第6話 転向者

「もう、帰っていいですよね」梓が言うと、

「どうぞ」バーネット協会の若い女、久山と名乗った人物が不機嫌そうに答えた。

 パトカーはまだ停車しているが、回転灯は止めてあり、警官はみな車内にいる。まもなくここから去るだろう。隆正たちはとっくに姿を消していた。

「気が済んだ?」久山が言うと、

「いいえ。でも納得はしました」と梓が答えた。

「官房長官まで引っ張り出したんですからね。いい気なものよ」

「市民の疑問にこたえるのも、政治家の大切なお仕事ですよ」

 梓はすました顔で答え、待たせてあったタクシーに妹と渚沙を座らせると、

「タケルはまえっ」後部座席に乗り込もうとしたタケルに、一転して鋭い声をかけた。

「えっ、別にいいじゃん」車中から由実が叫んだが、

「うるさいっ」と梓は言い返した。

「ぼく、家までの道なんか知らないよ」

「大丈夫、運転手さんはプロなの。すぐ近くだし、横でうなずくだけでよろしい」仁王立ちになってうなずく梓の姿を、頭上から夜雀たちが見ていた。しきりに鳴き声がするのは、彼女にエールを送っているらしい。

 

 顛末はこうだ。

 梓が警察に電話をかけると、まもなくパトカーが一台やってきた。出てきた二人の警察官は、黒いバンから出てきた黒眼鏡の中年男をパトカーに座らせると、話を聞いた。

 黒眼鏡がなにやらしきりに力説し、当初は疑わしげな顔をしていた警察官たちは、しぶしぶどこかに電話をし、聞き取った電話番号をメモした。それを数回繰り返すうちに警察官の態度が変化し、困ったような顔になった。

 そのうち、もう一台のパトカーがやってきたが、こっちの乗員は先にきていた二人の警官になにかを打ち合わせると、さっさといなくなってしまった。

 どうやら、パトカーから県警本部、そして警察庁というルートでバーネット協会についての照会がなされ、ついには現職の内閣官房長官(どうせ秘書官だろうが)まで連絡がいったことのようである。

 その結果、公にはしていないが、バーネット協会は国も存在を認めた団体であり、適正な範囲で協力されたし、という回答が得られたようだった。とはいえ、なんら瑕疵のない中学生の少女二人を大人たちが長時間拘束するとは、それ自体が異常であり、もし今後も強制するようようなら父親の会社の顧問である弁護士事務所に連絡をとる、との梓の言い分はそのまま受け入れられ、とりあえず解散ということで落ち着いた。

「じゃあみなさん、ごきげんよう」宝塚歌劇みたいな言い方で梓は協会勢に別れを告げると、タクシーに乗り込んだ。そのまま車は渚沙の自宅へと向かった。


 一行を見送った久山は、唇を歪めて黒眼鏡の男、原に言った。「同じようなことは前にもありましたね。こういう不毛の作業を、もっと効率化するってのはどうですか」

「そうだよねえ。君が本部に提案してよ」低くていい声で原は言った。「そうだ、きみお弁当の残りとか、持ってない?」

「ありませんよ、そんなもの」

「あ、そう。人懐っこいスズメがいるからさ、餌をやろうかと思ったんだ。まあいいや」原は気を取り直したように、「それで、欲しいものは無事手に入ったかな?」と聞いた。「昨日の今日だから、充分にセッティングできなかったろうけどさ」

「大丈夫でした」久山は指でOKマークを作って言った。「あの女の子、顔は不満そうでしたが座席にはちゃんと座っていてくれましたから。彼女固有のパターンを5分以上記録できました。えー、ドクター甲斐の仮説が正しければですが」久山はにやりと笑った。「このパターンを使えば、例のグレート・マザーの特定が格段に容易になります」

「なんたって、DNAすらあてにならない連中だからねえ。いや、前任者の時に実際にあったのは聞いてるよね。今回と同じでさ、あっちの内紛につけこんでアジトを急襲したんだが、保護した少女を一人、病院に送ったところ、そいつがマスタークラスのグールで、まんまと逃げられた」

「それはいつ頃のことでしたっけ」

「かれこれ20年は前かな。それ以来だよ。やつらにこれだけ肉薄できたのは」

「これも甲斐のおかげですかね、やっぱり」

「ま、彼女だけとは多少言い過ぎの気もするけどね。他のスタッフだって頑張ってくれてるしさ。あ、さっきの騒ぎに怪我の功名があった。突入は裁可された。今夜、作戦は実行にうつされる。甲斐はどうするか聞いてみよう」

「じゃあ、いまから戻って準備して、鈴懸湖まで移動か。遠いなあ。超過勤務もいいところですねえ」

「そうね。まあ、めったにないことだから勘弁してよ。とにかく、グールたちを見逃すことはできないし、今回のチャンスをなんとしてでも生かし立ち直れないほど打撃を与えたい。君も写真を見ただろ、この前見つかった、気の毒な女性の遺体」

「えーっと、ところどころ、抜かれてた……」

「そうだよ。たまたま怪我したらしい片目は残してあった。ふざけてる。けどやつら、焦ってるのか前より手口がずいぶん粗雑になってきた。だから、いまが攻勢に出るチャンスかも知れない」

「そうですよね。甲斐さんも同じようなこと、言ってました」

「とにかく、これ以上、決して犠牲者は出したくない。時間もないし条件も厳しいけど頑張りましょう」

 原は禿頭と茶髪に声をかけた。「なんと言ってもお二人が主役。今夜はよろしくお願いしますよ」

 二人は黙ってうなずいた。

 

 しかし、原の気遣いなど知らぬげに、久山はさっきの禿頭、八木と名乗る男に尋ねた。「ねえ、あの高校生たちをどうして止めなかったんです?いくらでもやり方はあるでしょう」

「……」八木は不満げにだまったままだった。

「あなたもです。いつもはあんなに強いあなたが、どうしたんですか」久山の矛先は、茶髪の女、三上に向いた。

「もちろん、可愛いカップルだったから手を抜いたわけでもないですよね」

「ふん」

「それともなに?あのどっちかに魔力でもあったとか?」

「そんな気配すらなかったよ」八木が言った。「むしろなにも感じず、とりとめがない。雲をつかもうとして、手がすりぬけたってとこかな」

 それを聞いて、ようやく三上が口を開いた。

「そうね。特に力は感じなかった。脱力系の超能力者ってのがいるなら、あいつみたいかもな」

「え、ヌケヌケの実を食べた能力者とか」

「冗談だ。ぬいぐるみを相手にする方がまだやりがいがあるよ」

「ふうん。三上さんまでが華麗にスルーされたってわけ」

「わからないが、きっと特異体質なんだ」と八木が不快そうに言った。「さきにぶん殴ってやればよかった」 

「だめだよ、そんなことしちゃ」眼鏡の原が言った。「むたいな暴力を振るったわけじゃないから警察も黙って帰ってくれたんだ。それより、気分を入れ替えて今夜の任務に集中しようじゃないですか」

 すっかり気の抜けた顔のまま、ハンター二人はうなずいた。


 

 自宅に戻ったタケルのもとに、夕食後夜雀のほうから説明にやってきてくれた。

「あの黒い車の人たち、今夜ははるばる鈴懸湖までお出かけよ。200キロぐらいあるのかしら。移動は車。ヘリじゃない」ももたちは、しばらく車にくっついて、車内の話を盗み聞きしていたのだと言う。

「パソコンをじっくり調べたかったけど、その隙はなかった。レポートみたいなのを書いているのは盗み見できたけれどね、残念」

 タケルが小さなコップ二つに麦茶を入れて出すと、二羽は嬉しそうに飲んだ。思いつきで冷蔵庫にあった水羊羹も出したところ、それもくちばしを器用に使ってついばんだ。

「久しぶりで美味しいわあ」

「今日はよく働いたから、水気のあるものが嬉しい」


 喜び、口々に礼を言う夜雀たちにタケルは尋ねた。

「なんじゃら協会の連中は、なにをしに行くのですか?」

「グールのアジトを襲撃するのだって。興奮しちゃってケンケンガクガクやりあってたわ。あたしたちが聞いてるのもご存知なく」

「グールって、つまり……」

「人を襲ったり血を飲んだり屍肉を食べたりするといわれる化け物。ただし、あいつらはただの通称として使ってるだけだから、詳しい種類はわからない。それをパソコンから探りたかったのだけど。懸案だったグールの頭目を判別できるデータが渚沙ちゃんのおかげで手に入ったので、さっそく夜明けに急襲するみたいよ」

「えっ」渚沙とグールの関係を言われて、タケルは戸惑った。

 さくらが補足した。「順を追って説明するわね。どうやら1年ほど前から、グール一味の中枢メンバーだった人物が転向してバーネットに協力しているの。そこで得た情報をもとに複数のアジトを監視下に置いていた。目的は、一味のボスの捕獲。グレート・マザーと呼んでいたから、女王蜂というか吸血鬼が仲間を増やす際の親、マスターにあたる存在みたい。これを倒せば一味は一挙に弱体化する。ところが、グールの方も警戒して動きが掴みづらくなった。そこで居場所のはっきりしていたグールに狙いを絞って尾行していたら、わざわざこんなところまで遠征してきて、女子中学生を拉致しようとしたので介入し、グールを一人捕縛した。渚沙ちゃんを襲おうとした理由は、そいつから聞き出したみたい。方法はご想像にお任せするわ」


 やっぱり、拷問だろうか。タケルはそれを聞くのはやめ、「渚沙ちゃんが狙われたのは、どうしてですか。データってなんです?」とだけ聞いた。

「ボスと渚沙ちゃんとのパターンのシンクロ率がすごく高いと言っていた」

 意味がわからない、という顔をタケルがすると、

「やつらは『波』って言い方もしてたわね」と、ももが引き取った。

「希少な血液型とかドナーの適合率みたいなものでしょうね。シンクロ率が高ければ、肉体が欠損した場合のスペアにできるらしい。逆に、あの子のデータがあれば正体を隠していても誰がグレート・マザーか高確率でわかる。ほら、ビンラディン暗殺の映画であったでしょ。間違いなくターゲット本人だって特定できることが、襲撃をかけるには大事なの。今夜は傭兵というか、その道のプロを二十人近く使うみたいだし」


 タケルは両の腕を組んで考え込んだ。なんとなく思っていたのより、事態は大掛かりかつ複雑そうだ。おまけにおどろおどろしい。

「スペアってつまり、移植するんですか」

「そう。グールのボスは、内臓とか身体が痛んだら、入れ替えて長寿を保っているようね。このところアジトがいくつか使用不可能になったようだから、安全な場所に新しいスペアを確保する必要を感じたのかも」

 頭の中に血生臭いイメージが広がり、嫌そうな顔になったら、

「そんな気味の悪いのもいるのよ。広い世の中には」と、ももに言われてしまった。


「あんまり会いたくない。ぼく、行かなくちゃいけませんか」

「もちろん、行かなくていい。ヤクザの出入りに介入するようなものよ。それより、渚沙ちゃんの近くにいてあげて。あなたならグールが逆恨みしてきても、チョイチョイって追い払えるし。実はねえ」

「まだ、なにか」

「言いたくないけど、あの喫茶店のきれいなお姉さんも、関係者みたいなの。グールの」

「えっ……」

「これは、あたしたちの観察の結果といえるわね。バーネットが把握しているかは不明。ほら私たちって、それなりに目利きだから」


「ぼくは、まったく気が付きませんでした」タケルは天井を仰いだ。「すごくいい人だとばかり思ってた。そうか、お二人がバーネット協会の目的を知りたがったのも、先にあの人が怪しいと睨んでたから」

「あなたと梓ちゃんのデートなんて、絶対気になるじゃない」ももが打ち明けるように言った。「だから見学に行ったの。人像カフェだって面白そうだし。そしたら、店主がまた個性的。あのひと2、3回は身体を乗り換えていそうね」

「じゃあ、結構歳かもって言ってたのは、冗談じゃなかったのか」

「少なくとも二十代ってことはないわよね。百歳でも驚かない」

「ショック……」


「でも、タケルさんがゾゾっと感じなかったということは、あなたのうちなる白狼が危険と見ていないのかも。あっちがタケルさんの正体に気がつかないのは当然ながら」

「そうなんですか?」

「ええ。あなたは強くても魔じゃないから」とさくらは言い、「それはともかく、あのきれいなお姉さんは、グールとして最後に活動してから時間が経っているのかも知れない。でも、ささいなきっかけから元の鬼にもどる可能性はあるし、逆にあのお姉さんを襲ってくる奴がいて、渚沙さんや由実さんがとばっちりを受けることだってあり得る」

「バーネット協会がまたやって来るのかな。今日、呪文を唱えられましたよ。けっこう乱暴ですよね」

「それもあるけど、グールの仲間にも油断はできない。だって、すぐ近くで仲間が、あのお姉さんの知っている相手を誘拐しようとしてたわけでしょう。その前も後も、なんのアクションもないってのは変よね」

「うん。グールも一枚岩ではないらしいから。大物が裏切ったりするぐらいだし、揉めてるんじゃないかな」


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