第62話 帰りましょう

「魔神……」


 その言葉を聞いた時、ブルトリウスのの脳裏に最近記憶した一つの報告書の文面が浮かんできた。

 それは、サーヴェンデルト王国の大口の武具輸入先だったドワーフ族の国、ガーノラッハ王国に関するものの中に一度だけ登場していた。

 なんでも雲を衝くような巨大な存在がガーノラッハ王の居城でもある大工房を破壊したという、誰もがおとぎ話か悪質なデマだと笑い飛ばすような内容だった。

 笑い飛ばせなくなったのは、その後ガーノラッハ王国との武具の取引が出来なくなってからのことだ。

 当然ブルトリウスも諜報の限りを尽くしてその原因を探ったのだが、集まった玉石混交の情報の中でもとびきり荒唐無稽な言葉として、ブルトリウスの印象に残っていたのだ。


 曰く、「魔神が大工房を踏み潰した」と。






「そ、総本部が……」


「私達は悪夢を見ているの?それとも神話の中に迷い込んでしまったの?」


 もはや魔導師団総本部まであと少しというところまで来たところで、今出てきたばかりの自分達の本拠地、王国騎士団総本部が文字通り粉砕されたという現実に、道行く周囲の人々が逃げ惑う大混乱の中、四人の騎士団長たちですら馬上で呆然とするだけだった。

 本来なら、王都の守護を担う騎士の頂点として生存者の救出に当たるべきなのだろう。

 しかし、馬上にいるお陰で人ごみに遮られることなく見える視界には、一直線の道路の先にある黒い球体の下にあるのが、もはや瓦礫とすら呼べないほどまで小さく砕かれた、騎士団総本部の建材のなれの果てだと、ここからでもわかるほどだった。


「み、見ろ!」


 その変化に一番早く気付き上を指差したのは、上を見ていた赤騎士卿だった。


 騎士団総本部と魔導師団総本部を一直線に結ぶ道路には、今や長大な魔神の腕が作り出した影にすっぽりと覆われていたが、その影がみるみる小さくなり始めたのだ。


「……縮んでいる、の?」


 青騎士卿の漏れた言葉の通り、さっきまで雲の上にあって見えなった魔神の頭部が降りてきたかと思うと、騎士団総本部を粉砕した腕と同じ速度で、まるで魔導師団総本部の中に吸い込まれていくような錯覚に目撃する誰もが襲われていた。


「……消えた」 「消えたぞ」 「魔神さまはいったいどこに…」 「地の底に還られたのか?」


 やがて魔導師団総本部がった地に没していった黒い魔神の行方を捜すような人々の呟きが次々と聞こえてくる。

 ブルトリウスたちが制止するまでもなく、すでに騒ぎは収まっていた。

 今の一瞬まで悪夢を見ていたが急に目覚めたかのように、人々から恐怖と焦りの感情が消え失せていたのだ。


「……帰ろう」


 やがて、誰からでもなくそんな呟きが聞こえると、まるで今見たものを無理やり忘れようとするかのように、人々はそれぞれの目的地へと歩き出し、次々とブルトリウスたちの前を往来し始めた。

 そんな薄情なのか逞しいのか分からない平民たちの行動をしばらく眺めていた四人だったが、最初に口を開いたのは最年長の黒騎士卿だった。


「……いつまでもこうしているわけにもいくまい。とにもかくにも、ここから移動せねば始まらん」


「お、おいおい黒騎士卿、移動って言ったって、あれ、どうするつもりなんだ?よその心配してる場合じゃないだろうが……」


 そう言う赤騎士卿が震える手で指差すのは、ついさっきまで自分達がいた騎士団総本部。生存者を捜すまでもないと誰もが分かってはいたが、だからといって放置できるような状況でもなかった。


「もちろん、それも一つの考えだ。だが忘れたのか?我々の目的は魔導師団総本部に現れた存在の確認だ。そして今なら、その正体も掴めるかもしれん」


「……掴んで、もしも王国に仇成す存在だったらどうするの?」


 そう反論する青騎士卿の声は震えていた。

 四大騎士団長唯一の女性でありながら、実力、家柄、人望、そして胆力を兼ね備えた女傑の声が、平民から魔神と称えられた存在と対峙する未来への恐怖に慄いていた。


「慌てるな青騎士卿。その決断を下すのは貴殿でも、ましてや私でもない。我らが指揮権を委ねた白騎士卿だ」


「……そうね。貴方の決断なら、私も覚悟を決めるわ」


「俺もだ。この先どう転んだとしても、アンタの判断を支持する」


 青騎士卿、赤騎士卿、そして最後に無言で頷いた黒騎士卿を見て、ブルトリウスは考える。


 四大騎士団全ての行動と運命を決める決断だ、重くないわけがない。

 だがこの非常時、慎重に状況を見極める時間などあるはずもない。たとえ後の世で愚将と罵られようとも、考えうる最善の選択を今この場で下さなくてはならない。

 と言っても、ブルトリウスの目の前にある選択肢は至極単純なものだった。

 すなわち、王都中の騎士を招集して魔神を撃滅するか、逆に王都の要所要所に人員を配置して治安維持といざという時の迅速な避難に備えさせるか、その二択だ。


 そしてその二択を考えた時、ブルトリウスには騎士派の考えもまた手に取るように分かった。


 彼らサーヴェンデルト王国貴族は何よりも体面こそを重んじる存在だ。貴族同士の血脈と縁故を何よりも大事にする一方、一たび家名が傷つけられれば相手を滅ぼすまで決して攻撃を止めようとしない。

 ここで厄介なのは、彼らの攻撃は常に他人を利用したものになるという点だ。

 騎士派の貴族で言えば、矢面に立たされるのは間違いなく王国騎士、つまり自分達だ。


 今、騎士派の貴族は、彼らの首魁達を騎士団総本部ごと潰された。

 その事実がそれぞれの領地に伝わるのはまだ先の話だが、当主が殺されたとあってはその係累達は何が何でもその原因を特定し、滅ぼそうとするだろう。

 そして今、もしブルトリウスが魔神への攻撃をしなかったと知った時、騎士派の貴族の怒りは間違いなくブルトリウスにも向けられるだろう。


「どうする、白騎士卿」


 再度黒騎士卿から決断を迫られるまでのわずかの間に、ブルトリウスの考えは定まっていた。


 瞑目していた眼が見開かれ、白騎士卿ブルトリウスの声が朗々と響き渡った。


「これより四大騎士団は――」






 魔導師団総本部があった場所、その瓦礫の中に一人佇んでいた朴人。そこへ、フードを目深に被り、辛うじて体格から性別が判別できるマント姿の槍を持った男の声が、瓦礫の山の中で響いた。


「おおう、マジか。リーダーの言う通り、ほんとに一歩も動いていなかったぜ」


「確か……ランディさんでしたか?」


「あれ?声も変えてるからわからないはずなんだがな。いやていうか、この変装が一瞬で見破られたの初めてなんですけど?ボクト様、一体どういう耳してんですか?」


「さあ?ただ何となくわかった気がしたので」


「そ、そうか。なんとなくじゃしょうがねえな……って、こんな無駄話してる場合じゃなかった。さっさとこの場を離れますよ、ボクト様」


「離れるんですか?」


「ああ。いまさっき、ここに近づいてた騎士団の連中がいきなり方向転換して王宮の方に入っていった。それから大量の伝者が出てきたところを見ると、どうやらまずは王都の混乱を収めながら要所要所に検問を張る気だな。つまり、脱出するなら今が好機だってことだ。それで、潜入に長けた俺一人でボクト様の様子を見に来たってわけさ」


「そうですか」


「しっかし、さすがの俺達もアレには驚いたぜ。いきなり黒くてでっかいのが現れたかと思ったら、騎士団総本部をグシャッ、だもんな。そのまま騎士団との全面戦争になったらボクト様がどうなる――いや、この場合どうにかなるのは騎士団の方か。って、なんか俺の方が喋りすぎって感じか。はあ、いつもいつでも冷静沈着、ってのが俺達『銀閃』のアイデンティティなんだけどなー。って、すみませんボクト様、なんか独り言多くて」


「いえ、構いませんよ。じゃあ、森に帰りましょうか」


「…………あの、一応確認なんですけど、帰るんですか?これから王都中を逃げ回りながら破壊しまくる、とかじゃなくて?」


「私、そんな破壊の権化みたいなことはしませんよ」


「(いやいやいや!!この惨状で破壊の権化以外の何に見えるってんだ!?)…………いやー、ボクト様の怒りが収まったんならそれでいいんですけど……いや違いますよ!?別にこれは文句とか注文とか、そんな畏れ多いことじゃないんですよ!?」


「そうですね、ちょっと怒りが収まったのはその通りですよ。まあ、後のことは成り行きを見守ってからでも遅くは無いかなと思いますので」


「は、はあ……そういうことでしたら、帰りましょうか、ボクト様」


「はい、帰りましょう」


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