第十九話 『炎獄と最初の魔女』
レイの全身から放たれた怒気が部屋を満たす。
魔法則を使っているわけではない、ただ感情の発露がエネルギーとして周囲に影響を及ぼしているのだ。
「……オイ。あんたからフィニスは最新の魔女だって聞いてた。確かに
魔女狩りの夜でも筆頭に位置する武闘派の威圧を受けながら、
「あいつは……ハイドランジアを喰った! 魔女を喰う魔女だと!? いったい何を作った! 答えろ、博士!!」
沈黙が場を支配したのは短い間。博士がゆっくりとため息をつく。
「ほう。まさかあの子が自力で第三種封印兵装を解いてるっていうのかい? そりゃあこっちにしても想定外だ。行きずりがそんなに気に入ったとはねぇ……」
「ふざけてんのか! あぁん!?」
「まさか。あの子は何もできない、だからあんたたちを差し向けたっていうのに。予定が狂ったのはこっちも同じさ」
「違ってんぞ、問題はそこじゃねぇ。てめぇは何故……魔女を喰らう魔女なんてもんを作ったんだって聞いてんだよ!!」
レイの追及は止まらない。しかし博士は、むしろ清々とした様子で壁にもたれかかった。
「……レイ・ディエン。およし、これ以上はあんたが知るべきではないことよ」
「ふざけろ! 恐らくはアレが女王を呼び寄せた!! そうしてフオーが殺られちまったんだぞ……。言え、
それまで静かに控えていたアイリスがレイの傍らへと寄り添う。
解呪の言葉さえあれば、すぐにでも
炎の吹き出そうな視線にさらされてなお博士は表情を変えない。それがレイにはひどく憎たらしかった。
「……コードネーム『最後の魔女』。フィニスは最新なんじゃない、あれは終わらせるための存在」
そんな博士がぽつりとつぶやいた言葉に、わずかな間レイの反応が遅れる。
「なにぃ……終わらせるだ? 何をだよ。まさかてめぇ自分で組織をぶっ潰すつもりかよ!?」
「そんなつまらない話はしていないさ。あの子が終わらせるのは、この世界に侵略している異界来訪体という存在そのもの。いずれあの子は、人類の最終兵器になる……予定だった」
コツ、コツ。博士の立てる足音が近づいていることにレイは遅れて気が付く。
「レイ。あんただってもうそろそろ飽き飽きとしてるんじゃないかい? 異世界のウジムシ寄生虫なんぞに
今まで当然のように喋っていた人物と到底同じとは思えない声音。アイリスがレイの裾を握り締める。
「同時にそれは今の歪な安定を丸ごと、滅ぼすことになるでしょうけどね……」
そうして博士の顔に開いた二つの
◆
人間はおろか地表の生物が生きてゆくにはとことんまで向かない場所だ。
「クソッ……クソッ! クソ、クソ、どいつもこいつもクソですねぇっ!?」
悪態が止めどなく漏れ出でる。無限という言葉は今この時のためにあるのかと思われるほど口が動き続けていた。
「あのできそこないの魔女め! 私の命令に逆らいやがるとは……!」
たった一人で異界来訪体に取り残されたフオー・ヤンディウ。
魔女ハイドランジアを殺したレーギーナ=プリムスの下から逃げ出した彼は、そのままあてどなく異界来訪体を
「マズいですね……なんとかディエンの旦那と合流しないと。このままだと外に出る手立てが……ッ!」
現状確認のための言葉に我ながらぞっとする。
もしもこのままレイと合流できなければ――彼は異界来訪体に取り残されてしまう。
三十階層越えの深さから生身ひとつで地表まで戻ることなどできるはずがない。
今この場所はいい。オアシスと呼ばれ瘴気がなく、地上と同じように活動できるからだ。
だが一階層でも移動すれば瘴気によって魔法汚染を受けじきに
その前に魔物の餌と化す可能性も相当に高いが。
いずれにせよ彼には生き延びるすべがなかった。
「あ、ああ。元来た道を戻る? だがあすこには女王や駒がいます……」
ハイドランジアを殺してみせた女王と、その配下たる駒たち。
戦う力のない生身のままノコノコと戻ったところで結果は何も変わらないだろう。
大きすぎる危険の中に飛び込むか、ここで緩慢に衰弱してゆくか。
ロクでもなさの極まった二択だ。どちらだって選べるわけがない。
そうして彼が迷っていると何ものかが近づいてくる気配があった。
「あら。何かと思えばフオーじゃない。生きていたのね、本当にしぶといわ」
「ははは。嘘でしょう……」
フオーはつばを飲み込む。彼の隠れるくぼみを覗き込む妖艶な女性の顔。
この危険地帯のただなかで場違いな豪奢な装いに身を包むのは魔物の女王――あるいは裏切り者、最初の魔女プリムス。
世界でただ一体、契約者を必要としない魔女である。
「はは……こんなところで。実に奇遇ですね」
愛想笑いに顔を歪めるフオーをプリムスは何の感情もない瞳で見つめていた。
フオーのスーツはよれよれで普段の伊達男ぶりは影も形もない。
パートナーであるハイドランジアを失った今、彼はまさしく取るに足りない存在だ。
だがこの時のプリムスはまったくの気まぐれに会話に付き合ってきた。
「そう。ハイドランジアのことは残念だったわね」
「……き、切り裂いた当人に言われるとはねぇ」
「それは当然よ。私に刃向かったのだから」
フオーは表情を引きつらせる。あまりにも思考が独善過ぎるこの女王と、それでも彼は話さねばならない。
「いいでしょう……結果は結果として受け止めようではないですか。それよりも女王、ひとつ商談といきませんか?」
「商談? 命乞いの間違いではないかしら」
「くっ。この状況です、それはそれで否定はできないでしょうねぇ。その上で……どうです。私を雇いませんか?」
特に興味もない様子で彼をどのように処分するかつらつらと考えていたプリムスだったが、言葉を耳に目を細めた。
「あら宗旨替え?」
「交渉と言って欲しいところですね。確かに相棒の魔女を失った私ですが、これでも契約者としてそれなりの修羅場をくぐってきた身です。然るべき報酬と装備があれば、あなたの役に立つことだってやぶさかではありませんよぉ?」
「『魔女狩りの夜』は人類のための剣なのでしょう? 私はもはやそちらの立場にないわ」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。しかし如何せん私もこのまま組織に戻ったところで処罰は免れません」
「それで、今度はこちらにつこうと」
「そういうことです。雇い主は強く、有能であることが望ましい。あなたはその条件に見合う方ですから」
彼には人間のためだとか世界のためだとか、そういった考えなど
つまるところ自らが力を振るえればなんでもよく、むしろプリムスの下についたほうが望みに近いかもしれないのだ。
「ふぅん。……ああ、それはいい考えかもしれないわ。じゃああなたには役に立ってもらおうかしら」
不自然なほど表情に変化のなかったプリムスが、突如として花が咲くような笑みを浮かべた。
つられてフオーもにたついた笑みを浮かべる。
「はは、ははは! さぁすがは女王、理解が早くて助かりますねぇ。ではさっそく私を地上へと連れて……」
「あなたを次の駒の材料にするの。とてもしぶとくて良い駒ができそうね」
聞き間違えだろうか。告げられた言葉の意味が理解できず、笑みをこわばらせたままのフオーが問いかける。
「何を、言って。そんな。私の、力を生かして……」
「ねぇフオー。あの子にはまだまだ力が足りない。異界来訪体はとてつもなく強力だものね。だからもっともっともっともっと、いっぱい食べて育たないといけないの」
「し、知りませんよそんなこと! クソ! 何を言っていやがるぅ!?」
「でも中途半端な魔物じゃあの子にとって美味しくないのよ。だからより強力な魔物を作ってあげなきゃいけない」
既にプリムスの視線はフオーを見てはいなかった。
人間に対する視線などではなく、まるで調理のための下ごしらえに悩むかのような。言葉を交わしているというのに、そこには埋めがたい断絶が存在した。
もはやフオーは逃げ出すことすら容易ではない。
彼は身も世もなく身体を投げ出し、土下座しながら懇願を続ける。
「止め……お願いだ! なぁ、頼む見逃してください! 今後生涯にわたっての忠誠を誓ったっていいですよ。それに……ざ、材料が必要なのでしょう? ならば代わりに他の奴を連れてきましょう! 望むだけ、何人だって! だから私はたす……」
「あなたは
絶望がフオーの心に染み入ってゆく。会話が交わせるからと安易に頼ったのが間違いだった。
ついに悲鳴を上げて走り出す。もはや瘴気も魔物も頭から抜け落ちていた。ただ目の前の化け物から逃げ出したい一心が彼の足を動かしている。
彼へと背後から影が覆いかぶさってきた。
魔導骸殻レーギーナ・プリムスが巨大な手を伸ばし、さっさと彼をつかみ取る。
「そうね、新鮮なうちに取り掛からないと。美味しく仕上がらないわね」
「嘘だろ! やめろ、やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
もがけどわめけどその程度で魔導骸殻の指を動かすことはできない。
「安心してフオー、あなたはしっかりと素敵な魔物にしてあげるから。魔導骸殻なんかよりもっと、ずっとすごい魔物。あるいは魔女よりも……そうしないとあの子が食べたがってくれないものね」
もはや意味をなさない嘆きの叫びだけが
漆黒のドレスを着た巨体が異界来訪体の奥を目指して歩き出した。
「もっと強く……もっと大きく。ふふふ、同族喰らいの後だもの、簡単には振り向いてくれないでしょうけれど。待っていてね、私の可愛い妹。あなたのためにお姉さん頑張るから……」
歪んだ価値観のままに動く彼女を、止められるものはいない。
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