正体 その7

「あんたが本気を出したところで、そんなの無駄なだけだぜ! 悪足掻きはやめておきな!」


 サキは余裕の態度を崩すことなく、すかさず自分に飛び掛ってくるカミラを迎い撃つ体勢をとった。


「無駄なものか! この爪でキサマの腹を掻っ捌いて、腸を丸ごと抉り出して、地面の上にばら撒いてやる!」


 カミラがナイフのように鋭角的な爪を前に突き出してくる。


「動きが遅いぞ! 遅すぎて眠くなってくるぜ!」


 サキはカミラの放った渾身の一撃を難なくするりとかわしてみせた。勝者の表情でカミラを見つめるサキの顔が、しかし次の瞬間、恐怖によって凍りついた。


「くそっ! しまった!」


 サキの口から焦りの声があがった。


 一か八かの攻撃をサキに容易くかわされたカミラは、だが、そのままスピードを少しも緩めることなく一直線に突進を続けていた。その先には背中にきららを庇っているアリスの姿がある。


 カミラははじめからサキを狙っていたわけではなかったのだ。サキに飛び掛っていくと見せかけて、実際のところは最初からサキの後方に控えていた、アリスの方にこそ狙いを定めていたのだ。さきほど優希がカミラに飛び掛っていくと見せかけて、その実、アリスときららを守る為に場所移動をしただけという作戦を、今度はカミラが逆手に使ったのである。


「はじめから『そっち』を狙っていたのかよ!」


 完全にカミラに裏をかかれたサキであった。


「ワタシの顔を傷つけたキサマだけは絶対に許してなるものか! この爪をその身に喰らうがいいぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 

 カミラが魂の絶叫を放った。美麗な顔からは美しさがすべて抜け落ち、今はおぞましい悪鬼のごとき表情を浮かべている。


「────」


 アリスは襲い掛かってくるカミラに対して、しかし、一切焦ることなく静かに体の真正面を向けた。次に右腕を真っ直ぐ水平に伸ばす。左手は右手首のあたりに添えて、右腕をしっかり固定させる。精神を集中させて、全神経を極限まで研ぎ澄まさせて、右手に『力』を溜めていく。


「喰らうのは、あんたの方よぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーっ!」


 そして、アリスは右の手のひらに溜まった『力』の束を、カミラに向けて一気に解き放った。


 アリスの右の手のひらから放たれた不可視の強大な『力』が、恐ろしいスピードでアリスに向かってきていたカミラの体を直撃した。次の瞬間、カミラの体が反対方向に弾丸の速さで飛ばされていく。カミラが飛ばされた先には、ひと際大きく太い松の幹が空高く伸びていた。カミラは背中からまともに松の幹に激突した。


 ゴガゴンッ!


 重い肉感的な音が空間に響き渡っていく。そして──。


 ドザリッ!


 肉の塊が地面に落ちる音があがった。松の幹に背中を預けた格好で地面に座り込んでしまうカミラ。そのままピクリとも動かない。完全に気絶してしまったのである。


「ふぅーーーっ」


 その場で大きく息を吐くアリス。その姿はいつものアリスと変わりなかったが、ただひとつだけ、いつもと違う点があった。


 アリスの瞳は今、地獄の業火を思わせるような地獄真紅色ヘルファイヤーレッドの光を放っていた。



 コウと櫻子がそうであるように──

 京也とのどかがそうであるように──

 そして、サキがそうであるように──


 

 アリスもまた──その体内に怪物の血を宿しているのだった。



 人間と悪魔デビルとのハーフである──魔王堂アリス。



 しかも、アリスはただの悪魔とのハーフではなかった。悪魔の中の悪魔である、魔王サタンと人間とのハーフなのだった。



 それこそがアリスの真の正体なのである!


 普段は自由奔放に『小悪魔』的な振る舞いを見せているアリスであるが、魔王サタンの血を引く娘だけあって、ひとたび、その『力』を解き放つと、このような結果をもたらすのであった。


「──これでやっと終わったみたいだな」


 やたらと格好付けた声で誰にともなくつぶやくサキ。


「あんた、誰に向かって格好付けてつぶやいてんのよ!」

 

 アリスは光の速さでサキに文句を言った。


「まったく、職務怠慢もいいところよ! あたしの対応があと少し遅かったら、きららさんが怪我していたかもしれないんだからね!」


 怒りが収まらないアリスはさらに猛然とサキに噛み付く。


「いや、俺だって真犯人をやっつける手伝いをしたんだから、少しぐらいは褒めてくれても良いと思うんだけどな……」


 サキが反論を試みるが、すぐにアリスの再反論に合う。


「はあ? どの口がそんな世迷言をぬかしてるの? あんたさえ自分の役目をしっかり果たしていたら、あたしが『力』を解放することなく、事件は無事に終わっていたんだからね!」


「まあ……その点はたしかに俺も悪いと思っているけどさ……。でも、そもそも『もうひとりの俺』が、無様にあの女に殴られたりしなければ、もっと早くここに駆けつけることが出来たわけだから……。つまり、俺にはひとつも落ち度はなくて、悪いのは『もうひとりの俺』であって……」


「だ、か、ら! あんたとさきは一心同体なんだから、さきの責任はあんたにもあるんでしょうが!」


 アリスは怒涛の如く捲くし立てる。なぜかサキが相手だと、際限なく怒ることが出来るのだ。


「あっ、いけない。こうやってあんたのことばかりに構っている場合じゃなかった。きららさんの容態も確認しないと!」


 サキへの怒りの余り、きららのことをついうっかり忘れていた。アリスは慌ててきららの方に向き直った。


「きららさん、体の方は大丈夫? どこか怪我とかしていない?」


「は、は、はい……だ、だ、大丈夫です……。アリスさんが身を挺して守ってくれたお陰で、掠り傷ひとつ負っていませんから……」


 きららの声には、それでもまだ若干戸惑いが見られた。


「本当! それは良かった!」


 アリスもほっと胸を撫で下ろした。アリス自身の体についていたコウモリによる無数の噛み傷は、すでに九割近く治りかけていた。悪魔の血によって引き起こる肉体の『怪物化現象モンスターゼーション』の効果で、軽い怪我ならば数分もしないで治癒してしまうのだ。


「あ、あ、あの……アリスさん……。こ、こ、こちらの方は……ど、ど、どういったご関係の人で……」


 きららの目はなぜか話しているアリスではなく、サキのことを見つめていた。


「きららさん、さっきも言ったけれど、この男のことは今夜限りで忘れてね。記憶という思い出の中から完全に消去してもらって構わないから! だいたい、この男の名前なんて、口に出して言うのも汚らわしいぐらいなんだから!」


 アリスはこれでもかというぐらいサキのことをこき下ろした。しかし、それに対してきららは──。


「──あの……サキさんって……か、か、彼女とかはいるんですか?」


 今にも消え入りそうな乙女の告白。                  


「えええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」


 夜のしじまを切り裂いて響き渡っていくアリスの絶叫。


「ちょっと、きららさん! もしかして、さっきどこか頭でも強く打ったんじゃないの? いい、この男はね、別名歩く非常識と言って、道徳心と羞恥心と倫理観をみっつまとめてどこかに置き忘れてきた、外道極まりない存在なのよ! きららさんのような前途ある女の子が言葉を交わすのはもちろんのこと、本来ならば目を合わすことすらしてはいけないような、低劣愚劣卑劣極まりない男なんだから!」


 アリスの罵詈雑言に満ちた説得工作も、しかし、きららの耳には馬耳東風であった。


「あの……もしも、まだ決まった人がいないならば……わたしが立候補して──」


 瞳がハートマークになっているきららには、アリスの声が一切届いていないのは明白だった。


「──悪いけど、少しの間、静かに眠っていてくれるかい」


 きららの顔を見つめていたサキの瞳が、ひと際強い赤光を放った。その途端──。


「あふんっ……」


 きららは力が抜け落ちたようにぐったりとなってサキの体に持たれかかった。


「ちょっと、サキ! あんた、きららさんになにしたのよ!」


 驚いたアリスはすかさずサキに詰め寄った。


「この子に軽い催眠術を掛けて、眠ってもらっただけだよ。これ以上話をややこしくしたくないからな。それに今夜ここで見た光景も忘れてもらわないと困るだろう?」


「それじゃ、きららさんの記憶を消したの?」


「ああ、しょうがいないだろう。俺たちの正体を知られたままにしておくわけにはいかないからな」


「それはそうだけどさ……」


「それじゃ、逆に聞くけど、この場を上手く収める、他になにか有効な手立てはあるのか?」


 サキにそう言われてしまうと、何も言い返せないアリスだった。


「──分かったわよ。状況を考えれば、これは仕方ない処置ね」


 アリスは渋々サキの行為を了解した。

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