第67話 閑話 庭園のフランチェスカ

「ああもう、めんどくさいです、ね!」


 バシイイイィン!!


 その掛け声と共に振るわれるのは、地面から生えた大木ほどの太さはあろうかという巨大なバラのツル。

 空へ向けてのたうつように伸びた数十のツルが、永眠の森の外から放たれた魔法の火球を次々と空中で打ち払っていく。


 それを操るのは、永眠の森の中央部、以前はリートノルドの街と呼ばれていた『市街地』の中央広場に立つ緑の美少女。

 永眠の魔王ボクトから『庭園のフランチェスカ』の二つ名を送られた公爵位の眷属が、今まさに永眠の森を滅ぼそうとする人族の軍勢にたった一人で立ち向かっていた。






 朴人が『銀閃』の四人を連れて永眠の森を出発した後、フランが自らの眷属に向けて放った残酷な言葉の数々。

 別にあの言葉そのものに関してフランが後悔していることなど欠片ほどもなかったし、朴人とフランの事実をありのままに言っただけのつもりだった。

 善意も何もない言い様ではあったが、かといって悪意があったわけでもない。

 ただ、朴人の気性を考えた時、一つの結末として永眠の森を一顧だにせずに見捨てる可能性はそれなりに高く、エルフのイーニャ達住人の思いを裏切ることになるかもしれないと現実を突き付けただけのことだった。


 永眠の魔王ボクトは寄り掛かっていい存在ではない。


 その事実を告げることには、実はフランには何のメリットもない。

 強いて言うなら、突き放すように告げることそのものがフランの永眠の森に暮らす亜人魔族達への思い入れ、と言えないこともない。


 当然、それからの永眠の森の日々は非常に気まずいものになった。


 まず、陳情に来る亜人魔族の数が劇的に減った。

 おそらくは各種族の間でフランの言葉が伝わり、彼らの中で畏れのようなものが蔓延した結果だろう。

 眷属たち自身もフランに話しかける数が減り、事務的な話題がほぼ全てとなった。


 フランへの視線も敬愛から不信と畏怖へと変わり、眷属以外に近寄る者は居なくなった。






 だからといって、フランが何か気にしたり後悔したかと言えばそんなことはなかった。


 以前のフランは下級精霊の一人でしかなかった。

 大した力があるわけでもなく、滅びの時を待つばかりだった朴人が現れる前の森では、他の精霊の仲間などいなかった。


 フランは独りだったのだ。


 生まれてから冒険者に捕らえられて人族の愛玩用として売られそうになるまで、運命に流されるだけのフランの精霊としての生は何一つ自分で何とかできるものではなかった。


 それを救ってくれたのが朴人だ。


 朴人はフランを助けてくれただけでなく、魔力が枯渇して消滅する寸前だったフランを眷属にして第二の生を与えてくれ、さらに公爵位まで授けてもらった。

 その朴人の行為に何か憐みとか無私の心があったとはフランも思っていない。当時はともかく、その時の朴人の言葉の通り単に案内役が欲しくて側に居たフランを気まぐれに助けただけなのだろうと、今は確信している。


 だがそんな朴人の気まぐれへの恩義を返すだけのことに、フランは第二の生の全てを捧げるつもりである。

 フランが眷属たちへ告げた言葉は、そのままフラン自身へと向けた覚悟を問う言葉だった。


 そんなわけで以前よりは理想に近い、眷属や住人たちとの距離感を獲得したフランだったが、完全に思惑を外れた事態が、朴人不在の永眠の森を襲った。


 サーヴェンデルト王国の騎士派、魔導派の貴族で構成された有志連合軍の侵攻である。






「うーん、これはちょっと、手の打ちようがないですね」


 永眠の森市街地の中央広場にの一角に陣取り、目を閉じて永眠の森に生息する植物と同調して周辺の様子を探ったフラン。

 その結果もたらされたのは、永眠の森を完全包囲しようと外周部をぐるりと取り囲もうとしている有志連合軍の存在だった。


「しかも、包囲するだけじゃなくてわざわざ切り出した木で柵まで作っちゃって……あの時はイーニャさん達にああ言いましたけど、今脱出するのは自殺行為にしかならないですね」


 幸いなことに、今のところ逃げ出す素振りを見せている種族は一つもないことも、植物との同調でついでに確認しておいたフランは小さく息を吐く。


 フランとしても、永眠の森の住人達に無駄に死んでほしいわけではない。

 朴人とは比べるまでもないが、彼らの有益性はフランもちゃんと認めてはいるのだ。


 それでもとりあえず後で脱出は現状無謀、と通達だけは出しておくべきか、と記憶に刻み込んだところで、まるで見計らったかのように声がかけられた。


「フランチェスカ様、森の外の事態に気づいておるか?」


「ガラントさん」


 フランの前に現れたのは、今や気後れすることなくフランに話しかけてくる数少ない内の一人、ドワーフのガラントだった。


「フランチェスカ様の眷属に頼まれてな、外の人族の軍について知らせに来たが……その様子だとすでに把握しておるようだな」


「これでもボクト様の眷属ですからね、森の植物の力を借りれば大体のことは把握できるんです」


「そうか、ならば余計なお節介だったかな」


「いえ、ちょうどいいのでガラントさんに聞きたいことがあります。というより教えてください」


「ほう、フランチェスカ様から教えを請われるとはな。まあ、だてに年は食っておらんからな、ワシの答えられる限りのことならば何なりと」


「時間がなさそうなので単刀直入に聞きます。外の人族の軍に現戦力だけで勝てると思いますか?」


「無理だな。森の中に引き込めればあるいは、と言ったところじゃが、あ奴らがその手には乗らんのはフランチェスカ様も知っての通りだ。これまでの敵と違って、あ奴らは森の資源を手に入れるつもりがないらしい。まず間違いなく、森ごとワシらを滅ぼそうという気だろう」


「私が本気を出しても、ですか?」


「ワシはフランチェスカ様と直接敵として対峙したことはないが、それでも『双頭の蛇』との戦いの一部始終を聞いただけだがある程度の推測はつく。まず一万、外の兵を滅ぼしてそれで終わりだな」


「……その十倍はいそうですもんね」


「だが、望みが無いわけではない。というより、ワシらが生き残る道はこれ一つしかないな。ボクト様の帰還だ」


「つまり、ボクト様が帰られるまで私達が粘れば勝ち、そうでなければ負け、ということですね」


「いくらワシらや白鷲騎士団の小隊を失ったと言っても、それだけでこれほどの軍を寄こすのは段階をいくつも飛ばし過ぎとる。間違いなく、ボクト様が王都で何かをした結果だろう。となれば、尻に火がついておるのはあ奴らも同じこと。そして、ボクト様が森に帰還される日もそう遠くはないという証であろうな」


「……わかりました。ではガラントさん、森の住人に伝えてください。ボクト様より永眠の森の管理を任された『庭園のフランチェスカ』の名において、森の外へ出る行為を禁ずると。私達が生き残るためには籠城の道しかありません。死にたくなければ決して集落の外に出ないように、と」


「……フランチェスカ様御一人で何とかされるおつもりか?」


「あらガラントさん、知らないんですか?これでも私、けっこう強いんですよ?」


「……まあ、フランチェスカ様にかかればワシらでは足手まといか」


 そう愚痴のようなことを呟きながらガラントが去ったのが、三日前のことだった。






 そして三日後の早朝、奇襲の鉄則である夜討ち朝駆けを遵守するように、魔導師団の一斉攻撃で戦いの狼煙を上げた有志連合軍。

 対するは、フランの意のままに動く巨大なバラのツルによる迎撃。

 バラのツルはまるで目がついているかのように次々と魔法の火球を打ち払い、空に四散させていく。

 一見うまく有志連合軍の攻撃を捌いているように見えるフランの迎撃だが、市街地でツルを操る当のフランには焦りの表情が見え始めていた。


「……さすがに火球は払えても、はじけた火の粉まではどうにもなりませんね……」


 フランの言う通り、火球の直撃自体は防げても、その余波で生じた無数の細かい火の粉までは感知しきれないし、払うこともできない。

 そして強力な魔力でコーティングされ耐火性を帯びたフランのツルとは違い、永眠の森はあくまでただの森で、火の粉が降りかかれば普通に燃える。


 これはある程度の森の焼失は覚悟しないと、とフランが思ったその時だった。


「こ、これは……」


 現場から遠く離れたフランに、その声など聞こえるはずもなければ、ましてや姿など見えるはずもない。

 だが、火の粉が着火して燃え広がりそうになった木々や植物を消火して回っている存在をフランは感じた。

 それも一人や二人ではない。森全体の出来事を漠然と感じられるフランの能力をフルに使っても追いきれないほどの数の気配が森の中で消火活動に走り回っていた。


「まったく、皆さんも大人しくしていればいいのに……」


 そう言うフランだが、いつの間にかに表情が緩んでしまっていることを自覚した。


「いけないいけない。ボクト様が戻られるまでは……」



 その時だった。



 強烈な地鳴りと共に永眠の森全体が蠢いていると、フランだけでなく森の住人の全て、そしてその外周部に居並ぶサーヴェンデルト有志連合軍が気付いたのは。



 そしてもう一つ。



「ボ、ボクト様!?」


 この時点で、その微かな気配に気づいたのは、唯一の眷属であるフランだけだった。


 しかし、その魔王の恐ろしさをすぐに誰もが思い知らされることになる。


 今まさに、千年を超える歴史を持つサーヴェンデルト王国の大貴族たちが、一万年の時を生きるトレントの力を目の当たりにしようとしていた。

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