第4話 人像カフェ

「ぜったい尾行に気づいていると思うんだけど」

 気弱なタケルの言葉に、梓は憤然として振り返った。ふたりは百メートルほどの距離をおいて、渚沙と由実を追跡していた。

「いいの!とにかく見守ることがテーマなの!」梓は力強くいい切った。

「あんなのが後ろからついて歩いてたら、そりゃ気もつくよ。でもそれは、私たちの責任じゃない」

 あんなの、というのは河本渚沙を尾行している彼女の従兄弟とその友人の二人組だった。梓たちもまた、彼らが同じ目的を遂行中なのは知っていた。先方から早々に接触があったのだ。

 

 タケルとの待ち合わせ場所を目指し、駅の構内を一人で移動中だった彼女に男たちは声をかけてきた。

 突如出現したうすらでかい二人組に面食らった梓だったが、相手による「怪しいものじゃない、河本渚沙の従兄弟です」との連呼に、とりあえず話を聞くことにした。

 斎藤隆正と名乗った男は、当初は慎重に自己紹介した。地元の大学に在学中の彼は、祖母の依頼を受けて従姉妹の行動を追っているそうだった。

「松浦さんとは、目的が同じなんですよ」というのも彼の言ったセリフだった。

 自分の知らない情報を持っているかも知れないと、まずは冷静に考えた梓が、黙って聞いているのに気を良くした隆正は、梓が昨年、学園祭のステージにバンドの一員として立った姿をよく覚えているなどと語り出した。その後は脱線気味となり、黙って聞いている梓の眉は曇り、口元にはしわが刻まれた。

 途中から状況に気づき、物陰から見ていたタケルは、

(これは、ちょっとまずい)と、介入のタイミングを図っていたが、隆正は相手の不快感には気づかない様子のまま、松浦姉妹、とりわけ姉の梓との出会いについて語り続けた。

 隆正自身は、単に疑わしげな顔をした女子高生の気持ちをほぐそうとしているつもりかも知れないが、おそらく梓のような容姿に恵まれた女子高生と語る機会が、めったにないであろうことはタケルにすら理解できた。


 ついには、「ぶしつけなお願いですが、共闘ってどうですか」隆正は満面の笑みを浮かべると、そう持ちかけてきた。その表情から、彼が自分に妙な自信を抱いているのがわかった。

 人目に立つ場所での怒りの噴出を、懸命に回避していた梓の目が、すうっと冷たく細められた。点火から爆発にうつる一瞬の静寂である。その瞬間、

「あのう、お待たせしちゃって」と、タケルが声をかけた。

 梓は、半ばずれたマスク姿のまま、気弱に微笑むタケルの顔をしばらくの間、無表情に見つめると、

「すみません。私、連れがいますから」彼女はつかつかと歩み寄るとタケルを引っ張り出し、肉の塊二つへの対応を任せた。


 その後の隆正の表情の変化は見ものだった。

 梓は指をちょいちょいと動かし、顔を覆ったマスクを取るようタケルに指示した。隠されていた顔貌を確認した隆正は、とたんになんともいやそうな顔になった。一方の肥大漢の方はかすかに頬を赤らめた。

それをまた、梓は横目で観察していた。怪しい。

 タケルと交渉することになった隆正は、体格差を誇示したかったのか、そっくりかえって二の腕と大胸筋の発達した胸を誇示しつつ、彼に共闘問題を再提案した。頼りになる歳上の我々が力を貸せば、さまざまな事変に対応できる、というのがその主旨だった。が、さらに巨体の兄、賢人に慣れているタケルは特に表情も変えず、柳に風と受け流し続けた。

 そのうち隣の肥大漢が相方の袖を引いてやめさせた。さすがにみっともなかったのだろう。それでも隆正は、いまさら感満載でスポーツの有益性について早口で論じた。

(男のマウンティングって、これほど下らないの?それともこいつが真性のバカ?) 当初は、興味深く観察していた梓だったが、進捗のなさにばかばかしくなり、結局のところ介入した。

「すみません、ご提案はお受けしかねますということで。あなた目立ちすぎだし」と、にべなくそう言い放ち、タケルを引っ張って肉厚な二人組から離脱したのだった。


「市立図書館みたいなマンションだ」目の前のコンクリート打放しの建物を見てタケルが言うと、「安藤忠雄先生風ね」と梓は答えた。

 タケルがよく行く近所の図書館は、梓の実家が経営する工務店が施工を担当した。設計された当時、安藤先生風のデザインを公共建築に取り入れるのが流行っていて、県内で似た趣向の物件をいくつか手掛けたそうだった。

 加賀美玲子の店である「カフェ・アイリス」の入ったこのビルも、その当時に建てられたもののようだ。店は一階にあるが、道に面したところには目隠しのコンクリート壁が建ててあり、店の様子は外からはあまりよくわからない。


「一見さんだと、コーヒーショップだって気づかないで通り過ぎそうだ」

「そこがいいらしいよ。でもガラス窓から見える緑が売りだから窓拭きが大変って、玲子さんが言ってるのだって」

 最初、紙袋を下げた渚沙と由実がおずおずと店に入り、そのあとを従兄弟の隆正が追って行った。

「ぼくたち、いらないんじゃない?」

「いいのだ!」梓は力強く言った。「そのときは、そのときよ」

 タケルは首をふりふり、カバンからサングラスを取り出した。

「それより、そのサングラス、まだ諦めてないの」

「うん。これ、兄ちゃんのお下がりだから、ちゃんとしたやつだよ。ちょい大きいから、時々ずれるのは仕方ない」

「ま、いいか」

 

 二人が「アイリス」に入ったのは、ちょうど店内では渚沙たちが渡した1周年の記念品を玲子らしき女性が見ているところだった。

 「こんなに素敵なものを……気を遣わせちゃって……」玲子の笑みを浮かべた顔が徐々に真面目になった。ついには涙ぐんでいる。

 渡したのは、どうやらハンドメイドと思しきブローチかなにかを、小さな額に収めたもののようだ。目のいいタケルには、それが重なりあったバレリーナの姿だとわかった。店のあちこちにある像や絵画などの展示品から見て、店主は人体、それも美しい姿に関心が高いらしいと読めた。

 中学生の贈り物だから、高価なものではないだろうが、感謝する玲子の表情は感謝と真剣味に溢れていて、お世辞とも無理に喜んでいるとも見えない。

 彼女がすごい演技派でないとすればの話だが、渚沙と由実は玲子を心から感激させたようだった。当の二人は顔を赤くしながらもじもじしている。

「タイミング悪かったかな」

「仕方ないわよ。あいつらの神妙な顔を見るのだって悪くない」

 額を大事そうに隅に置き、目じりをこすった玲子が「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。近くで見た噂の玲子は、切れ長の目をした肌の美しい女性だった。想像よりもずっと知的な感じである。

 

 梓とタケルが席に座ると、水を持ってやってきたのは、玲子よりさらに若そうな茶髪の女性だった。短めの髪をして、どことなく姉の奈緒に似ている。サングラスをかけたままのタケルはわずかにうろたえた。姉ならきっと外させたろうからだ。


 あとの注文の取り方などは、普通の喫茶店となんら変わりはなかった。タケルはアイスコーヒー、梓はコーヒーゼリーを注文した。容器はそれぞれ、抽象化はされているが、人の顔がモチーフになっていた。

 土曜日の店内は、半数以上の席が埋まっていて、人々は静かに語り合っている。多くの客は、ときどき展示物に目をやって楽しんでいた。この独特の空間が、気に入っているかのようだった。

 ふたりも周囲を見回した。手の形をした彫刻やら、足の生えた陶器がある中に、やけに生々しい人間の像が置いてある。瓜実顔の女性が微かに口を開いていて、梓とタケルはしばらく目を離せなくなった。

「生き人形ってやつよね。前にテレビで見た」と、梓が言った。そこはちゃんとした展示スペースになっていて、どうやら博物館のように展示替えがなされるようだ。

 そのそばにあるのは、透明な容器だった。中に液体が満たされ、さらに人の頭部があった。もちろん人形だが、こっちはさっきの生き人形よりもややデフォルメされていて、人間ではありえないほど整っている。そばに置かれたプレートの文字は小さすぎて見えないが、これだってアートなのだろう。


「はじめに話を聞いた時」タケルは考えながら言った。「もっとおどろおどろしいのを想像してたんだ。お化け屋敷かよって。でも、かなり違うね。けっこう居心地がいいもんだ」

「うん。悪くない。でも、メイドカフェでなくて残念だね」梓がニヤニヤした。

「行ったことないよメイドカフェ。どんなのかな」

「へー。よかったら、こんど一緒に行く?竹屋町にあるよ。オムライスにケチャップで絵を描いてくれるの、ふりふりの服を着た可愛い子が」

「いや、いい」

「そういや、執事喫茶の店員に向いてるとか言われたりしない?」

「ない」

 渚沙と由実のコンビは、キッチンに近い片隅に座って、ふたりで一つのパンケーキを分け合っている。そして、時折近くを通る玲子や店員と親しげに会話を交わした。こちらを見ないのは、おそらくわざとだろう。

 その先の、小さなブロンズの踊り子の像の置いてあるあたりに、さっきの隆正組がいた。ふたりは立派な背中を曲げて、せっせとパンケーキを食べている。


「すごいな。パンケーキが気の毒だ」首を伸ばして様子を探っていた梓が言った。

「けどこのゼリー、美味しいよ」

「そりゃ、よかった」

「少年、キミは食が細いなあ」

「だって、少し前にビビンバ食べてドーナッツ食べてこれだから」

「考えたら中坊どもも、すごいよね。渚沙ちゃんは大きいけど」

「由実ちゃんは、梓の妹だし」

「ちぇっ」


 玲子はときどき、やわらかな表情を浮かべながら席を回ってコップに水をついだり、交換したりして、常連らしい人々と会話を交わした。今日は年配の客が多く、自撮りしているようなのはいなかった。

 梓は、近くにやってきた彼女に、自分から声をかけた。

「ここ、展示替えってするんですか」

「ええ。特にこの場所は」と玲子は白い指でさっきの生き人形のあるあたりを示した。「ギャラリーのつもりなんです。一、二ヶ月に一回ぐらいの間隔で変えてるの。あとは思いついた時ね」

「あの人形って、すごい珍しいと思うんです。生き人形ですよね」

「ありがとう、よく知ってくれているのね。かなり前に人から譲ってもらったものなの。買おうとしても、いまだとなかなか手にはいらないでしょうね」

 彼女は問わず語りに、以前は兄のやっていたビジネスを手伝っていたが、趣味で集めた物が増えて、どうしても人に見せたくなって店をはじめたのだと話した。

「人形、がお好きなんですか」

「人形というより、人のからだ、人像が好きなの。全身も好きだしパーツも好き。あなたのように、若くて生き生きした女の子の表情は大好きだし、歳を上手にとった人の顔とか、手の指とかとってもすてき」

「そうなんだ。それで手とか置いてあるんですね」


 向かい側の席に座った老婦人が、挨拶するように人の形をしたコップをそばにある手の彫刻にかざしてから、飲み物を口に含んだ。楽しそうだ。

「ええ、あそこにあるのは木彫りなの。以前は気持ち悪いって言われたりもしたけど、このごろは受け入れてもらえるから、ありがたいわ」

「この店、いろんなお客さんがいますね。私たちみたいな興味本位なのから、すっかり馴染んでるまで」

「そうなのよ」玲子は嬉しそうな顔をした。「みんなに楽しくお茶を飲んでもらえて、本当にうれしい。ほかにもっと強烈な感じの、目や耳、唇がモチーフのアートだって持っているのよ。知り合いからは『ちょっとどうかな』って言われてしまってあるののだけど、この調子だったら受け入れてもらえそう」

「おもしろそうです、すごく」

「そう?1周年の記念に展示替えしてもいいなあ」

「あの」タケルが口を挟んだ。「その、お知り合いとは展示を批評しあったりするんですか」

「そうねえ」玲子は苦笑いを浮かべた。「結構うるさいのよ。わたしと興味の対象が少し違うし。ここだって、仕方なく認めてるって感じ。でも、店に馴染んでくれる人が増えているのは認めてるのよ。」彼女は渚沙たちに顔を向けた。「うふふ。いい時代になったわよ」

「だって若いじゃないですか」すかさず梓が言うと、

「あら、意外におばんかも。歳は聞いちゃダメ」

 笑顔を残して、玲子は新しい客の元へと優雅に歩いて行った。


「かわいい人じゃない」と梓は言った。「ガキの私がいうのもなんだけど」

「うん。霊感商法のセールスみたいでもなかった。普通に美人だね」

 なにげなくタケルが由実たちに目をやると、中学生二人は慌てたように顔をそらした。明らかにこっちを探っている。梓が言った。

「やつら、あとでぜったい、『ね、ね、いい人だったでしょ』とか自慢しそうな気がする」

「だろうなあ。でも、なんでおばあさんたち、そんなに警戒したのかな」

「最初はね、よく会うのがファストフード店だってのを、いやがってたの。渚沙ちゃんのお母さんは」

「河本美津江の娘がハンバーガーをもりもり食べるのは、問題なのかな」

 料理研究家の渚沙の母は、スローフードに関する書籍も出していた。

「あそこは、頭ごなしにダメって決めつけず、やんわりと身体にいい食べ物と食べ方へ誘導する方針だと聞いたんだけどな」

「そのあとは、おばあちゃんがすごく気にしはじめた」

「学生時代の知り合いに似てるって、あれが理由?」

「うん。食品生理学の研究会に出入りしてて知り合ったのだって。人体の機能より、むしろ美醜にすごく関心がある人で、顔のパーツとかにめっちゃこだわりがあったそうよ。渚沙ちゃんとかの伝える話し方とか趣味がそっくりだって」

「見た目はどんなだったのだろう、その人の。いまの人に似てたりするのかな」

「私も聞いたの。そしたらね、『バタ臭い』顔だったって。とにかく華やかで、女王様みたいだったって。あんたみたいに目鼻がチョロっとだけはっきりして、色素が薄いとかじゃないのよ」

「それはどうも」

「クレオパトラとか、スカーレットオハラって感じの、とにかく目立つ人だったみたい」

「じゃあ、似てないなあ。あの人は綺麗だけど、女王様とは違う」

「そう。由実はさっきの人を常盤貴子さんっぽいって言ってたのよ。いい線いってるなあ」

「ああ、そうかな。少なくともわし鼻とかじゃない」

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