第二話 『異界来訪体と巨大兵器』


 街から一歩出た途端、人々の喧騒が急速に遠ざかってゆくような気がした。リングアは人間のために作られた安全地帯、ここから先にそんなものはない。

 周囲には崩れて用をなさなくなった建物が並び、それらを締め付けるようにねじくれた植物が繁茂している。天をこするような楼閣が並び、人間たちが地を覆いつくしていた時代などはるか彼方。


「あ、アオ兄見えてきたよ。今日も変わらず不吉な感じだよねー」


 ラナに呼ばれて顔を上げる。遺骸で作られた森の向こうにそびえ立つ、馬鹿げたほど巨大な物体。それこそが世界を無残に変貌させた原因にしてアオたちの目的地――『異界来訪体ヴィジター』の威容である。


「んー、魔物の類は見えねーな。今日は幸先よしと」


 異界来訪体は直径数十キロメートルはくだらない、都市が丸々おさまるほどの規模を持っている。

 あまりに巨大すぎて距離感が正常に働かない。どこから見ても目に入るのはのっぺりとした外壁ばかり。およそ全貌を把握することなどかなわないのである。


「そろそろ瘴気しょうきが濃くなる頃合いだ。最終点検! 魔装殻マギアクラスト魔臓器マグスオーガン、大丈夫だな」

「ん。昨日は無理してないし、調子は万全! お腹もいっぱいだしね」


 やがて瓦礫がれきの森は終わりをつげ、目の前の景色が外壁だけになる。

 遠目には一様に見えた異界来訪体も近づいてみれば思いのほか凸凹としていることがわかるだろう。ところどころに裂け目のように穴が開いており、それが出入り口の役割を果たしている。


 二人は警戒を強めながら穴へと近づいてゆく。奥にのぞく異界来訪体の内部はさらに異常だ。

 それは既存のいかなる建物にも該当しない。陰気くさい薄灰色の繊維が縦横に張り巡らされ、織りなされた孔がどこまでも続いている。まるで果てしなく育った蜘蛛くもの巣か、菌糸類のコロニーのようだ。


「ふぃー。やっぱりはきもっちわりぃなぁ」


 ――かれこれ数百年ほど昔のことである。『それら』は突如として大地を突き破り現れた。

 小さいもので直径数キロメートル、大きなものになると数十キロメートルにおよぶ超々巨大物体。地殻内部にそのような物体が存在しようはずがない。

 およそ科学的見地からは理解不能なこの存在を、人々は異なる世界から現れたもの――『異界来訪体ヴィジター』と呼称した。


「ちょっと待ってて、聞き耳立てるから」


 入り口の前でラナは腰を落とすと、周囲の様子を探りだす。ヴィシャスウルフの頭部から突き出た耳のような形の感覚器センサーは、非常に優れたソナーとしての能力を有する。それを抜きにしてもラナは勘が鋭く、些細な異常も取り逃さない。

 彼女はすぐさま周囲から異常を探り当てると――怪訝けげんな顔で振り返った。


「アオ兄、何かが近づいてくる……後ろから」


 前方の、異界来訪体ではなく後ろ、リングアの方向から。不可解だったが妹の言葉が間違ったことはない、アオの反応は素早かった。背負った大剣に手を伸ばし臨戦態勢をとる。

 やがて彼の耳にも音が届き始めた。とてつもなく重く、圧倒的な足音が確かに近づいている。


「後ろからだって? この感じ、まっさかよ!」


 アオがある可能性に思い至るのと、ソレが姿を現すのはほぼ同時であった。

 ビルの瓦礫の陰から巨大な頭が覗き込む。顔の中央には人間の胴体ほどもある単眼。続いて現れる圧倒的な躯体。魔装殻をまとったアオたちも大柄であるが、ソレらは比較にならない。人間のおおよそ六倍、一〇メートル近い全高を有している。


 一歩を踏み出すたびに瓦礫が砕け地面が揺れる。巨体に秘められた力が如何ほどのものか知れようというもの。圧倒的な脅威を前に、しかし二人ははしゃいでいた。


「『魔導骸殻デッドリークラスト』! しかもそこらの普及用ダルゴーレムじゃない、重戦闘用ストラグルサイクロップスだぜアレ!」

「めっずらしーね! リングアの街にだってあるかないかってところなのに」


 ストラグルサイクロップス――魔導骸殻と呼ばれたこれもまた人造の存在である。アオたちがまとう魔装殻の上位に位置する巨大な半生体兵器だ。


「初めて見たぜ……サイクロップスを四体も使えるなんて。そんなもん中央都市セントラルのやつらしかいないだろ」

「ふわー。そっか、中央都市からだと、ここが一番近くて大きい異界来訪体だものね」


 好奇心の命じるままに眺めていると、ふとラナの『耳』が特徴的な音を拾った。

 きわめて短いサイクルで連続する重いうなり。魔導骸殻の歩行音とは明らかに違っており、こちらは聞き慣れない音だ。

 正体はすぐに判明する。魔導骸殻の集団の真ん中に守られるようにして存在する、とある機械。それは――。


「ひえ~! 見て見てアオ兄、アレ! 『車』だよ! エンジン付きなんて見たのいつぶりだろ」

「すっげぇな。もはや贅沢品どころか骨董品だろうに……」


 低く連続する、が奏でる旋律。

 化石燃料を分配するシステムそのものが崩壊した現代にあって、車両というものはめったにお目にかかれない。


 二人が興味深げに立ち尽くしていると、ストラグルサイクロップスの巨大な単眼が睨みつけてきた。

 ちょうど一行の進路上に二人がいるのである。慌てて入り口のわきへと退けると、ほうけたように見送る兄妹の横を魔導骸殻に守られた車両が進んでいった。


「んー、窓が曇ってて中が見えないなー。いったいどんな人が使ってるんだろ。アオ兄は気にならない?」

「どんな人って、そりゃ行政府のお役人って奴じゃねーの?」


 わざわざ厳重に守っているのだから詮索しすぎるのも良くない、と頭では理解しつつも気になるのはアオも同じだった。

 それに覗き込むだけなら邪魔には当たらない――心中で言い訳を唱えながら目を凝らす。


「……!!??」


 瞬間、アオが目を見開いた。まったくの偶然に、車の中から退屈そうに外を眺めていた人物と目があった気がしたのだ。

 慌てて振り返れば、隣でラナが不思議そうに首をかしげている。ここまでずっと一緒に居たのだから当然だ。


「ラナ、今……お前、か?」

「へ? そんなわけないじゃん。どうしたのアオ兄、まだ寝ぼけてるの?」


 アオは曖昧に笑って誤魔化してから首を傾げた。彼は確かに見たのだ、車の後部座席に――ラナの姿があったのを。

 急いで振り返ったが、既に車両は通り過ぎてしまっている。真偽を確かめるすべはなかった。


「ああいや。珍しいものを見て混乱したかな。うん、よし。どうせあいつらとは狩場が違うだろうし、俺たちも行こうぜ」


 誤魔化すようにラナを促し歩き出す。巨人の足音が響く方向とは違う場所を目指して、二人は異界来訪体を歩き出した。



 異界来訪体のうちに踏み入れば、そこは確かに異界であった。繊維によって織りなされた通路を踏みしめると、柔らかくはないが硬くもない感触が返ってくる。

 内部は『管路ロデンツィア』と呼ばれる通路状の穴が四方八方へとでたらめに伸びていた。

 通路の大きさはさまざまで、魔導骸殻が余裕をもって歩けるような場所もあれば、およそ人間にすら通れないものもある。


「このおもっ苦しさを感じると、異界来訪体に来たって実感するよな」

「私これあんま好きじゃないな。ウルフがあるからいいけどさー」


 魔装殻越しに呼吸する、空気が重く感じる。気のせいや雰囲気によるものというわけでもない。

 異界来訪体の内部は異界の大気に満ちている。『瘴気しょうき』とも呼ばれるそれは、生物に対してある恐るべき影響を与えるのだ――。


「さってどこを狙うかな。第三層の管路あたりか、第四層のアダマント小腸とか……」

「待ってアオにい


 姿勢を低くしたラナが険しい表情を浮かべている。感覚器を盛んに動かし、周囲の様子に聞き耳を立てて。


「なんだろう。ひどく騒がしい……いつもより戦闘が多い感じがする」

「そりゃさっきの魔導骸殻が派手にやってるってことだろ?」

「わかんない、でも嫌な予感がする。ちょっと離れた場所に行ったほうがいい……と思う」

「ほう。っし、了解!」


 偵察用スカウトクラスであるヴィシャスウルフの性能もさることながら、ラナ自身も際立った勘の良さを持っている。これまでに何度も救われてきたアオは絶大な信頼を置いていた。


「それじゃあちょっと新規開拓といこうかね」


 何しろ異界来訪体は広大である。さらに構造も複雑で、訪れたことのない場所が随所に存在する。

 二人は警戒を続けながら管路を進んだ。ラナが聞き耳を立てながら先頭を進み、その後ろにアオが続くいつもの陣形である。


「……五本先の横道に魔物、音からしてスラッシャーかな。数は一……二体いる」

「あいつらかー。正直、美味しくもないけんど贅沢は言うまい。魔核くらいは採れるだろうしな!」


 すっとアオが前に出た。探すのがラナの役目、戦うのは彼の役目だ。背負ったままの大剣にようやく役目が回ってくる。

 数歩も進まないうちに横道から何かが飛び出してきた。オーガレイダーよりは一回りほど小さな躯体。異様なまでにこぶに覆われた醜い姿のなか、やたらと伸びた両腕の爪が目立つ。


 ――魔物モンスター


 それは瘴気によって変質した生物たちの成れの果て。

 奇怪にねじ曲がった姿と、生命に対する異常なまでの攻撃性を有する危険な存在。かつて異界来訪体の出現と同時に発生した魔物たちは、人類文明と世界環境に対して大きな傷跡を残してきた。


「アオ兄!」

「へっ、俺とオーガに任せなって! 『魔素変換マギアリアクト』起動!」


 オーガレイダーの背にある吸気部が大きく開き、周囲の大気――瘴気を自らのうちに取り込んでゆく。

 瘴気とは異界の大気、それは魔素と呼ばれる要素を含んでいる。正確には物質であるかも不明な魔素とは、この世界にを発現させる呼び水となる。


魔法付与エンチャント・ヒートエッジ!」


 瞬間、手にした大剣が猛烈な炎に包まれた。

 超物理現象『魔法マギア』――それは正確には炎であるかも定かではない、異界の法則の顕現である。


「……ッ!」


 腹の奥がズシリと重くなり、アオは歯をくいしばった。

 魔臓器マグスオーガン――体内に増設された人工臓器が侵入した魔素による汚染を除去しているのだ。


 燃え盛る大剣を前にしても、魔物たちの戦意にはいささかのかげりもない。ねじ曲がった口と思しき器官を開き、濁った咆哮を放ちながら襲い掛かってくる。


「動きが単純なんだよ!」


 スラッシャーは名の通り、きわめて俊敏な動きで爪を振りかざした。だがその動きに工夫はなく、アオからは丸見えだ。

 爪が届くより先に炎放つ大剣を振るう。刃先がスラッシャーの体にめり込み、肉と骨をまとめて切断してゆく。重戦士たるオーガレイダーの面目躍如だ。


 振りぬいた大剣を返し、二匹目も同じように切り伏せて。ほんのわずかな時間が過ぎるころには、二匹のスラッシャーはただの肉塊となり果てていた。


「いよっし。オーガは今日も絶好調だな! 今日はこのまま、採掘じゃなくて狩りにすっかなぁ」


 アオはナイフを抜くと、倒したスラッシャーの死骸の胸元あたり、心臓に近い位置を開き小さな塊を取り出した。

 魔核と呼ばれるこの塊は主に魔物の体内で生成され、魔素が凝集したものであると言われている。今の人類にとっては有用なエネルギー資源なのだ。


「スラッシャーじゃ他に使える部位もないし、やっぱ微妙だな~」

「でもいるだけマシでしょー?」


 回収者スカベンジャーが異界来訪体から持ち帰る資源は大別すると二種類ある。

 周囲や内部にはびこる魔物を倒し素材を得るか、または異界来訪体内部に出現する魔法金属を採掘するというものだ。


「できるなら採掘場に行きたいけんど」

「無理だよね。こんなに出遅れてー。後から割り込むのはナシだから」


 魔法金属。それは異界来訪体の内部に生成される、魔素を大量に含む金属のことである。

 魔装殻の装甲をはじめとして使い道は多岐にわたり、非常に価値が高い。当然、回収者たちに大人気の素材なのである。

 おかげで魔法金属の採れる採掘場は、いつでも混雑している。


 人間同士は争わないというのが回収者同士の不文律。

 それだって他人の稼ぎを侵す者に対してまで守られるかは保証できない。回収者が守るべき唯一最大ともいえる礼儀は、獲物を横取りしないことなのである。


「いっても、狩場だって混んでるよなぁ」


 魔法金属だけでなく、魔物にも出現しやすい場所というものがある。

 狩りといっても狙いを決めて戦うほうが効率は良い。そのため価値の高い魔物が出現する場所には、漏れなく重装備の回収者がいるわけである。


 やむなく二人は当たるを幸い魔物を倒しつつ、あてもなく進みだしたのだった。

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