第六話 『魔女と契約者』


 騎士の魔導骸殻アイリス=クィーンクェ魔物モンスターを押し返し、サイクロップスたちの戦いに加わる。

 魔導骸殻デッドリークラストに魔物、いずれ劣らぬ巨大存在たちの激しい戦いが繰り広げられる。そのどれもが動くたびについでのように建物を破壊し、地面に大穴をあける。

 周囲への被害などまったく考えておらず、実際にそんなことを気にする余裕はない。


 巨人と魔物が戦う傍ら、横転した車両から人がはい出てくる。

 おそらくは運転手だろう男性が、年嵩としかさの婦人を担ぎ出した。それに続くようにして現れた人物を見て、アオは目を見開いた。

 ――彼女だ!

 簡素な衣服をまとった小柄な人影。絹糸のように繊細な髪が吹き荒れる爆風に弄ばれる。

 アオは束の間、傷ついた自身のことなど全て忘れて、一歩を踏み出して。


 同時、衝撃と共に突風が吹き荒れた。

 魔物の一撃によって吹っ飛ばされたサイクロップスが宙に弧を描き、車両めがけて突っ込んだのである。

 荒野仕様の頑強な車体もまさか魔導骸殻の重量に耐えるようにはできていない。

 さらに運悪く漏れ出た燃料が引火し、残骸が爆音と共に炎を噴き上げた。


「くそうッ!」


 罵声は何に向けたものか。アオはままならない身体を叱咤し歩き出す。

 炎が吹きあがり、巨人たちが相争う。誰も彼もが逃げ出す地獄のただなかへと彼は突き進んだ。

 向かう以外の選択肢など思い浮かびもしない。


 通りの建物は炎と瓦礫がれきによって彩られていた。爆風を浴びた人々が周囲に点々と倒れている。

 まるで自分が助けを求めるかのような必死さで、アオは彼女の姿を探し求めた。


「どこだ、どこだよ。頼む、無事でいてくれ……」


 やがて彼は辿りつく。

 力なく横たわった小柄な身体。もどかしげに杖を放り出し、残った腕ですがりつく。

 顔を覗き込んだ瞬間、息を呑んだ。

 ――似ている。

 兄妹としてずっと一緒に居た彼でさえ間違えてしまいそうになるほど、ラナに生き写しである。

 支える腕がわなわなと震え、気が付いた少女がゆっくりとまぶたを開いた。


 焦点の合わない視線が彼を捉える。

 言いたいことが、聞きたいことがいっぱいあったはずだ。だが彼の喉は焦りに埋め尽くされて、奇妙な音を鳴らしただけだった。

 酸欠の魚のように口を動かす彼を見て、少女の眉根がいぶかしげに寄せられてゆく。


「……あなたは誰? 職員エージェントではないようだけど」


 危ういところで叫びをかみ殺した。

 声までもがラナそのもの。狂いなく同じ音が耳に届き――だからこそ違いが恐ろしいほどはっきりと理解できる。

 理性ではなく魂が認識した。これはラナではなく別人である、そんな当然の事実を。


「おっ、俺は……」


 しおれかけた心を叱咤し、震える言葉をすくい上げる。

 最初からわかっていたことだ。彼があがいているのは、失ったからこそなのだから。


「俺は……君の、味方だ」


 だから、何も持たないアオには他の言葉は何ひとつとして思い浮かばなかった。失われた手足がうずき、くしゃりと表情を歪める。

 抱えられた少女が怪訝けげんな様子を深めるのも無理はない。


「誰だかわからないけれど、冗談はやめてちょうだい。ここは危険、あなたは早く離れて」


 凛と表情を引き締めると、少女は彼の手を振りほどきさっさと立ちあがった。

 取り残されたアオはぶらりと腕をたらし、ひざまづいたまま彼女を見上げて。

 そこには妹が見せていたような大輪の笑顔はなく、険しい表情だけがある。


「危ないのは君も同じだろ。戦いに巻き込まれる前に、一緒に……逃げよう」

「私は、私たちはここに残る。あなたにはわからないかもしれないけれど理由がある。だから……」


 そこでようやく、少女はアオの姿をしっかりと目にした。

 片腕片足を失い、いたるところに包帯が巻かれて、さらにはいびつに変じつつある――魔法汚染の兆候がはっきりと現れた身体。

 回収者スカベンジャーであることは言わずとも知れた。瘴気しょうきに接して生きる者など、他にはいない。


「その身体……あなた、どうして」

「はは。まぁちょっとしくじっちまったっていうか」


 力ない笑いに戸惑いが返る。

 そうして彼らが話していると、少し離れた場所で気を失っていた老婦人が意識を取り戻した。

 首を振って気をはっきりとさせた彼女は周囲を見回し、既に起き上がっている少女の姿を見つける。


「……『フィニス』! 何をしているの。このままじゃあレイたちの戦闘に巻き込まれる、私たちは離れるよ。まったく、本来ならばあなたが戦えればいいものを……」


 ぴしゃりとした言葉が耳に届くたびフィニスと呼ばれた少女が顔を伏せていくのに、アオは目ざとく気付いた。

 指示を重ねようとしたところで、老婦人はようやく傍らにいるアオの存在に気付く。


「何だいあなたは。逃げ遅れの回収者が?」


 立つのもようやくといったアオの様子に、すぐに興味は失われる。死にかけの回収者なぞ今この街にはたっぷりといる。


 ざくり、ざくり。老婦人が歩くほどにフィニスの表情はこわばってゆき。

 案じて声をかける前に、彼女は決然と顔を上げた。視線の先に捉えられたアオがひるむ。


「あなたはさっき、私を……助けたいと言った。あれは本当?」

「フィニスっていうんだな、君は。もちろんだ。そりゃ俺にできることは少ないだろうけど、どんなことだって……」

「もしも」


 見つめあう、フィニスの視線が異様なまでの熱を帯びてゆく。


「もしも……引き換えにあなたが死ぬとしても。それでも力になってくれる?」


 アオは束の間呆気あっけにとられ――いきなり破顔した。

 突然の狂乱に困惑するフィニスへと、魔法汚染により引きった自らの身体を示す。


「見てのとおりさ。俺はもう半分以上死んでる! たとえ残りの命を失うとしても……それで君を助けられるなら無駄じゃあないだろ!!」


 大切なものを護ることもできず、無為無残に生き残ってしまった男に廻ってきた、二度目にして最後の機会チャンス

 もとより掴み損ねたうえで生き残るつもりなどない。今のアオに躊躇っている余裕などない。

 フィニスはじっと彼を見つめた。瞳の奥にあるものが真実なのかを見通すように。


 果たして願いは聞き届けられる。


「……わかった。私はあなたを信じる、だからあなたも私を信じて」

「約束する。回収者スカベンジャーは相棒の言葉を疑わない。疑ったら、死ぬだけだ」


 アオは疑わない。迷わない。次は共に死ぬために、今再び約束は交わされる。


「お待ちなさい。あなたたち、何をやって……?」


 さすがに不審を抱いた老婦人がいぶかし気に首をかしげる。だが続く言葉は激しい振動によって遮られた。


 大地を揺らす轟音。大重量が地を叩き土煙を巻き上げる。倒れたサイクロップスを追って魔物がやって来たのだ。

 逃げ遅れた哀れな人間たちを砂まみれの突風が飲み込んでゆく。


「早く! 手を出して!」


 かろうじて伸ばした傷だらけの左手を、フィニスのほっそりとした指が掴んだ。

 混乱と破壊が吹き荒れる中、瞬間全ての音が消える。伝わってくるのは相手の鼓動。命が刻む音が重なってゆく。


 埃を払い、咳込んでいた老婦人が二人の様子に気付いて目をいた。


「フィニス! あなたまさか……止めなさい! 自分が何をやっているか、わかっているのかい!」


 もはや魔物のことすら眼中になく。血眼ちまなこになって駆け寄るが、その前にフィニスが動いた。

 ふらつくアオとの距離を詰め、状況を理解していない彼が反応する前に顔を寄せ。

 妹と同じ顔で、まったく違う表情で、唇を重ねた。


 口内に生暖かい何かが差し込まれたと気付いた直後、チクりとした痛みを覚えて思わず顔を離す。

 フィニスは何の感傷もない表情で。ただ、引っ込んでゆく舌の先が奇妙に尖っているのだけが、何故かはっきりと目に止まった。


「私の『契約者コンストラクトゥス』。あなたの名前を聞かせて」

「俺は、アオ、だ……何を」

「……アオ。ここに契約は交わされた。これから私たちは一つとなる。死によって別たれるまで……」


 アオが目を白黒させている間に、老婦人が絶叫する。


「どうして……そんな死にかけを! 正規の契約者ではないのよ!? いくら保つかもわからないだろうに!」

「そうね。ごめんなさい博士プロフェッサー。でも私は、何もできないままの私でいることに耐えられない。私は……私の意思で戦わせてもらう」

「この馬鹿者がっ……!?」


 伸ばした手は届かず。運命は踏み出してゆく。


「契約は満たされた。解呪開始、第二種封印骸装を展開……」


 全てを遮り、激しい風が巻き起こる。

 博士と呼ばれた老婦人は吹き付ける風から身を守ってうずくまり、魔物は異常事態を警戒する。


 吹き荒れる風の中心に、アオはいた。

 視界は真っ白な光に覆われたまま。つないだ指の感触だけが、彼のよりどころだ。


「フィニス……ッ。何が、どうなって……」


 光の先にいる、ぼんやりとしたフィニスの輪郭が歪んで

 それはアオを包むように伸びてゆき。やがてやんわりとした感触が、全身を押さえつけた。


 柔らかく全身が拘束されている。首筋から背中にかけてひんやりとした何かが添えられると、体内にしみこむような感覚が広がっていった。

 ひどくなじみ深い感触。まるで魔装殻マギアクラストを装着したときと同じ――。


 そう気付くと同時、彼は接続した。


 光に埋め尽くされていた視界が一気に色を取り戻す。

 目の前に広がる街の様子。だがおかしい。眼下にあるのは建物の屋根――ただの人間であるアオが、こんなにも背が高いはずがない。

 そうして彼は気付いた。


「……まさか、魔導骸殻!? フィニス! これが……君の力なのかよ!?」


 ――そう。あなたは今、魔導骸殻わたしに乗っている。魔物とも対等に戦えるはず。今は余計なことを考えないで、そこだけに集中して。


 それは音として聞こえたのではなく、思念として伝わってきた。

 あらゆることが不可解な状況。フィニスはいったい何をしたのか。何故、魔導骸殻に乗っているのか。

 何一つとしてはっきりとしたものはない――だが、それがどうしたというのだろうか。

 そんなことアオにとっては些末事だ。彼は約束したのである。いかなる状況に直面しても彼女を信じ、力になると。


「ははっ、はははっ!! そっか……そうだな。わかった任せろ。前で戦うのは……俺の得意なんでな!!」


 渦巻く風を断ち割って、白き巨人が顕現する。

 それは魔導骸殻としては奇妙な姿をしていた。あまりにも人間に近しい形状、外から見たのでは武器すら見て取れない。

 ただ頭部から後ろに伸びる、装甲とも尾ともつかぬ部位だけがやたらと目立っていた。


 アオの意識が白い魔導骸殻と重なる。

 軽く動きを確かめると、躯体は彼の思った通りに動いた。操縦法は魔装殻と大差ない、戸惑うこともない。


 あれほど脅威であった魔物と並ぶ力がこの手にある。しかも戦うのはあくまで魔導骸殻である以上、アオが死にかけていることすら問題ない。

 歓喜が湧きおこってくる。望んでいたものがここにある。威嚇の咆哮ほうこうをあげる魔物へと向き直り。


「いこう、フィニス。ちょうどアイツには、傷の借りを返さないといけなくってさ!」


 ――ええ、共にいきましょう。私の契約者。


 白い魔導骸殻は徒手空拳を構えると、世界に向かって挑みかかるように駆けだす。

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