第二十六話 『アオの覚悟』


 ――視界の中にあるのはただ黒一色。

 闇と表すことも躊躇ためらわれる、塗りつぶしたような黒だけの景色。


「なんだよ? ここは……」


 己の置かれた状況がにわかに把握できず、アオは困惑を強めた。

 どこかぼんやりとした思考の中、ようやく先ほどまでの状況を思い出す。


「そうだ、俺は同調式接続を使ってフィニスを起こそうとして……」


 そこで彼は身体の感覚がなくなっていることに気付く。意識だけで浮かんでいるような状態だ。


「同調式接続の向こうに入り込んじまったのか? じゃあここはフィニスの……」


 今までずっと魔装殻マギアクラストを使い続けてきたアオだが、同調式接続に意識が入り込むなど聞いたこともない。

 魔女だからこそ起こった現象だろうか? それを確かめるすべはなかった。


「理由なんてどうでもいい。好都合なのは確かだしな」


 フィニスを起こすことができれば、後のことはどうでもよい。

 アオはここに入り込んだ時と同じように集中して闇の中を探り始めた。


「どこだ……どこにいるんだ、フィニス!」


 執念じみた想いが無明の闇にしるべを見出す。

 それは最初、小さくぼんやりとした光だった。だとしても黒一色の中ではひどく目立つ。

 近寄るうちに輪郭がはっきりとしてゆき――。


「フィニス……!?」


 彼が彼女を見間違うはずもない。人の姿を取ったフィニスが暗闇の中に漂っていた。

 ゆらゆらと長い髪がたなびく。彼女は己の身体を抱えるように丸まり身じろぎひとつせずにいた。


「なんだこれ……メッセージ?」


 近づいた彼は、彼女の周囲を帯のように囲んだ何かが流れていることに気付く。

 文字が連なってできた帯へと目を凝らし。


 ――機体損傷甚大、人格システム損傷。

 ――基底システムによる緊急割り込みを実行。人格システムを再起動。

 ――機体損傷による障害発生。人格の再起動に失敗しました。

 ――基準レベルまで損傷の修復を開始。

 ――損傷を修復中……。


 無機質な文言が流れるばかり。

 まったく人の意識を感じさせない文字の羅列が、逆にフィニスの状態を如実に表していた。


「さっきの一撃やっぱ相当ヤバかったんだな。でもこれが正しいとすると、フィニスはしばらく目覚めないってことじゃ」


 外の状態が気になってくる。内側に入り込んだ今、情報を得る手段がない。

 フィニスの内面へと入りそれなりに時間が経っている気がするが、未だアオの意識が活動しているということは同調式接続が切れていないのは確かである。

 いずれにしろ彼自身の状態などどうでもよいことだった。


「考えろ……フィニスが目を覚ますには先に傷を治す必要があるって。だけど再生を待つだけの余裕はない」


 堂々巡りの無理難題だ。考えるほど焦りだけが募ってゆく。


「違う、考え方を変えろ。フィニスが目覚めるまでもてばいいんだ、どうにか攻撃をかわすことさえできれば……!」


 そのためにはグラディオ=フィニスが動かなければならず、やはりフィニスが目覚める他ないのではないか。

 行き詰まりにぶち当たった思考が、それでもわずかな引っ掛かりを拾い上げた。


「この身体グラディオ=フィニスはそもそも魔導骸殻デッドリークラストなんだろ。特別なのはフィニスが魔女で、彼女自身が考えて動いていること……だったら! ?」


 周囲を見回す。闇に漂うフィニスの身体の他に手掛かりはないか。


「何かやり方はないのかよ! ちくしょう、優先命令だか何だかって都合のいい時だけ勝手に動くくせにさ!!」


 自棄やけ気味に流れるメッセージへとつかみかかる。


「頼むよ。このままだとまた俺は奪われちまう……」


 どれだけすがり付こうとも文字はただ流れるのみ。情はおろか思考そのものがあるかすら怪しい。

 アオの心が徐々に絶望に侵され始め。


 ――確かに不可能ではありません。ですがその方法は、非常に危険です。


 突如として聞こえてきたに、彼は慌てて周囲を見回した。


「今のはフィニスじゃない! 誰だ……!?」


 聞きなれたフィニスの声ではなかった、かといって機械的なメッセージでもない。

 冷たい雰囲気があれど確かに人が放つ温かさを感じさせるもの。


「いや誰でも何でもいい! 本当か、方法があるんだよな!?」


 そうして気付く。いつの間にか傍らに浮かぶ人影があることに。

 人形のような無表情で折り目正しく立ち尽くす。その姿に微かな見覚えを感じて。


「あんたは……まさか!」


 ――はい。私の名はハイドランジア。一度だけ異界来訪体ヴィジターにてお会いしましたね、フィニスの契約者。


 ハイドランジア! アオもその名には聞き覚えがある。

 最初の魔女プリムスによってたおされ、しかばねをフィニスの魔剣デバウアーによって喰われた魔女の名だ。


「まさか……フィニスの中で生きてたのか、あんた!?」


 ――認識に間違いが存在します。私は正しくはハイドランジアと呼ばれていたものの残滓ざんし、となるでしょうか。私自身、己の状態を正しく把握しているわけではないのですが。


 他人事のように語る、ハイドランジアを名乗る何かの影。

 だとしてもアオにとっては些末なことだった。


「誰だっていいさ、フィニスを助けられるのなら。教えてくれ。この魔導骸殻からだを動かすにはどうすればいい!?」


 ――私たち魔女とは意思、いわば『魂』をもった魔導骸殻。契約者に従い動くのは、私たちの魂があなたたちの動きを受け入れているにすぎません。


「魂……だけどフィニスの魂は今、眠ってしまっている」


 ――そう。ですから……代わりの魂によって身体を駆動するしかありません。


「代わりの? もしかして君が?」


 ハイドランジアの影は首を横に振った。


 ――私は既に死した存在。生きた身体を操ることができるのは生きた存在だけなのです、契約者。


「それってつまり……え。俺ってことか?」


 彼女はゆっくりと頷いた。拍子抜けだとばかりにアオが勢いづく。


「なんだよ、そんなことなら早くやってくれよ! フィニスが目覚めるまで俺が戦えばいいんだろ?」


 ――まだ話は終わっていません。危険な方法だと伝えたはず。魂と身体は無関係ではありません。あなたの魂で動くということは、この身体が感じることを直接あなたも感じるということ。それは痛みですらも同様です。


 ハイドランジアの影はわずかに目を伏せた。

 魔導骸殻が受けるダメージは人間のそれの比ではない。歴戦の契約者ですら同調率を抑え、切り離す必要があるものなのだ。

 人の身でまともに受けてしまえばショック死しかねない。


「なんだ、そんなことか。手段が難しいってわけじゃないんだな?」


 ――そんなこと……あまり簡単に考えないでください。今のグラディオ=フィニスは瀕死の状態です。そのようなところにつながれば、かなりの確率であなたも死ぬことになる。


「そうかもな。だけどこのまま何もしなくたって死ぬことに変わりはない。だったら少しでもフィニスの力になれるほうを選ぶ。違うのか?」


 ゆえにこそ、彼のあっけらかんとした答えは異常だと言えた。


 ――わかりません。フィニスの契約者、あなたはただの人間です。人は命を惜しむものでしょう。


「そうだなぁ、普通はそうだろうなぁ。でも俺は一回死んだようなものだし、何なら今すぐにでも死にそうだ。でももしも、もしもこのまま俺が逃げてフィニスが奪われたら……俺はもう決して俺自身を許せない。自分の死ですら許せない」


 だからアオが思いとどまることはない。

 もう二度と失うことはできない。逃げ出すことはできない。これは二度目にして最後のチャンスだから。


「それじゃあ死ぬ意味すらなくなっちまうだろ。なぁハイドランジア、俺の命を無意味にしないでくれ」


 微塵みじんも引く気配がないことを察し、人影はらしくもない溜め息を漏らした。


 ――そこまで言うのであれば。私たち魔女は契約者に従うもの、あなたの意思を認めます。ではこれから契約者の魂を基底システムへと接続します。おそらく強い衝撃があるでしょう。


 ハイドランジアの影はアオの意識を抱えると、フィニスの周囲を回っているメッセージへとつなげてゆく。


「ありがとう! 本当恩に着るぜ。……そうだ。なぁハイドランジア、あんたはこのままフィニスの中に居るのか?」


 徐々に意識が遠ざかってゆく。接続が終わればアオは魔導骸殻の身体で目覚めることになるのだろう。


 ――いいえ。フィニスの中に私はもうほとんど残っていない。これが最初で最後の手助けになるでしょう。


 彼女の姿が急速にぼやけてゆく。


 ――この子を頼みます。辛い道を歩むだろう、私たちの妹を。


「わかった。俺の命の限り頑張るさ」


 アオの意識は浮上し、暗闇を突き抜けて――。



 ――目を開いたのと、痛みが襲ってきたのとどちらが早かったのか。

 突然に全身をさいなむ焼けつくような痛みが起こり、アオは悶絶する。


「……がっ……うがっ……くぅ。ふ、ふふははは! こいつは……目覚ましに、ちょうどいいってな……!!」


 痛みを感じるということはまだ生きている証、喜ぶべきだ。

 首尾よく接続に成功したことで、彼は魔導骸殻グラディオ=フィニスが受けた損傷を体感しているし、眼前には魔物の巨大な掌が迫っている。


「確かに還ってきたし、魔導骸殻は動かせる……でもピンチに変わりはないか!」


 状況はやはり最悪だったが、まだ終わってはいない。

 ずいぶん長く内面に居た気がする。しかし外界では瞬くほどの間のことだったらしい。


 黒い光をまとった指がグラディオ=フィニスの胸をえぐり、アオの身体を排除しようとしていた。


「はぁ……はぁ……止める……防ぐ。でも、どうやればいい?」


 そもそも彼らのもつ手札は多くない。爪剣を用いるか動いて回避するか、その程度だ。

 どちらにせよ状況がさして好転するとも思えなかった。


「いいや……まだが残ってる……!」


 重い手足を持ち上げ、湧き上がる痛みをかみ殺し。すんでのところで爪剣を差し挟む。

 ギチギチと耳障りな音をたてて黒い刃が止まった。


「あら、まだ抵抗する力が残っていたの? 余計な傷はつけたくないから、そのまま眠っていてくれれば嬉しいのに」

「好き勝手……言ってくれんな!」


 力をめるほど傷口から体液が漏れ出す。

 無事なところなどほとんどない、限りなく死に体の身体に鞭うって上半身を起こす。


「確かにこっちは瀕死だ。手も足も出ない……だけど、他にもまだ手はあるぜ」


 不敵な笑みを浮かべ、今や己の身体となったグラディオ=フィニスの機能を思うままに解放する。


「第三種封印兵装、解呪……! 魔剣起動アクティベート準備レディ!!」

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