第十話 『門番の疑い』
「あっちゃー。そういえばこれがあるのを忘れていたぜ……」
フィニスと一緒に建物の陰から様子を窺う。
彼らが見つめる先にあるのは人が流れる街の出入り口、関所。
「……カンクロのじいさんに見つかったら、噂になるどころか街から出してもらえねぇかもしんね」
名物門番の姿を思い出して、アオは頭を抱え込んだ。
先日死にかけたばかりのアオと見た目はただの少女でしかないフィニスが二人で関所を越えようとしても、すんなり通してもらえるとは思えない。
それどころかあらぬ噂が駆け巡り、それはフィニスの居場所を追手に伝えること請け合いである。
「ここはフィニスにも
かくなる上は壁を越えて密出場するか。
しかし常に人の目を気にして行わねばならない以上、一度ならばまだしも毎日繰り返すのはリスクが大きすぎる。
ではいっそのことリングアの街を捨てるか? 軽々しくやることではないだろう。入念な準備が必要である――。
ああでもないこうでもないと唸るアオの腕がくいくいと引っ張られた。
フィニスが常の無表情で問いかける。
「私も魔装殻を用意すればいいのね?」
「あ、ああ。そうなんだけどさ。君の姿を隠したいし、他にも
「わかった。ついてきて」
ひととおりの説明を聞いたフィニスは、迷いなく街の裏通りへと進んでいった。首を傾げつつアオが続く。
周囲に一目がないことを確認して。
「第一種封印骸装、自己解呪開始」
突然、フィニスの周囲の空間がぐにゃりと歪んだ。
彼女の内から
数瞬きの後には、フィニスの身体は魔装殻によって覆われていた。
オーガレイダー越しにぽかんとしたアオの間抜け面が見える。
「完了。これで問題ない?」
「
両腕がそろっていたなら大拍手をしていたのではないか。そんなはしゃぎように、むしろフィニスが戸惑っていた。
「……ん、あれ? でも装備を出す時って
「これは本体である魔導骸殻と違って、あくまでも護身用みたいなもの。だから私だけで解呪できるようになっている」
「へぇー」
魔女というのもなかなか大変なものらしい。やたら感心しているアオはさておいて。
「悩みがなくなったのなら、早く
言い残すやすたすたと歩いてゆくフィニスの背を、アオは慌てて追いかけた。
◆
「おいおいアオ坊……そのナリはどういうことだよ。冗談にしたって面白くないぜ?」
ごく当然のことながら、リングアを出ようとしたアオたちの前には門番のカンクロが立ちはだかっていた。
片腕のオーガレイダーなど目立つなというほうが無理だ。
「じいさん、違うんだ。さすがに俺もこの身体で仕事をしようとは思わないって」
「魔装殻引っ張り出して、そいつは通らねぇだろ」
「だから俺の仕事は案内さ。戦うことは出来ねぇけど知識は売れる。そういうこと、な?」
後ろにいるフィニスを示して見せる。
見覚えのない魔装殻を
「……おめぇがそうする、できるってのなら……わかった。なぁアオ坊、無理はするなよ。今のお前じゃあスラッシャーにすら勝てねぇだろ?」
「はは、痛てーとこを。んだがそんな敵に引っかかるようじゃあ案内は務まらねーって。じいさん心配してくれてありがとな!」
カンクロは異様に渋い表情を見せていたが、最終的には折れた。彼に歩き出した回収者を思いとどまらせる力などない。
ただ無理はしないよう何度も念を押されながら門をくぐったのであった。
「街を出るために、いつもこんな苦労をしているの?」
「まさか。つい先日までは元気だったから、ちょっと話して終わりだったさ」
ちょっとだけ立派な
世界がどれほど危険に満ちていても寝床くらいは壁で囲っておかねば安心できない。幸いにも材料は周囲に山ほどある。なぜなら壁の外には、崩れて滅んだ街並みがずっと続いているのだから。
何度も目にしてきた
ザクザクと瓦礫を踏み砕く音だけが響いた。そこに文明と呼べるものはない。かつてはあったのだろう。
やがて街の残骸が尽き、異界来訪体の威容が視界を埋める。
「ああ、またここに来たんだな」
アオは感慨深げに見上げ、残った拳を握りこんだ。
手足を失い、理由を失いもう来ることはないだろうと思っていた場所。
彼はかつて、ここで全てを失った。幸運にも再びつかむことのできた今を守りぬけるかは彼次第である。
隣ではフィニスが深く息を吸い込んでいた。
ここは異界来訪体の目前。内部からは常に風が吹き出している。瘴気を湛えた不浄な大気だ。
来訪迷宮のごく付近には苔すら生えていない不毛の大地が広がっているのだから、それが無害であるはずなどなかった。
だというのに彼女はむしろ気分爽快といった雰囲気だ。
「世界を
繊維質の構造材を踏みしめ、二人は異界来訪体の内部へと進む。
アオにとっては何年にもわたって通ってきた馴染み深い場所のはず。だが彼が抱く感想はそれとは真逆であった。
「こんなに……緊張するものかね」
しょっちゅう歩いていたはずの道が今はひどく凶悪に見える。
周囲に気を配りながらの動きは、しかし颯爽と歩きだしたフィニスに追い抜かされた。
「契約者、入口ではまだ魔素が薄くて調子が出ない。早く奥へと進みましょう」
「ちょ、ちょっと待った。ここはまだ浅い階層だけど、そこかしこに
「大丈夫、特に問題はない。私に任せてちょうだい」
フィニスは気にした様子もなく、ずかずかと進んでゆく。まるで散歩でもするような気軽さだ。
ここは異界来訪体の中。普く命の敵たる魔物の巣窟だというのに。
「ちょ、ちょーっと気軽な感じだけどさ!? 何か自信とかあるっけ」
アオの索敵能力ではとても賄いきれない。根拠もなく進んでいるのならば止めようかと考えていたが。
「思い出してちょうだい。私たち魔女はいわば人の手で生み出された魔物。本体は魔導骸殻よ。そのへんの雑魚は気配を恐れて近寄ってもこない」
「マジかよ。すげぇ……」
回収者の苦労とはいったい何だったのか。どうやら魔女と人間では見えている世界そのものが異なるようだ。
「なるべく私が先行する。
「はは、やべぇな。足手まといにならねーようにしたいけど、こりゃあお願いしたほうがいいなぁ」
魔装殻状態のフィニスが先に立ちアオが続く。
――まただ。
無造作に奥を目指すフィニスの背中を眺め、かつてとのあまりの違いに微笑を浮かべた。
姿は似ていても彼女たちはこうも違う存在なのだ。
瘴気漂う異界来訪体のただなかで、しかしアオは心安らぐものを感じていた。
◆
――酒場。
人の生きるところ普く街に不可欠なこの店は、おそらく人類という種が滅びるその時まで傍らにあり続けることだろう。
「……へぇ! そいつぁずいぶん大怪我だってのに今は羽振りがいいのかい。妙なこともあったもんだ」
「へへ、前の相棒がおっ死んじまってよ。だってのにさらっと腕利きに案内として雇われたってぇ話よ!」
レイ・ディエンが大げさに
既に脳みそは酒精に侵されきって警戒心などというものははるか彼方にある。そうでなくとも酒をおごってくれたレイへの警戒など元よりないに等しかったが。
「いまのあいつぁ腕なし足なしなんだぜ? いくら魔装殻があっても満足に戦えるわけがねぇ。上手くやったもんだ、本当によ」
「ほほう。怪我ってのは腕や足がねぇと、そりゃ大変そうだ。いや面白い話だった。ありがとよ、こいつは礼だ」
さらになみなみと酒を注いでよこせば、男の表情はこれ以上なく緩んでゆく。
「いへへへ、いやぁ悪いなぁあんちゃん。ん……ぷはぁ! やっぱこいつは手放せねぇな!!」
だらしなく酒を
騒がしい酒場で彼の行動に注目する者など誰もいない。
情報は十分に集まった。回収者は常に話題に飢えている。少しでも目立つ真似をすれば見つけ出すのは難しくない。
夜気に身体を
「あ、レイ! おっかえりー!」
「おっとディエンの旦那。収穫はありましたかねぇ」
そうして部屋に待つ顔ぶれに、思わず頭を抱えた。
「……おいおい。アイリスには残れっつったけどよ、お前は何だフオー? てめぇも探すために来たんだろうがよ!」
「旦那であれば必ずや見つけ出してくるだろうと。そう、信頼していたのですよ。ならば二度手間は省かなくてはね?」
もはや怒りを覚えるのすら億劫である。
「チッ。聞けよ、それらしい奴の話があった。博士から聞いた特徴ともぴったりと合う。まず間違いなく当たりだ」
やはり任せて正解だったと、露骨なフオーの態度に顔をしかめる。
あまりにも役立たずであれば捨てていこうか、レイは真剣に悩み始めた自分を感じつつあった。
「しかしフィニス、べつに回収者の真似事などしなくとも異界来訪体に向かえるはず。いったい何が目的なのだかねぇ」
「あらぁ、いいじゃない? そんなの浪漫よ、浪漫!」
「馬鹿馬鹿しい。魔女なんぞに浪漫が必要かい? ハイドランジア」
「いいえ、マスター。私たちに必要なのは力のみです」
「つまんないし~。ハイドランジアかたーい」
ハイドランジアは目を伏せる。脳裏に浮かぶのは一人の少女。
「私どもは兵器。フィニスもそれゆえに力を求めているのでしょう」
話を遮って、レイがことさら乱暴に椅子に身を投げ出した。机の上に足を叩きつけサングラス越しに周囲を睨みつける。
「理由だぁ? んなもん後で本人から聞けばいい。とかく回収者の真似をするってのなら目的は骸装を使うつもりなんだろ。行って押さえるしかねぇ」
「はは! それはいい、とてもいいですよ。こんな腐った宿で待つよりずっといい!」
ケラケラと笑うフオー。いい加減反りの合わない男である、これで使えなければとっくの昔に叩き潰しているところだ。
面倒な仕事はさっさと片付けるに限る。明日はすぐに異界来訪体に向かおうとレイは固く心に誓ったのだった。
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