終わり良ければすべて良し その2

 その後──。


 優希はアリスたち六人に何度も丁寧にお礼を言うと、カミラを背中におぶって故郷──トランシルヴァニアへの長い帰路についた。


 優希にとって日本滞在時間はわずか一週間余りであったが、その間、実に有意義で濃密な時間を過ごすことが出来た。特に今夜の出来事は故郷に帰ってからも絶対に忘れることはない大切な記憶として、事あるごとに思い出しそうな予感がしていた。


 自分と同じくその体内に怪物の血を宿していながら、あんなにも普通に人間と一緒に生活している六人を見て、心底羨ましいと思った。今すぐには無理かもしれないが、自分もカミラもいつかあの六人と同じように、ごく自然に人間と一緒に生活が出来る日が来るかもしれない。いや、そうなるように努力をしなければいけないのだ。


 その為には、今までの閉ざされた考え方を改めて、今いる自分たちだけの世界から一歩外へと踏み出さなければいけない。おそらく、それはひどく困難で、もしかしたら苦痛を伴うものになるかもしれないが、それでも足を止めてはいけない。きっと、その先には明るい世界が待っているはずだから。あの六人がそうであるように──。


「──なあ、カミラ。トランシルヴァニアに帰ったら、みんなでこれからについてよく話し合おう。みんなだって、薄々は気付いているはずなんだ。ただ、きっかけがなくて、それで一歩踏み出せずにいるだけなんだ。だから、ボクらが先頭を切って、みんなを導いていくんだ」


 優希は背中のカミラに語りかけた。


「吸血鬼と人間が争うことなく、平和に生きていくことは出来るんだよ。ボクらは今までその努力をしてこなかっただけなんだ。ボクらが新しい生き方をみんなに示していくんだ。──カミラだって、そう思うだろう?」


「…………」


「まあいいさ。カミラだって、そのうちきっと分かると思うから。サキくんが言った言葉の意味がね!」


 優希の言葉に、背中越しに小さな声で返事があった。


「──そうか、カミラも分かってくれたんだね! ありがとう、カミラ。ありがとう……」


 そのまま二人の姿は夜の闇の中へと消えていった。


 

  ────────────────



 残った怪物探偵倶楽部の面々はというと──。


 コウと櫻子はごく当たり前のように、二人して家へと帰って行った。この二人、なんだかんだ言いつつも、仲が良いのである。


「ねえ、コウ。結局、今夜は活躍する機会もなく終わっちゃったわね」


 まずはじめに櫻子が口火を切った。


「なに言ってんだよ。オレはちゃんと活躍しただろうが」


 すかさず反論するコウ。


「活躍出来たのは最初だけでしょ。コウモリの群れが現れたら、成す術もなかったじゃん」


「それは……その……。オレだって、まさかコウモリが襲ってくるなんて想定外だったからさ……」


「ふーん、それって言い訳なの?」


 櫻子が意地悪にツッコム。


「だ、だ、誰が言い訳なんかするもんか! オレはただ事実を述べているだけであって、とにかく、コウモリさえいなければ、ちゃんとカミラを押さえ込んでいたということを言いたかっただけだよ!」


「まあ、たしかにコウモリ相手じゃ、仕方ないところもあったわね。でも、カミラさんが真犯人だったなんて、今でもちょっと信じられないわよね」


 コウの不満の声を無視して、櫻子は勝手に話を進めていく。


「それは言えてるよな。でも、そう考えると少しもったいない気がするけどな」


「えっ、なにが?」


「だからカミラさんだよ。もっと早くに知り合っていれば、オレが誠心誠意、真心を込めて、正しい道へと案内してあげられたのにって思ってさ」


 まるで夢見るようなような口調で言うコウであったが、このとき、コウは大事な事実をすっかり失念していた。隣に櫻子が居るということを。櫻子の前で他の女性を褒めると、どうなるかということを。果たして、櫻子の反応はというと──。


「へえー、コウはああいう子がタイプなんだ。あんな高飛車で、傲慢で、横柄で、自分勝手で、自己中心的で、唯我独尊の我がまま女が良いって言うんだ?」


 櫻子が背筋が凍りつくような怖い声で矢継ぎ早に言った。


「えっ? いや、その、つまり、なんだ……。櫻子、なんか勘違いしてないか? オレはそんなつもりで言ったんじゃなくて……」


 自分の過ちに気付いたコウが、すぐに必死になって弁解を始める。


「あら、アタシはなにも勘違いなんかしていないわよ。むしろ、勘違いをしているのはコウの方なんじゃないの? なんであんな凶暴な女吸血鬼のことをわざわざ庇うようなこと言うのか疑問なんだけど」


 冷ややかな声で櫻子が答える。さらに左手の指を使って、なぜか右手の爪をしきりにいじり出す。


「おい、待てって。その爪を研ぐような仕草は止めてくれよ。とにかく、オレの話を聞けって!」


「爪がどうしたっていうの? アタシは毎日の習慣である爪の手入れをしているだけのことよ。ただ、もしかしたら偶然になにかの手違いでアタシのすぐ近くにいる誰かの顔を、爪で引っ掻いちゃうかもしれないけど気にしないでね。悪気があってやることではないから。これは猫娘の習慣みたいなものだから」


「さ、さ、櫻子……こ、こ、ここは冷静に話し合おうぜ……。その可愛らしい爪は隠してさ……。ほら、オレたちはもう大人なんだから……」


「問答無用!」


 次の瞬間──。


「ぎゃぐわぎゃああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!!!」


 夜空に浮かんだ綺麗な満月に向かって、狼男の苦痛に満ち満ちた遠吠えが木霊するのだった。



 ────────────────



 同じ頃──。


 きららを背負った京也とのどかの二人は、きららの家へと向かっているところだった。サキに催眠術を掛けられて眠りについているきららを、自宅まで送り届ける途中である。


「──うん? なあ、のどか。今、コウの声が聞こえなかったか?」


 京也がふと足を止めて、耳をすました。


「京也の気のせいじゃないの? 私は聞こえなかったけど」


 のどかも一緒になって足を止めて答えた。


「そうか? でも、たしかにコウの焦ったような声が聞こえた気が……」


「いくらトラブルと共存しているようなコウでも、さすがにこんな真夜中に大声なんて出さないでしょ」


 のどかがコウのことを優しくフォローした、次の瞬間──。


「ぎゃぐわぎゃああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!!!」


 深閑な夜の住宅街に不釣合いな悲鳴が遠くの方から響いてきた。さらに間髪を入れずに──。


「アタシがそのスケベ心をギタンギタンに切り裂いてやるからっ!」


 怒りに満ちた少女の金切り声が聞こえてきた。


「なあ、のどか。やっぱりこの声ってコウと櫻──」


「──ねえ、京也。ほら、夜空を見上げてみて。こんなに星たちがきれいに輝いているわ」


「いや、のどか……。おれは今、星空の話をしているわけじゃなくて……」


「京也、考えてもみてよ。こんなに星空がきれいな晩に、まさか私たちの仲間が近所に迷惑がかかるようなことをするわけないでしょ?」


 のどかがひどく落ち着き払った平坦な声で言った。のどかがキレることはまずない。しかし、冷酷なまでに冷静になるときがある。言うまでもなく、それがまさに今だった。


「のどか……それって完全に怒っているってことだよな……?」


「ああ、なんてきれいな星空なのかしら!」


 京也とのどかによるまるで噛み合わない会話は、コウと櫻子の声が聞こえなくなるまで続いたのだった──。

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