エピローグ ~再びの転校生~
いつもの部室にて その1
「大変よ! 大変よ! チョー大変よ! 本当に大変なんだから!」
翌朝──。沼津高校の部活棟の廊下をけたたましい声を張り上げながら走る、ひとりの少女の姿があった。廊下を走ってはいけません、という規則ははなから無視している。
その非常識な生徒は──魔王堂アリスである。
右手に握り締めた新聞をホームランバッターのようにぶんぶん振り回しながら、部室へと駆け込んで行った。
「みんな、大変よ! ビッグニュースだよ! 絶対に驚くこと間違いないから!」
興奮を隠し切れない声をあげながらドアを開け放ち、部室に入ったアリスの前に、いつもと変わらぬ面々の姿があった。揃って何事かという表情を浮かべて、アリスを出迎える。
「なによ、アリス。朝からうるさいわね。高校生になったんだから、もう少し上品に朝を迎えられないの」
最初に反応したのは猫目櫻子だった。いつもと同様に、ごく普通の学校指定のブレザーの制服を、まるで外国のハイブランドの服のごとく華麗に着こなしている。
「いったいなにをそんなに騒いでいるの?」
「だから大変なんだってば! 吸血鬼事件のことが──」
アリスが言い終わる前に、話に加わってきた者がいた。
「大変大変って、大変の大安売りだな」
声の主は犬神コウである。なぜか顔に凶暴な猫にでも引っ掻かれたような傷の跡があったが、アリスはあえてそのことには触れなかった。これも部長としての心遣いである。
「とにかく、本当に大変なんだからしょうがないでしょ! あのね、吸血鬼事件の──」
再度言い掛けたアリスだったが、全部言い切る前に、結論を先回りした者がいた。
「今朝の新聞に吸血鬼事件の顛末が載っているってことを言いたいんだろう?」
口を挟んできたのは巨人京也である。
「そうなのよ! でも、書いてある記事にちょっと納得がいかないから、こうして大変だって言ってるの!」
「分かった、分かった。そういうことならば、アリス、話を続けてくれよ」
「それじゃ、みんな、この新聞を見てよ」
アリスは部室の真ん中にどんと置いてある長机の上に、手に持っていた新聞をぱっと広げた。
その新聞はアリスが学校に来る途中のコンビニで買ってきたスポーツ新聞である。一面には大きく『吸血鬼事件、無事に解決!』という見出しが堂々と躍っている。
吸血鬼事件についての新聞の記事はというと──事件はすべて思春期特有の若者たちによる集団幻覚によって引き起こされたという旨が書かれていた。つまり、吸血鬼など最初から存在しなかったという結論である。そして、被害者たちは無事に意識を取り戻して、今週中にも全員退院出来るだろうとの観測も書かれていた。一連の事件の顛末についての世間的な発表がこのような形に落ち着いたのは、警視庁0課に勤めるコウの父親がカミラと優希のことを伏せて、上手い具合に話をまとめてくれた結果である。しかし──。
「アリス、この新聞がどうしたっていうの? なにかおかしな点でもあるの?」
櫻子が興味なさそうにちらっとだけ紙面に目を向けた。
「大有りも、大有りなのよ! ここに注目してよ!」
アリスは紙面の隅の方を力強く指差した。そこには小さな文字で、小さな記事が書かれていた。
『地元の高校生探偵倶楽部も張り切って調査していたが、真相には至らず残念無念! あるいは、単なる目立ちたいが為の行動か?』
「なんなのよ、この記事は! これじゃ、あたしたちが無能な探偵倶楽部みたいじゃん! ていうか、目立とうと思って調査したわけじゃないのに! だいたい、あたしたちの活躍があったからこそ、事件は無事に解決したんじゃないの!」
アリスは部長として怒りの訴えを声高に上げるのだった。
「──アリス、あなたは部長なんだから、もう少し冷静になったら」
その言葉を発したのは、今まできりっと背筋を伸ばした姿勢でイスに座り、物静かに小説を読んでいた白包院のどかである。
「だって、のどか……。あたしたち、あんなに頑張ったんだよ……? それなのに、それなのに……」
アリスは倶楽部の頭脳役に泣き付いた。
「はいはい。それは部員一同、みんな分かってるから」
のどかが半分呆れ気味に部長を慰める。この倶楽部では、部長の世話も頭脳役の立派なお仕事のひとつなのである。
「まあ、こんなスポーツ新聞に書いてあることを本気で信じる人間なんていないから、アリス、そんなに心配することないさ」
細かいことなど気にしない京也らしく、鷹揚に頷いてみせた。
「でも、せっかくあたしたちの評価を世間に見せ付ける絶好のチャンスだったのに……」
アリスの悲嘆の声はなおも続いた。こう見えて、部長としていろいろと倶楽部の体裁を気に掛けているのである。
「ふぁああーああ……。あれ? みんな、なにを話しているの?」
なんとも間の抜けた欠伸に続いて、おっとりとした声があがった。長机に顔を伏せて幸せそうに眠っていた闇路さきが、眠そうに目をこすりながら顔を上げたのだ。
「ちょっと、さき! なんであんたはいっつもそうなのよ! みんなで倶楽部の評判について、大事な議論を重ねていたんだから気付いてもいいでしょうが! なんでそんな惚けた顔をして平気で眠っていられるの!」
アリスはさきのワイシャツの胸元を猛然と掴むと、上下左右にぶんぶんと揺すり回しながら、マシンガンのごとく罵声を乱れ撃ちした。
「い、い、いや……あ、あ、あの……ちょっと……だからさ……。アリスにはいつも言ってるだろう……? ぼくら吸血鬼一族は……伝統的に朝に弱いんだからさ……」
さきは眠気の絡みついた声で言い訳をする。
「うっさいわよっ! 吸血鬼だろうと、ヴァンパイヤーだろうと、パパイヤだろうと、ニューイヤーだろうと、そんなのは一切関係ないの! とにかくあたしが大事な話をしているんだから、あんたは両目を限界まで見開いて、しっかり起きていること!」
「う、う、うん……わ、わ、分かったよ……。そ、そ、そんなに大きな声を……出さなくても……ちゃんと起きているからさ……起きて……いるから……」
さきの両目のカーテンは今にも閉じそうな気配である。
「こら! 起きろ! 起きろ! 起きろーーーっ!」
「う、う、うん……お、お、起きるよ……起き……起き……ふぁあーあ……」
さきの両目のカーテンが完全に降りきった。
「ふーん、あたしにそういうふざけきった態度をとるわけ。そっちがその気ならば、こっちも出方を変えさせてもらうからね」
アリスは不意に声のトーンを落とした。
「これでも気持ちよく寝ていられるの?」
アリスは口元に『小悪魔』的な笑みをひっそりと浮かべた。胸元からネックレスを取り出す。ネックレスの先には、可愛らしい小さな小瓶がぶら下がっている。
「ねえ、さき、どうする? 眠気覚ましに、これを顔にかけてあげようか?」
アリスはその小瓶をさきの鼻の前で左右に揺らした。
途端に──。
「──はい、起きます! 起きますってば! たった今、間違いなく起きちゃいました!」
さきが文字通り飛び起きた。
「これでよしと。──それじゃ、話を再開しようか」
アリスが嬉しそうに話に戻ろうとしたとき、部室のドアが静かにノックされた。
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