第十八話 『偽りの平穏』


「……最近、の奴を見かけなくなったらしいぜ」

「本当かよ! これでやっとまた稼ぎに行けるぜ」

「そりゃ噂にあった行政府の奴らがやってくれたってことか?」

「わかんねぇが、やったのが誰だろうといなくなったってのが重要だろうよ」


 無責任な噂が飛び交う、リングアの街は今日も騒がしい。

 回収者スカベンジャーたちの興味といえば異界来訪体ヴィジターの様子しかない。

 ひどく厄介な相手だった新種がいなくなったとなれば、またいそいそと拾い物に精を出すことだろう。


 聞くともなしに聞こえてきた会話を流し、アオは商店街を通り過ぎる。

 片方しかない腕には山盛りの食料品。義足を引きずり家路につく。


「……ただいま! ほら、食べ物買ってきたぜ。お腹はすいてるか?」


 返事はない。気にせず静けさに満ちた家を横切り、台所に荷物を降ろす。

 のいる場所はわかっている。

 階段をあがるうちに急ごしらえの義足が軋んだ。家中に響いた気がしてアオは顔をしかめる。


 日常的にオーガレイダーを使うわけにもいかないと用意した義足だが、さすがに慌てすぎたかもしれない。

 いずれもっとしっかりとしたものを用意すべきだろう。


 二階、かつて彼の妹が使っていた部屋の前に立つ。


「フィニス。起きてるかい? 入るぜ」


 控えめなノックにも返事はない。アオは躊躇ためらいなく扉を押し開いた。

 部屋の中はかつてとまったく変わっていない。

 前の住人のモノを整理していないのもあるし、今の住人がモノをもたないからでもある。


 ただ以前と決定的に違うのは熱がないことだろうか。

 太陽のように熱を放つラナに比べ、フィニスは月のように静かだった。

 人の息遣い、命から放射されるものがあまりにも薄い。


 視線をベッドに向けると、思った通りに小さな盛り上がりがあった。


「もう昼だぜ、フィニス。大寝坊だな!」


 ベッドに腰かける。ようやく小さな声が返ってきた。


「お腹はすかない。そもそも私たち魔女はそれほど食べ物を必要としない。それに……」


 もそもそとシーツの塊が動き、ひょこっと顔をだす。

 パサパサと長い髪が流れ落ちた。


「……私には、もうやることがない。どうして起きる必要があるの」


 無感情な瞳。

 花開いたような表情が重なりそうになって、アオは首を振って追い出した。彼は殊更におどけた様子を見せて。


「ほら、強くなりたいんだろ? 魔女としてさ」

「どうやって? ……もっとってこと?」


 ずるずるとシーツを引き寄せる。抑えた声の中に宿る激情がアオを捉えた。


「私は魔女。作られた人間、作られた兵器。この飢えは私を強くした。だからって……食べるのが魔物モンスターだけならいい、よかったのに。魔女ですら食べてしまうなら私は! ……いったい何。私は本当になの?」


 『魔女を喰らう魔女』――何のためにそのような存在が作られたのか、本人すら知らないとあっては解き明かすのは難しい。


(おそらくプリムスは何かを知ってる様子だった。だからなのか? あの時、俺たちを見逃して……)


 戦いの最中に暴走し前後不覚となったアオたちだが、次に目を開けた時にはプリムスもレイも、魔物の一匹すら残ってはいなかった。

 何らかの意図があって見逃したのは確かだろう。さもなくば彼らは今頃異界来訪体の奥で果てている。


「だけどさ! 仮に飢えが起こってもまた魔女が相手とは限らないだろう?」


 勢い込んで身を乗り出す彼に対し、しかしフィニスは悲しげなまま瞳を伏せて首を振った。


「駄目なのよ、契約者コンストラクトゥス。確かに魔物だけを食べていけるならいい。でもおそらくそれは無理。あの時、あなたも感じたでしょう。弱い魔物に対して飢餓感は起こらなかった。魔女を……ハイドランジアを食べた今の私はおそらくただの魔物では満足できない。強くなろうとするほど、これからも仲間を……」


 はこうすれば必ず起こるという条件がわかっているわけではない。

 唯一わかっていることは強大な存在が死亡した場合に起こるということだけ。そうして今のフィニスより強い存在というのはおのずと限られてくる。


「私は兵器。強くなることに疑問なんてなかった。今だってそれはおそらく変わっていない。でも……このままだといずれ私は、魔物よりもよほど化け物になる。なってしまう」


 魔物を喰らい、魔女を喰らった果てに待つものは一体何か。少なくとも良い結果は思い浮かばないでいる。


 フィニスはじっと己の手のひらを見つめていた。

 最新の魔女として生み出されながら力足りず、無力感にさいなまれていた。そんな彼女がようやく見出した力。

 危険だからと簡単に諦められるわけがない。だからこそ彼女はどちらの道も選べなくなってしまっている。


「だからってフィニスだけが自分を責めることはない。あの時は俺も、勝てなかったんだ」


 アオがそっと、彼女の手に己の手を重ねた。彼女にこんな悲し気な表情をさせるために戦ったわけではない。


「だったら話は簡単だろ。

「そんなやり方があるならとっくに……」


 フィニスのを制御する。それは言うほど容易たやすいことではない。

 強烈な衝動に加えて、根幹には制御システムによる干渉まである。安全装置としての契約者も万能ではない。だがアオに諦めるつもりなど毛頭なかった。


 一度失ってしまった人間には諦めていられる余裕なんてない。

 だからフィニスがそれだけの強さを持てずにいるのは、ある意味で当然のことだった。


「そう、もしかしたら組織に戻れば。博士プロフェッサーならばこの力の意味を知っているかもしれない。魔女の皆を傷つけずに力を使う方法があれば……」

「それだけはダメだ!」


 突然彼があげた断固とした拒否の声に、彼女は少し面食らう。

 これほど強い調子で否定されることは今までになかった。


「『魔女狩りの夜』がフィニスを生み出したっていうなら、何かしら目的があるんだろ。それってさ、魔女を喰らう力を生み出して一体何をするつもりだったんだよ」


 アオが引っかかっているのはそこだ。

 魔女とは兵器であり人造の存在である。ならばフィニスの力は設計されている。喰らう力は確実に目的あって生み出されたものだ。


「俺は君のために動きたい。でも組織ってのは目的が先にあって、フィニスの意思は後まわしのはずだ。もしかしたら……」


 勢いのまま喋ろうとして、思わずアオは口をつぐんだ。


(……もしかしたら『魔女狩りの夜』は最初からフィニスに他の魔女を喰わせるつもりだったんじゃないのか?)


 そんな言葉はさすがに推測だって言えやしない。


「誰かに言われるがままじゃあ、きっといつか同じ問題に突き当たる。俺たちの力で勝たないといけないんだ」

「本当にそんなことができると思うの?」


 信じられない、フィニスの顔にはありありとそう書かれている。対するアオは自信満々な様子で。


「はは、それはもちろん……わからない!」


 言い切った瞬間、フィニスの表情が呆れへと如実に変化した。アオの頭の片隅に意外と表情豊かだなという感想が過る。


「確証なんてなんにもねーしさ! でもこのままうずくまっていても良いことがないってのは確かだろ」

「そうだけど、それは詭弁きべんという」

「理由なんてそんなものでいいんだって。俺たち回収者は立ち止まるのが苦手だからね!」


 義足がキシ、と音を立てた。明日が昨日と同じである保証なんてない。

 あるのが当たり前のものですら、いつ奪われるやもしれない。そうして回収者は今日だけを生きるようになってゆく。


「だから難しい問題だって一緒に解けばいい。君は魔女で、俺は契約者。俺たちは二人で一つのチームなんだしさ」

「私はこのまま……魔女であってもいいの?」

「当然だろ。契約者の俺が言うんだ」


 ついにフィニスが噴き出した。


「どうしてそんなに自信にあふれているのだか」

「そうでもなけりゃ回収者やってないさ」


 纏っていたシーツを払う。

 フィニスはベッドのへりに腰かけるとまっすぐにアオを見つめ返した。


「契約者。もう一度、あなたのことを信じてみようと思う。今の私だけでは打ち勝つ方法を見出せないから」

「その意気だ! なぁフィニス、君は何せ組織を飛び出す決断ができたんだ! 今度だってへっちゃらさ」

「それは、あの時にあなたがいたから」


 自らも死にかけの身体を引きずるようにして、彼女のもとに駆け付けてきたから。

 つながれた手がまたも彼女を奮い立たせてくれる。


「ありがとう、契約者」

「どういたしまして!」


 二人で笑い合う。そうしてアオはすぐさま決意した。


「よし! じゃあ早速だけど、街を出る準備をしようか!」

「いきなりどうしたの?」

「やっぱちょっと時間なくてさ。ほらえーとレイの奴、多分次は俺のことを探し回ってくる。結構目立つ怪我してるし、この場所はすぐにバレちまう。そしたら今度こそ捕まっちまうぜ」


 この街になじみの薄いフィニスだけを探すのは骨が折れるだろう、しかしアオのことはちょっと調べればわかることである。

 ならばここで安穏としているわけにはいかない、アオはそう考えたのだ。

 しかしフィニスはやんわりと首を横に振って。


「あなたの言う通りかもしれない。でも契約者はこの家を捨てられるの? ここはあなたが生まれ育った場所でしょう」

「ぜんぜん構わないさ。俺は見ての通りの有様で、フィニスがいなけりゃこのまま朽ち果てちまうしさー」


 義足をがしゃりと鳴らす。出来の雑な道具はよく軋みを上げた。


「ほらほら、善は急げっていうじゃないか」

「わかったから」


 屈託なく笑うアオを眺め、ついにフィニスが頷いた。


「よし! そうしたら忙しくなるぞ。荷物は少なくしないとだし、家は……放っておくしかねーか」


 そうと決まれば急がなくてはならない。仮にも彼らは逃亡者、追手はいつかかるとも知れないのだから。

 あれこれと手順を考えるアオに、フィニスもようやく考えがまとまってきたようだった。小さく頷いて。


「新しい場所についたら、また回収者として頑張るのね」

「たまには大物も狩らないとな」


 迷いの全てが晴れたわけではないだろう。しかしフィニスは己が何者かを冷静に見つめることができているようだ。

 それは小さな一歩かもしれない。だが今は前向きに考えてくれただけでも十分だった。



 中央都市セントラル

 ここは荒れ果てた世界の中でも数少ない、高度な文明社会を維持している街である。


 周囲を囲む都市壁はリングアなどとは比べ物にならないほど立派で堅牢なものだ。

 荒野に住む魔物がいかに厄介だからとてここまでの備えは必要ない。むしろ警戒すべきは文明の価値を知るもの――つまりは同じ人間である。


 ここには未だ大破壊前の高層建築が生き残っている。道も舗装され歩くたびに砂が舞い上がるようなこともない。


「ったく空気がほこりっぽくないってのはいいことだ」

「そうね~。でもこの街はお行儀よすぎて、あたしはあんまり好きじゃないかなー」

「くくっ。窮屈なのは確かだな」


 すれ違う人々もどこか身なりの良い者が多かった。

 この街に住むことを許されるのは文明社会の一員として正しく自覚を持つ者のみ。野蛮な回収者には縁のない世界なのだ。


 行儀よく壁の中で過ごすか、己の命を張って異世界から来た穴倉に潜り込むか。

 どちらにせよロクなものじゃあねぇなと、レイは心中で密かに毒づいた。


 ぶらつく足取りはやがて目的地まで辿りつく。

 街の真ん中でいっとうふんぞり返っている高層建築が行政府の本体たる中央政庁だ。

 周囲を警備員によって厳重に護られており、出入りのたびにチェックが必要になる。

 中央都市の住民の中でもさらに選ばれたものしか立ち入ることを許されない。


 そんな場所にずけずけと顔パスで踏み入ったパンク野郎とひらひら美少女のコンビは、その足で隣接した巨大な倉庫らしき建物へと入っていった。


 ――対異界来訪体戦略攻略部隊『魔女狩りの夜』。その本部である。

 物騒な名前のわりに所属しているのは大半が魔女とその契約者。他に一般的な魔導骸殻デッドリークラストも所属しているが、ほぼ下っ端として扱われているのが現状である。


「おぉぉぉい! クソ戻ったぜ!! 博士プロフェッサーァ! どこにいやがる!?」


 魔導骸殻を収めることのできる広大な建物にレイの怒声が響き渡る。間もなく面倒そうな足音が聞こえてきた。


「怒鳴らなくとも聞こえているよ、レイ。ずいぶんと威勢がいいじゃないか、もちろん任務は成功したんだろうね?」


 声の主は『博士プロフェッサー』と呼ばれている老齢の女性だった。

 同じ組織のものですら本名も何も知らない。ただ魔女の開発主任としてのみ知られている。


「んん? 一人なのか、フオーの馬鹿はどこをほっつき歩いてるんだい?」

「……フオーの奴はくたばった。ハイドランジア共々だ」

「なんだって? それはどういう……!」

「その前に一つ聞きたいことがある。事と次第によっちゃあアンタだってただじゃおかない」


 険しさを増す博士の問いかけを遮って、レイは踏み込んでゆく。


「フィニスってのは一体何だ? 魔女か、魔物か。いや……アレは人間の味方なのか!?」

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