第三話 『危険と稼ぎ』


「今日はオーガとウルフの流動燃糧エサ代で赤字かなぁ?」

「……うっ。ノリで動いたのは悪かったってホント」


 魔装殻オーガレイダーすら貫く、ラナの視線が痛い。ヘルメットの下ではアオだって引きった表情を浮かべている。

 大した稼ぎもなくただ時間だけが過ぎてゆく。そんな状態が続いて、やる気は下がる一方だ。無根拠な自信などそうは長続きしないものである。


 やがて二人は下の階層へとつながる穴へとやってきた。

 異界来訪体ヴィジターは地下に向かって伸びる、いくつもの階層をもった構造になっている。地表にある部分はいわゆる先端部であり、地下は果てしなく続いていると言われていた。

 推測なのは、実際に果てまでたどり着いたものがいないからである。


「もうちょっと、下りてみるか? 深いほうが人も減るしな」


 下層へと通じる孔を眺め、アオは珍しく迷いを見せていた。ここまでなんだかんだとハキハキしていたラナまでも戸惑いを見せている。


「ウルフの位階レベルは大丈夫だけど。あんまり行かないから状況がわかんないよね」

「じゃあ今日は偵察だけにしようぜ。いい狩場があれば次からしっかりとやればいい」

「うーん、わかった! そろそろ場所を変えてもいい時期だったしね……」


 いままでの階層にマンネリを感じていたのも確かである。ラナはしばし考えてからうなずいた。

 回収者たちがより深い階層を目指すのにはいくらかの理由がある。まず基本的に、深い階層のほうが価値の高い資源を手に入れられること。次に浅い階層は駆け出したちによって混み合うこと。

 ――そして人間は飽きる生き物であること。ひたすらに同じことを続けるにはそれなりの素質が必要だ。


 二人は下階層につながる穴を下り始めた。階層をつなぐ場所というのはただ穴があるだけで、特に階段があるということもない。

 壁にあるわずかな凹凸を利用して器用に下りてゆく。

 身軽なラナが先行し、さっそく聞き耳を立てていた。

 階層が変わると雰囲気も変わる。瘴気の濃度による違和感はさほどでもないが、新鮮な刺激がヴィシャスウルフの感覚にわずかな悪影響を及ぼしていた。


「うーん、聞こえづらいかなぁ。慣れるまで時間かかるかも」

「階層を下りるのも久しぶりだしな。今日は近場だけ、注意な」


 偵察の要であるラナの慣らしが終わるまで無茶はできない。彼女の力があればこそ二人は安全に探索ができるのだから。

 この階層は下りた場所から細い管路ロデンツィアが伸びている。ほぼ一直線で、その先で広めの空間へとつながっていた。


「はーん。この階層はすぐ大動管路アルテリアになってんのか」

「あんまり広いと気配を捉えづらいから好きじゃない~」


 大動管路を見回しても魔物の姿はなかった。ラナの感覚器センサーにも引っかかるものはなく、広々とした空間の中をとぼとぼと歩く。

 するとラナが急に足を止めた。感覚器からの情報に集中している。


「何かあったのか?」

「アオ兄、なんだかすごい気配がある。これってもしかして……」


 彼女は感覚器が受け取る情報をつぶさに調べていた。

 強烈な気配による刺激を感じるが、魔物モンスターが放つものとは異なる。むしろつい最近、別の場所で感じたことのあるものだ。


「あれは……やっりぃ魔法金属だ! しかも魔黄鉱アルカヘストじゃん! 昨日ぶりじゃないか」

「すごい、二日連続で見つけるなんて! 私たちって運いいかも!」


 壁から突き出た奇妙にねじくれた塊を見つけ、二人は思わず手を打ち鳴らした。

 無作為に魔法金属を発生させる異界来訪体にあって、魔黄鉱は特に希少な部類に入る。少々見てくれはよろしくないものの価値は高く、つい昨日彼らに大きな稼ぎをもたらし飲んだくれる原因ともなったものである。


「やー、これはまた朝まで行けるかな?」

「アーオー兄!? もう飲みすぎは厳禁だからね!」

「うっ。まぁほどほどにするって。ほどほどに……」


 特定の採掘場に依存しない魔黄鉱を見つけるには、運に頼るしかない。

 それがもたらす稼ぎを想像した、二人の気が緩むのもむべなるかな。


 ――だがしかし、ここは異界来訪体である。世界を歪め生命を拒否する魔物の巣窟そうくつである。普段とは違うものがある場所には、普段とは違うことがつきものなのだ。

 もしもこの時彼らが浮かれてさえいなければ。幸運のなかでもほんの少し注意力と用心深さがあれば。結果はまた違ったのかもしれない。


「…………ッ!?」


 全身を強烈な悪寒が貫き、びくりとラナが飛び跳ねた。

 獣のように這いつくばって周囲の様子を探る。耳から音を聞き、手足からかすかな振動を拾う。なりふり構わない様子に、アオも急激に緊張を高めた。


「アオ兄。ちょっちヤバいかも」

「マジか。おし、入口まで戻って……」


 声を潜める様子が、なによりも如実に状況の悪さを表している。

 魔物に襲われたら障害物の少ない大動管路では逃げ場がない。そう考えたアオは元来た道を戻ろうとして――。


 ラナが小さく悲鳴を上げるのと、ソレが現れたのはほぼ同時だった。

 地面がきしみ、覆いかぶさるように影が下りる。周囲に満ちた瘴気をかき分け、代わりに巨体が現れた。


 魔導骸殻デッドリークラストに並ぶであろう巨躯。これほどの巨獣がいったいどうやって潜んでいたのだろうか、覚えた疑問を解決するだけの余裕は与えられていない。


「こんなヤツ、知らない……」


 ソレは見たことのない魔物モンスターだった。

 二腕二足で人型に近く、その辺で出会う魔物を見慣れているとむしろ奇怪に思えるほど整った姿をしている。やもすれば魔導骸殻と見間違いそうになるが、その目にたぎる破壊への欲望を見てしまえば違いは明らかだった。


「そんな、冗談だろ……こんな浅い階層に出ていい魔物じゃねぇぜ?」


 逃げろと本能が絶叫する。だが二人は動けないでいた。魔物の顔に数多あまたある瞳が彼らを射すくめ、その場に縫い付けている。


「アオ……兄……」

「わかってる。慌てるな、落ち着くんだ……いいか? ゆっくりと下がるぞ」


 魔物はまだ動いていない。一歩後ずさる。動く様子はない。

 暴れる心臓がうるさかった。冷静さを失いそうになる自分を叱咤しったしながら、二人はじりじりと距離をとる。


「戦うのは絶対に駄目だ。こいつは、魔導骸殻でもないと……ッ! 走れ!!」


 品定めが終わったのだろう、ついに魔物が動き出したのである。

 もはやなりふり構っている場合ではない。魔装殻の能力を全開に走る。身軽なラナが前に出て、比べれば重装備のアオは遅れ気味だった。


 逃げる二人を目で追っていた魔物はわずかに身をたわめ、ほんの数歩で距離を詰める。

 振りかざした爪が狙うのは手近にいたオーガレイダー。圧倒的な暴威を前に抗う術などなく――。


「ダメ、アオ兄!」

「なぁッめんなぁッ!!」


 だからと言ってアオは黙ってやられるような殊勝なタマではなかった。

 即座に魔素変換マギアリアクトを起動。全身のバネを使って炎纏まとう大剣を振るう。魔法付与エンチャントによる輝きが唸りを上げて爪を迎えうち。


 ――あっさりと砕け散る。


 いかに渾身の一撃であろうとも、元より力の差があり過ぎた。

 しかし無意味ではない。衝突の勢いは爪の進路をほんのわずかずらしており、直撃を回避したのだ。

 空振りの爪が地面を切り裂き、余勢のみで弾き飛ばされたアオが床を転がった。

 受け身を取って立ち上がろうとして、彼は奇妙なバランスの悪さを覚えてふらつく。


「えっ……? あっ、ぐっ……ああっ……あああああっ!?」


 戸惑いと共に向けた視線の先。そこにあるべき右腕モノが、ない。

 確かに致命傷は避けた。だが無傷で済むわけはなく、腕は大剣と運命を共にした。

 くすんだ景色に鮮血が舞う。


 失われた血に代わり、開いた傷口から魔素が侵入する。

 魔法汚染――生きながらにして身体が変質を始める。自分の身体を挽肉にして無理やり形を戻しているようなものだ。

 激痛のあまりにのたうち回る。

 いっそ意識を手放してしまえたらどんなにか楽だろうか。だが彼は踏みとどまった。噛み締めすぎた奥歯が砕ける。


「逃げ……ろ、ラナ……俺は、いい……から!」


 まだだ。ここにはラナがいる。

 もはや自分は助からないとしても――助からないからこそ

 自分はあとどれくらいもつだろう。失血と魔法汚染が容赦なく残りの時間を喰らいつくしてゆく。


 ヘルメット越しの妹の顔には、とてつもない迷いが浮かんでいた。

 逃げなければならないという恐怖と、たった一人の肉親を見捨ててはいけないという想いと。だからこそアオが決断する必要があった。


 オーガレイダーが立ち上がろうとして失敗する。

 力が入らない、見れば左足がありえない方向に捻じれ曲がっていた。この調子では中身も挽肉の仲間入りをしているだろう。

 未だ無事な左腕を振り回し、みじめにもがく。

 死にかけの身体を無理矢理動かし、ラナに背を向け魔物へと向き直った。


 一秒でも、たとえ刹那せつなであっても、残る命で時間を稼ぐ。彼が死ぬまでの時間だけ、ラナから死が遠ざかる。

 決意は確かに伝わった。ラナは何も言わなかった。一拍すら無駄にすることなく走りだす。


「それで、いい……。すまねぇラナ、生き……ろよ」


 思えば自分には勿体のない良くできた妹だった。

 こんなところで死んでよいはずがない、ヘマのツケを支払うのは彼の役目なのだ。


 大剣はおろか片腕すらない状態で魔物に挑む。自分には何もできないかもしれないが、せいぜいてこずらせてやろう――などと彼は考えていた。

 だが。もはや動けない死にかけの獲物などどうでもよいとばかり、魔物の視線はラナの動きをぴたりと捉えている。

 巨獣がぐぱりと口を開くのを見て、アオの血が一気に逆流した。


「ぎっ……っくしょうが! こっちを! 見ろ……! よ、俺をォ!!」


 死にかけの身体では時間稼ぎはできても、魔物を止めることはできない。

 開かれた口から強烈な衝撃波がほとばしった。魔物が操るより純粋な魔法マギアがラナを巻き込み、大きく床をえぐる。


 のしのしと、巨体がアオをまたいで歩いてゆく。力なく伸ばした左腕は敵を掴むことすらおぼつかない。


「ちく、しょう……ちくしょう! ラナに、ラナに触るんじゃねぇ……こっちに、来い。俺を、先に……!!」


 魔物が何かをつまみ上げる。ぐったりと力の入っていない、人形のような何かを。


「……ッめ、止めろぉぉぉぉぉぉーーーーーーッ!!!!」


 がばりと開いた口。魔物が何をしようとしているのかに気付いたアオがあらん限りの力で叫ぶ。

 伸ばそうとした腕はすでになく、虫のように地面をはい回ることしかできない。


 つまみ上げた指を離すと、ラナの姿が獣の口内へとぼとりと落ちてゆく。

 魔物が口を閉じてゆく。その景色がひどくゆっくりと見えた。閉じた口がうごめき、咀嚼そしゃくし。


 閉じられた牙の間から真っ赤な飛沫しぶきが散った――。

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