第10話 吸血鬼・我夢
「どうせ出番を待つよう弟が頼んだのでしょう。小細工が好きだから」横にいる弟を無視するように玲子が言うと、
「はっは、そういうわけでもないんですが」男は首を振り振り挨拶した。
「すれ違いなら過去に幾度かありましたが、正式な名乗りはこれがはじめてですな、加賀美玲子さん。和井田と申します。職業はご覧の通り」と、彼は杖を軽くあげてみせた。
「ご令名はかねがね。立派なご職業も」
「それはどうも」和井田はにこやかに言った。「昔は、正直に職名を名乗るとヤバいひと扱いされましたが、この頃の若い人はかえって喜んでくれますな。その代わり、イケメンじゃないとガッカリされたり、高専卒かどうか聞かれたり。この歳で学歴を取りざたされたのは驚いた」
「わたしの店の若いお客さんも、コミックは全巻揃えていると言ってたわ」玲子も愛想笑いを浮かべた。
敬二や我夢のような腕力頼りの単細胞とは異なり、相手の目は古井戸のようで、見つめても内面はさっぱり読めない。
真偽不明の噂も多い和井田だが、一般には有力な正統派の呪術師として知られている。30年に渡って人外及びそれに近い人間への「対処」に実績があり、国内外で活動中の術師のうち最上位にランクされる。長く呪法の教師としても活動していて、玲子たちを追う「人外狩り」に関わる弟子も少なくないはずだ。
一方で特定の団体に所属するのを好まず、現在はフリーの立場で気に入った依頼のみ受けていると言われる。また、条件さえあえば依頼者の素性や思想信条も気にしないとの説を聞いたが、人外である敬二や我夢と平気で同行してきたことを見ると、どうやらそれは嘘ではないらしい。
「あの高専に進学したら日常がハードすぎるし、就職先も限られそうだって」玲子は笑みを含みながら話を続けた。「そういえば実際問題、お弟子さんたちはどうなの。あなたみたいな斯界の大物がこんな下らないローカル事件に介入したのは、お弟子さんをバーネット協会に就職させているから?この前の騒ぎで何人も怪我をしたでしょうし、お師匠さまが尻拭いに来たのかなと思って。私も術師を一人、怪我させてしまった。わざとじゃないのよ」
「ははは。いきなり核心を突かれましたな」和井田は杖を差し上げるようにして答えた。
「いちおう弁明しておきますが、今回についていえば、たしかにバーネット協会の委任を受けてきています。弟さんの話に出た代理人というのが、わたしなのです。しかし、あなたと母上の関わる案件だからこそ、受任した。下らないなんてこともありません。むしろ逆」
「それはご苦労様。ならば、どの口が言うかってわたしへの批判はさておき、とにかく聞いておきます。今夜、弟とそこの我夢があの家を舞台に非人道的な行為をやらかそうとしている。これついて、あなたの内なる良心は異を唱えたりしないの。代理人さん」
「仕事に家庭と良心は持ち込まないことにしております」
「あらやだ。それは残念」
「今回、被代理人により委任されたわたしの役目は」片目を瞑って和井田は続けた。「あなたの弟さんとの交渉でした。そしてわたしを代理人と認める条件として、あなたの弟さんからは、あなたとの対話の円滑化への協力と、決裂した場合に発生する諸問題への対応を求められています」
「弟の蛮行への非難はそれに含まれてないってわけね。でも、放置するとわたしとの対話がきっと円滑さを欠くわよ」
和井田はだまって肩をすくめた。
「それに、いやしくもハンターとして活動してきたなら、阻止すべきはこいつらの悪巧みでしょう。中学生を襲うだなんて最低よ」
だが、急に身体が重くなったように感じ、玲子は足元に目をやった。すぐ近くには何もないが、ずっと先の道路上にほんのわずかに白く光る文字を見つけた。彼女の動きを縛るための呪符だ。彼女を囲む位置に配置してあるのだろう。
「あらあら、さすがね。あらかじめ私の動きを予測して準備しておくとは。全然仕込みに気づけなかった」
「一応、プロですから」和井田は言った。
すでに戦いははじまっていた。玲子が抵抗しようとすればするほど、手足にかかる重量が増していくようだった。
それでも、玲子は一歩づつ動こうとした。血管が首筋に浮かび上がる。
「さすが」和井田の首筋からは湯気が立ち上っている。「若手たちが手こずるはずです。さっきの質問への公式回答とは異なりますが、内心では隣のマッチョな悪魔くんに活躍してもらいたくない。だからなるべく、これ以上の抵抗は自粛してほしいと思いますよ」
そう言いつつ、和井田は杖を身体の正中線上に掲げた。杖の尖った石突きも金属で覆われ光っている。玲子は、地面にはりついたような足を引きちぎるように、前へと出ようとした。
「ごめんよ、玲子さん」動きの鈍さを見てとった我夢が突進を開始し、彼女の顔を殴りつけようとする。しかし、玲子はとっさに我夢のグローブみたいな手をつかむなり相手の勢いを利用して投げ飛ばした。彼の巨躯はたっぷり十メートルは飛んで工事中のテニスコートのフェンスの向こうへと落ちた。
「ほほう、さすが」和井田がほめ、「ちっ、役立たず」と敬二が言った。
「玲子さん、どうしてわかってくれない」じれたように敬二が出てきた。
「はやばやと説得を断念したのではないのかね」和井田が嫌味っぽく聞いたが、敬二はそれを無視し、
「どうして、あの女の子にそこまで感情移入するのかな」と聞いた。「なにも殺すわけじゃない。安心して。スペア部品扱いだってしない。新たな展開の役にたってもらうだけだ。おれたちだって、このままじゃいけないのはわかっているだろう。宿命を変えたいんだ」
(なんとまあ、説得力のない空疎な言葉)玲子は胸の内で弟を冷笑しながら、
「あたらしい展開に宿命?それのどこに渚沙ちゃんが関係があるの」
「大ありだよ。プランではまず最初に、あの子をおたあさまと完全にシンクロさせる。融合だ。その次に、まるっきりの分身として生まれ変わってもらう。これが再生だ。これはおたあさまの血と能力を使えば十分可能なんだ。そして次の段階が、多くの人にあの能力を生かせるよう、さらなる分身が可能かを調べる。これは、いわば奉仕の段階と言える。おたあさまになんら負担なく、あの特殊能力を活用することが」
「ばーか。寝言は寝て言え。人間を菌床扱いするな。結局はモノ扱いじゃないか」玲子が吐き出した。「それに、実現に何十年かかるかわからない、しちめんどくさい技術研究を誰が営々と続けるのよ。まったくあんたっていい歳なのに幼稚。分身が云々ってヨタ話、本気で信じてるのも衝撃よ」
敬二は黙って姉の顔を睨んだ。
「単に目の前の貴重な資源を、他人に取られないうちに喰らいたいだけ。あとは一切が目眩し。おたあさまへのリスペクトのカケラもないやつらが、どうしてそんな良心的に振舞うと思うのよ」
「だから、僕らが主体で」
「僕らって甲斐のことかな。まーだ騙されてる。まず甲斐さんからして正直に手伝うわけがない。いいとこ取りしておしまいよ。だいたい、誤解を解きたいって言うなら、どうして本人が説明しに来なかったの?」
「彼が、和井田が止めたんだ。すごくきつく」
「へえ、それで言うこと聞くとは、さらに情けない」
そこまで言った時に、フェンスを引きちぎるように我夢が姿をみせた。
左腕の関節が反対に曲がり、指も何本か折れている。だが、歩いて近寄るうちに少しずつ、もとに戻りはじめている。
「玲子さん。相変わらず馬鹿力だね。負けないぞ」今度は熊のように両手を掲げ、勢いをつけて彼女に掴みかかった。玲子は殴ろうと手を上げたが、急に顔をしかめた。「くっ」
和井田が杖を両手で握りしめ、彼女に念を送っている。
我夢の大きな手が玲子の首をとらえた。玲子が手で弾くと我夢の手首が折れたが、我夢は構わずに上腕を交差して彼女の首を絞め続ける。玲子が両手を使って巨体を突き飛ばしたが、彼女のきき腕もぶらんと垂れ下がった。玲子は地面に膝をついた。後ろに回った和井田がさっきとは異なる呪文を唱え始めたのだ。
我夢がまた起き上がってきて、今度は玲子の首筋に歯を立てようとした。玲子は掌底でその顎を打った。我夢の顎は外れ、歯が何本も飛び散ったが玲子の手も裂けて血塗れだ。
「いやらしいな、おまえら男のくせに。よってたかって」
「性差は関係ありません。いや、あなたたちグールは概して女性が強い」杖を突き出しながら和井田が言った。「ついでながら一言。加賀美さんは、一点だけ大間違いをしている。それが判断を歪ませる主因ですな」
「なあに、お説教?親切ね」雅夢が玲子の背をなぐり、玲子もまた雅夢を蹴飛ばした。
「自分を大きく見せたがる人外は多いが」棒立ちの敬二にちらりと視線を向け、和井田は続けた。
「あなたは逆だ。能力を一応は自覚していても、常に過小評価のフィルターがかかっている。漱石の句じゃないが、小さくありたいと願っている。違う。それどころか加賀美母娘はスタアなんだ、魔界のね。わたしがなぜ、この連中といるかが本当に理解できませんか」
「破格の契約金でも提示されたかと思っていたわ」
「とんでもない。加賀美母娘を相対する機会を得られるなら、多少の矛盾には目をつむる。わたしがこの仕事をはじめた時、すでにあなたたちは畏敬の的でした。優先順位で言えば」
動きの鈍った玲子に、すでに血塗れになっている我夢が後ろから組みついた。玲子もまたあちこち骨折を繰り返し、傷だらけだ。
「あなたが一番。あとは二番手以下」そう言って和井田は杖を水平に持った。「悪いが、この場で最も危険なのは玲子さん、あなた。その弱体化がなにより優先される。あとは順繰りにやります」
和井田は杖を持った手を上空に差し上げた。玲子の肩や腰には、何十人もの相撲取りがぶら下がったような力が加わった。
「ああ、いかにも魔法使いって感じ。それに比べて私たち、相変わらずの肉弾戦なんて、うんざり。知的生命体なのに」
玲子の愚痴に我夢が答えた。「ぼくは楽しいよ」
和井田の呪がまた変調して一瞬、玲子の上体が強張った。馬の蹴りを思わせる激しい回し蹴りを我夢が浴びせ、受けた腕が鈍い音をたてて折れた。ふたたび地に膝をついた玲子を我夢はさらに蹴飛ばし、彼女は道路を転がった。
「玲子さん、もう諦めろ」敬二が言った。「半分も実力が出せていない」
「まだ、まだ」彼女は渚沙の家の方を見て微笑み、すぐに視線を戻した。
そして立ち上がろうとしたが、また和井田の術によって邪魔をされた。本来ならとうに回復しているはずの肉体も傷ついたままだ。
彼女は膝立ちになって男たちを睨んだ。白い額に血が垂れている。
「はっは、こっちはようやく調子が出てきた」
抵抗の鈍った玲子を我夢がひたすら殴り続けた。和井田は眉をひそめたが、呪を送るのはやめない。彼女が地面に倒れると雅夢は蹴り飛ばし起き上がらせる。
「ああ、玲子さん。そろそろあなたの生命の力をもらうかな。僕は気づいたんだ。ただ見ているだけじゃだめだ。玲子さんを吸収し僕の中で生き続けさせることこそ、僕の真の望みであり理想だって。許可はとりつけてあるんだ」
見上げる玲子の前に我夢がのっそりと突っ立った。彼が朱脣を開くと、巨大な犬歯が街灯の光を反射した。
「へえ、それは一体だれから?」強がる玲子の声は、かすれていた。
「まちなさい」若い女のか細い声がした。
「だめっ」玲子は叫んだが、暗闇から黒髪の少女が姿をあらわした。
おたあさまこと玲子と敬二の母、加賀美志乃だった。
「やっぱりきていたんですね」敬二が言った。和井田がなんともいえない緊張を面に出した。
「敬二さん、もうやめなさい」黒々した眼の少女は静かに言った。「私が欲しいのなら、あげましょう。その代わり、玲子とあのお屋敷のひとたちには、もう手を出さないで」
「だめよ、信じられるわけない」首筋に倒れかかってきた我夢の顔を玲子は肘で打った。首の骨を折るつもりだったのに、今の彼女の力ではのけぞらせるのが精一杯だった。
「玲子さん」母の声にも、玲子は首をゆっくり横に振りながら、凄惨な顔つきで立ち上がった。
「諦めなさい。ここまでにすべきだ」杖の柄を突き出して和井田も言った。
「いやだ。ふざけるな」額から垂れた血が玲子の唇へと流れ目が小さく赤く光った。折れていた両腕が見る間に再生した。
「むっ」あらためて驚いたように和井田が唸り声を発した。
「我夢」敬二が吠えた。「仕方ない、プランBだ。まず姉を絶望させる。先にあの家を襲え。それから血を吸っていい」
「わかったよ」我夢が実に嬉しそうな顔になった。巨躯を翻すと、道路の先の河本邸へ向かって駆け出した。
「待てっ」玲子があとを追おうとするが、和井田がさらに強く呪をとなえ、彼女の動きを止めた。だが、
「敬二くん。プランBなど、わたしにはとうてい認められない」
「こうでもしないと姉は言うことを聞かないし、我夢だって協力しないんだっ」
二人の言い争いにも気づかず、我夢は河本邸を目指し飛ぶように駆けた。
距離は百メートル以上あったが、ほんの短くしか思えない。顔が喜びに歪んでいる。巨大な犬歯が唇からはみ出て、心臓が軽やか鼓動し、筋肉がなめらかにうごめいた。
ふと、彼の耳に小さな鳥の声が聞こえた気がした。
(ああ、夜の鳥も僕を祝福している)自然と我夢は両腕を突き出していた。
出会った人間をかたっぱしから食い殺すつもりだった。首を噛み、飽きるまで肉体を引き裂いてやる。
血と欲望に酔った彼の脳裏には、河本渚沙だけは除外する気持ちはすでに失せ、集団殺人の歓喜だけがあった。目の奥は朱色に染まっている。
さらに嬉しいのは、一家を皆殺しにしてからその成果を玲子に自慢できることだ。そして絶望によって従順になった彼女の血を吸い、我が身に吸収する。グールの女神と一体化できれば、80年に渡って悩まされてきた不全感をすっかり払拭できると、彼は真剣に考えていた。
玄関前まで駆けて来た我夢の視野に突然、白い塊が映った。
「いぬ?」白いのは毛だ。大型の番犬かもしれない。
恐れる様子もなく、狂気に満ちた雅夢に立ち塞がった。
「どけどけどけっ」我夢はたくましい腕を振りあげた。邸宅になだれ込む前祝に、そのまま叩き殺すつもりだ。まず頭を潰してやる。
「おおかみちゃんっ、迷わずやって」夜雀、ももの声がした。
我夢とタケルの変身した白狼が正面からぶつかり合った。
乾いた破裂音があたりに響き、消えた。
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