そもそもSOEって

SOEってナニか。だけど、Song Of Earthの略。


 文明が崩壊後のポストアポカリプスの世界をテーマにしたRPGなんだけど、崩壊の理由がシリーズによって違う。



 シリーズ初期の作品では核戦争によって崩壊。だったんだが、いろいろな事情から、シリーズ後半では、機械生命体の反乱から文明が崩壊した。という設定になった。



 まぁ、放射能汚染とか汚染されていない食料や水を争う。とかがテーマだといろいろと大人の事情が絡んでくると思う。



 私が直前にしていたゲームはシリーズ7作目のSOE7。機械生命体の反乱から、文明が崩壊した。という設定になっている。



 ナノマシンを投与されたことで超人になることも出来る。という設定。


 この辺はゲームバランスを整える為のフレーバーに過ぎないと思ってたけど、注意をしといた方が良いかも知れない。




 あのクソマズのレーションもナノマシンの補給。という設定があったような気がする。



 ゲーム内ではレーションを食べないで、採取したモノだけで生きる縛りプレイをする人多かったけど、フレーバーテキストを完全に無視するのは止めておこう。



 ただ、レーション本当にマズいんだよなぁ。



 アバターでは無い中の人。つまりプレーヤーだけど、大学卒業後、どこにでもあるような中小企業に入り、生活を送っていた。


 特別なトラウマ等もなく、コミュ障でも無いが、特別優れた才能などもない。


 学生時代に武道を数年していた事とアウトドア好きだった事が現状では役に立つかも知れない。


 他は酒やギャンブルにハマる訳でもなく、スマホゲームよりは、ゲーム機のゲームが好き。とか読書もする方。こんな位かな


 で、脅威でもあるんだけど、元々の「私」の精神が、ゲームのアバターの精神に引っ張られてるんだ。



 21世紀のサラリーマンとしての「私」だったら、ゴブリンを射殺して平然としているのはおかしいし、こんな良くわからない場所に放り出されて、淡々と対処しようとしているのもおかしいと思う。



 そういった「おかしさ」を捉えながらパニックにならず、淡々と対処している自分を感じている。


 「自分」が違うモノになっている事に恐れもなく、自然と受け入れている。という不思議な感覚がある。


 プレーヤーとしての「私」はそういう「記憶」を「持っている」に過ぎず、その「記憶」から生じる強い情動等もない。


 またアバターとしての「自分」はキャラクター作成直後のため「記憶」も存在せず、強い情動もない。



 ただポストアポカリプスの世界で生き延びる事の出来る(精神的な)タフさを備えたアバターである。という自覚がある。



 プレーヤーとしての「自分」とアバターとしての「自分」が混ざりながらも、それを客観視している「自分」を認識している。という不思議な感覚がある。嫌な感じもせず、自然体でそう捉えられている。



 で、これだけ植生が豊かなのはSOEだと、エンディングを迎えて数十年後「これだけ豊かな自然が戻りました」というエピローグのレベルでしかない。



 SOEというゲームで捉えた場合、環境はゲームクリア後っぽいんだけど、現状ではまだまだサバイバル。


 会話できる人とも出会っていないし。


 そんなとりとめの無い事を考えながら、焚き火に薪をくべていく。


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