第四話 『賭け事の勝敗』


 巨大な魔物モンスターの目がひどく満足げに細められた。


 異界来訪体ヴィジターに生きる魔物たちは、魔物同士によって食物連鎖を構成していることがわかっている。

 しかしそれ以上に、魔物は魔法汚染生命の血肉を非常に好む。

 そして異界来訪体の内部にいる非魔法汚染生命など、欲をかいてやって来た回収者スカベンジャーしかいない――。


「……ああっ……っ……ううっ」


 アオの魂が砕けていた。

 失った。唯一の肉親も、己の身体すらも。もはや彼には何も残っていない。ここから先に進む意味がない。

 やっと残りを片付ける気になったのだろう、こちらを眺め舌なめずりする魔物の姿が、今は救いにすら見えていた。


(ああ、俺もすぐにラナのところへいくんだな)


 流れる血による死か、魔法汚染による変質か。その前に魔物が彼を食事に変えるかもしれない。

 そのどれが訪れたところで、彼にとってはどうでもよいことである。

 だというのに、運命の女神には何の慈悲もなかったのだ。


 ズシン、ズシン。

 突き刺すような振動が近づいてくる。魔物が何かに気付いて首を巡らせ――。


「おいそこのウスノロォ! 頭ぁひっこめとけよォ!!」


 颶風ぐふうをまとい、馬鹿げた大きさのランスが伸びる。魔物は巨体に合わない俊敏な動きでそれを避けた。

 その隙に、アオの眼前には現れる。

 魔導骸殻デッドリークラスト――幾重にもなった分厚い装甲をまとい片手にランスを構えた姿はまるで物語に登場する騎士のようだ。


「はんッ! 女王の傀儡くぐつごときが、調子んのってんじゃねぇ!」


 騎士の魔導骸殻が腰を落とす。聞こえる声からして、乗り込んでいるのは若い男性らしい。

 直後、構えたランスがまばゆいばかりの雷光に包まれた。魔法付与エンチャント、此岸の物質に彼岸の法が重なり合う。


 騎士の魔導骸殻が走り出し、床をえぐるほどの勢いで一瞬で間合いを詰めた。

 魔物はかろうじて爪で防ごうとするが、魔導骸殻のほうが圧倒的に速い。


「あばよ傀儡、女王に言伝ことづてしてきな! 次はてめぇ自身が来いってなぁッ!!」


 とどめを刺さんとランスを構える魔導骸殻の背に向けて、アオの悲痛な叫びが飛ぶ。


「ま、待て……よ! そこには、ラナが……!!」


 まさか生きているはずなどない。頭では理解できていても飛び出た言葉は真逆のもの。


 叫びは魔導骸殻に届いたかどうか。

 いずれにせよ躊躇ためらうことはなかっただろう。猛速で突き出されたランスが魔物の腹を捉え、眩い雷撃とともに貫いた。

 ランスがまとう雷撃が魔物の身体をえぐる。血肉が吹き飛び、周囲に降り注いで――。


 もしかしたら、この中にいるのだろうか?

 絶望に食い荒らされながら、アオの意識はついに限界を迎えていた。


 槍についた魔物の身体を払っていた魔導骸殻が振り返り、ふと倒れ伏したアオに目を止める。


「おう、運のねー回収者だぜ。いや俺様が間に合ってんだ、運がいいのか? せっかくだしもうちょっと生きとけや」


 言葉は急速に遠ざかってゆく。薄れゆく意識の中、アオの脳裏はたった一つの問いによって占められていた。

 ――何故、自分が生き残ってしまったのだろうか? と。



 最前線都市ブームタウンリングアを囲むボロい壁。

 その途中にぽっかりと空いた関所では、門番のカンクロがぼけっと空を眺めていた。


「はぁ……最近めっきり人通りが減りやがったなぁ」


 異界来訪体ヴィジターにほど近いリングアは回収者スカベンジャーたちの街である。

 そこで人の出入りが減ったということは、すなわち活動している回収者が減ったということ。


「どえれぇ強い新種の魔物か。ずいぶん暴れてくれやがってよう」


 始まりは「見たことのない魔物が出た」という噂が広まりだしたところから。

 回収者同士の雑談としてかわされた言葉はやがて警告になり、ついには被害報告となった。

 犠牲者が二桁に及ぶ頃には回収者たちの足もめっきりと重くなる。


 間もなく人通りは絶え、噂好きの門番は今日も一人、空を眺めて無聊ぶりょうを慰めていた。


「しっかしまぁ何やら中央都市セントラルの奴らも動いてるみてぇだしよ。もう少しの辛抱か」


 同時期、彼らの存在もまた噂となっていた。複数の魔導骸殻を従えた集団。そんな贅沢が許されるのは中央都市にある行政府だけだろう。

 カンクロはその両方にきなくさい臭いを嗅ぎつけていたが、思考をそこで打ち切った。彼はただの門番、あえて火中に首を突っ込む必要などない。


 おそらくしばらくの時が過ぎるころには事態も落ち着いているだろう。

 新種の魔物とて倒すか逃げるか、そのうちに対策方法が編み出され日常と化してゆく。ただしそこまでにどれほどの犠牲を支払うことになるか、知る者はいない。


 背を投げ出すとギシリとチェアが鳴った。

 いっそ眠ろうか、そう考えてうとうととしていると、ふと彼の視界にぼんやりとした人影が飛び込んでくる。


「おっと、噂をすれば骨のあるやつが……」


 人影が輪郭をはっきりとさせてゆき。それが誰であるかに気付いて、カンクロは目を見開いた。


「お、お前! アオ……なの……か?」


 驚きはすぐに疑問へと移りゆく。

 彼の知るアオという青年はお調子者だが明るく親しみやすい人物だった。

 回収者として並み以上の腕前をもち、妹と二人して年若いながらもちょっとは名を知られていた。


 だが、目の前にいる者は違う。


 しなやかに伸びていた背は大きく曲がり、まるで老人のように杖に身体を預けていた。

 忙しなく動いていた腕は片方が無くなっており、さらに魔法汚染によって醜く歪んだ跡が覗く。

 何よりも瞳が。

 あれほど生命力に溢れ愉しげにきらめいていた瞳が、今はドブ水のように濁っていた。

 目の前にいるカンクロの姿に気付いているのかいないのか、茫漠ぼうばくとした視線の行方は定かではない。


「……ッ」


 カンクロは危うく、続く言葉を飲み込んだ。何があったかなど一目見ればわかる。

 これが回収者という生き方なのだ。

 異界来訪体の出現によって世界は滅亡のふちに立った。かろうじて持ち直したように見えていても、その本質はねじ曲がり歪でしまっている。


 瘴気しょうき、魔物。異界の存在に脅かされながら、人類はそこからもたらされる資源に依存しながら生きながらえてきた。

 異界来訪体とは異物であり世界の敵であった。だが既に人々は決してそこから離れることはできない。


 その歪みの間を生きる者、それが回収者という者たちである。

 その生き方は、見返りは大きくとも危険もまた大きい。いかに上手く過ごせていても才能に恵まれたとしても、たった一度の失敗で全てを失ってしまう。

 回収者とは本質的に破滅が訪れるその時まで賭けを続ける運命にある。


 そうしてまた一人、賭けに負けた者が全てを失った。それはありふれた悲劇の一つに過ぎない。

 カンクロは門番として何度もこんな光景を見てきた。――何度見ても、慣れることはなかった。


「なぁアオ……どこへいくんだ。そんな状態じゃあ死にに行くようなものだぜ。とてもここを通すわけにゃいかねぇ」


 目の前に立ちはだかると、アオは初めて彼に気付いたかのように立ちすくんだ。

 わずかに焦点を戻した視線が定まりきらずに彷徨う。


「俺は……。いや、そう。そうだな。すまねぇ、カンクロのじいさん……」


 カンクロは知っている。大勢の回収者を見てきた門番は知っている。

 こうなった人間は、まさに死にに行こうとしているのだということを。


 アオにその自覚があったのかはわからない。彼はもごもごと言い訳のような言葉を口走りながら、よろよろと踵を返していった。

 失われた腕のあった場所を庇うように、片方だけになった足を引きずり歩いてゆく。

 その後ろ姿はかつてを知るものからすれば、目を背けずにはいられないほど痛々しいものだった。


「すまねぇ。だがアオよう、どうしようもなくたって死に急いじゃいけねぇ。少しだけ頭を冷やしてくれよ、なぁ……」


 救いにも助けにもならないかもしれない、だがこれが噂好きの門番にできる精一杯なのである。



「……どうして。俺は何をしているんだよ」


 杖をつき上手く動かない足を無理矢理に進ませながら、アオは自問を続けていた。

 なぜ関所に向かったのか。どこに行こうとしていたのか。自分のことであるのにわからない。


 彼は助かった。

 あの時魔物を倒した魔導骸殻は、死にかけのアオを回収して戻った。いったいどんな運命の悪戯いたずらなのだろう、きわどい状態だったが彼は生き伸びたのである。


 病院で目を覚ましたのはたっぷり数日後のことだった。

 アオの身体は怪我と魔法汚染でボロボロだったが、そんなことよりも隣の空白が彼を打ちのめした。


 何故。何故助かったのが自分なのか。疑問が頭の中で渦巻き、わけのわからない衝動が沸き起こる。

 そうして気がつけば、彼は病院を飛び出していた。

 どこへ向かうかなんてはっきりとした思いがあったわけではない、だが今となってはひとつの確信が胸にある。


「ああ……そうか。俺は」


 異界来訪体へ、行きたかったのだ。

 異界来訪体まで行けば。もう一度あの場所まで行けば。まるであの日をやり直すことが出来るとでもいうかのように。


「はは……ははは。馬鹿なんじゃないか」


 そんなわけはない。失われたものは永遠に還ってこない。あの日の後悔は決して彼を――殺してはくれない。

 失くしたはずの手足がズキりと痛みを放ち、彼はへたりこんだ。

 瘴気によってただれた身体は魔法汚染を受け、ヒトではない何かへと変異しつつある。むしろ変異しきって魔物になってしまえばよかったのかもしれない。

 人としての意識が消えてしまえば、喪失感に苦しむことだってなかったはずだ。


 街ゆく人々は、ボロボロの彼を無視するかのように避けて進む。

 同情的な視線のひとつもない、まるで彼など居ないかのような扱い。アオは自嘲的に口の端を歪めた。


 賭けに負ける前の自分ならどうしただろうか。思い出そうとして、何ひとつ浮かばないことに気付いた。

 なるほどつまり、負けた奴のことなんて見えてはいなかったということ。敗北から目をそらさねば、回収者なんて生き方はできない。

 人の流れを避け、よろめきながら道端まで歩いてそのまま座り込む。

 もはや、一歩を進むことすら億劫で仕方がない――。

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