青葉家特製、数個限定の天然生卵
最近、時間の流れが早い。
気づけば、俺がアメリカへ行く日の3日前になっていた。
昼間は仕事やバイト、ない日は鈴木さんと、夜は奏と遊んで過ごしてるだけなのに、なぜか時間の流れが早い。今までと変わらない生活しているのにな。
「……五月。梓と喧嘩でもしたんか?」
仕事帰りの奏が俺のマンションに到着するなり、これ以上にないほど眉を潜めながらそんなことを言ってきた。
気持ちはわかる。俺も、奏の立場だったら同じこと思うだろうから。
「してない。鈴木さんはそんな暴力的じゃない……」
「え、じゃあ、それなんだよ」
今、俺の左頬はくっきりと手の跡がわかるほど真っ赤になっていた。これでも赤みが引いた方なんだけど、目立つらしい。
俺はそのまま、唖然とする奏を中に招く。
「現場で美香さんにぶっ叩かれた」
「はあ!? あいつ、何してんの?」
「鈴木さんの気持ちも考えてってめちゃくちゃ怒られた」
「……あー」
その説明で納得するってことは、奏も同意見なんだろうな。
そりゃあ、そうか。こんな急にアメリカ行きますじゃ、鈴木さんの気持ちを無視しているのと同じだ。それは、わかってる。
最近鈴木さんと毎日会うけど、帰る時泣きそうなの我慢してるのもわかってる。
それを見るだけで、心が痛い。……なんて、俺が言って良い言葉じゃないけど。
「叩きながら、「梓ちゃんは私が幸せにする!」とか言ってた」
「……ありえる。最近、美香さんの梓へののめり込み具合がすげえもん」
「そうなの?」
「カバンにつけてるストラップ、梓が持ってたやつだった。あと、待ち受けも梓」
「……俺の両親と同レベル」
そのままリビングに移動した俺は、奏に飲ませるコーヒーを淹れる。
千影さんが置いていったコーヒーセットがこんなに役に立つとは思ってなかったな。今「返せ」って言われても、返す気になれない。
それより、美香さんも鈴木さんが待ち受けなのか。
俺も鈴木さんを待ち受けにしたい。でも、絶対怒られるから日本じゃやらない。アメリカ行ったら、話は別だけど。
「でもまあ、アレだよ。お前があっちで他の女になびかなきゃ、梓は待っててくれるよ」
「なびくわけねえだろ」
「どうだか。梓からしたら、今まで散々セフレとヤってきた彼氏が遠くに行きますって事実しか残んねえよ。付き合う前だからって言っても、そんなん通用しないほどお前は遊んでたわけだし」
「なんも否定できません……」
「ってことで、梓はオレが「お前は、それが言いたかっただけか」」
警戒心の強い奏が、まさか鈴木さんを内側に入れると思ってなかった。
いつも女子には芸能人スマイルで人当たりの良い男子を演じてるけど、それだって間に線を引いて「これ以上近寄るな」アピールをしてるようなもんでしょう。体裁を気にしなくて良くなれば、笑顔は消えて興味ないものには一切近づかない。奏は、そんな性格のやつだ。
なのに、鈴木さんにはどんな気分の時も近づこうとしてるし、何かあったら協力もしてくれる。家にだって、マネージャーの高久さんに許可を取ってまで遊びに行ってるし。
気持ちはわかるよ。鈴木さんって、そういう魅力があるから。
「ほい、コーヒー。砂糖ミルクは?」
「ミルクだけ、欲し、い……」
淹れたコーヒーを渡すと、奏の視線がサイドテーブルに行っていることに気づく。
やばい。しまい忘れてた。でも、今更しまっても遅い。
「ミ、ミルクな! わかったから、飲んで待ってて」
「五月、あれ……」
「うるせえ! 見るな!」
「……なんだ、ちゃんと用意してたのか」
視線の先には、小さな箱が1つ。丁寧にラッピングされて、ちょこんとそこに置かれている。
奏は、俺の焦りようを見て中身がなんなのかに気づいたらしい。恥ずかしすぎる。引き出しにしまっておけば良かった。
俺が焦れば焦るほど、奏はいつもの……ゲームしてる時や飯を食っている時のようないつもの笑顔でこっちを見てくる。しまいには、頭を撫でてくる始末だ。
「こんなんで許してくれ、なんて思ってないけどさ。それでも、鈴木さんの安心材料は増やしておきたい」
「五月の分もあんの?」
「あるよ」
「そっか。受け取ってくれると良いな」
「……うん」
やっと奏から開放された俺は、そのまま冷蔵庫に向い牛乳を取り出す。この中身も、空にしてから行かないと。あ、卵の消費期限切れてる。
あと1回分、アップルパイが作れそうだから鈴木さん呼んで一緒に食べようか。その時に、あの中身も渡せたら……。
「ところで、俺のは?」
「は?」
「俺にもなんかくれよ」
「……どうぞ、青葉家冷蔵庫に長期保管されていた天然の生卵です。数個限定」
「え、ちょ!? 消費期限!?」
明日、父さんが来る。
直接会うのは久しぶりだな。楽しみな反面、少しだけ怖い。この気持ちは、なんだろう。
俺は、奏に生卵と牛乳を渡しながら、訳もわからず笑い声をあげる。
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