16
女の争い
鈴木家の朝は「パカ」or「グシャ」
『鈴木梓って知ってる? 知ってるよね』
目の前には、美香さんが居た。
喜色満面な表情をしながら、きっと心は一切笑っていないことだろう。目元も笑っているのに、それは俺の背筋を凍らせてくるんだ。
『……え。な、なん』
『新しいセフレだよね。そうだよね?』
その正体は、彼女の手に持たれているものに集約される。それがなければ、まだ希望があるのだけれども。
『そうだよね。……五月くん?』
俺は、背中に伝う冷や汗を感じながら前を見る。
***
「っっっ!?」
俺は、悪夢にうなされ飛び起きた。
目が覚めると、いつもの寝室と違う場所に居た。いつも一緒に寝ているうさぎのぬいぐるみも、使い慣れた枕もない。周囲を見渡すと、なぜか透さんが隣に布団を敷いて寝ているじゃんか。それに、ここは……。
「おはよう、青葉くん。眠れた?」
「……え?」
俺が寝ていたところは、鈴木さんの家のリビングだ。いつもの小さな丸テーブルを畳み、そこに布団が2つ敷かれている。……そうだ、今日泊まったんだ。
目の前には、ピンクの可愛らしいパジャマを着た鈴木さんが居る。
「あ、うん……。良く、眠れ、た……」
「良かった。パパが強引にごめんね。着替え、脱衣所使って。シャワー浴びても良いし。すぐ朝ごはん作るから」
「お、俺も手伝う! 待って、制服に」
「急がなくて良いわよ。夏休みなんだし」
「あ……そっか」
そうだ。今日から夏休みだ。宿題やってたら遅くなったから、泊まらせてもらったんだ。双子とお風呂に入った気がする。
色々記憶が曖昧すぎてヤバい。
というか、なんか嫌な夢を見た気がするんだけど。鈴木さんのこの姿見たら忘れちゃった。
「布団、どこ戻す?」
「大丈夫よ、パパがやるから」
「え、でも」
「それより!」
「ンガッ!?」
急いで寝ていた布団を畳んでいると、隣で気持ちよさそうに寝息を立てる透さんへ、鈴木さんが蹴りをかましている。……朝からこれは、結構痛いのでは?
案の定、ちょっと涙目になっている透さんがガバッと起き上がった。
「……梓ちゃん、朝はもう少し優しく起こしてほしい」
「次からそうするわね」
「……五月くん、おはよう。梓ちゃんに夜這いしてないだろうね」
「しししししっ! してません!!」
「ちょっとパパ! 青葉くんに変なこと聞かないで!」
「アデッ!?」
朝からこのテンションって、逆にすごいな。俺もつられて高くなってしまう。
そして、透さん。2度目のローキックお疲れ様です。
なんて拝んでいると、リビングに双子が入ってくる。
「あ! パパまだ寝てる!」
「おにいちゃんも!」
「瑞季、要。おはよう、でしょう」
「おはよう!」
「おはよう!」
「おはよう。朝早いね」
「ラジオ体操行った!」
「うわー、懐かしい」
2人とも、首にぶら下げたカードを俺に見せてくれる。今日分の日付のところに、シールが張ってあった。俺の時は、シールじゃなくてハンコだったな。
「明日はにいちゃんと行く!」
「わ、わたしもっ!」
「え、あ、泊まりは今日だけで」
「ダメだ。五月くんは僕と寝るんだから」
「えー! パパずるい! ぼくもにいちゃんと寝る!」
「私も、おにいちゃんと寝る!」
「君たちは五月くんと風呂入っただろう」
「……えっと」
この不毛な争いはなんだろう。そして、誰でも良いので俺の話を聞いてください。
鈴木さん、助け……って!? 居ないし! キッチンで朝ご飯の準備してるし!
「青葉くんー。卵はパカ? グシャ?」
「え……? パ? え?」
「ぼく、グシャ!」
「わたしはパカ!」
「僕もパカー」
「え、あの。それ何?」
何かの呪文ですか?
透さん分の布団も畳んでいると、鈴木さんが謎の言葉を吐いてくる。
みんな普通に答えてるってことは、そういう単語があるんだろうな。でも、俺には心当たりがない。
「ちょっと、それじゃあ五月くんわからないでしょ?」
必死になってなんのことなのか考えていると、リビングに洗濯物を抱えた鈴木さんのお母さんが入ってきた。これから干すらしい。
そして、どうやらその言葉は造語のようだ。
「あ、そっか。青葉くん、あのね。パカが目玉焼き、グシャがスクランブルエッグ」
「あー、なるほど」
「で、どっち?」
「じゃあ、グシャで」
「はーい。すぐ作るね」
「手伝う」
パカとグシャ、ね。作るときの音をそのまま単語にしたってところか。
よし、覚えたぞ。っていうか、鈴木家かわいいな。
「青葉くん、今日の予定は?」
「今日は、夕方から現場ある」
「じゃあ、一旦家帰る?」
「帰るよ」
「わかった。それまで、宿題しちゃお」
「うん」
俺は、エプロン姿の鈴木さんの横に移動し、お皿の準備を始める。
着替えは、朝食後にしよう。
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