汚染世界のアオ

天酒之瓢

第一話 『魔法汚染都市の兄妹』


「ぐうっ……。頭が……ッ! 割れるようだ……!!」


 脳の髄から湧き上がりくる鈍痛が彼をさいなむ。

 脂汗の浮かび上がった表情は苦悶に歪みきり、奥歯にこもる力は片時も緩まない。いっそのことベッドの上でのたうち回りたい気分だったが、うかつに動こうものなら痛みはいや増すばかり。

 彼には嵐が過ぎ去るのをじっと耐える以外、選択肢などありはしないのだ。


 そうして苦痛のうめきに満ちるばかりであった部屋に突風が吹き込む。暴風さながらの勢いで扉が開き、けたたましい音に青年――『アオ』は思わず悲鳴を漏らしていた。

 彼の苦しみなどどこ吹く風、今しも扉を蹴り開けたほっそりとした足がすーっと廊下に引っ込んでゆく。

 代わりにひょっこりとのぞき込んできたのは年若い少女の顔。活発そうなショートヘアの下で小動物のような瞳がくりくりと瞬いて。


「いーつーまーでー寝てるのアオにい!! また二日酔い~!?」

「ほおうぁーッ!? ラナ、ダメ、今は大声ダメ絶対、頭が尻みてえに割れちゃうから……!」


 少女――アオの妹である『ラナ』は眉を吊り上げ、ずかずかと部屋に踏み込みシーツにくるまる芋虫を見下ろす。


「もう、強くないのに調子に乗って呑むから」

「そりゃ昨日はいい稼ぎだったからなぁ。夜更けのさえずり亭の主人にゃあ普段から世話んなってんだ。金はある時に使うのが『回収者スカベンジャー』の仁義ってもんよ」

「そんなこと言って、看板娘にいいところ見せたいだけでしょ」

「あ~頭いたいなぁ~つれーな~」


 ラナは誤魔化しの下手な兄をまるっと無視すると、つかつかと部屋を横切りカーテンを開いた。

 差し込む陽射しがまばゆい。既に日はずいぶん高く、窓からは街を行き交う人々の営みが見える。逆にアオの頭はずるずるとシーツの中に引っ込んでいった。


「おお陽射しに溶ける……。ちくしょーめ、『魔臓器マグスオーガン』でアルコールも吸収しねぇかなぁ」

「馬鹿言ってないで起きてよね、ダメ兄」

「おおぅ……兄の威厳のピンチをひしひしと感じるぜ……」


 呆れ顔で言われてしまえば、残り少ない兄の威厳をして戦わざるを得ない。

 アオはベッドの上で尺取虫をしていた手足を伸ばすと勢いをつけて起き上がった。二日酔いが盛大に抗議の声を上げるが、大きく息を吸って黙らせる。


 まだ少し表情は渋いが、立ち上がり大きく伸びをする。高めの身長に無駄のない筋肉質な体つき、日々の暮らしの中で鍛え上げられた肉体は若木のようなしなやかさと生命力に満ちあふれている。

 枕元からバンダナを拾うと、ぼさぼさと伸びた髪を縛りあげた。邪魔というほどではないが長すぎる髪は仕事に差し支える。またラナに頼んで切ってもらったほうがいいかもしれない、とぼんやり考えていると。


「寝坊兄、朝ごはん作ってあるよ。もう冷めちゃってるだろうけど」

「そーれは楽しみだなー。おっと、ついでにオーガにも飯あげとかないとな~」


 心なしじっとりとした妹の視線から逃れて、アオはひょこひょこと階段を降りていった。


 階下に降りれば様相は一変する。私室然としていた二階とは異なり、そこには様々な機材が雑然と置かれた混沌が広がっていた。

 円筒形の硝子瓶がついた培養槽、金属部品を加工する台、その他用途も不明な機材の数々。もう少しで足の踏み場がなくなるであろう惨状の中、アオは器用に間を縫って進む。


 混沌にある唯一の秩序、それがキッチンであった。奇跡的なほど小綺麗に片付いた流し、テーブルの上には置かれたままの雑多な肉と野菜の炒め物。

 アオは冷めたせいかちょっと硬くなったそれを無造作に口へと放り込む。ラナの得意料理だけあっていつもはもっと美味しいのだが。あんまり寝坊するものではないと頭を掻いた。


「おっと、アイツの朝飯もださねーと」


 床下の貯蔵庫を開けば硝子瓶が並んでいる。アオは鼻歌混じりに指を左右に流した。


「んーどうしよっかなー。よし、戦闘用のやつにすっか。しょっととと……」


 中身のたっぷりと詰まった瓶はかなりの重さがあるが、片手で抱え上げると混沌の中に取って返す。


「おっはー。すまねぇ、ちいと寝坊しちまった。腹減ってるだろ~」


 硝子瓶を掲げて挨拶をするが、整備台にあるのは物言わぬ道具、奇妙な形状の全身鎧だけである。だというのにさも親しげに笑いかけると、彼は持ってきた瓶を鎧の台座の一角へと差し込んだ。


「本日のメニューは魔物モンスター肉と薬液のシェイクでっす。いい飲みっぷりよ~」


 こぽこぽと音を立てて瓶の中身が流れるのに合わせ、鎧が微かにうごめく。

 これはただの鎧ではない。全高およそ三メートル近く、昆虫の殻を重ね合わせたような形の半生体強化外骨格――『魔装殻マギアクラスト』なのである。

 瓶の中身である流動燃糧カロルを半分ほど流し終えたところで、隣に並んだもう一体の台座へと付け替える。一回り小さいこちらはラナ用の機体だ。


「アーオ兄、朝ごはん食べ終わったー?」

「おう。こいつらも腹いっぱい、ご機嫌だぜ」


 その時、階段上からひょこりとラナが現れた。空になった瓶を見せられて目を瞬く。


「それ、待機じゃなくて戦闘用じゃん! こんな寝坊したのに、今日も行くつもりなの?」

「いいじゃねぇか、身体を動かしてりゃそのうち二日酔いも治るっしょ」

「お兄、計画性って知ってるぅ? 後から狩場探すの大変なんだからね!」

「いやーラナ様、いつもお世話になってますって」


 ラナは手を合わせて拝み始めたアオを半目でにらむ。魔装殻をぽんぽんと叩くと、閉じられていた装甲がバカッと開いた。


「はぁ。ウルフ~今日はお休みかって思ってたのに、ダメ兄のお世話があるよ」


 ――偵察用スカウトクラス魔装殻『ヴィシャスウルフ』。

 ラナのためにしつらえられたこの機体は、軽量で非力ではあるが速度に秀で、何よりも鋭敏な感覚器センサーを備えている。


「いいじゃねぇか。毎日勤勉なることが明日につながる道だって、親父も言ってたし」

「もう覚えてないし!」


 アオもまた自らの魔装殻を起動する。

 ――重戦闘用ヘビーファイタークラス魔装殻『オーガレイダー』。

 ラナのヴィシャスウルフとは対照的に大柄でずんぐりとした形をしており、速度を捨てて装甲と膂力りょりょくに特化している。


 装甲の胸と腹にあたる部分がバカッと開き、内部が覗く。アオは整備台に手をかけると、身軽な動きで飛び込んだ。

 クッションというには生暖かい感触が体を包み込む。装甲が閉じヘルメットが下りると、視界は完全な暗闇に覆われた。


「……接続」


 後頭部から背骨にかけて機器が取り付き、そこから何かが染み込んでくるような感覚が起こる。

 次の瞬間、世界が変化した。

 鎧を装着しているという感触は消え失せ、身体感覚そのものがオーガレイダーのそれへと切り替わる。ヘルメットが透過してゆき、周囲の景色が飛び込んできた。


 身体を動かし調子を確かめる。人間としてはややいびつな形状のオーガレイダーがなんの違和感もなく動いた。

 壁際に立てかけられた大剣を掴む。人の手には余る大きさの剣も、オーガレイダーの大仰な躯体くたいにはちょうどいい。


「よし待たせた! んで昨日は大当たりを引いたし、今日も行ってみようぜ」

「無理だよ。もうあそこはダメ」

「なんでだよ?」


 魔装殻をまとったことで常よりなお低い位置になった、ラナのむっすりとした顔が睨みつけてくる。


「忘れたのアオ兄? 昨日、夜更けの囀り亭でさんざ自慢したじゃない。もうみんな押しかけて大混雑だろうね!」

「マジかー、やっちまった……」

「もっとも、見つけた『魔黄鉱アルカヘスト』はほとんど掘り終わってるから、どのみち行ってもなんにもないだろうけど」

「じゃあ場所から探しなおしなのか。すまねぇラナ様~ひとつその自慢の勘でよろしく!」

「はぁ。ズボら兄を持つと苦労するよねー。我ながらなんて健気なんだろう」

「ヤバ、兄の威厳が半端なく減ってる悪寒……!?」


 二人は家を出ると、そのまま当たり前のように往来を歩きだした。

 口調は軽く、足音はひどく重く。明らかに凶悪な様子の巨大鎧が闊歩かっぽする。物騒なことこの上ないが、街ゆく人々に彼らのことを気に留めた様子はない。むしろ周囲も同じように魔装殻をまとっていたり、何かしらの武装をさげている。


 ここは前線都市ブームタウン『リングア』。

 この変貌しきった世界で危険に身をさらし、一獲千金を夢見て生きる回収者スカベンジャーたちの街。魔装殻は礼服で、武器の携帯は身だしなみ。

 乾いた風が常に死を運ぶこの時代、街中であろうと丸腰でいられるほどに甘くはない。


 街を囲む壁に沿って進むと、途中で関所がぽっかりと開いている。

 顔なじみの門番が兄妹の姿を見かけてニィッと笑みを浮かべた。


「はは! どうしたアオ坊、大寝坊じゃねぇか。もう日が暮れちまうぜ?」

「カンクロじーさんめ、耄碌もうろくしたかよ? こんな明るいってのに!」

「ほっほう聞いてるぜ。夜更けの囀り亭でしこたま飲んだくれて、潰れやぁがったってな」

「いやーなんのことかなー」


 アオが露骨に視線を逸らす。隣ではラナが苦笑を浮かべていた。


「しっかりしろよ。ラナちゃんだって、いつまでも兄貴の世話ばっかりだとかわいそうだろ」

「そうだそうだダメ兄ー!」

「くそう、敵しかいねーな!?」


 一通り彼をからかったところで、ふとカンクロの表情が真剣なものとなる。


「それとよう、どうにも異界来訪体ヴィジターにゃ厄介な新種が現れたらしい。喰われちまった奴もいるらしくてな、お前らも気をつけろよ」

「マジか。ありがとな、でもラナがいるから大丈夫だ!」

「ほんとダメ兄のお守りは大変ね」


 リングアに住む回収者のほとんどが街を出る時にこの関所を通る。勢い、ここには街中の噂が集まってくる。

 とりわけカンクロは噂好きが高じて門番になったとまで言われており、出がけの話はちょっとしたニュース代わりだ。


「回収者の仕事は帰ってくるところまでだ。忘れるんじゃあねぇぞ!」

「おう!」


 ひらひらと手を振るカンクロに見送られながら門をくぐり、兄妹は街の外へと踏み出してゆく――。

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