第五話 『回収者と魔物』
最愛の妹も、自らの身体も失って。
何も残っていない空っぽのアオへと、街のざわめきが漂うままに流れ込んできた。
――また一人食われたらしいな。
――新種か。図体がでかくて、
――誰か倒してきてくんねぇかね。
――行政府が何かやってるらしいがてこずってるらしいぜぇ。
――威張り散らしてる割にしょっぺぇ奴らだぜ。
――いつまで続くんだろうなぁ。
運の悪いやつは魔物の
やはり回収者なんてそんなものらしい。傍らの空白を思えば、彼が回収者へと戻る可能性はなきに等しい。
全ては終わりを告げて、もう自分とは関わりがなくなった。
まどろむような
回収者としての暮らしの中ではまず聞くことのなかった音。
骨董品が奏でる爆音――内燃機関の駆動音!
「……まさか!」
アオは弾かれたように顔を上げた。記憶に新しい音があの日の情景へとつながる。
喪失に満ちた記憶の中にある出来事。車に乗っていたのは――誰だ?
「どこから……!? 近い。壁のすぐ、外か……!」
かすかに灯った熱が彼の中で出口を求めて暴れる。力の入らない手足が煩わしい、自らを
にわかにざわめきを増した街中で必死に耳を澄ます。壁の外から響く駆動音は、今もだんだんと聞き取りやすくなってゆき――。
慌てて振り向いた、アオの目前で関所が吹き飛んだ。
◆
前線都市リングアを囲む壁、関所をぶち抜いて巨大な物体が街中に突っ込む。
人間の六倍近い大きさを持つ異形のヒトガタ。
顔の真ん中にはぽっかりと空いた一つ目、上半身がやたらと肥大化した
戦闘用として申し分ないパワーと莫大なウェイトを持つ機体が、まるで蹴飛ばされた石ころのように転がってゆく。
破壊をまき散らしながら通りに並んだ建物に突っ込んだところでようやく停止した。
「で、
随分と風通しの良くなった関所からほうほうのていで逃げ出しながら、カンクロが悲痛な叫びをあげる。
異常極まる状況を把握しようと、壁の外を眺めて。即座に回れ右をすると恥も外聞もなく全力で駆けだした。
すぐに土煙を巻き上げて、何者かが現れる。
悠々と門の残骸をまたいできたもの。その姿は回収者でなくとも見間違えるはずがない。それは
「こんなところに
叫びはすぐに悲鳴へと変じた。魔物が動き出したのだ。
鋭い雄たけびを上げると、崩れかけた建物を支えによろよろと立ち上がっていたサイクロップスへと猛然と襲い掛かる。
魔物の手には鋭い爪が備わっている。
起き上がったサイクロップスの装甲には無数の切り傷が刻まれ、ここに至るまでの戦いの激しさを思い起こさせた。
明らかに追い込まれながら、サイクロップスに
重い一撃をかいくぐって魔物の爪が迫る。サイクロップスはそれを装甲の厚いところで受け流し、さらに懐へともぐりこんだ。
拳を頑強な手甲が覆う。無防備な魔物の腹部を狙った一撃。
しかし影より迫っていた魔物の尻尾が腕を縛り上げた。互いの筋肉がミシミシと音を上げて拮抗する。
「頼むぜ一つ目さんよ。お前だけが頼りなんだからな!」
運悪く通りにいた住民たちとともに、カンクロは物陰で祈りを捧げる。
彼らにできることは災厄が過ぎるのを待つことだけ。神の威光がずいぶん遠いこの世界においても、人は祈りを忘れることができないでいる。
「なっ……おいおい、そんな馬鹿な」
だが直後、彼らの表情は絶望に塗りつぶされていった。
流れ去る土煙の向こうから崩壊した壁を乗り越えて、まったく同じ姿をした魔物がさらに三体、現れたのである――。
◆
「あの……魔物! あいつだ……アイツがぁ!!」
魔物の姿を目にした瞬間、アオの心臓が一拍の間止まった。
凶悪に伸びた爪、深く裂けたような口、長く伸びた尾、魔物のわりに妙に整ったシルエット。
忘れるはずがない。見間違えるはずがない。奴こそ
しかも一体だけではない。重戦闘用魔導骸殻すら苦戦するような魔物が、群れで市街地に現れたのである。
およそ知る限り未曽有の事態だ。
「くそ! どうする。どうすりゃいいんだよ! 俺に何ができるんだ……」
うまく呼吸ができない。
心臓は殴りつけるように激しく鼓動し、反対に手足は熱を吸い取られたように冷たくなってゆく。
恐怖と絶望だけで食いつくされそうな焦燥の中、無力感だけが降り積もってゆく。
幸運なことに魔物たちは無防備に立ちすくむアオなど眼中にはなかった。彼らの獲物はまさに足元にあり――。
爆音も高らかに車両が魔物の足元をくぐる。けたたましい駆動音を鳴らしながら
不整地をものともしない荒野仕様の車も、さすがに破壊のただ中までは想定していない。
この惨状でも走り続けていられるのはひとえに運転者の腕前あってのこと。
しかし奮闘はあっさりと終わりを告げた。
魔物の尻尾が大きくしなる。勢いをつけて振り下ろされた一撃が車体を捉え、勢いよく宙に舞いあげた。
回転しながら吹っ飛んだ車体は数回も地面をバウンドすると、通りの建物に突き刺さってようやく動きを止める。
「…………くそっ」
アオはこわばっていた身体をゆっくりと動かすと、
目の前を破壊の跡が横切っていた。ゴムボールよろしく跳ねまわった車体が彼の鼻先をかすめていったのだ。
視線を動かせば、建物から突き出た車体が空しくタイヤを空転させている。
もはや走行不能だろう、形を留めているだけマシというものだ。
以前、彼はあの車両に彼女が乗っているのを目にしている。まだ中にいるとすれば――。
痛む身体を引きずって歩き出したアオの目の前で、ズバンと扉を蹴飛ばして足が生えた。
ひょっこりと全身が続き、すぐさま悪態をつく。
「ったくがよぉ! だから最初っから俺様が殺るっつったろーが!! 護衛つって、止められねーんじゃ世話ねぇだろぉ!?」
「でもー、追いついてきたみたいだよ~?」
場違いに
アオが以前見かけた時、ストラグルサイクロップスは四機あったはずである。同じ構成だとすれば、一機は倒されてしまったのだろうか。
「あーちくしょう! しっかし引きっこもりの女王サマが手下出してくるたぁな。あれか? こないだ俺様が自分で来いとか言ったせいかぁ? てっめぇ素直なんか!?」
「関係ないんじゃなーい? それで来るようなら世話ないっしょ~」
「そりゃそうだ!」
悪態の主は一息に外へと飛び出ると、横転した車の上で仁王立ちになった。
先ほどからの話し方どおりにはねっかえりの強そうな逆立った髪。すらりとした長身を皮革製の衣服で包み、つりあがった凶悪な目つきが魔物を睨む。
「ここらへんは瘴気も薄いしよぅ、結構無理してるだろうに。これだから
するっと彼の隣に少女が現れる。
彼とは何もかも対称的な雰囲気。小柄な背丈で頑張って車の上まで這い上がると一息つく。
ちょうどその時、一体だけ余っていた魔物が首を巡らせた。車両の上に堂々と立っている二人とバッチリ目が合う。
「あー、こっち見てる~。レイ~やっちゃう?」
「決まってんだろ。
車両の奥から年齢を感じさせる女性の声が答えた。
「もちろんよ『レイ・ディエン』。遠慮は無用、『魔女狩りの夜』が何たるかを教えておやり」
『レイ・ディエン』と呼ばれた青年は不敵に笑う。傍らの少女へと手を伸ばし。
「そうこなくっちゃなぁ。おう、仕事だぜアイリス。契約により、第二種封印の解呪を認める!」
アイリスと呼ばれた少女がふわりと、差し出された手を取る。うっとりとした表情はしかし、すぐに能面のごとき無表情へと変じた。
「『
およそ感情というものが欠落した声。瞳を閉じ、意識を失ったアイリスをレイが支える。
その間にも魔物が迫る。狙いは車両、他のものは目に入らぬとばかりに爪を振り上げて。
その時、急にアイリスの姿がぶれた。
青天に
街の人間は魔物災害に続く天変地異に悲鳴を上げて逃げ惑い、今にも躍りかからんとしていた魔物すら
その一瞬があれば十分だった。
巻きあがった土煙を貫き、雷光まとうランスが突き出される。魔物は持ち前の俊敏さで切っ先をかわし飛び
ランスが
そこにあったのは幾重にもなった分厚い装甲をまとい片手にランスを構えた、まるで騎士のような姿の――魔導骸殻。
異様であった。
直前まで影も形もなかった魔導骸殻が突然降ってわくはずがなく、しかし隠しておくには巨大に過ぎる。
条理を無視して現れた魔導骸殻を前に魔物は明らかな
「いよう、女王の駒よ。ちょっとおいたが過ぎたようだな。ここで俺と『アイリス=クィーンクェ』がぶっ
巨大な肢を踏み出す。ミシミシと筋肉が伸縮し、一気に爆ぜた。
魔導骸殻の巨体が矢のように飛び出し、突きだしたランスが魔物へと襲い掛かる。
圧倒的な暴威をばらまく巨人たちの戦いを眺めながら、アオは戦慄に身を浸していた。
「見間違えるものか、あいつだ……! どうなってるんだよ。じゃあ、あの時のも同じ!?」
脳裏にかつての記憶が
あの時と同じ構図、かつて彼を助けた魔導骸殻が再び立ちはだかり魔物と戦っている。
彼もまた死にかけ傷ついた身体で、無力に打ち震えるのみ。
ただ一つ、あの時とは確かに違っていることがある。
「……だったら、行かないと!」
アオは決意と共に杖をつき、吹きすさぶ破壊のただなかへと踏み出した。
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