からずっとだよ」
「わあ、ごめん。うるさかった?」
健斗はあわてた。自分ではまったく気づいてなかったのだ。
「ううん、そんなでもないよ。でも楽しそうだなあって」
小春ちゃんはまだ笑っている。確かに、いつもの健斗の様子を考えればそうなるだろう。算数の苦手な健斗は、いつもであれば鼻歌ではなく、うんうんと苦しげにうなりながら問題を解いているからだ。それが本日はご機嫌なのだから、小春ちゃんじゃなくても、いいことがあったんだろうとすぐにわかる。
健斗は照れながら、頭をかきかき、その原因を白状することにした。
「ええっとね、今日じゃなくて、日曜日なんだけど、ピクニックに行くんだよ。楽しみだなあって思ってて、それでついつい鼻歌が……」
「へえ、ピクニック。どこ行くの?」
「町のはずれの植物公園。遠足に行ったとこ」
「あそこ? お花畑とか風車があるとこ?」
「そうそう、運動公園のとなり」
ちょっと田舎寄りのこの町は、少し外へ出ると自然がたくさんある土地柄だ。その町はずれに作られた植物公園は、となりあう運動公園とともに県の総合施設。県外からの観光客も多く訪ねてくる、きれいな花畑で有名な広大な植物公園は、この土地の小学生にとっては、一度は必ず行く遠足スポットでもあった。
「いいなあ。今ならきっと、お花がたくさんさいてて、きれいだよね」
「うん、お母さんはそれを楽しみにしてた。でも、おれはピクニックでお弁当食べるのが楽しみなの。なんかよそに行って食べるお弁当って、特別おいしいよね?」
「あはは、健斗くんらしい。……うん、でも、家族でピクニックに行ってお弁当食べたら、きっとおいしいよね」
(あれ?)
その言葉といっしょに、ただよってきたにおい。
健斗はそこに、かすかに混じるさみしさをかぎ取った。
気になったので、ちょっと話をふってみる。
「小春ちゃんちはそういうお出かけする?」
「ううん、うちはあんまり。お父さんと行った記憶はあるけど」
ああ、やっぱり。
さりげなく視線を外した小春ちゃん。さみしさのにおいが少し、強くなった。
小春ちゃんのうちはお父さんが亡くなっている。お母さんと小春ちゃんの二人暮らしで、小春ちゃんのお母さんはいつもいそがしそうだった。
小春ちゃんはそれをよくわかっているので、おうちの手伝いとかをしっかりこなし、お母さんに心配をかけないようにしているえらい子だ。だから、よそのうちが休日に家族で出かけるのを見かけてうらやましいと思っても、それをお母さんにぶつけるようなことはしていないのだろう。
それどころか、そういう気持ちを友達にだって見せない。今だって、健斗の鼻が犬並みに利いて、人の気持ちをにおいでかぎ取ることができなかったら、気がつかなかった。
そう、気がついたのは健斗一人。だから。
「ねえ、小春ちゃん、そしたらあさって、いっしょにピクニックに行かない?」
「えっ? ……いいの?」
小春ちゃんはおどろいたようにこちらをふり向く。
「うん、うちの車、大きいから、人が増えても平気だよ。それに、お弁当は大勢で食べた方が絶対おいしいからね!」
「……ありがとう! じゃあ、お母さんに聞いてみるね!」
小春ちゃんは、ぱあっと顔をほころばせ、そのあとは健斗同様、一日中うれしそうに鼻歌を歌い出しそうな雰囲気で過ごしていた。健斗とちがって本当に授業中に鼻歌を歌って、先生に注意されるようなことはなかったけれど。
そして、夜にお母さん同士で連絡を取り合って、今日の日時などを取り決めた。
ちなみに健斗はお母さんとハナの二人から「忘れ物はないの?」と念をおされているのにもかかわらず、しょっちゅう忘れ物をして、そのたびにとなりの席の小春ちゃんにはお世話になっている。なので、お母さんの「小春ちゃんにお世話になっているから」という言葉は社交辞令ではなく本当だ。むしろ健斗に相談されたら、ぜひ呼びなさいとお母さんの方が張り切っていたのだった。
「おじゃましまーす」
小春ちゃんとお母さんが車に乗りこんでくる。健斗の家のミニバンは座席が三列あるから、五人と一匹でも十分座れる。健斗は真ん中の席を空けるために、ハナのいる後ろへと移動した。
「ねえねえ、小春ちゃんもハナといっしょに座る?」
呼びかけられた小春ちゃんが、ふり向いて、いい? とお母さんに確認する。うなずいたのを見て、いそいそと健斗たちの方へ移動してきた。ベンチシートのハナが、どうぞと真ん中に移動する。
「ハナ、おじゃましまーす」
お出かけ自体も久しぶりだけど、なにより犬といっしょに車に乗るのが初体験だ。わくわくした気持ちが、ぽすんと飛び乗るようにシートに腰かけた動作に現れている。
ハナは歓迎の意を、尻尾をぱたぱたとふって表す。
気の早いハナは、健斗のお嫁さん候補として、小春ちゃんをいたく気に入っているのである。後ろの席で小春ちゃんがシートベルトをしめると、真ん中に座っていたハナはぺろりとその頬をなめ、そのまま膝の上に横たわった。んふーと満足そうに鼻息をもらす。車が発進してもくつろいで、落ち着いた様子。
小春ちゃんは、その頭を優しくなでながら健斗に笑いかけた。
「ハナって車、慣れてるんだね」
「うん。よく乗ってるから。この車はハナを連れて出かけられるように買った車だからね。この座席をはね上げると荷台にできるんだよ。競技会に出る時の荷物も積めるの」
子供たちの会話に、運転席からお父さんも加わる。
「捜査に出動した時も、これに乗って行ったよ。行方不明の人を探し当てたりしたんだよ」
「へー! すごいねハナ!」
ハナがほこらしげにぱさりと尻尾をふった。嘱託警察犬は県警の要請で出動する。ハナはその中でも飛び切りの実績を残しているのだ。
「健斗くんちは、ピクニックよく行くの?」
「そんなにしょっちゅうは行かないかな。でも植物公園にはよく行くよ。あそこ、競技会の会場なんだよ」
町外れにある植物公園は、花畑が有名で県外にまで名が通っている。なので地元の人はその辺一帯を「植物公園」と呼ぶが、正確にはいくつかの公園が並んだ総合施設だ。植物公園のとなりに大きな池があり、その向こうは陸上トラックや球技場のある運動公園。広い空き地もあって、そこが競技会に使われる。健斗とハナが目指している、警察犬になるための競技会だ。合同訓練会も開かれていて、ここはちょくちょく来る場所だった。
ただし今日は、本当に遊ぶ目的で来た。駐車場に車を止める間も、後部座席からは待ち切れないとわくわくうずうずとした気配が流れてきて、大人たちにはほほえましい。
車が駐車場に止まると、二人と一匹はぴょんとはねるように飛び出した。そのまま連れだって入口に向かう。植物公園はその入口から、名前にふさわしくきれいな花がさきほこっていた。両脇に生垣が続き、奥に向かって花畑が見えている。健斗とハナはさらに、暖かな陽気にあおられてふわりとただよう花のかおりも、かぎ当てる。まるで空気までもが、豊かに色づいているようだ。
「時間的にもうお昼だから、先にお弁当にしようか」
「さんせーい!」
お母さんの提案に健斗はもろ手を挙げる。何しろ一番楽しみにしていたのがお弁当だ。それが最初に味わえるなんて言うことはない。小春ちゃんは、健斗がどれだけお弁当を楽しみにしているか聞いていたので、となりでくすくす笑っている。
みんな施設案内の地図看板の前に集まって、どこで食べようかと相談。見晴らしのいいところがいいということで、池のほとりに向かうことにした。植物公園の池はかなり大きくて、ちょっとした高原の湖畔のような雰囲気が出ている。水面をなでたすずやかな風が、健斗たちの頬を冷やす。
池の脇にはみんなで座れそうな大きなテーブルとベンチがいくつかあって、お弁当を食べるにはちょうどいい。お母さんたちがてきぱきと、持ってきたテーブルクロスをしき、その上にきれいに容器につめられた料理を並べる。
「はーい、どうぞー」
「わーい、いただきます!」
健斗は大喜びで、まず目の前の唐揚げにかぶりつく。その様子を見ていた小春ちゃんのお母さんが気づいた。
「あ、唐揚げ、かぶっちゃいましたね。何作るか相談すればよかった」
「あはは、唐揚げはうちの子が大好物で、ばかみたいに食べるからだいじょうぶですよー」
「ほんと? 健斗くん」
小春ちゃんのお母さんの問いかけに、健斗は口の中のかじりかけの唐揚げを大急ぎで飲みこんで、満面の笑みとともに答えた。
「うん! おれ、唐揚げ大好き! おにぎりも好き! 小春ちゃんちのおにぎり、ちっちゃくてかわいいね」
唐揚げをかじりながらも、次は何をいこうかなと偵察に余念のなかった健斗。小春ちゃんのうちのお弁当もチェック済みだ。
健斗のうちのお弁当は、食べ盛りの息子に合わせておにぎりもどんと大きく食べ応え重視だが、小春ちゃんのうちは女の子らしく、どのおかずもおにぎりも小ぢんまりとかわいらしくまとめられていた。いろどりもきれいでおいしそう。おにぎりも、いくつか種類があるようだった。
「あ、それ、私がにぎったの」
気づいてもらえた小春ちゃんは、はにかみながらもうれしそう。
「ほんと! 一つもらっていい?」
「いいよー、食べて、食べて」
「いただきまーす」
健斗は遠慮なく手をのばし、おにぎりを一つ、ぱくりと口に放りこむ。そしてびっくり。
「おいしい!」
おにぎりが健斗の大好物だから、というだけではない。ごはん粒がほろりとほどけて、予想外の味のハーモニーが口の中に広がる。
「おばさんも一つ、いただいていい? ほんとだ、おいしい! これ、ふつうににぎっただけじゃないよね? ごま油?」
「はい、ごま油と鶏がらスープの素とお塩を混ぜて、ご飯に味付けしてからにぎったんです」
「お海苔に味付けしてあるやつもあるね」
「ええ、それは煮切り醤油を作って、海苔にぬって……」
「すごいね、小春ちゃん!」
「お母さんがおそいときは、私がご飯用意してるから……」
みんなにほめられて、小春ちゃんはてれてれだ。でもこれは、ほめられて当然の出来栄え。小学生の女の子のレベルではない。そういえば家庭科の授業でも、小春ちゃんはとても手際がよかったけれど、それも当然だったのだ。野菜炒めとかお味噌汁とか、あんな簡単なメニューじゃなくて、いつももっと本格的に料理していたのだから。
テーブルの上のおいしそうなにおいに、ハナが興味津々で、健斗の腿をちょんとつつく。ちゃんとしつけられていて、人間の食事のじゃまはしないはずのハナの、その意図を理解した健斗。
「ハナも小春ちゃんのおにぎり、食べてみる?」
ベンチの上、ハナの目の前に、紙皿を用意して小春ちゃんのおにぎりを一つ置く。おすそ分けをもらったハナは、ふんふんとにおいをかぎ、それからおもむろにもぐもぐと味を確かめる。そして。
「うん! おいしい! やっぱり健斗のお嫁さんは、この娘しかいないね。健斗、ちゃんと優しくしてあげるんだよ」
「な、何言ってるのハナ!」
「え、ハナがどうしたの、健斗くん?」
「い、いやなんでもない」
こんな一幕もあったけれど、お昼はとても楽しく、なごやかに進んだ。おいしいお弁当をおなかいっぱい食べられて、健斗は大満足。というより、お母さんの言うとおり、ばかみたいに食べたので、動けなくなってしまった。
横の芝生にごろりと横になって食後の休憩を取る。さわやかな風がふんわりと花のかおりを運んでくる。ぽかぽか暖かい日差しとも相まって、とても心地よい。大人たちは食後のおしゃべりに興じていて、なんとも休日らしい昼下がり。
しかし、健斗も男の子である。遊びに来たのにごろごろして終わるわけにはいかない。おなかが少しこなれてくると、むくりと起き上がった。
「ねえねえ、ボートに乗りに行こうよ!」
この池の脇に小屋があって、ボートがたくさんつながれている。ここで借りて乗ることができるのだ。何艘かのんびり水面に浮かんでいて、楽しそうな声がする。
「おお、いいね、食後の運動と行くか。あ、でも、五人と一匹か。乗れるかな」
「ああ、それなら、お母さんたちはここで荷物番しておしゃべりしてるから、お父さんとみんなで行ってくれば」
ということで、三人と一匹でボートに乗ることになった。小屋の人にボートをつなぐもやいを解いてもらって、いざ出発。お母さんたちはテーブルから、こちらに手をふっている。お父さんがオールを持ち、声をかける。
「ちゃんと座るんだよ。急に立ったりしないでね」
「「はーい」」
「ワン!」
声をそろえた子供たちに対して、一声ほえたのはハナ。みんなを守る意識の強いハナは船長気分なのか、ボートの舳先に陣取って、きりりと進行方向を見つめている。
小屋の人がぐいとおしてくれて、ボートは桟橋をはなれた。
ぱしゃり、ぱしゃり。ぎい、ぎい。
お父さんのオールの動きに合わせて、ボートはのんびりと進む。
しかしそれでは、元気を持て余している健斗には物足りない。
「ねえねえお父さん、スピード出してよ」
「よーし、ふり落とされるなよー」
健斗のリクエストににやりと笑ったお父さんは、袖をまくった。がっしとオールをつかみ直す。
「よし、行くぞー」
ばしゃっ、ばしゃっ。ぎっし、ぎっし。
お父さんの全力が、水をしっかりつかむ。ボートはぐいぐいと加速していく。
「わー!」
「きゃー!」
けっこうなスピードが出てきた。子供たちは大はしゃぎ。艇首のハナも尻尾をぱたぱたふっている。
しかし、それは長くは続かなかった。ひとしきりこいだお父さんは、先ほどのたのもしさとは打って変わって、ぜいぜいと息も絶え絶えに、しなしなになってしまった。
「うわー、もうだめだ、つかれた……」
「あっ、じゃあ、交代、交代! おれにこがせて!」
それではとばかり、目をかがやかせて健斗が代わりを買って出る。
「だいじょうぶかい? ちゃんとこげるの?」
船長(?)のハナは心配そう。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ! 任せといて!」
健斗はお父さんと席を代わり、オールをつかんだ。子供の手にはちょっと太い。でもだいじょうぶ、力が入らないというほどではない。
「よーし、行くよー!」
威勢よく、こぎ出した。
ぱしゃっ、ぱちょっ。きい、きっ。
しかし、なかなかうまくいかない。右のオールと左のオールが、均等に水をつかまえられないのだ。水面をはらうだけでしっかり水をつかめなかったり、左右でもぐり方がちがったり。力がかたよってしまうので、うまく前に進まない。
「健斗、もっと深く水に入れないと」
「健斗くん、がんばって!」
「うー」
悪戦苦闘しながらも、ボートはなんとかよたよたと前へ進む。前へは進むが、まっすぐ進むのはまだ難しい。子供の健斗では背が足りなくて、オールを水にしっかり入れようとすると腕を開いて万歳するような格好になってしまい、右と左の力の入れ具合がどうしてもかたよってしまうのだ。
それでも水に深く入れる感覚はわかってきたので、だいぶスピードは出せるようになってきた。相変わらずまっすぐは進めないのだが。
「健斗しっかり! 右に曲がっているよ!」
「わかってるよー! えっと、そしたら左、左と」
「逆だよ、健斗は背中を向けてこいでいるんだから、左右逆だよ!」
ハナが大いそがしで修正舵の指示を出す。他の人にはハナの言葉はわからないので、あわててワンワン、ワンワンほえているように聞こえる。
「ほら、健斗がんばれ。ハナも心配しているぞ」
「わかっているよう! だいじょうぶ!」
お父さんにもからかわれる。赤い顔してふんばりながら、そう言い返したけれど、やっぱり思った通りにはボートは進まない。
「あ、危ない! 健斗、そっちには小島が!」
「え! そっちって、どっち?」
「健斗、そっちじゃない! 逆! 逆!」
お父さんとハナの二人からあわてた声をかけられ、後ろが見えずにさらにパニックになった健斗は、オールをぐっと止めて水の抵抗でブレーキをかけることも思いつかずに、そのままスピードを上げて、どんと小島にぶつけた。
「きゃー!」
ぐらりとボートがゆれて小春ちゃんが悲鳴を上げ、ボートのへりにしがみつく。その声にはっとふり向いたハナは、足元がゆれたこともあってバランスをくずし、どぼんと池に落ちた。
「うわ! ハナ、だいじょうぶ?」
健斗があわててオールを放し、水面をのぞきこむと、ハナはおぼれる様子もなくスイスイと泳いでいた。
「もう健斗、しっかりしておくれよ」
ハナはラブラドール・レトリーバー。レトリーバーという名前の由来が「回収するもの」という意味だ。狩りについていき、銃で撃ち落とした鳥を拾ってくるのを仕事としていた犬種である。鴨撃ちでは撃ち落とした鴨が水面に落ちることも多いので、泳ぐのも得意な血筋だ。ハナ自身はそんな狩りに連れて行かれたことはないのだけれど、その性質はちゃんと受けついでいる。
しかし、またボートに上がろうとしたところで問題が発生した。ハナは大型犬だ。よっこいしょとしがみつくと、その重みでボートは大きくかたむいた。
「キャッ!」
また小春ちゃんがあわててボートのへりをつかむ。
「ちょ、ちょっと待ってハナ! ボートひっくり返っちゃう!」
「よし、みんな反対側によれ。バランスを取るんだ」
お父さんがへりによってハナを引っ張り上げようとしたが、またぐらりとボートがゆれた。
ハナは子供と体重があまり変わらない。しかもボートに上がろうとして、ばたばた暴れている。激しく動くハナとお父さん、健斗と小春ちゃんでは、バランスがとれない。
「よし、それじゃあお父さんがこっち側に来るから、二人でハナを持ち上げるんだ」
それでもきっちり均等にはならないのだが、先ほどよりはましである。健斗と小春ちゃんがハナの側に移動して、二人で両側からハナの脇に手を入れ、よっこらせと引っ張り上げようとする。ハナもなんとか上がろうと、じたばたもがく。
ボートはぐらぐらとゆれたが、奮闘の結果、なんとかハナをボートに持ち上げることができた。
その間に二人はびしょびしょだ。しかもハナがボートに上がったとたん、ぶるぶると体をふるわせ、水気を切ろうとする。
「ちょっと、ちょっと! ハナ、冷たい!」
「ハナ、水飛ばさないでー」
そばにいた健斗と小春ちゃんはとばっちりを受けて、抗議の声。ハナは眉をひそめて二人を見る。
「そんなこと言ったって、びしょぬれなんだからしょうがないじゃないか」
「おれらがもっとぬれちゃうよー」
「よし、じゃあ岸にもどろう。確かタオルは持ってきたはず」
お父さんがこぎ手を交代して、ボートを岸へともどす。閑静とした中での健斗たちのさわぎは池の岸にも届いていたので、小屋の人も注目していた。ボートを桟橋につける時にだいじょうぶでしたかと声をかけられ、はずかしい。
「あらあら、二人ともすっかりぬれちゃってー。タオルはあるけど、着替えは持ってきてないなー」
お母さんたちはそう言いながら、二人のぬれた頭をゴシゴシとふく。ハナもお父さんにふかれている。
「まあ今日は暖かいから、ちょっと服がぬれたぐらいなら、そのうちかわくでしょう」
お母さんがおしまいとばかり、健斗の背中をポンポンとたたいた。
「健斗がボートをこぐの下手だからだよ」
「うー」
ハナがぶつくさ文句を言う。しかし、健斗も自覚があるので、言い返せずにうなるだけ。
その健斗のわきで、小春ちゃんがクスクスと笑い出した。
「え、どうしたの」
「や、なんかちょっとおどろいたけど、面白かったなーと思って」
「そっかな」
「うん、面白かったよ。健斗くん、おおあわてなんだもん」
「えー」
笑われたのははずかしかったけれど、小春ちゃんがいやな思いをせず、楽しんでくれてたと知って、健斗はちょっとホッとした。
健斗が小春ちゃんをこのピクニックにさそったのは、小春ちゃんのさみしさのにおいを感じ取ったからだ。でも、今の小春ちゃんからは、そんなにおいはきれいに消えている。興奮とか、楽しさとか、そんな明るい気持ちのにおいしかしない。
小春ちゃんが楽しい気持ちになってくれるなら、ちょっとぐらいカッコ悪くてはずかしくてもいいや。健斗はそう思った。
「ねえ、今度は迷路に行ってみようよ」
次に健斗が提案したのは、植物園の中にある、生垣で作られた迷路。大人の背丈よりも高い生垣で視界がさえぎられ、簡単にはぬけ出せない。かなりの広さで、しかもいろいろな植物を使った、なかなかにこった作り。この植物公園の中でも人気のスポットだ。
しかし。
「お父さんはもうダメ。つかれた。ここで休憩して荷物番してるから、今度はお母さんたちと行っておいで」
お父さんはぐんにゃりとテーブルにつっぷしたまま、動く気配がない。全力ボートこぎと水に落ちたハナを持ち上げようとしたことで、力を使い果たしてしまったようだ。
「もう、お父さんはふだん運動不足だから。ペンより重い物は持たないもんね」
「最近の作家はパソコンで原稿を打ってるから、ペンだって持たないよ」
お母さんのからかう声にも動じることなく、お父さんは顔も上げずたおれたまま、行ってらっしゃいとばかり手をひらひらとふった。
それではとお母さんたちが子供を連れて迷路へと向かう。お父さんはつかれ果ててしまったけれど、子供たちはまだまだ元気いっぱいだ。わいわいと盛り上がりながら迷路へと向かう。
「わあ、きれいだね」
迷路の入り口は花のアーチでかざられていた。これもこの迷路が人気の理由だ。生垣は季節季節で花のさく植物で作られているので、角を曲がると一面に花がさいていたりする。迷路をぬける面白さのほかに、目を楽しませてくれる作りになっている。
男の子だと、いかに迷路をぬけられるかに興味が全部行ってしまい、さいている花には目もくれなかったりするのだが、その点、健斗は花も好きだった。においに敏感なのは、食べる時だけではないのだ。花のいいかおりに包まれていると、とても気分がいい。
だから学校では栽培委員を務めていた。花壇の水やりなど、毎日の植物のお世話がその仕事だ。花が好きな子ばかりではないので、めんどくさがる子もいるけれど、健斗は進んで朝晩水やりをしていた。
植物のかおりは、いろいろな成分が混じって作られている。バラのかおりという一種類のにおいがあるわけではないのだ。しかも、その成分は、時間によってもちがってくる。朝の花のかおりと、夕方のそれはちがう。いわば、朝晩、さらに日によって、花の表情がちがっているということ。それをかぎ取れる健斗にとっては、花壇の水やり一つでも、毎回変化があって楽しいのだった。
それでもやはり男の子なので、迷路を攻略することにも、並々ならぬ意欲がある。ハナとこっそり相談してみる。
「ハナって、この迷路、においをたどってぬけられる?」
「どうかねえ。足あとはたくさんあるし、においもたどれるけど、みんな迷ってるみたいだからね。どの足あとをついていったらいいかどうかは、わからないねえ」
そうするとやはり、自分たちの勘がたよりだ。健斗はますますやる気が出た。右かな、左かなと、小春ちゃんと相談しながら進む。お母さんたちはそのあとを、おしゃべりしながらついてくる。
お母さんたち的には、迷路をいかに早くぬけられるかはけっこうどうでもよくて、いろいろな場所でさいている花の方が楽しみだ。行き止まり一面が花でうまっていたり、豪華な花のアーチがあったり、迷っていてもあきさせない。むしろ迷っていた方が、たくさんの花が見れて目を楽しませてくれる。
「きれいねえ」
「ほんとに。うちでも育てたいんですけど、アパートだと場所がなかなかなくて。ベランダでちょっと育てるぐらいなんですよー」
「ウチは庭があるけど、ふだん家にいて世話をするのがお父さんだから、水やり忘れてすぐからしちゃって。タフな植物しか育たないんですよね」
にこやかにそんな世間話をしていると、二人のスマホが同時に鳴った。
「何かしら?」
「防犯メール……通り魔ですって」
それは市が提供している、地域の安全安心メール。市内で犯罪が起きた時に注意喚起するものだった。
「市内で通り魔……重傷者二名……犯人は車で逃走中……」
「つかまってないんですね。やだ、気をつけないと」
お母さんたちの手元にそんな情報が届いていたころ、健斗とハナは自らの耳で、おかしな様子を聞き取っていた。
「ハナ、パトカーのサイレン、聞こえない?」
「うん、聞こえるね。公園の入り口の方じゃないかね? 交通違反の取りしまりとかじゃないみたい。何台か集まってる」
「どうしたの、健斗くん?」
立ち止まった二人に小春ちゃんはいぶかしげ。小春ちゃんには、公園入り口付近のサイレンは聞こえていないようだ。確かにここはもうだいぶ入り口からはなれているし、間に生いしげる木々が音をさえぎっている。ふつうの人には聞こえない。
ただ健斗は耳も犬並みにいい。鼻ほどではないが、音にもずっと敏感だ。健斗とハナには、だんだんと公園内に広がる、あわただしい様子が伝わってきていた。
「何か、おかしいね」
「そうだね……それになんだか、いやなにおいがする」
「きゃあっ!」
ハナの言葉の直後、するどい悲鳴が垣根の向こうから聞こえてきた。今度は小春ちゃんにも聞き取れる。
「えっ、何?」
あやしい気配を耳と鼻で感じ取っていた健斗とハナとちがって、小春ちゃんには突然の出来事だ。おびえた様子で健斗にすがる。健斗はきゅっと袖口をつかんだ小春ちゃんの手に、自分の手を重ねた。少し冷たい小春ちゃんの手。そしてすぐそばで感じる小春ちゃんの感情のにおい。強い緊張感を表している。
だいじょうぶとなぐさめてあげたいのだけれど、健斗自身が、体験したことのない事態に、余裕がない。ただ、重ねた手をぎゅっとにぎるのが精いっぱい。
さらに一気に危機感を高ぶらせることが起きた。公園のスピーカーから、放送が流れる。
「緊急事態をお知らせします。緊急事態をお知らせします。当公園に現在、警察が追跡中の容疑者が侵入しています。落ち着いて、警察の誘導にしたがって、避難してください。落ち着いて、警察の誘導にしたがって、避難してください」
むしろ放送している公園の人が、その声からして落ち着けていない。高ぶって裏返ってしまいそうな声色だった。
そんなあせりが伝わってしまい、公園中で一気に緊張感が高まる。それはこの迷路の中でも同じだ。あせった様子でお母さんから声がかかる。
「二人とも、こっち来て!」
しかし、この時、健斗とハナの二人には、においによってそれ以上の情報が届いていた。
もう犯人がそばまで来ている。
この迷路の中に、にげこんできている。さっきの悲鳴は犯人が人に出会って、いきなり切りつけたものだ。血のにおいがただよっている。
そして、それだけではない。
このにおいは。
「これは薬をやっているね」
ハナがそう断定した。
「薬って?」
「麻薬だよ」
「えっ!」
健斗はびっくりして聞き返す。小春ちゃんがおどろいたようにこちらをふり向いた。いつも人のいるところでハナと話すときには、他の人に聞こえないような小声で話す習慣がついていた。でもそれを忘れてしまうほど、おどろきの話だったのだ。
麻薬というものがあることは知っている。でも、使った人に会ったことはない。だから、どういうにおいなのかはわからないが、向こうからただよってくるにおいの中に、かいだことのないものがあるのは感じていた。
一つは身体のにおい。ふつうの人とはちがう。かびたようなにおいがする。
もう一つはとてもかすかなにおいで、多分人間にとっては無臭とされるもの。でも犬並みの感度を持つ健斗は感じる。少しあまいようなにおいだ。これが麻薬のにおい……?
健斗の視線での問いかけに、ハナがうなずく。
「私は麻薬探知犬の訓練を受けたことはないけれど、それでもお父さんの取材についていって、一度かいだことがある。犯人は麻薬をやっていて、頭がおかしくなってしまっているんだ。これは本当に危ないよ。早くにげないと」
ハナの真剣な声色。でもそれがなくても、健斗にもわかる。いっしょに流れてくる他のにおいはよく知ったもの。人の感情が動く時にできる、体内物質のにおいだ。ただ、これほど激しいものはめったにかぐことはない。
激しい興奮、激しい快感、激しい不安、激しい恐怖……。何かもう、いろんな感情が現れていて、ぐちゃぐちゃだ。まともな精神状態ではない。
これはハナの言う通り、頭がおかしいという言葉がぴったりだ。とにかくにげないといけない。
「健斗、ハナ、何してるの! 早く、こっちこっち!」
お母さんがさらにあわてた様子で二人を呼んでいる。小春ちゃんのお母さんはあわてすぎてしまって、声も出ないのか、ただ必死に手招きしている。
健斗は小春ちゃんの手を引いて、急いでお母さんたちの元へともどった。その間にも、ハナはふり向いて、通り魔と自分たちの距離を確認する。迷路のために、姿はまだ全然見えないが、においが確実に近づいてきているのは、健斗にもわかった。
「どっちだったかしら」
子供二人を連れてお母さんたちは元来た道をもどろうとしたけれど、ここは迷路である。最初の角ですぐに道を見失った。
「ハナ、道をかいで!」
健斗の指示で、ハナがみんなの先頭に立つ。大急ぎで、自分たちの足あとをたどり始める。においで来た道をたどれないかと思ったのだが、困ったことに、元来た道も迷い迷いで、ふらふらとさまよっている。道が分かれているところで、ハナがとまどい始めた。健斗にもわかる。分岐で右と左の両方ににおいが残っている。
「お母さん、両方ににおいが残ってるみたい。どっちから来たっけ」
「えっ、そっか、片方行き止まりだったのよね。えっと、確か……」
どちらだっけと記憶を探っても、周りが全部似たような生垣では、よく思い出せない。それはお母さんも同じ様子だった。しかも、来た時とは向きも逆だ。
「ええと……右、右だと思う!」
お母さんのその言葉通り、右に向かった。
「あっ」
だが、すぐに行き止まりとなった。
「ご、ごめん、左だった。もどりましょう」
あわてて引き返す。ハナの足あとをたどる作戦は、このように今一つうまくいかなかった。二度、三度と行き止まりに出会う。みんなのあせりがつのる。
特に健斗とハナ、二人のあせりはただ気持ちの問題だけではない。そうしているうちにも、犯人の放ついやなにおいがだんだんと近づいてくるのがわかるのだ。早くここからぬけ出さないと、次の角を回ったら出会ってしまうかもしれない。
そしてそのあせりは、現実になった。
四度目の行き止まりにぶちあたり、引き返そうとふり向いたその時。
目の前に、いた。
目を血走らせ、あらい息をはいた犯人が、目の前に立っていた。
手に持つナイフには、さっき人を切りつけたままなのだろう、赤い鮮血がこびりついていた。健斗の感じた、あのにおいがプンプンとしている。薬の少しあまいにおい。かびた体臭。そして興奮して出たアドレナリンのにおい。不安、恐怖、怒り、いろいろなものがないまぜになった、支離滅裂な感情のにおい。
本当に危険な、健斗が出会ったこともない、危ない人物。
「健斗!」
お母さんはぐいっと健斗の腕を引き、かかえこんでかばおうとした。小春ちゃんのお母さんも同様だ。
その二人の母の前に立ちはだかるのがハナ。
やはり健斗の母親役として、自分の子供を守らなければいけないと、犯人に立ち向かう。
牙をむき出しにし、姿勢を低く頭を下げてにらみつけ、うーと低い声でうなる。
「なんだ、てめーら、どきやがれ、このくそがー!」
ろれつの回っていない口調で甲高いさけび声を上げながら、犯人がナイフをブンブンとふりまわす。
ハナは、それをよけながら、わんわんと大声でほえて威嚇する。
「ハナ、危ないよ!」
お母さんにがっちりとだきかかえられながら、健斗はハナの方に手をのばした。
ハナは警察犬だけれど、正確には嘱託警察犬。においを追う訓練はしているけれども、基本的には家庭で飼われている犬なのだ。犯人に立ち向かって戦うような戦闘訓練は受けていない。
それでもハナはひるむことはなかった。自分の背後には小さな子供が二人もいて、その子たちを助けなければいけない。ここで引くわけにはいかなかった。
足元に飛びこんでがぶりとかみつくことくらいはできそうだけど、それでは無防備の背中をさされてしまう。ぶんぶんとふり回されるナイフを持つ手に飛びつくのは難しい。
なんとか相手をひるませようとハナは激しくほえかかる。
その時。
黒い旋風がサッと一閃、宙を切り裂いた。
「ぎゃっ!」
犯人の口からさけび声が上がった。
ナイフを持つ右腕をくわえこんで、深々と牙をつき立てているのは、茶色地に黒々とした柄のジャーマン・シェパード。相手の右腕を食いちぎらんばかりに、ブンブンとふり回す。
ジャーマン・シェパードは大型犬。体重は小学生の子供と変わらないぐらいの、四十キロ近くもある。そして力はとても強い。大の大人を引きずりまわすぐらいだ。
「いてて! やめろ!」
さらに相手の武器がふうじられたのを見たハナが、そこに加勢する。ハナも大型犬のラブラドール・レトリーバー。メスだから一回り小さいし、見た目も優しそうだけれども、本気を出せば猛獣だ。相手の足元にかじりつき、別の方向にぐいっと引っ張った。
大型犬二頭に力いっぱい引っ張られて、とうとう通り魔は地面に引きずりたおされた。
「だいじょうぶですか!」
そこに制服の警官たちが走ってくる。地面にたおれている通り魔に気づくと、その上におおいかぶさるように飛びかかり、数人がかりでおさえこんだ。
「よし、いいぞ、はなせ!」
ハンドラーに首輪を引っ張って合図をされて、右腕にしっかりかみついていたシェパードは、ようやく口をはなした。
「よーしよし、トミー、いい子だ、えらいぞ、よくやった!」
頭をわしゃわしゃとなでられて、シェパードは至極満足そう。ハンドラーを見上げるその顔は、任務を果たしたほこらしさに満ちている。
「だいじょうぶですか、おけがはありませんか」
警官たちに手錠かけられ確保された犯人が連れて行かれる。残った警官が健斗たちの様子をおもんばかる。
でもその時、健斗が気になったのは、先ほどのシェパード。
(トミーって、確か……)
「トミーじゃないか。ありがとう、助けてくれて」
ハナも気づいてシェパードに声をかける。
「やあ、ハナ。危なかったな。でも、みんなを守ってくれたのはさすがだぜ。時間をかせいでくれたおかげで間に合った。そのあとの加勢も助かったぜ。ありがとな」
この男前のジャーマン・シェパードはトミー。こちらは警察に飼われている直轄警察犬である。犯人を追跡して制圧する訓練を受けている、プロフェッショナル犬だ。
「あれもしかして、ハナじゃないか。ということは……ああ、やっぱり。新島さん、だいじょうぶですか」
ハンドラーの竹本巡査も二人と顔見知り。ハナはベテラン嘱託警察犬でいくつも手柄を立てている。この辺りでは有名人ならぬ有名犬だ。
「だいじょうぶか!」
さわぎを聞きつけたお父さんもやってきた。本当にあわてて走ってきたようで、ぜいぜいと息をしている。どこを通ってきたのか、身体中に木の葉もついていた。みんなの様子を一通り確認して、けがはなかったことにほっとした様子。
これだけの大事件があったら、もうピクニックどころではない。警察が何があったかくわしく知りたいということだったので、お母さんは事情聴取で残るけれども、子供たちはもう今日は帰ろうということになった。
帰りの車の中は行きとちがって重苦しい空気だった。みんなつかれて言葉少ない。お父さんが気を使って、小春ちゃんに声をかけた。
「小春ちゃん、こんなことになってごめんね。こわかっただろう」
前の席に座っていた小春ちゃんのお母さんも、娘の様子を心配そうにふり返っている。
「うん、こわかったけど……でも」
事件にショックを受けて、帰り道のここまで言葉少なについてくるだけだった小春ちゃんは、小さな声だったけれど、ここで始めてにっこり笑った。
「でもハナが守ってくれたから、だいじょうぶだったよ。ありがとう、ハナ」
行きと同じように小春ちゃんの膝の上に寝そべるハナ。でもその意味合いはちがっていた。小春ちゃんはハナをぎゅっとだきしめる。
ハナは満足そうにぱさりと尻尾をふる。その顔は当たり前じゃないかといったふう。
お母さん犬ハナは、よそのうちの子だってしっかり守ってあげるのである。
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