それって、本当に彼のことなの?



「……!?」


 私がその人物に気づいたのは、年表を2/3終わらせたあたりだった。


 彼は、いつの間にか私の席の目の前に座っていた。しかも、こちらを見ながら。いや、睨みつけながらって言葉の方が正しいかも。私、何かした?


「えっと、どちら様でしょうか……」


 片肘をついてこちらを覗いてる男子。……どこかで見たことがあるんだけど、思い出せない。人の顔覚えるの、苦手なのよね。

 私は、シャーペンを握ったまま話しかけた。すると、


「すげー集中力だな。15分くらい見てたけど、気づかねーとか」

「ご、ごめんなさい。これ、6限までに終わらせないといけなくて」

「ふーん。じゃあ、終わらせちゃえば?ここで待ってる」

「……私に用事があるの?」


 こんな返しされても、誰だかわからないじゃないの!

 人を待たせておくのって、好きじゃないのよね。だって、落ち着かないじゃない?だから、先に用件を教えて欲しい。……できれば、誰なのかも。


「あるある。けど、オレのこと本当に知らねえの?」

「……同じクラス?」

「ぶは!マジで言ってたら最高だわ」

「ここは図書室よ、静かにして」

「あー、悪りぃ悪りぃ。お前、見た目と違って真面目なんだ」


 ……口は悪いし一言余計だけど、素直な子ね。

 でも、本当に誰だかわからないんだからしょうがないじゃないの。


「まあ、オレが誰かってのはどうでも良いとして。……忠告しに来たってところ」

「忠告?」


 声量を抑えたその人は、よく見ると胸に芸術科の紋章をつけていた。色が黄色だから、同学年の子みたい。

 青が1年、黄色が2年、緑が3年のカラーって決まりがあってね。私の胸には、普通科マークの黄色い紋章があるんだ。


「そ。これ以上、五月に近づくなって忠告」

「……え、誰?」

「五月だよ、五月。お前のクラスの」

「……?」


 そんな人いたかな?

 「サ行」だから私と出席番号近いはずだけど、そんな人聞いたことない。クラス、間違えてるんじゃないの?


「そんな苗字の人、うちのクラスにいませんけど……」

「違うって。名前!青葉五月!お前が先週引っ張ってたやつ。全く、調子狂うなあ」

「……青葉くん?」

「もしかして、名前知らなかったか?」


 苗字だって先週知ったのに、名前まで知るわけないでしょう!


 そう言おうとしたが、威張れることではないと気づいて口を閉じた。

 でも、なぜ初対面の相手が私と青葉くんのことを知ってるんだろう?それに、近づくなってどういうこと?なんだか怒っているみたいだし、なんでだろう?


 私は、目の前でため息をつく男子をただただ見ていることしかできなかった。急いで終わらせたい宿題のことなんか、さっぱり忘れて。


「……はあ。やっぱ、あいつの顔しか見てない女じゃん。マジ、勘弁して」

「どういうこと?」

「あいつがなんで顔隠して生活してるか知らないで、自分だけ素顔見れてラッキーとか思ってるだろ」

「……それは」

「言っとくけど、あいつは誰にでも優しいから。来る者拒まずで手も早い。もうお手つきかどうか知らねえけど、これ以上あいつに近づくな」

「……」

「図星突かれて黙ってんの?あいつと何回ヤった?でも、他の女ともよくヤってるからな。お前だけじゃない」

「…………」


 今、話してるのって青葉くんのことだよね。


 私は、目の前で眉間にシワを寄せて本当に怒っている彼を見ながら、なんだか自分に言われている気がしない言葉を受け止められずにいた。

 

「お前が近づけばそれだけあいつは傷つく。……とにかく、忠告したからな」


 結局名乗らなかったその人は、言いたいことだけ言って図書室を出て行ってしまった。

 ……青葉くんのこと、大事なんだろうな。それは伝わってきた。でも、一方的すぎて理解が追いつかない。


 青葉くんは、私と話してて傷ついたの?

 誰にでも優しい、手が早いって。それって本当に、子どもたちと遊んでくれて、ご飯美味しかったって笑ったあの青葉くんなの?


 確かに、私は彼があの格好で生活している理由を知らないよ。……み、乱れた私生活も。

 だから黙っただけであって、全部を肯定したわけじゃない。

 だって、素顔が見れたからなんだって言うの?そりゃあ、青葉くんの目を見て話せたから嬉しかったけど……。



「……なんでその格好でいるかなんて、初めて喋った人に聞く方がおかしいでしょう」



 私は無意識にそう呟きながらも、泣いている自分に気づく。

 怖かった?悔しかった?なぜ泣いてるのか、自分でもわからない。


 最後に泣いたのっていつだったかな。そうだ、小学生の時だ。

 そんなくだらないことを考えながら、机に顔を伏せて止まらない涙に付き合った。……年表を書いていたノートに、涙痕を残して。



 

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