第7話 強襲

「私が嫌いなら、どうぞご勝手に。でも、ただ私の店のお客さんというだけであんなことをしたのなら、生きる意味から疑うわ」

 玲子の口調は淡々としていた。しかし、部屋いた7人ほどの男女は例外なく目を伏せた。

「よかれ、と思ったんだよ」ようやく店長が抗弁した。彼の傍には、先日の車にいた女、高津が黙念として立っていた。頬がすっかりこけて、生気はない。

 

 彼らのいるのは、事務棟と呼ばれる棟の3階の一室である。施設は本館、新館、事務棟の三つの建物から構成されており、前の二つは内外ともに明るく華やかな装飾が施されているのに比べて、事務棟は目立たない外観をしている。

 それもそのはず、この施設の表向きの姿はラブホテルであり、本館と新館はその客室にあたる。店長たちは各地に10店舗以上のホテルを所有し、昼間における活動制約への備えとしていた。今夜彼らの集まっている鈴懸湖畔のホテルは、築年数こそ浅くはないものの、リニューアルを繰り返した設備は充実し、現時点におけるグール、当人たちの自称によると夜の種族たちの本拠地であった。


「『波』を持つ人間、それも十代の女の子なんて、クラスに1人って確率じゃあないからさ」店長は、小学校の教師が子供を諭すように言った。「めったにいない適合者を目の色が変わってしまったのも、無理はない。なにせ彼女も、我々と同じおたあさまの子なのだからね」

「ものはいいようね」玲子は小さくため息をついた。「まあいい。でも、私は自分の客に手を出されるのがなにより嫌い。それに比べたら」彼女は薄いピンク色に塗装された室内を見上げて言った。「このホテルだってこの部屋だって、まだ許せる気がしてくるもの」


「そう、いわないでよ」店長が笑ったような困ったような顔をした。「当ホテルは、近辺にある同業の中でもネット上で指折りの評価を得ている人気店なんだよ。それになにより、わたしたち夜の種族は、こんな建物に住むべきだとは思わないかい。つまり、町外れの洋館に。映画のロケ協力は断ったけどね」

「町外れの洋館。なるほど」玲子は両手を広げ肩をすくめた。「あなたの柔軟な表現力にはいつも敬服しますわ、お兄さま」

「まあ、君が昼を好むのは、仲間内ではほとんど唯一の性質だし。ほら、ここは湖も近いだろ。素敵だと思うよ。この先にあったリゾートホテルは閉めてしまったけどねえ」

 ホテルは湖に面しており、近くに鉄道の駅はない。一方、幹線道路からのアクセスは比較的良好であり、今夜も何組もの客が利用していた。

「しつこいようだけど、ここはいいよ。道は便利だし、夜中に人が出入りしても怪しまれないし。一番いいのは、昼間は静かでいられることね。それはおたあさまにだって自然なことというのは、玲子さんが一番よく知っているだろう」

「すばらしい思いやりね。涙がでちゃう」玲子は言った。


 キリのないやりとりにじれたのか、一人だけ離れて窓辺にいた敬二が歩み寄ってきた。

「久しぶりに顔を出したと思ったら、説教を連発してそのあとは嫌味。玲子さん、それじゃ息が詰まるよ」

「詰らせればいいじゃない」

「相変わらず、余裕がないね」

「そっちこそ余裕ぶらないで。いいから、言いたいことがあるならさっさと言って」

「じゃあ、遠慮なく」鼻白んだ顔をして敬二は話し出した。「一番言いたいのは、おたあさまとほぼ等しい『波』を持った女の子を、玲子さんが独占するなんて、そっちの方こそおかしくはないかってこと」敬二は芝居がかった大袈裟な身振りをして玲子を指した。

「独占?あの子はものじゃない」玲子のつぶやきに敬二は答えず、別のことを口にした。

「たしかに、現在のおたあさまの身体はまだ若い。前のような頻繁なパーツ交換を要求しないし、気も使わなくていい。だけど、予備はいくらあっても足りない。今のおたあさまの体は、ただの女の子に近いから、怪我や病気のリスクだって忘れちゃだめだ。特性の似た予備があると、僕らも安心」

「予備予備うるさいな」玲子が反論した。「車の部品じゃないのよ。相手だって成長期の女の子。無駄になるだけ。冷凍保存でもしておくつもり?それにこれ以上の遷移は、おたあさまの本意でないのはあなただってわかっているでしょう」


「冷凍保存はありだと思っている」敬二が硬い声で言った。「だって俺たちは特別な存在、おたあさまはさらに。どうしたんだ玲子さん。一体なにを食べたんだ。変わり者ではあったけど、いまさらそんなエセヒューマニズムを振り回すなんておかしいよ。このごろ特にひどいし、人権運動家の脳みそでも齧ったか」

 玲子はゆっくり首を振ってから、

「わたしは弾劾なんて嫌いだし、くどくど組織論を語るのも嫌い。だから長い間会議に顔は出さなかった。でも、この際だから言っておくわ」と、人々を見回した。「あなたたちは私こそが噂の内通者だと思っている」


 軽い口調で玲子が言ったので、「いやいやそんなことは」と店長が冗談めかして答えたが、「いいの、お兄さま。わかっている」と、玲子は薄く笑った。

「隠れ家をあばかれたり、『収穫』作業がバーネットの連中に見つかったりしているのは、よほど詳しい情報が漏れているせいよね。たしかに、そこの頭の軽い女みたいな半可通では足りなくて、条件に当てはまる古手のうち、普段ここに近づかず大勢に反抗的なのは私ひとり」はじめて玲子は楽しげに笑った。「推理の結果は大外れだけど、筋道はあってるかな」

 敬二が挑むように言った。「と、いうことは告白しにきてくれたとか」

「馬鹿ね。そんな筋書き、ミステリーとしては失格よ。動機が薄弱。あなたたちをあのいかれた協会に売って、私のメリットがどこにある?それに奴らなら、必ず保証として私個人の情報も求めるでしょう。そんなのご免よ。それなら黙って姿を消す」

 そこまで語ってから、また小声になって玲子は言った。「そのテストのつもりで開いたお店が自分でも気に入りすぎちゃったのは、失敗だったかな」


「いや、離脱したいのは前からわかっていた。だから、ぼくらに裏切り者として追われるのを嫌って、弱体化を図ったんじゃないのかってことだよ」

 そう敬二が言うと、玲子ははっきり馬鹿にするような顔をした。

「誰があなたたちに追われるのを怖れるの。逆でしょう。私は昼間だって楽しく過ごせるけど、あなたたちのほとんどは、夜しか強者でいられない。それに、たとえ夜であろうと、私を傷つけたりできる?それとも、久しぶりに私のすてきな大暴れを見たいのかな。敬二くん、どうなの」

 敬二は玲子を睨みつけたが、それだけだった。グールとしての総合的な戦闘力は玲子が大きく上回っているからだ。彼女は続けた。「ほんと、馬鹿げている。あ、そうそう、そこの高津と梶田の行動がバーネットに見つかって悲惨な目にあったのに、近くにあるわたしの店が無風状態だったのが気に入らない?」

「それもあるな」

「単純に梶田が内通していて、今回わざと捕まったとも考えられるよ」

「梶田は『店』を手伝ってはいたが、たいした情報には触れていなかった。問題は、彼では手が届かない重要情報の流出だね」店長が言った。


「あなたたち、複雑に考えすぎよ」玲子は敬二と店長を交互に見た。

「私たちの落ち目に拍車のかかったのは、小網町のビルを諦めてから1年半ぐらいのこと。やつらに見つかった拠点は、すべてその前からあった。一方で私の店は開店してようやく1年。だから、単純に提供者の持っている情報が、一年半より古いってことじゃないの。そうなったら候補を絞るのは簡単」

「玲子ちゃん……」店長が呼びかけ、敬二は、「何が言いたい」と彼女を睨んだ。

「だから」噛んで含めるように玲子は言った。「協会へ通じているのは、一年半より前に離脱した人物と考える方が自然。主だった店や拠点、そして高津や梶田の家を把握しているほど事情通で、一年半前より前にいなくなった人物。これ以上言わないとダメ?」

「ふざけるな、あいつはもう滅びた。そのせいで、どれだけ俺が」顔に朱を浮かべたと敬二に、かまわず玲子がかぶせた。

「滅びてないってば。あなたの愛する妻にして私の義妹、甲斐・アリイちゃんはまだ生きていて、バーネットに情報を提供している。どんな形で生きているかはわからないけれどね。案外脳みそだけかも」

「彼女の『波』は、もう感じない。俺はあいつのなら、どこにいても感じられる」押し殺した声で敬二が言った。

「だって、彼女こそ『波』の専門家じゃない。それまで体感するだけだった『波』を理論化して、測定可能にしたのは、あの賢いリケジョのアリイちゃんでしょ。それでみんな心腹しちゃったのよね。どうせあの娘なら、人為的に出したり消したりぐらいやるって。自分の『波』は消したわけ」


 睨み続ける敬二を横目に、玲子は続けた。「私たちそれぞれのパーソナリティだって知られてるから、その裏をかくようにバーネット・馬鹿協会に指導しているに違いない。例えば敬二は人の話をぜんぶ聞かない。見たくないものは見ない。気に入ったものだけを見て嗅いで愛でて満足する。私は協調性がなくて、わがままってとこかな」

「いいかげんしろよ」

「まあ、まあ」店長が困り顔で仲裁に入った。「あらためて、二人は本当に、似てると思うよ。さすが双子」

「もとは、ね。いまは似ても似つかない」

「それはこっちのセリフだ。この決め言葉を、今夜吐くとはおもわなかったな」


 店長は肩を竦めて微笑むと、分厚いカーテンを小さくめくった。

「みんな、もうすぐ美しいが忌まわしい夜明けがやってくる。ゆっくり休息して、また明日に備えようじゃないか」

 そこにいた男女が、ほっとしたように解散しようとしたその時、

「待って」玲子が低い声で言った。

「もういいじゃないか、玲子ちゃん」

「違う」玲子もカーテンをめくって、窓からほんのりと明るくなった外を見た。

「そんな意地悪しないで。日光に火傷しちゃうのもいるんだから」店長が顔をしかめた。

「嫌な気配がする。例の協会の襲撃では」

「まさか」店長は言った。「ここは大丈夫だ。客だってまだ大勢いるし」

「奴らに聞いてよ、そんなこと」

 部屋の中にいた男女が顔を見合わせあったが、急に様子がおかしくなった。

 あるものは立ちくらみを起こし、あるものは嘔吐をはじめ、敬二や店長まで険しい顔になった。

「……なんだ、これは」

「降魔呪術がはじまったのね。それなりに歌のうまいのがやってる」

 ぽつんと玲子が言った。彼女も片眉をしかめている。

「くそっ、どうしてこのホテルまで」敬二は罵って、姉を睨んだ。「そんなに俺たちが憎いか」

「ばかね。喚く相手を間違ってる。さっきの私の推理を噛みしめなさい」

 そう言い捨てると、ひどい状態になった部屋を急ぎ足で出て行った。


 

 ヘルメットに暗視ゴーグル、プロテクター類を隙間なく装着し、つやのない甲虫を思わせる男たちが、微かな音をさせながらドアの前で止まった。

 前方にいるメンバーは手にドアを強制的に開けるためのブリーチング道具を持っているが、彼らは後方を見た。

 すると、ニットキャップを頭に乗せただけの八木が前に出た。黙ったままうなずいてドアの前に立つと、ベストにつけた増幅装置のスイッチを入れ直し、棒状の専用呪具を取り出すと呪文を唱え始めた。

 今夜は彼以外に三人、呪術師が同行している。二人は見晴らしのいいところから建物全体に念を送っていて、三上は協会の二人に同行している。彼よりもさらに呪力のある三上は、やつらのグレート・マザーが飛び出てきたところに急行する手筈となっている。


 ドアとその後ろの空間に、八木は念を送り続けた。

 人を相手とする一般の特殊部隊なら、いかに手際良く鍵のかかったドアをこじ開けるかが腕の見せ所なのだが、人外が相手の場合は、「下手に開けたらもっと大変」なのだ。不用意に侵入してしまい、呪われたなどという話はザラにある。といった内容は八木が先日、そのほかのメンバーにレクチャーしたところだった。甲斐からは、偉大なお母ちゃんとその子たちのグール一家は、いわゆる呪いや祟りは用いないと聞いているが、完全に信用できるわけではない。

 

 一瞬、ドアの金具部分が赤熱化して、冷めた。ドアの向こうの気配を探る。大丈夫だ。合図するとすかさず、さっきのメンバーが器具を使って数秒で侵入可能にした。そのままチーム全員が飛び込み、本部とされる三階より上を目指した。

 今夜は戦力を裂かれるのは承知の上で、掃討チームの一つと協会本部職員たちを客の保護にあたらせている。幸い、八木は奴らの主力とされる事務棟の攻撃に回った。(どうせ、強いのは2、3匹。あとは烏合の衆だ)との意識もあった。


 ヘリコプターによって上階から乗り込む手段は不採用になったが、これは仕方ないと八木は見ていた。日本の国内では強襲を実施するだけでも大ごとなのだ。よく今回の作戦許可が降りたとも思っていた。相手の抵抗のレベルを考えると、この程度の編成が妥当なところだろう。なにせ、まともに情報統制する知恵も組織ももたない連中だ。

 原はさまざまに敵の犯してきた罪を語り、作戦の意義を語っていたが、八木に言わせると、このレベルの集団が、我々に目をつけられてなおここまで命脈を保ったと言うのが、不思議なのだ。 


 階段をかけ上がる途中、若い男のグールが文字通り、牙を向いて襲ってきた。おまけに、手に大きな山刀のようなものを持っている。動きは獣のように素早く、目で追うのは困難だったが、八木が呪をかけ動きをにぶらせたところを、彼の横にいたメンバーがすかさずショットガンを3発、別のメンバーが2発打ち込むと、踊り場まで転がり落ちて動かなくなった。

 今回は国内での任務のため、諸般の事情から便利な自動小銃が使えない。取り回しと連射性に劣るショットガンが火器の中心なのが不満だが、仕事は戦闘より狩りに近い。それも猛獣狩りだ。一発一発の威力の大きいショットガンはこんな仕事には向いている。

 なにより、銃に込められたスラグ弾(一発弾)は価格が普通の弾の十倍はする特注品だ。物理的にも呪的にも強力だから、食らえば人より格段に丈夫な奴らでも大傷は避けられない。このグールたちは年齢によって大きく能力が違うようだが、たとえ歳を経たベテラングールでも十分倒せる。

 倒れたままの若い男のグールの顔に近づき、あらためて呪文をかけ、ひたいに印を刻む。うつろに開いていた目が急速に光を失っていく。

「あんた、さぞやモテただろうにな。惜しいな」

 たいへんな美男だったグールは、ついに完全に動きを止めた。

 「よし、次」勢いづいた八木たちは本格的な掃討に入った。

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