第11話 復讐

「ぐわっ」耳元で爆発音を聞いたように和井田が顔をしかめた。

 玲子を抑えつつ部外者の接近を防ごうと、彼は河本邸の周囲に呪符による包囲陣を構築していた。だがそのせいで、我夢の溜め込んだ妖力が破裂した衝撃波がまともに伝わってきてしまった。和井田は耳を手でおさえ、動きを止めた。

(なんなんだ、これは……)

 人外退治に怪奇現象はつきものだ。目の前で魔物が滅び去る総毛立つような現場だって繰り返し経験した。そのほとんどが粘着質のいやな消え方だった。しつこく呪いを吐き散らし、いつまでも熾火のように悪意が煙を吐き続ける。

 しかし、我夢は把握しがたいほどの短時間のうちに消えてしまった。あとにはまるで春風が吹いたような爽やかささえ、どこからかただよってきた。


 あのベビーフェイスの大男が、油断できない魔物なのは和井田には最初から分かっていて、敵にまわせばある意味、玲子以上に厄介だと見ていた。むろん、用が済んだあと野放しにもできない。

 とはいえ祓おうにも下手すれば一日がかりだし、街中では住民に犠牲のでる恐れもあった。だから奴を玲子の抑止に利用する一方、ひそかに助手を配して処理策も準備していた。

 しかし、ついさっき伝わった感覚は、我夢が長年の吸血を通じて蓄えた夥しい魔力が一瞬で四散し、燃え尽きたのを示していた。大男の暴走を実力で止める羽目にならずに済んだのは助かったが、和井田にさえ消滅の原因が読めない。

「いったい、何があった?」


 玲子と母親も衝撃は感じていた。

「まさか、これは」おたあさまが唇を震わせた。二人とも夜目は効くが、彼女らにもほとんど状況を捉えることができなかった。はっきり感じられたのは、雅夢はマグマ流に落ちた土くれのように、あっさり蒸発したということだった。

 河本邸の灯は、相変わらず控えめに周囲を照らし、誰も出てくる気配はない。ここでの騒ぎなど、まったく聴こえていないのだろう。


 狼の形になったタケルは、少し先の道路に着陸し、ぶるぶると首を振った。その先の道路に落ちた微細な燃えかすが消えていった。焦げた匂いもまた、すぐしなくなった。

「力の加減がわからなかった」白狼が言った。

「いいの、いいの」さくらが静かに言った。「奴があなたに向けた殺意と力が、そっくり跳ね返っただけ」

 燃えかすをつついていたももが言った。「こいつ正真正銘の魔物。強いて分類すれば吸血鬼かな。いずれにせよ、今どきめずらしい」

「どこに行った?」

「気にしないで。本来いるべき場所に直送されたのよ」

「そう、もっと早く対処するべきだった。私たちの手ぬかりと言われても反論できない。ありがとう、タケルさん。これで多くの人が救われる」


「くそっ」敬二が玲子の前に飛び出した。「こうなったら仕方ない。悪いな、姉さん。仲間の未来のために、さよならだ」

 せかせかと言い、敬二は分厚いハンティングナイフを取り出した。表面にびっしり彫刻してあるのは、魔物を斬るための呪文と思われた。弟はこんな呪具をどこから持ってきたのだろう。どんな気持ちで姉へと向けるのだろう。

 玲子は今日はじめて、ひどい疲労感を覚えた。


「あら、すてきなナイフ。いいわ、好きに振るって。わたし、疲れちゃった」玲子は観念したように言って、腰に手を当てた。そしてなにげなく尋ねた。

「雅夢も無事、滅びたようね。そういえば敬二くん。あいつがあんなに言うこと聞くなんて、よほどたくさんの人を提供したわけ?いくら仲が良くてもあいつは基本、ギブアンドテイク。もしかして、例の閉めた店の常連さんを譲ったりした?」

 力ない姉の口調に、敬二も何かの呪文を唱えていたのを止め、答えた。

「そうか、玲子さんはあのあと、トンズラしちゃったから、知らないよね」

「でも、あの人たちみたいに薬漬けじゃ我夢は嫌がったのじゃない?」

「あの客は、兄さんの眷属の細胞維持に使った。雅夢には僕の収集品を与えた」

「あんた、まだやってたの」玲子の口調が変わった。誘導尋問だったようだ。

「甲斐さんは、知ってるの。あんたが一段とエスカレートしてるってことを」

 玲子は手を手刀の形にして身構えた。そんな姉を敬二は睨みつけ、黙ってまたナイフを突き付けた。


 だが、浅黒くほっそりした手が彼の横顔に差し出された。ナイフが落ちた。

「敬二さん」少女の姿をしたおたあさまだった。「わたしを許して」

 彼女の手が氷のように冷たくなり、息子の生気を奪ってゆく。敬二の目が飛び出すほど見開かれた。「そんな」

「いいえ、それは姉の役目」玲子の手が敬二の後ろに伸び、頭を挟もうとした。首の骨を折ろうというのだ。

「ちょっとお待ちを、わたしの仕事です」また、別の声がした。

 咳とともに敬二が黒い血を口から吐いた。彼の胸からは銀仕上げのステッキが突き出ていた。

 ずるずると敬二は崩れ、かわりに腰だめの姿勢になっていた和井田が、よっこいしょと立ち上がった。「ご協力、感謝します。タイミング的には最高」


「まあ、あなたが」冷静だった玲子が、感情をあらわに呪術師を見た。「わざわざ自ら手を下すなんて、どういうつもり」

「これはバーネット協会とは別口なんです。甲斐が来るのを止めたのも、これのため。あの女がいるとややこしくなるだけだから。あ、いちおう協会との契約書には、弟さんに対し、わたしがこの挙にでるのを認める条項が設けてあります。協会だって内心ではこの結末を望んでいたし」

「その別口の依頼というのは、ビジネスベースのお話なの?」

「いえ。正直に申しますと、さっきお話した日頃のモットーに反した、別の意味があります。私情が入っています」


 和井田もまた、疲れたような顔をした。

「わたしには昔、大変お世話になった恩師とも思う人がいましてね。その人にはとても大事にしている孫がいた。もう何年も会っていませんでしたが、わたし自身もその子をよく知っていた。彼女の小さなうちはたびたび相手をして、娘を持つ気分を味合わせてもらいました。でも、その子は死んだ。千春はまだ二十四だったのですよ」

「そのひとは、弟が手にかけた……」

「ええ。いつまでも幼いところのある娘でね、世の中に理想の彼氏なんてものが存在すると、信じていたらしい。そのうえ弟さんは、例の謎の失踪を遂げたイケメン俳優に、やけに似ていたし」和井田は目を閉じ、首をゆるゆる横にふった。

「いい歳をして青臭い言い方を許してもらえば、いまさらながら自分が呪術を使えるのに感謝しました。でなければタフなグールは倒せなかったでしょうから」


「かの呪術王和井田も、復讐を優先することがあるのね」

「人間ですからな」和井田は肩を揺すった。「むろん、あなた及びあなたの母上が直接間接に千春の死に関与した疑いはゼロではなかった。それを確かめようとしたのが、この仕事を受けた理由のひとつでもありました。が、さっきまで敬二と我夢と行動をともにして、はっきりと理解した。あなたの弟は、純粋に自分の利益と快楽のためあの娘を殺した。母上や姉上のためでは全然ない。一方のあなた方は、もはやあんな小娘をわざわざ殺すことはしないでしょう」

「まあ、そうね」

「加賀美グループのグールのうち、祖型とされる母上と、それに最も近いあなただけは吸血も人肉食欲求にも乏しいというのは、あの甲斐が認めていましたよ」

「あら、和井田さんは彼女がお気にめさない?」

「ええ。本物の死神がいるとすれば、あんなのでしょうな」

「いやだ、わたしと同じ意見じゃない」

「その死神博士の解説では、あなたがたグールはオリジナルに近いほど超人性が顕著で、枝葉になるとそれは薄れ代わりに残虐性が増すそうですな。ま、彼女の理屈は、そこに大事な秘密があるのだから、なんとしても母娘を確保しろ、なのですがね」

「だからといって、この罪が許されるわけは全然ない。とはいえあの人に協力する気もさらさらない。困ったものよ。さて、あなたはこれからどうするつもり」

「とりあえず、わたしも第二ステージに入らせてもらいます」


 彼が夜の闇に合図を送ると、手首や首筋を丁寧に防具で覆った巨漢とやせぎすの男が、どこからかあらわれた。前にバーネット協会の術師が持っていた呪力の強化装置を手に握りしめている。その後ろには、武器とおぼしきストックのついた装置を持った男が三人いた。

「これはやっぱり、バーネットとの綿密な連携ってやつ?」

「いえ、彼らはわたし自身による手配です。もともとは我夢への対策でもあったのですが、敬二と我夢の死によって当初計画は破棄、次へと移行します。あなたと母上を確保できれば、行方の知れないお仲間たちも、いつか必ず見つけることができる。いうまでもなく。彼ら彼女らの罪は極めて重い。そしてあなたたち母娘は、それを手を貸した共犯にあたる。一緒に来てもらいます。この場所は誘拐にはあまり適していないが、この際は仕方ないですな」

「結局、ほっておいてくれないのね」


 だが、息絶えた敬二を見つめて涙を流していたおたあさまが突然、後ろを振り向いて河本邸を凝視した。玲子も見た。

 遅れて呪術師たちも見た。

 規則正しい足音がした。河本家の方角から街灯に照らされ、白いなにかが近づいてくるのがわかる。「犬……?」和井田が小さく首をひねった。

 夜道をとことこやってくる白い四足獣は、どうみても普通でないのに妖気がない。軽々と足を前後に送り、地面からやや浮いているかのように歩む。

「狼だが、魔物ではない」和井田は訝しげに白狼を見た。助手たちも同様だ。


 目の前の道路のあちこちには、包囲陣の形に呪符が仕込んである。魔物なら必ず反応する。小物の妖なら、その場で悲鳴とともに消え失せてもおかしくない。

 もちろん、玲子たちグール勢と吸血鬼我夢を封じるために準備しておいたものだ。そして現在、和井田を含め三人の呪術師が念を送り続けている。

 それは巧妙かつ強烈だった。事実、玲子とその母は、当人たちも意識しないまま呪術に囚われ、冷や汗を流し続けている。

 だが、白い狼と雀らしい二羽は、夜の散歩を思わせるのびやかな様子で近づいてきた。現役では最高レベルの術師たちの念を、完全に無視している。動物園から逃げてきたわけでもないし、その正体が想像もつかない。


 さっきまでの悲しみを忘れたかのように、少女の口が驚きに開かれた。そして、おたあさまはアスファルトの上に膝をついた。

「おおかみさま」彼女は両の掌を、赦しを乞うかのように組んだ。

「おたあさま、どうしたの?あの獣はいったい?」

「やはり、おいでになった。わたしの運命」


 夜雀二羽と白狼=タケルは、玲子とおたあさまの前までくると、立ち止まって一同をながめた。

 雰囲気はとぼけているが、飼い犬とは比較にならない巨大な狼の体躯に、恐れを抱いた呪術師のひとりが例の棒を突き出した。

「うっ」いつのまにか金属棒は白狼の口に移動し、そのまま狼が首をふると、飛んでいって工事中のテニスコートの茂みに音を立てて落ちた。

 残りの男たちが一斉に身構えても白狼は、さてどうしようかな、とばかりに眺めている。すると夜雀が短く鳴いた。遠慮するな、という意味だ。

 和井田が短く呪文をとなえた。それをきっかけに二人の呪術師と兵士が動き出そうとしたが、白い影がひらめくと五人は昏倒し、道路に崩れ落ちた。

 その時には、四つ足だった白狼は二足歩行へと姿を変えていた。

「や、やはり狼男かっ」ここまで驚かされたのは、和井田にとっても久しぶりだ。嵐のような呪の圧力の中にいるはずなのに、白い狼は平然と助手たちを気絶させた。そして瞬間的に四足獣から人間体へと姿を変えた。

 こんなに速く狼男が変態できるわけがない。彼の頭はさらに混乱したが、長年の経験がとっさに呪をこめた杖を振り下ろすことを可能にした。

 だが、白の人狼はその杖をそのまま押し返し、相手の首筋を一撃した。和井田もまた地面に崩れた。


「今度は加減に成功したか」白狼が言うと、

「このおっさんのパワーが、足りなかったのよ」と、ももが笑った。

「この人は?」

「たぶん呪術師。どうでもいいけど、こんな弱虫」

「いえいえ、その筋ではトップクラスとされる男よ」さくらが訂正した。

「あら、そうだったの」

「依頼にはびっくりするほどお金をとるのよ。ゴルゴ13みたいに。タケルさん相手じゃ、かたなしだったけど」

 雀と人狼の会話する姿を、玲子たちは小さく口をあけ、見ていた。

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