第5話 協会

 丁寧に挨拶してから渚沙と由実が「アイリス」を出ると、隆正組も二人を追って外に出た。

「ぼくらも出ようか」タケルが言うと梓からは、

「居心地がいいから、このまま座っていたい気もする」との返事があった。せっかちな面のある梓にしては、珍しい。

「それ、同感。単に不気味な喫茶店かと思ったら、ぜんぜん違った」

 しかし、任務はいちおう今日の夕方までである。それまでは行動を見守らねばならない。二人は玲子の優しい笑顔に見送られて店を出た。

「あいつらに関係なしに来てもいいね」梓が言って、タケルは深くうなずいた。


 渚沙と由実の二人は、重要任務を果たした達成感からか、ぴょんぴょん跳ねるように駅まで戻り、そのあとは脱力したように電車の座席に腰をかけていた。

 ふたりは、思い出すかのようにチラチラと2組の尾行の様子を探っていたが、そのまま渚沙の自宅の最寄駅へと降りると、よく整備された大通りへと向かった。時刻はまだ4時にはなっていなかった。

 途中、小さな道へ入っていく渚沙と由実の後をタケルたちは追ったが、ときどき隆正とその連れの大きな背中が視界をふさいだ。


「じゃまだな、あれ」梓は顔をしかめた。「あのコンビ、玲子さんと会話する様子もなかったし、店に興味なさそうだったよね」

「うん」タケルも同意した。「単に中学生のあとをついて回って、店が変わるたびに食べてるだけの気がする。ぼくらのほうが、まだ任務に忠実だと思うな。でも、渚沙ちゃんの家って、この道でいいの?」

「いや、違う。わざと遠回りしてる」梓が返事した。「たしかこの先にファミレスがあって、そのとなりにカラオケがあったはず」

「まだ入るつもりかよ。好きだなあ」

「私たちを、からかってるのかも知れないよ」

 前を行く中学生二人は突然、街路樹の切れ間に置かれたベンチに腰掛けた。

 そして、寸劇でもやっているかのように大袈裟な身振り手振りでしゃべりはじめた。

 自然、タケルたちの歩みも止まった。

「あいつら、なめくさりやがって」梓は腕を組み、妹たちを睨みつけている。


 その時、頭上でスズメの声がした。このごろすっかり聞き慣なれてしまった、夜雀たちの鳴き声だ。

(おっ、どうしたんだろ)

 その鳴き声の意味は、タケルにだけ理解できた。ちょっと耳を貸せ、だった。

 スズメに気を取られたふりをして、木陰に踏み込んだ。夜雀は、直射日光をあまり好まず、自らインドア派であると称している。

「今日はちょっと暑いわね」物憂げな声は、いつもの二羽のうち姉にあたるももだった。「デート中悪いんだけど、すこしばかり頼みがあるの」

「デートじゃないです」タケルはささやいた。

「照れなくていいから。それでね、少しの間大人しくして、手を出さないで欲しいの」

「えっ、誰に何するって」タケルはひそひそ怒った。

「て、手なんて出しませんよ」

「あー、ちがうの」夜雀のうちの妹、さくらの声がした。「あそこの黒い車に乗ってる連中によ」

 見ると、やけに大きなバンがノロノロと移動している。

「梓さんの手ぐらいは握ってもいいんじゃない?」ももがまた言った。

「しませんってば」


「なにブツブツ言ってんの?」梓が声をかけてきた。ちゃんと小さなオペラグラスを持ち、勇ましくそれをのぞいている。妹の監視用らしい。

「いや、スズメからお宿はどこかと聞かれて」

「あ、そ。丁寧に教えてあげてね」納得したのかどうなのか、梓は監視に戻った。

「良いこという娘ねえ」

 そのうちに、さっきのバンが街路樹の手前に停車した。

 ドアが開き、中から若い女と黒縁の眼鏡をかけた中年男が降りてきた。どちらもスーツ姿だった。二人はベンチにいた渚沙と由実に歩み寄ると、なにやら話しかけはじめた。

 繰り返し車を振り返っているのは、乗り込むよう頼んでいるのかもしれない。

「あっ、見てっ、怪しいやつら」前にいた梓がタケルを呼んだ。

「あら展開が早い。そうよ、あの連中に、少しだけ話をさせてやったらどうかなって思って。私たちが横で聞くために。助け出すのはそれからでいいと思うの」とタケルにだけ判るももの声がした。

 車の近くに見える小さな鳥影は、ももの妹のさくらのようだ。

 

 すると、異変に気がついた隆正と連れが先に駆け出した。日ごろ、突進の練習を積んでいるだけあって、さすがに物凄い勢いだった。

 うろたえた黒眼鏡の男が棒立ちになったところに、別の二人組が車から降りてきた。禿頭の大柄な男と茶髪の女だ。邪魔する様子もなく、脇に立って様子を見ている。


 隆正たちは、どうやら黒眼鏡をリーダーと見たのか、誘拐未遂と決めつけ、激しく責め立てている。

「わたしたちも行こう」梓が近づき、それをタケルが途中で止めた。

「待って。いきなりの誘拐とは違うと思う。ほんの少しだけ、様子をみよう」

「そんなの、わからないじゃない」

「ちょっとの間だってば。それに百貫デブと仲間と思われたくないじゃん」


 実際、タケルの耳には、完全にではないが眼鏡の中年と隆正のやりとりが聞こえていた。

「なにも、どこかへ連れて行くのじゃありません」と眼鏡は弁明していた。

「ご説明申し上げたいだけです。ここでお話ししても構いません。ただ、少々他聞をはばかりまして、そこのお嬢さんたちだけにお話を」

「うるさい。中学生相手に、なに馬鹿なこと言ってる」エキサイトした隆正が眼鏡を突き飛ばそうとすると、隣にいた若い女がその足を蹴飛ばして邪魔をした。

 スズメの激しい鳴き声がしたのは、夜雀たちが笑っているらしい。

 隆正の相棒である肥大漢も参入し、揉み合いになった。当初は体格と勢いに勝る学生たちが優勢だったが、そのうちに隆正と連れの動きが止まった。


 傍観していた禿頭が前に進み出ていた。殴ったり武器を持ち出したわけではない。ただ、拳を口の前まで上げ、怖い顔でぶつぶつつぶやいている。

 夢でも見ているかのように目をパチクリしていた隆正だったが、

「ふざけんな」胸ぐらをつかもうとしたが、急にその場へストンと膝をついた。

 歯痛でも起こったかのように頭を抱えている。

 それを見た相棒が、すかさず体当たりを仕掛けようとしたが、こっちも地面にへなへなとくずれ、鼻血でも出たように顔を押さえている。

 その横から茶髪の女が出てきた。彼女の仕業のようだ。

 巨漢二人が地べたに座り込んだところに、さっきの背広の若い女がしずしずとやってきて、

「そのぐらいにしておいたらどうでしょう」と、嬉しそうに言った。


「面白そうだから近くで見てくるねっ」ももが飛んでゆき、黒いバンの上にさくらと並んで楽しそうに着陸した。

 隆正組は地面に座り込み、青白い顔をしている。もはや、さっぱりと戦闘意欲はなくなったようだ。腕組みした禿頭と茶髪が満足げな顔をして横に立っている。

「あれ、どうなってるの」

「さあ」梓に聞かれたが、たぶん呪術を使ったのだろう、なんて感想は言えない。少し前までは彼だって呪術などまったく信じる気になれなかったが、このごろはなんでも受け入れる準備ができている。


 スライドドアは開けたまま、誰も運転席にいない状態にして、黒眼鏡は渚沙と由実を座席に掛けさせた。そして、自分たちは車の傍に立ったまま中に向けて話をはじめた。

 声量を落としているため、さすがのタケルにも聞き取れない。

 ただ中学生二人の表情は見ることができた。渚沙も由実も、終始疑わしげな表情を変えなかったのは、こっちが考えているより二人とも度胸があるのだろう。

 だが、黙って見ている梓の表情が次第に厳しくなっていった。怖い。

「よしっ」そう宣言して梓は、堂々と車に接近をはじめた。

 止めようかどうしようか迷っていると、夜雀が一羽、戻ってきた。妹のさくらだった。タケルが背負ったリュックに隠れ、

「相手が子供だと思って、穴だらけの説明してるわ」と、さっき聞き取った会話を解説してくれた。「表向きは調査会社を自称している。失踪人の家族から調査を依頼されていて、情報を元に関与が疑われるグループを尾行していたら、昨晩この先であの渚沙ちゃんって子に『接触を図ろうと』したから阻止したそうよ」

「えっ、接触って襲おうとしたとかですか。なにものなんですか、あれ」

「あいつらの正体はね、バーネット協会っていうの。『業界』じゃ老舗なの。だから事情を探りたかった」

「なんですか、それは」

「依頼を受けて有償で人外対策を行う、外注業者」

「人外?」タケルは驚いた。「それで、その代金でも請求にきたんですか?だいたいそんな騒ぎがあったなら、警察を呼んだほうが……」

「一応は心当たりを聞きたいってことだったけど、別の理由がありそうね」


 すると、道路の前でいったん停止し、様子をうかがっていた梓が、ついに意を決したように黒いバンに突撃した。タケルとさくらも急ぎ後を追った。

 接近する梓に気がつくと、黒メガネはさっさとドアを閉めてしまった。

 そして胸前に腕を組んだ禿頭と茶髪が立ち塞がった。大柄な二人に見下ろされた梓は、負けじと薄い胸をそびやかせて、

「ドアを開けなさいよ。私はそこにいる子の姉です」と言った。


「ときどき大胆なことをする娘ねえ。気に入ったわ」

 上空からももの声がした。

「あのいかつい二人は何者ですか」タケルがさくらに聞くと、「協会に属する実行係でしょ。さっきは呪術を使ってたし、いわゆるハンターね」

「吸血鬼ハンターDなら、姉が大ファンなんですが、かなり雰囲気が違う。どっちかといえばやられ役みたいな感じです」

「実写化に失敗したのかも」


 禿頭が呼び掛けた。「お嬢さん。それ以上動かず、大人しくしていてください」

「じゃあ、警察を呼びます」

 すると横にいた茶髪の女が面倒くさそうに言った。

「あたしたちは一応、お上にだって認められてるの。つまらないことはやめなさい、もうじき終わるから」

 ムッとした顔になった梓は、二人をすり抜けてドアに手を伸ばそうとした。

「せっかく、下手に出てやったのにな」

 禿頭が首を横に振りながら再度立ち塞がった。

 小娘を目の前に腹を決めかねている様子だったが、茶髪に睨まれ、大きな掌を突き出した。隆正たちと同じ目に合わせることにしたようだ。

 その瞬間、梓と入れ替わるようにタケルが禿頭と向かい合った。


「どうも」タケルは軽く会釈した。

「なんだ、おまえ」

 禿頭は一瞬驚いた顔をしたが、掌で彼を払い除けようとした。しかし、タケルはやすやすとすり抜け、申し訳なさそうに微笑んでいる。

「こいつ、こざかしい」

 禿頭はムッとした顔になると、そのまま口でなにかを唱え始めた。だが、なにも起こらない。タケルはちょこんと前に立ったままだ。

 禿頭が、滝に打たれる修験者のように、派手に呪文を唱え出した。たらたら脂汗をかきはじめたところで、バカにしたような顔の梓がまた前に踏み出し、ドアを開けようとした。

「ちゃんと仕事しろよ、もう」

 今度は茶髪が出てきて梓の腕を掴み、引っ張った。

「なにするのよっ」

「大人しくしな」

 揉み合いになった二人の間に、タケルが介入した。

「まあまあ、落ち着いてください」禿頭はまだぶつぶつなにかやっている。

「チッ」舌打ちした茶髪は、「仕方ないな。痛いぞ」と言って、今度はタケルの顔に掌を向けた。口中で呪文を唱えはじめる。

 しかし、「すみませんが、またあとで」とタケルは梓のすぐ横へと移動した。

 茶髪はあまりの手応えのなさにしきりに首を捻った。

「え、あれ?おかしいな……?」

 

 悩み続けるハンター二人を放置して、梓がバンのドアノブに両手でとりつき力任せに引っ張った。タケルがそっとそれを手伝う。

 すごい音がして、バンのスライドドアがいきなり開いた。

「あら、壊しちゃった」

 ドアに添えていた手を離し、タケルは知らん振りをした。

 全開になった車内から、黒眼鏡と渚沙たちが目を丸くして外を見ていた。

「由実、渚沙ちゃん。帰ろう」梓が声をかけると、黒眼鏡が慌てた。

「待てっ、いや、帰ってもらうのは構わないけれど、我々は決して怪しい存在ではない。それを理解してほしい」

「ふーん。なら、出るところに出ましょう」梓はスマホを取り出すと、110番を打ち込んだ。「ひとつがんばって、身分を証明してください」

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