正体 その4

 千本浜高校の校門から少し離れた場所に設置されている自動販売機の裏側で、がさごそという異音がした。さきほど缶紅茶を買いに来たさきは、この場所で突然カミラに後頭部を殴られて、気絶という強制的な眠りについてしまったのだった。その気絶からようやく今目を覚ましたところである。


「う、う、うーん……痛てて……」


 最初に苦痛を訴える声。


「──まったく、あの女、とんでもない怪力の持ち主だな……。人の頭を全力で殴りやがって……」


 続いて聞こえてきたのはぼやき声である。たしかにさきのものなのだが、その口調はいつものものとは明らかに違っていた。平素は寝惚けたようなおっとり口調がさきの持ち味なのであるが、今はコウのようにがさつで野卑た調子である。


「だけど、それにしてもドジなのは『アイツ』だよな。少しばかりイイ女だからって油断しているから、こういう痛い目に合うんだよ。『ひとりの体』じゃないんだから、しっかりしてもらわないと、こっちが迷惑を被るっていうんもんだぜ──」


 さきであってさきではない声はさらに呟いた。しかし、その発言の内容には意味不明な点が数多くあった。



 いったい『アイツ』とは誰のことを指しているのか? そして『ひとりの体』じゃないとはどういう意味を示しているのか?



「まあ、いいさ。とにかくこうして目も覚めたことだし、あの女を追いかけるとするか。何倍にもしてお返しをしないと、こっちの気が済まないからな」



 ────────────────



「ア、ア、アリスさん……カ、カ、カミラが……カミラが……」


 走って逃げるきららは先ほどから何度も同じ言葉を繰り返すばかりである。

 

「きららさん、今はそんなこと考えなくていいから! 逃げることに集中して!」


 アリスは怒鳴るような口調で言いいながら、きららの腕を引っ張って全力で走っていく。


 千本浜高校の校門から逃げ出して来た二人は、校舎の南西に位置する千本浜海岸の方に向かっていた。他の人に迷惑が掛かる可能性があったので、住宅街の方はあえて避けたのである。


 二人が目指す千本浜海岸と道路との間には、何千もの松が海風を防ぐ目的で植えられていた。千本浜の地名の由来にもなった松林である。


 アリスたちは道路を横切ると、迷うことなくその松林の中に入っていった。あたりはすっかり暗かったが、アリスは速度を緩めることなく走っていく。問題はきららだった。追われていて狼狽しているせいか、さきほどから何度も地面に張り出した松の根に足を取られては、その度に転びそうになるのだ。当然、二人の走るスピードもその度に減速を余儀なくされてしまう。


 

 どうしよう……どうしよう……。このままじゃ、絶対にあいつに追い付かれちゃう……。



 アリスの胸中に焦りが生まれる。走りながら必死に頭で逃げる術を考え始める。



 きららさんにどこかに隠れてもらって、あたしがオトリになって逃げるとか……。いや、あいつはきっと鼻が利くだろうから、それはダメか……。何か別の方法を考えないと……。


  

 気が急いているせいか、それとも単純にアリスの生まれながらに持った知能指数のせいか、いっかな名案らしい名案が思い付かない。


「きゃあっ!」


 不意にアリスの右手から、しっかり掴んでいたはずのきららの手が離れた。きららが足を躓かせて、盛大に地面に転んでしまったのである。


「きららさん、大丈夫!」


 アリスはすぐに足を止めて、転んだきららのもとに駆け寄った。


「うん……大丈夫……。ちょっと躓いちゃっただけだから……」


 きららが苦痛に顔を歪めながらも健気に立ち上がろうとした途端──。


「あっ、痛っ!」


 再びその場に座り込んでしまった。両手で右足首のあたりを何度も擦っている。おそらく躓いた拍子に、足を挫いてしまったのだろう。



 これは本当にマズイかもしれない……。


 

 アリスは声には出さずに、心の中で漏らした。この場に留まっていたら、いずれカミラに追いつかれてしまうことは火を見るよりも明らかである。しかし、かといって怪我をしたきららと一緒に逃げることも無理がある。


 完全に八方ふさがりの状況に陥ってしまった。


 

 バザササッ! 

 


 突然、松林の間から何かが激しく落ちてくる音が上がった。音とともにアリスたちの目の前に降ってきた黒い物体の正体は──。


「まさか……?」


 驚くアリスの視界の先に現れたのは、女吸血鬼カミラであった。吸血鬼の正体を現したカミラはその驚異的な身体能力を活かして、地面を走るのではなく、空中に伸びた松の枝から枝へと身軽に飛び移ってきながら、アリスたちのことを追い掛けて来たのだろう。


 

 逃げられるのもここまでか……。



 アリスは追い付かれてしまった悔しさにきつく奥歯を噛み締めながらも、それでも負けずに強い視線でもってカミラの顔を睨むのだった。

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