第十二話 『アオと魔女の変異』


「どうしたってんだ……前にも! 同じ感じで……ッ!」


 引きずられている。同調式操縦を通じて際限なく送り込まれる欲望。


 ――食べたい。喰いたい。あれを己の内へ。


 それは飢餓感であり渇望であった。

 生物としてひどく根源的であるがゆえに、ごまかしようもなく目をそらすことすらできない。


 以前にも同様の現象に襲われたことがある。あの時と大きく違うのは、ここには遮るものがなく制止する要因がないことだ。

 ずし、とグラディオ=フィニスの巨体が一歩を踏み出す。


「でも食べる……ってどう、しろっていうんだよ」


 倒れ伏した魔物モンスターの死骸を見下ろす。

 グラディオ=フィニスにはもなければ臓腑もない。食べるなどという生命的行為とは縁のない戦闘兵器のはずだ。

 疑問を覚えつつも同時にアオは理解していた。答えは既に同調の向こうから送り込まれている。


「……魔剣起動アクティベート準備レディ


 フィニスの頭部、後ろに伸びた部位がたわんだ。

 それは尻尾のようでありまた触腕のようでもある。自在に動くそれを振り回し、先端が死骸を睨む。


 既に何をすべきかはわかっていた。直前まで知らなかった詠唱がアオの口をついて湧きだす。


「第三種封印兵装、解呪許可。『魔剣デバウアー』――抜刃」


 先端部が開く。内部から突き出るのはひとふりの刃――透き通った刀身を持ち複雑な文様が施された、美しさの中にどこか禍々まがまがしさを含む剣。


 唸りを上げて振り上げられた切っ先が突き出される。剣が魔物の死骸を貫いた瞬間、アオは洪水に飲み込まれた。

 魔剣デバウアーを伝わって送り込まれてくる情報の濁流。

 それは魔物に変じた存在のみがもつ特別な情報。織り込まれた魔の存在だ。


「異界の……法則。これが魔法則……なの……か」


 せきを立てることすらできず、ただ異質な情報に身をさらすしかない。

 同時にアオは、機体カラダのどこかが確実に変質したことを理解していた――。



 どれくらいそうしていただろうか。気付けば足元にあったはずの魔物の死骸は影も形もなくなっていた。

 魔剣デバウアーは既に収められ、後頭部は元の装甲状態へと戻っている。


「いったいなんだったんだよ、さっきのは……」


 ――わからない。私の……。私が、やったの?


 同調接続を通じて伝わる戸惑い。フィニス自身すら先ほどの現象を理解していない。

 アオはこわごわと手足を動かした。先ほどまでのような強い衝動もなく思った通りに動く。


「たぶん敵を倒したからだと思うけど……さっきまでの飢えが嘘みたいになくなってら」


 機体の状態コンディションは正常。むしろ戦う前よりもこころなしか身体が軽く感じる。

 しばしその場で動いていたアオはふと違和感を覚えて腕を見た。


「うわっ! なんだよこれぇ」


 機体の手甲から鋭く長く爪が突き出しているのを目にする。間違いなく先ほどまではなかったものだ。

 考えるまでもなく気付いた。この爪はさっき戦った新種の爪に近いものだと。


「つまり魔物をってのは……奴の力を取り込んだってことかよ。なぁフィニス、これも君たち魔女の力なのか?」


 ――いいえ。そんなの知らない……他の魔女がこんなことをしているなんて見たことも聞いたこともない。多分これは……。


 混乱を抜けて感情が塗りつぶされてゆく。


 ――私だけの特別な力。


「フィニス……?」


 魔導骸殻デッドリークラストの姿では外から見ても何も違いを見つけることはできないだろう。

 だがいまもしも魔女の姿であったならば、フィニスは花咲くような笑みを浮かべていたのかもしれない。

 そんなことをアオはぼんやりと考えていた。



 くすくす、くすくす――。

 広がる大動管路に声がさざ波のように広がる。


 音の源にその女性はいた。

 魔物うごめき瘴気満ちる異界来訪体ヴィジターの内部において、まるで無頓着に優雅ですらある様子で佇む人影。

 長い髪がうねりを帯びて広がり口元は深く笑みの形に歪む。


「すごい、すごぉい、魔物を食べちゃうなんて。捕食と吸収、同化。それがあなたの能力なのね」


 薄く満ちた闇の向こうを見通し、女性は小首を傾げる。


「駒どもは美味しかったかしら。気に入ってもらえたなら嬉しいのだけど」


 視線の先ではグラディオ=フィニスがゆっくりと立ち上がっていた。


「同じ匂いがするわ、あなた。全ての始まりである異界来訪体と。そう……人はもうそれを手にしようとしているのね。忌々いまいましい魔女狩りの夜。あなたたちの仕業なのでしょう?」


 瞬くほどの間、彼女の表情に渦巻く激情が混じる。だがすぐに元の笑みへと戻った。


「ダァメ、私が先につまみ食いしちゃう。さぁ名も知らぬ、どうかお話ししましょう……」


 ころころと鈴を転がすような笑い声が異界来訪体の奥底に響く。

 それを聞くものはおらず――。



「っらぁぁぁぁッ!!」


 手甲を構えると収納されていた爪が展開する。

 牙を剥き出しに噛みついてきた巨大な魔物を迎え討ち喉元を切り裂く。魔物の咆哮ほうこうが水混じりに濁り、もがき苦しみだした。

 その隙にグラディオ=フィニスがジャンプ。振り下ろした爪で残った首を一撃で斬り飛ばした。


「すっげぇな! 爪剣を手に入れてから絶好調だ!」


 ――攻撃手段があるだけで戦い方が広がる。


 ごぶごぶと血を噴きだし魔物の巨体が地に沈む。

 流れた血液が異界来訪体の表面に染み込んでゆく。まるで飲み干すかのようにあふれた血が消えていった。


「そういえばさ。同じように倒してもこいつらは食べたくならないんだな」


 飢餓感を覚え魔物をのはこないだの一度きりだ。

 以来、魔物は簡単に倒せるようになったものの飢餓感は覚えない。


 ――今の私から見ると、こいつらは弱いからかもしれない。


「はは、強い奴しか食わねーってか~。すっげぇ斬新な食わず嫌いだ」


 一度魔物を食べることで、フィニスは劇的な強化を果たした。ならばより強くなるための方法は明らかである。


「もっと強い奴を探さないとか。だったらもう階を下りるしかないわな」


 グラディオ=フィニスの巨体が歩き出す。大動管路アルテリアをくぐりさらに深い階層へと。

 降り立った瞬間、ごく当然の警戒で周囲を探った。


「フィニス、感覚器センサーは最大で。まずは魔物の居場所を探して……」


 ――待って。ここはおかしい。


 同調式接続を通じて伝わってきた戸惑いにアオも眉根を寄せた。

 感覚器に集中してすぐのこと。それほどまでに異常が近しいのかというと間違いでもない。


 ――そんな馬鹿なことが。ここには瘴気が……。


「! フィニス、人影がある! こんなところに回収者スカベンジャーがいるって……」


 時を同じくして、アオもまた異常を発見していた。

 視界の中にぽつりと佇む人影。明らかに人間らしい輪郭をなぞって、ふとアオは疑問を抱いた。


 姿をしている――魔装殻マギアクラストではない!


「バッ……カな!? おいあいつ、だぞ!! こんな瘴気の真っただ中で!?」


 事実に気付いた瞬間、思わず強く一歩を踏み出してしまった。

 彼の生きる常識からあまりにもかけ離れた光景。瘴気に満ちているはずの異界来訪体に生身の人間が存在できるはずがない。


 ――違う、契約者コンストラクトゥス。ここには瘴気が……ない。


 一瞬、フィニスが何を言っているのか理解できなかった。

 あって当たり前のものがない。回収者として培ってきたアオの常識が悲鳴を上げる。

 しかし目の前の光景は確かに彼女の言葉が事実であると示していた。


「周りを警戒してくれ。話を……聞いてみよう」


 ――私も見張っているけど油断はしないで。


「油断なんてできる気がしねーよなぁこの状況」


 そのまま立ち尽くしているわけにもいかない。意図してゆっくりと進みつつ人影に向かって話しかけた。


「やぁこんちわっ。同業者さんよ、ずいぶん深いところで出会ったもんだな!」


 近づくにつれて人影の詳細が明らかになってゆく。

 長く伸びた髪がうねりを描いて広がり。明らかに場違いも甚だしい、夜会にでも出ようかというドレスを身にまとった女性。


 ――この人、正気?


「同意見。回収者ってのは変わり者が多いもんだけどこいつは極めつけだ」


 ここまでくると異界来訪体どころか街中ですら異常極まりない勢いである。

 彼女はずしずしと近づいて来る魔導骸殻の巨体を見上げ、おっとりと首を傾げた。


「こんにちは。素敵な魔導骸殻ね」

「そりゃ嬉しい。ところでどうだい。せっかくこんな地の底で会ったんだ、ひとつ情報交換といかないか? できれば是非、生身でいられる理由を教えて欲しいんだけどさ」

「ええ構いませんわ。ですがそのように魔導骸殻に乗ったままではお話ししにくくて。降りて、顔を合わせてお話ししませんか? 見てのとおりここには危険などありませんから」

「……異界来訪体の中で聞く言葉としちゃあ最高に狂ってるぜそれ」


 目の前の彼女の姿を見てなお信じがたい。嫣然えんぜんと微笑んでいる様子がただただ不気味に映る。


「ふふ、そうですね。では少しだけ。異界来訪体の中には時折、このように瘴気もなく魔物もいない空間があるのです。我々大深度に潜る回収者はこのような場所をオアシスと呼んでいますわ」

「オアシス……?」

「古の楽園を指す言葉だとか」


 果たして異界来訪体の中にあって瘴気がない場所は楽園足りうるのか。


 ――そんなことがあるの?


「いいや。深く潜る連中はそれなりに知ってるが初めて聞いた」


 いくら知り合いだからとて情報を隠されることはある。知識は回収者の武器そのものだからだ。

 だがこれほど大規模な現象をまったく聞かないなどということがあるだろうか。噂好きの門番が知れば次の日には街中の誰しもが知っていそうなネタなのに。


 フィニスが首を巡らせ、女性を見下ろす。巨体から視線を浴びた彼女は困ったように微笑んだ。


「よし、降りてみる」


 悩んだ末にアオが決意すると、同調の向こうからは難色が返ってきた。

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