第68話 まずは守りから

 時は、朴人の元を離れてサーヴェンデルト王国有志連合軍の偵察をしてきたクルスとランディが戻ってきた頃に遡る。


「お帰りリーダー。で、どうだったの?」


「お前なミーシャ、持ち場を離れたことへの謝罪の言葉が先だろうが」


「しょうがないじゃない、ボクト様についていくのが最優先でしょ?」


 ミーシャの言葉にポリポリと頭を掻いたクルスだが、自分の誤りを認めてすぐに謝罪した。


「ああ、そういうことか。そりゃ俺の方が悪かった。で、ミーシャもマーティンも大方予測してただろうが、アレはサーヴェンデルトの騎士派、魔導派の複数の貴族が寄り集まった連合軍だな」


「それにしては数が多すぎませんか?領地に最低限の防衛力を残すことを考えると、騎士派、魔導派がそれぞれ出せる兵隊さんの数を越えてると思うんですけど。多分ですけど、森の反対側まであれが続いてるんですよね?」


「ああ、その通りだ」


 マーティンの鋭い指摘にクルスは頷く。


「ざっと見たところ、総兵数は約十万。いくら騎士派、魔導派でも、こんな大軍を出せる余裕はない。ましてや、今は王都で王宮派が復権したばかりだからな。どこの貴族も万が一に備えて領地の防衛には気を遣ってるはずだ」


「じゃあ一体どこの、って話になるが、奴ら隠す気がないのか堂々とそれぞれの家の旗を掲げてやがった。で、騎士派と魔導派の連合軍だ、って結論になったわけだ」


「……色々突っ込みどころはあるけれど、その眼で見てきたリーダーとランディが言うんだから間違いないわね。それで、あいつらなんで永眠の森を包囲してるのよ?」


 ここまですらすらと答えてきた偵察組の二人だが、ミーシャの質問にはさすがに一瞬言い澱んだ。


「……さあな。もともとリートノルドの街は貴族の利権の塊みたいなところがあったからな、恨みを買っていたのは間違いないが、それだけで十万の軍を出すわけもないからな。ま、この大軍を興した黒幕にでも訊く以外、知る術はないだろうがな」


「黒幕?そんな奴がいるの?」


「そりゃあいるさ。じゃないと、長年いがみあってきた騎士派と魔導派の貴族達がああやって兵を並べてる説明がつかん。そいつが騎士派と魔導派の中を取り持ち、その裏で何かデカい陰謀を巡らせているんだろうさ」


「なるほど。それで、その黒幕の目星はついてるんですか、クルスさん?」


「うわっ!?」


 いきなり会話に割り込んできた朴人の声に、クルスを含めた『銀閃』の四人も驚きを隠せなかった。

 三人の仲間の中に「クルスさん」なんて他人行儀な呼び方をする者など居ないこともあったが、少し離れた距離で飽きることなく有志連合軍の様子を眺めていたはずの朴人が気配も見せずにクルスの背後に立っていたからだ。


(いや、ていうか、間違いなく今さっきまで背後に気配なんかなかったぞ?ちゃんとボクト様の位置も感知してたし……)


「で、どうなんですかクルスさん。黒幕の正体を知っているんですか?」


 考えがまとまらないクルスだが、朴人はそんなことはお構いなしとばかりに畳みかけてくる。

 これにはクルスも、自分の当て推量を話す以外にはなかった。


「ま、まあ、それなりには……騎士派と魔導派には首魁と目される大貴族がそれぞれ三家づつあるんですけど、暫定的に当主の座に就いてるだろう六人の嫡男、その中でこんな突拍子もない芸当に出るのはただ一人、ラーゼン侯爵家のエドワルドだと思いますよ」


「当然、あの中にいるんですよね?」


 朴人はそう言いながら、自分達がいる丘の向こう、永眠の森を囲む人族の大軍を指差す。


「貴族の中でも秀でた頭脳を悪用した陰謀好きって噂ですけど、その成果を自分で見ないと気が済まない質らしいです。だから多分、ラーゼン侯爵家の紋章の、あの白鷲をモチーフにした旗の辺りにいるはずですよ」


 そう言ったクルスが指差したのは、己の存在を誇示するように無数に林立する貴族の旗、その中でも眩しいほどの白一色で際立っている鷲の軍旗。


「でもさすがにサーヴェンデルト王国を代表する大貴族の軍、当主自身が率いてるだけあって隙のない布陣ですよ。さすがにアレは近づけな――」


「そうですか。じゃあちょっと行ってきますね」


「……ボクト様?」


 クルス達『銀閃』の持ち味は、なんと言ってもその隙の無さだ。

 依頼の最中はもちろんのこと、一見駄弁っているだけの気が抜けているような状況でも、四人でフォローし合うことで、全周囲への警戒を怠ったことはない。

 そんなクルス達が、文字通り朴人が消えた瞬間を目の当たりにしてちょっとしたパニックに襲われてしまった。


「ちょ、ちょっと待った!ついさっきまでそこに居たよな、ボクト様!?」


「わけわかんないんですけど!?何が起きたの!?」


「魔法?聖術?幻惑?いやいや、こんな一瞬で消えるなんて、しかも痕跡も残さずに!」


 三人の仲間が慌てふためく状況で、自信も混乱の最中にあったクルスが呟いた一言は、誰にも聞かれることはなかった。


「……今、ボクト様が地面に吸い込まれたような?」






「こんにちは」


 最初、エドワルドはそれを魔導派の火球の爆発か自軍のざわめきが聞かせた幻聴だと思った。

 総勢十万を数える大軍の中心にいるのだ、どんな偶然が起きてもおかしくはないし、キョロキョロと発生源を探すのも大貴族としてあるまじき振る舞いと思い、無視した。


「こんにちは」


 さすがに二度目となると、幻聴の可能性は捨てた。

 そして次に考えた可能性は、側近達同士かその従者同士のあいさつだった。

 通常ならば、そんな他人行儀なあいさつなど気心の知れた者同士で言い合うはずもないが、今はラーゼン家当主が代替わりして間もない頃であり、側近達にも入れ替わりが起きたばかりだ。

 その中であまり面識のない者同士が手始めにそんなあいさつから入ったのだ、そう思うことにした。


「こんにちは」


 もう三度目はごまかせなかった。


 いや、エドワルドの視界には、平民の服を着たその冴えない男の姿はとっくの昔に入っていた。

 だが、一万を数えるラーゼン侯爵軍の防御陣ばかりか、エドワルドが一人でくつろいでいる天幕の前に立っている護衛騎士の眼すら盗んでエドワルドの眼の前に立つ男の存在を、ラーゼン侯爵家当主として認めるわけにはいかなかったのだ。


「……下郎、どうやってここまで入ってきた?」


「へえ、驚かないんですね。私が貴方の立場だったら、腰を抜かして驚いてるところだと思うんですけど」


「馬鹿な、私はラーゼン侯爵だぞ?常に泰然自若として何事にも動じぬ気概を持てと、幼き頃から教えられてきたのだ。この程度のことでいちいち騒いでなるものか」


 そううそぶいたエドワルドだが、真実は少々異なる。

 驚きはしていたが、自身の幻覚のせいにしている間に少しづつ現実を受け入れた、つまりただの偶然の産物のものだった。


「それよりも貴様、さっさと私の問いに答えろ。私の天幕に易々と入らせた、外の護衛どもを罰する理由が必要であるからな」


 大貴族の余裕を見せるため、すぐに大声で助けを呼びたいところを我慢して、あくまで尊大に言うエドワルド。

 その姿勢が生物として正しいかどうかはともかく、少なくとも朴人はエドワルドに問いに素直に答えた。


「この下、どうなってるか知ってますか?」


「下、だと?」


 朴人がおもむろに指差したのは、紛れもない地面。

 これにはさすがのエドワルドもオウム返しに聞く以外に方法はない。


「この永眠の森を中心にした地面の下、地中には根っこが無数に枝分かれして伸びてるんですよ。で、いったんこの体をその根っこに吸収させて、すごいスピードで別の根っこの先に移動させることができるんですよ。元は同じ体ですからね、ちょっと森を包囲している人族に見つかりたくないなと思って試しにやってみたらできちゃいました」


「………は?貴様、何を言っている?」


「ちょっと外に出ましょうか」


 エドワルドのさらなる問いを無視して、朴人は傍若無人に天幕を出て行く。

 これにはエドワルドも黙って付いていかざるを得ない。


「エドワルド様?」


 朴人、エドワルドの順に出てきたところを護衛騎士たちも見ていたが、特に危険な状況とも思えない以上は主の命令なしに彼らが動くことはない。


「うーん、さすがに寝床を燃やされると困りますね。……どうやら弓なりに飛ばすことで森の奥に着弾させているようですね。なら、これでどうですかね」






 その事態の元凶を正しく把握している者は、すぐそばで見ていたエドワルド達を含めても、当の朴人以外には誰一人としていなかった。

 わかったのは、突如地面を割って足元から伸びてきた数本の太い根っこと朴人の足が融合した瞬間、地面が揺れ始めたという連なった事象だけだった。


 ――――――ッッッッッッンンンンンンゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!


「なんだ!?地震か!?」 「うおおおおおお!?」 「全員、下馬してやり過ごせ!!」


 突然の大地の揺さぶりに対処できる者など居るはずもなく、サーヴェンデルト王国有志連合軍は大混乱に陥った。


 倒れる天幕、棹立ちになる馬、振り落とされる騎士、逃げ惑う兵達。


 それぞれの指揮官ですら手が付けられない状況の上、逃げ出した馬に轢かれる者が続出、果てには平静を失ったそれぞれの貴族が勝手にバラバラに命令を発し始めた。

 当然、自分達の攻撃目標がどうなっているのか確認する余裕のある者が出てくるまでに、それなりの時間が必要だった。


 最初に気づいたのは、攻撃の第一陣として魔導士部隊を指揮していた魔導派の部隊長だった。


「ええい、持ち場を離れるな!?早く攻撃を再開……なんだあれは?」


 その呆けたような部隊長の声に反応して前方を見た魔導士達もまた、同じように呆然とした。

 人間、慌てている時ほど他人の様子が気になるもので、右往左往している兵達も彼らの様子を見てその視線の先を見た。

 数か所で起きたその動きは次々と有志連合軍の中を伝播していき、やがてエドワルドのところまで到達した。


「若!ご無事ですか!?」


 転倒してうつぶせのまま耐え忍んでいたエドワルドの元に、ラーゼン侯爵軍の大将を務めるレオニスが駆け付ける。


「おお、レオニスか。私は無事だ。それよりそこの狼藉者を……」


「それどころではありませぬ!前を、前をご覧ください!!」


「貴様レオニス、私に逆らう気…………」


 そこで、うつぶせの体勢のままのエドワルドの言葉は止まった。


 エドワルドが見たのは、木の根っこだった。だが、ただの根っこをサーヴェンデルト王国有志連合軍十万全員が同じものとして認識し、その視界に収めることなどできるはずはない。

 永眠の森、それを支える地面ごと、途方もない太さと数の漆黒の根が持ち上げ、さながら大自然の恵みが作り出した、不自然極まる天然の要塞の様相を呈していた。


「なんだ、あれは?」


「だから、私が一万年の眠りから目覚めた直後にこの圧縮体から切り離した、根っこですよ」


 そう言い放つように答えたのは、未だ小さな揺れの続く中でも超然と立つ朴人。


 その声が真に届いていたかどうかは、エドワルド本人にもわからなかった。

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