ショータイム その1

「フンッ。やっとキサマたちに追い付いたわ」


 カミラが憎しみの篭った暗い目でアリスのことを見返してきた。左手で自らの顔の左半分をきつく押さえている。その指と指と隙間から覗く肌は、醜いまでに赤黒く腫れあがっていた。さきほどアリスが掛けた液体の効果である。


「さっきはよくもやってくれたわね! この顔の傷の借りはきっちりとキサマに返してもらうからな!」


 腸が煮えくり返っているのが、その語勢からはっきりと感じ取れた。


「そんなのあんたの自業自得でしょうが! それにあんたにはその顔の方が似合ってるわよ!」


 アリスも負けじと強烈な言葉で言い返した。


「キサマ、そこまで言ったことを絶対に後悔させてやるからな! いや、キサマの血を最後の一滴まで吸い尽くしてやる! そうすればこの程度の顔の傷ぐらいは、すぐに治癒するからな!」


「治すんだったら、その顔の傷の前に、あんた自身のその歪みきった性格を治す方が先なんじゃないの!」


「好き勝手にほざいていられるのもそれで終わりだ! ワタシがキサマの喉元に噛み付いて、一口でもキサマの血を吸えば、キサマはワタシの下僕と化すのだからな!」


「悪いけど、あたしはあんたの下僕なんかになるつもりはないから!」


 語気こそ強かったが、アリスは背中にきららを庇ったまま、じりじりと後ろ足で後退していくしかなかった。


「この状況で、ワタシから逃げられるとでも思ってるのか?」


 カミラが勝ち誇った表情のまま、アリスたちの方に近付いてくる。


「…………」


 アリスとてこのままでは逃げ切れないことぐらいは、百も承知していた。しかし今はこうする以外他に、何も思いつかなかったのである。



 どうしたらいいっていうのよ……? こうなったら一か八かであたしが飛び掛っていって……。でも、その隙にきららさんが襲われたら……。



 アリスが次の行動に躊躇している間に、カミラは徐々にその距離を詰めてきた。あと少しで手が届くほどの距離になった、まさにそのとき──。


 「カミラ! そんなことはもうやめるんだ!」


 カミラの背後に見える暗い松林の奥から声が轟いた。


「──そこにいるのは誰なの?」


 アリスはカミラに向けていた視線を、瞬時に声のした方に飛ばした。


「──フンッ。誰かと思えば、お前か。またワタシにやられに来たわけ?」


 カミラが冷ややかな笑みを声の主──優希に向けた。


「えっ? どうしてあなたがここにいるの……?」


 思いもかけない闖入者の正体に、アリスは驚きで言葉に詰まってしまった。


「カミラ、ボクは君の愚かな行為を必ず止めてみせるからな!」


 優希がカミラをきっと睨め付けながら、強い意思を示した。


「えっ、でも、だって……あなたも……吸血鬼のはずじゃ……?」


 カミラ自らの発言によって、被害者たちを襲ったのはカミラであると分かったが、優希の立ち位置がまだアリスにはよく分からなかった。


「アリスさん、ボクは犯人ではないよ。逆なんだ。同じ吸血鬼が起こしている凶行を止める為に、この街に来たんだ! それがボクに架せられた、『夜の一族』の代表としての『使命』だからね!」


 優希がアリスの前で初めて自らの素性について口を開いた。


「──そうか、そういうことだったんだ。これでやっと事件の概要が分かったわ」


 優希の言葉を聞いて、アリスもようやく複雑な人間関係を頭の中で整理することが出来た。


「つまり──悪いのはあんたひとりっていうことね!」


 アリスは二人の会話を黙って聞いていたカミラに目を戻した。この類稀なる美貌を持った少女こそが、今回の一連の吸血鬼事件における諸悪の根源だったのだ。


「優希くん、きららさんのことを頼むわ──」


 しかし、アリスが行動に移るよりも先に、優希の方がいち早く動いていた。


「いや、この場はボクに任せて、君たちはすぐに逃げるんだ! カミラ、君の相手は、このボクがしてやる!」


 優希がなんの予備動作もなく、カミラに向かって一直線に飛び掛っていった。そのスピードはまさに吸血鬼だからこそ出せる人間離れしたものであった。


 だが、迎え撃つカミラも優希と同じ吸血鬼である。


「ワタシの力を見くびってもらっては困るな!」


 カミラは優希の動きに少しも焦る素振りを見せることなく、自らもまた優希に向かって飛び掛っていった。 

 

 決死の覚悟を顔に浮かべて挑む優希。対して、カミラは余力を残したような余裕ある顔色をしている。


 月光が差し込む松林の元で、二つの黒い影が素早く交差した。そしてお互いにその立ち位置を変えて、ピタッと動きを止めた。一方は直立不動のまま動かない。もう一方は、体が前後にぐらぐらと揺れ、今にも地面に倒れこみそうな状態である。


「己の非力さを今さらながらに思い知ったんじゃないの?」


 直立不動の影が勝ち誇った声を上げた。


「ワタシとお前とでは、力の差が歴然とある。同じ吸血鬼といえども、お前は吸血鬼と人間とのハーフ。言うなれば、お前はまがい物の吸血鬼でしかない。ワタシのような純血の吸血鬼に敵うはずなどないんだよ!」


 勝ちを確信しているカミラが優希のことをこれでもかと蔑む。


「カミラ……き、き、君の力のことは……知っていた……。正面からぶつかっても……か、か、敵わないことは分かりきっていた……」


 苦悶の表情を浮かべたまま、それでもなんとか立ったままの姿勢を維持している優希。右手でもって左の脇腹の辺りを強く押さえている。二人が高速で交差した瞬間、カミラの鋭く尖った手の爪が、優希の脇腹を深く抉ったのである。


「分かっていたらならば、はじめから無駄な努力はしないことね」


 カミラが爪に付いた優希の血を真っ赤な下で舐る。


「いや……ボクは無駄な努力など……してはいない!」


「はあ? 今さら強がったところでどうなるというんだ?」


「──生憎とボクは強がってなんかいないさ……。だって、これで二人のことを守ることが出来るからな!」


 優希が苦痛に顔をしかめながらも、口元にかすかな笑みを浮かべた。


「何をほざいている! どうやらその傷の痛みのせいで、頭までおかしくなったようね。いったい、ワタシが何を理解していないと──」


 荒ぶる様子を見せていたカミラが、突然言葉を切った。そこでようやく優希の言った言葉の意味を察したのか、悔しげに顔を歪める。


「カミラ……やっと理解したみたいだな──」


「お前……計ったな!」


 一瞬前までは、カミラはアリスたちの目の前にいた。しかし今は、アリスたちとカミラの間に優希がいる。カミラがアリスたちを襲うには、まずはその間にいる優希をなんとかしなくてはならない状況に変わったのである。優希はカミラに勝つために勝負を挑んだのではなく、アリスたちの身を守る為に、敢えてカミラに挑む振りをして、場所移動をしたのだ。


「──さあ、どうする? ボクはこの場所を譲るつもりはないからな」


「そんなふらついた状態のお前に、いったい何が出来るというんだ?」 


 一時の興奮状態から冷静さを取り戻したのか、カミラは優希の行動を嘲笑した。


「この程度の傷ならば、彼女たちが逃げ切れる間、十分に君の相手をして、足止めぐらいは出来るさ」


 優希がアリスたちのことを守るように、カミラと再び向かい合った。


「それはダメ! そんな傷付いた体で動いたら、ますます傷口が広がっちゃうでしょ!」


 アリスは言下に優希の言葉を制した。


「しかし、アリスさん……。ボクは『夜の一族』の代表として、これ以上君たちに迷惑を掛けるわけにはいかないんだ……。ボクのことは気にしなくてもいいから、君たちは早く逃げるんだ!」


「いいえ、あたしは逃げない!」


「アリスさん、何を言ってるんだ! ボクの行動を無駄にしないでくれ! チャンスはこれきりなんだ!」


 優希の言うことは最もであった。ここで優希にカミラを足止めしてもらうことで、アリスはきららを連れて逃げることが出来るだろう。しかし、目の前で傷付いている優希を置き去りにして、このまま逃げる気にはさらさらなれなかった。


「──あたしがこの女の相手をするから!」


 だから、アリスはそう決断した。


「アリスさん、君はいったい何を考えているんだ……?」


 優希が驚きの目でアリスの顔を見つめてきた。


「心配しないで。あなたが思っているような悲劇は絶対に起きないから」


「えっ……? それってどういう意味なんだ……?」


「つまり──あたしも、あなたと『同じ』だということよ」


「同じ……? なあ、君はいったい……?」


「その話はあとでしっかりするから。今は目の前の脅威をなんとかしないとね」


 アリスは困惑気な表情を浮かべる優希に対して、大丈夫だという風に軽く頷いて見せると、優希の前に移動した。


「──さあ、カミラ。今度はあたしがあんたの相手になるわ!」


 蒼い月光の下で、アリスはカミラと対峙した。

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