第十一話 『アオと魔女の勝利と飢え』


 どこからか重く唸るような音が響いてくる。

 動き回る魔物モンスターの立てる音だとか、異界来訪体ヴィジターそれ自体が音を立てているのだとか諸説あるが、ともかくこの場所にまったくの静寂はない。

 アオとフィニスは第五階層へと踏み入っていた。


「あいつの名はホーンドベア。皮膚が強靭でチャチい攻撃は通らねぇし、全身これ筋肉で魔装殻マギアクラスト殺しの強敵として恐れられている奴で……」

「わかった。硬いのね」


 止める暇もあらばこそ、フィニスは無造作に飛び出してゆくとあっという間に魔物を殴り倒した。凶悪な面構えの熊っぽい魔物が豪快に宙を舞う。


「確かに筋が多くて硬そうな肉ね」

「えっー……っと」


 彼らの足取りは第十五層を数える。


「あいつの名はディゾルブテンタクラム。動きの素早さも厄介だけど、何よりあの足の先から発射する溶解液が脅威なんだ。近寄りづらくて苦労する強敵で……」

「わかった。溶解液に気を付ければいいのね」


 もう諦めたアオが見送る中、フィニスは無造作に魔物へと近寄ってゆく。

 ディゾルブテンタクラムが溶解液を発射するや一気に駆けだし攻撃をかいくぐり、一瞬の間に蜘蛛のような細長い脚を全て叩き折った。


「動きが鈍くてやりやすかった」

「おう……」


 ここまでアオとオーガレイダーはろくろく何もしていない。

 出がけにカンクロに道案内と説明したが、今のところその表現は実に正確であった。


契約者コンストラクトゥス。この階層の魔物はどんなもの?」

「あーっと……」


 振り返ったゴーグル越しにフィニスの瞳が問いかける。

 ラナと一緒に行動していた時は彼が質問をする立場だった。知りうる限りの知識を探り答える。


「ここはさっきまでと変わりないよ。しっかしフィニスは強いんだな。これなら俺が案内する必要もなかったかもしれねーくらい」

「そんなことはない。あらかじめ敵の情報がわかっているのといないのとでは、危険性が大きく変わる」


 乾いた笑いを返しておく。

 アオの回収者スカベンジャーとしての経験から言えば、説明を聞いただけで何とかなるというのは十分に異常の範疇はんちゅうにあるのだから。

 思いが顔に出ていたのだろう。フィニスが珍しく目を細めた。


「私は魔女、魔装殻としても特別製よ。この程度の敵で苦戦するほど落ちぶれてはいない」

「ごめん悪かったって。俺たちの常識からするとすごいことでさ。本当に魔女ってのには驚かされっぱなしだよ」


 気難しい兵器のご機嫌をとりながら、より奥の階層へと踏み入ってゆく。

 彼らの様子はまるで、世界を蝕む原因である異界来訪体を歩いているとは思えないほどお気楽で。

 ひどくいびつな姿ではあったが、それは平穏と呼ぶに足る時間だった――。



 順調に進み、到達深度は第二十層に至る。

 階層を下りるとそこには広々とした空間が広がっていた。大動管路アルテリアと呼ばれる、管路のなかでも特に巨大な場所だ。

 大きさ以外に普通の管路と違いはないが、広いがゆえに多数の魔物がたむろしていることがあり回収者からはあまり歓迎されない場所でもある。


「……ここは」


 降りるなり索敵する様子もなくただ立ち尽くすアオの姿に、フィニスが疑問を抱いた。

 警戒心から動きを止めるならわかる。だが彼はここに、魔物以外の何かを見出している様子だった。


「契約者。なにか危険?」

「ん。あっ……いや、とくには見えないよ。進もうか」


 言いつつ、アオの動きは先ほどまでに比べてもぎこちない。

 フィニスは自らの感覚器センサーを使って周囲を探った。何かしら彼の行動に影響する原因があるはずだ。


 果たしては見つかった。

 壁から突き出た魔黄鉱アルカヘストの鉱脈。その周辺にわだかまる、特に魔素の濃い領域。

 強力な魔物の死骸が分解された時に起こる現象だ。


「ここで戦いがあったのね」

「……ッ!?」


 バネ仕掛けのような勢いでアオが振り返った。

 目を見開き、表情に強い緊張が浮かぶ。魔物が死んだ跡と、傷を負ったアオ。そこにつながりを探すのは難しくない。


の姿が見えたの?」

「……それ、は」

「多分、あの部屋に住んでいた誰か」


 呼吸が止まる。やがてアオは観念したように深く息を吐いた。


「気付いていたんだな」

「もう一人誰かがいたのでしょう、という程度には。恋人だったの?」

「いいや、妹だ。この世でたった一人の肉親。一緒に回収者をやってたんだ。……それで、この場所で俺の手足と一緒に居なくなっちまった」


 ずっと二人でやってきた。無邪気な当たり前はたった一度のハズレを引いた瞬間、破滅となって襲い掛かってきた。

 あの時死にぞこなったアオは漂って彷徨さまよって再びこの場所へと踏み入っている。


 フィニスはじっと彼の横顔を眺めていたが、ふと口を開いた。


「そう。もしかして、私は彼女の代わり?」


 アオは慌てて振り返り、だが言葉に詰まる。

 即座に否定できるほど間違ってはいない。かといって認めてしまえるほどに正しくもない。


「別にそれでも構わない、契約者あなたがそう望むなら。そのものにはなれないけれど、代わりくらいなら……」

「いいや! 違う。違うんだやっぱり。それじゃあ……ダメなんだ」


 だからこそ。ラナと同じ姿をした彼女をそう扱ってしまうのは違う。


「君は……新しい一歩の理由だから。留まるための理由なんかじゃない」


 さもないとアオはいつまでもこの場所で死にぞこなったまま、腐り落ちるのを待つしかなくなる。それが我慢できないだけ。


「行こうぜフィニス。君が望むところまで、もう少しだ」


 本当に振り切ってしまえたのか、それはアオ本人にもわからない。

 だが彼は少なくとも今だけは前に進むことを決意したのである。



 第二十五層を超える。


「思えば深くまで来たもんだなー。フィニス、このあたりからは魔物が大型化してくるんだ」

「そう。じゃあやっと目的地までついたのね」


 こころなしフィニスの口元がほころんでいる気がする。

 彼女は大型の魔物との戦闘経験を積むことを目的に異界来訪体へと潜ってきた。大型の魔物こそ望むところだ。


「よし。こんさきは待つよりも探したほうが早いな」

「わかった。契約者、解呪をお願い」

「おうさ。えーと。契約により第二種封印の解呪を認める……だったっけ?」

「契約者による解呪コードを受諾……命令実行。第二種封印骸装の展開を開始――」


 光が収まれば、アオは久方ぶりに魔導骸殻となったグラディオ=フィニスの操縦席にいた。

 同調式操縦による接続は終わり、巨体が自分の身体も同然に動く。


「なんだか前よりも身体が軽い気がするんだけど」


 ――ここまで瘴気から魔素を補給していたから。今回は存分に力を使える。


 チリ、と魔法汚染を受けた肩がうずいた気がした。

 人間が魔素にさらされれば汚染によって魔物化してしまう。さすがは魔女といったところか。


「はは。それじゃあいっちょ周囲を探しますかね」


 魔導骸殻であるグラディオ=フィニスは強力な感覚器センサーを備えている。

 感覚を集中すると、周囲の情報が脳裏に浮かび上がってきた。オーガレイダーの持つ感覚器とは精度も範囲も桁違いだ。

 アオは次々と浮かび上がる情報を必死に見分け、目的のものを拾い上げた。


「魔導骸殻で小物を狙っても仕方ないよな。いい素材採れそうだけど、仕方ない! さて大物はどこですかーっと」


 大動管路にはそれだけ大きな魔物が住まう。見つけ出すまでにさほどの時間は必要なかった。


「あーこれ。多分一匹だけで動いているっぽい魔物がいるぜ」


 ――行きましょう、契約者。私は自らを鍛えるためにここまで来た。


「了解だ! 出会い頭に一発かましてやっか!」


 この深度に住まう魔物のことはアオも詳しくない。いつもならば未知の魔物との遭遇は慎重に進めていただろう。

 だが彼は今、魔導骸殻を操っている。多少のことは何とでもなると強気で飛び出した。

 しかし魔物の姿を確かめた瞬間、アオは緊張に身を強張らせることになる。


「おいおいまたお前かよ、新種! 本当に増えたんだな……!」


 人間に近いスマートな姿に長大な爪が突き出た両腕、その姿はいつまでも記憶から消えてはくれない。

 さてどうするか。前回の苦戦が思い起こされる。


 ――戦いましょう。私は……これを圧倒できるようになりたい。


 迷いの前に、フィニスの冷たい意志が伝わってきた。

 ふっと笑みが漏れた。彼女が望むのならばとるべき選択肢などひとつだ。


「他に目立った魔物の気配はねー。タイマンならやれっさ!」


 決めたならば即座に動く。ここから先は相手の命を仕留めるためだけに行動する。

 新種の魔物はもとより戦う気で満ちていた。魔物はあらゆる生命を憎んでいるかの如く襲ってくるものだ。


「一番怖えのは爪! あとはどうとでもなる!」


 魔物が鋭い爪を突き出す。致命的な攻撃、しかしアオたちもいなし方に慣れてきた。

 いける、そんな手ごたえに気が緩んだのか。死角から襲い掛かってきた尻尾がグラディオ=フィニスの腹にめり込む。


「……っなくそ!!」


 痛みはほとんどないが、それでも息の詰まるような衝撃があった。

 ひるんだら押し込まれる。だったら歯を食いしばれ。

 フィニスに護られているアオの身体は傷ついていない、所詮はフィードバックだけのこと。耐えられない理由などない。


 魔物が体を回転させながら爪を振るう。遠心力が乗った一撃が腹をえぐらんと迫り。


「っらぁッ!!」


 アオは雄たけびを上げて踏み出す。爪を殴り進路をそらし、空いた腕をからませて。

 魔物と腕を組むような姿勢のままタックルを叩き込む。巨大兵器と巨大な魔物がもつれ合うように倒れこんでいった。


「自慢の爪で死にやがれ!!」


 抱えたままの魔物の腕に体重をかける。巨獣の膂力りょりょくも巨体の重量には抗いきれない。

 魔物の腕から突き出た爪が、そのまま魔物へと向かい――。


 大重量が地面を揺るがす。やがてゆっくりとグラディオ=フィニスが立ち上がった。

 斃れたままの魔物は自らの爪を胸に深々と埋めている。魔法に侵され変質した魔物とて心の臓があることに変わりはない。


 アオが吐息を漏らす代わりに、フィニスが熱い排気を漏らした。


「……どうよ。けっこうやれてっしょ?」


 ――まだ一対一でないと危険ね。いずれは複数相手でも戦えるようになりたいけど。


「さ、さすがにいてはなんとやらかも……がっ」


 軽口を返した、瞬間のことだった。

 強烈な衝動が湧き上がる。喉は一瞬で干上がり、胃の腑が弾けそうに熱くなる。抑えきれない欲望に突き動かされる。

 いったいなんだ。なにが、どこから。かろうじて覚えた疑問を解決したのは同調部を通じて伝わってきた言葉。


 ――食べたい。


 グラディオ=フィニスの巨体がぞろりと動き出した。

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