第61話 手が届く距離に騎士団総本部

 その出来事は、多くの王都の通行人から目撃されていたにもかかわらず、混乱らしい混乱が「当初は」ほとんど起きなかったと、後の衛兵隊による調査で明らかになっている。


 もちろん、住民が避難しないというある意味で極めて異常な現象が起きたわけには、それなりの根拠、というより信頼があった。


 第一には、なんと言ってもここがサーヴェンデルト王国の王都であったことだ。

 人族の国の首都という、いわば人族の勢力圏の中心地で、まさか魔族の攻撃、それも魔導師団総本部が一瞬で破壊されるようなことがあるなどとは、誰も思わなかったということだ。


 また、異変が起きた場所が魔導師団総本部という、特殊な建物であったことも大きい。

 王宮を軸に対立するように建つ騎士団総本部と違って、派遣依頼や商取引も行う魔導師団総本部だが、その本分はあくまで魔法と魔道具の研究、開発にこそある。

 当然その内部には数々の研究室、実験場が入っており、数年に一度の頻度で構造物の一部が崩壊するほどの事故が起きていた。

 さらに歴史を紐解けば、爆発や崩落だけでなく瞬く間に建物が変色したり濃い霧に包まれたなどの実害のない異変も記録されていた。

 そのため、事態を確かめようと魔導師団総本部に走る衛兵や不安を感じる者はいても、積極的に避難しようという住民はほぼ皆無だったのだ。


 そんな不安と、怖いもの見たさからくる興味がないまぜになった雰囲気の王都で、未だ事態を正しく把握しているわけではなかったが、かつてない危機を感じて即応した者達がいた。


 魔導師団と並んで王国守護の双璧と称される四大騎士団、その長たちである。






「白騎士卿!黒竜騎士団の指揮権を一時預ける!早々に事態の把握に当たれ!!」


 魔導師団総本部が崩壊、その中から現れた黒い巨大な何かに圧倒されて、現実を受け止めきれない四大騎士団長の中で、最も早く声を上げたのは最年長の黒騎士卿だった。


「俺も黒騎士卿にならうぞ。白騎士卿、アンタが適任だ」


「……そうね、今はバラバラに動くことこそが愚策の極みよね」


 次いで賛意を示したのは赤騎士卿。

 そして、四大騎士団の問題を的確に言い表したのが青騎士卿だった。


「三人とも、いいのか?事が中にいる方々に知られれば、貴殿たちといえど無事では済まんかもしれんぞ?」


 白鷲騎士団長ブルトリウスは、今出てきたばかりの王国騎士団総本部の方をちらりと見ながらそう言った。


 ブルトリウスの後ろ盾にラーゼン侯爵がいるように、四大騎士団の背後にはそれぞれ騎士派の重鎮達が控えている。

 もちろん彼らも王都の異変に騎士団が対処するなとは言うはずもない。だが、それが「四大騎士団合同で」となると話は別だ。

 現在大多数のサーヴェンデルト王国の貴族は騎士派と魔導派に分かれて勢力争いを行っているが、だからといって派閥内が一致団結しているというわけではない。少なくとも彼ら貴族の間では話が変わってくるのだ。


「もともとこのような時のために、老人たちの言葉に唯々諾々と従ってきたのだ」


「それは俺のセリフだぞ黒騎士卿。これで下らんジジイ共の妄言にこれ以上付き合わされんで済む」


「あら、その赤虎騎士団顧問溺愛のお孫様なんだから、あなただけは大丈夫よ赤騎士卿。まあ、私もそろそろ結婚相手を見つけなきゃと思ってたところだったからいい潮時だけれど」


「貴殿ら……」


「それに、この四人の中でまとめ役となれるのは、騎士派の老人達全員と適度な距離が取れている白騎士卿だけだ。私のように離れすぎていたり、赤騎士卿や青騎士卿のように近すぎても後々しこりが残るだろうからな」


「……そこまで言われては、断る術などないな。よしわかった、貴殿らの命、一時預かる」


 そう言ったブルトリウスが頷くことで、これまで同じ王国守護の志を持ちつつも微妙な立場の違いから腹を割って話すことなどなかった四人の騎士団長の間に、初めて心からの笑みが生まれた。


 ――もっとも、サーヴェンデルト王国騎士を代表する四人の猛者の笑みだ。それぞれの後ろに従っていた従者達には、猛獣の威嚇のように見えて仕方がなかったのだが。


「では指揮官殿、早速だがどう動く?」


 黒騎士卿の質問は非常に曖昧なものだったが、そこは勝手知ったる同期の間柄、すでにブルトリウスが考えを纏めていると踏んでの言葉だった。


「まずは何を置いても、アレの確認だ。とにかく我々の目で直に確かめなければ、対応も何もあったものではない」


「おいおい、俺達全員でか?万が一のことがあったらどうするんだよ?」


「そのための騎士団長代理兼副官がいるではないか。我らにもしものことがあれば、王都の住民を避難させるくらいのことはやってのけるだろう。それに、アレが出現してから今までの間、全く動く気配がない。いや、そもそも魔族どころか生物なのか、あるいは無機物なのかもこの距離では判然とせん。いや、他にも魔導派が生み出した幻覚の可能性も捨てきれん。下手をすれば魔導派の罠にまんまと飛び込むことになるが、ここは危険を承知の上で、騎士団を的確かつ迅速に動かすためにも我々が最も正確に情報を得ておく必要がある。それに……」


「……なるほど、偵察部隊というのなら、情報の精度はともかくこれほど生還率が高い四人もおるまいな」


「ハハッ!間違いないな!」


「ちょっと、レディに対する扱いがひどすぎるんじゃない、白騎士卿?」


「済まぬな、青騎士卿。だが、私の騎士道への抗議はどうかこの事態を切り抜けた後にしてくれ。では行こうか、黒騎士卿、赤騎士卿、青騎士卿。――馬引けえ!!」


 そして、慌ただしくもそれぞれの従者が引いてきた愛馬に跨った四人の騎士団長は、一直線に伸びる魔導師団総本部があった地点へと全力で馬を走らせた。


 だが、その時々の最善の行動が、常に最善の結果を生むとは限らない。


 もしかしたら、彼ら四大騎士団長にとっての最善は、王国騎士団総本部から一歩も動かず、これから襲い来る運命を受け入れる道だったのかもしれなかった。






 一方その頃、生物か無機物か、どころか果ては幻覚扱いされてしまった、天を穿つほどの高さの漆黒の巨樹となった朴人はというと、


(うーーーーーーん、困ったな)


 いざ人間サイズの圧縮体を開放、トレントとしての本体になったものの、この先の行動をどうしたものかと思い悩んで、一歩踏み出すどころか指一本動かせずにいた。


(この姿になって魔導士の本部を破壊したまでは良かったんだけど……これ、一歩でも下手に動いたら軽く百人くらいは死ぬかな)


 朴人には珍しい葛藤である。

 が、別に朴人は悩むこと自体を嫌っているわけではない。あくまで悩みが残り続ける状況が嫌いなだけだ。

 むしろ、考えなしに動いた結果、事前に自分で決めたことを守れなくなる事態の方こそ、朴人にとって「悩みの種」として心の中に残したくないものだった。


(じゃあ、一度圧縮体に戻って歩いて騎士団総本部に……いや、それも難しそうだ)


 例えるならスカイツリーから見下ろすくらいの距離があるはずなのに、なぜか明瞭に地面の様子が見える朴人の視界には、時間が経つごとに慌ただしさを増していく王都の様子が映った。


(こんなことなら『銀閃』の皆さんに残っておいてもらった方が……いやいや、万が一うっかり死なせたら、帰り道が面倒になってしまう……)


 そんな思考もめんどくさいなと、朴人は思わずため息をつく――今は完全なトレントの体なので息は吐きだせないが。


「……いや待てよ、要はいいんだ)


 朴人は気づいた。

 捨てたつもりの人間の体に、転生してそれなりに時間が経ってもなお縛られていたことに。


 そして朴人は動き出した。


 もう一つの目標、サーヴェンデルト王国騎士団総本部を叩き潰すために。






「う、動いた、動いたぞ!!」


 馬上で叫ぶ黒騎士卿の言葉を聞くまでもなく、ブルトリウスにもその光景は見えていた。


 すでに魔導の塔と同程度の高さにあった漆黒の巨塔、その中ほどから二本の太い柱が生え始めた。


 それはまっすぐに天上へと向かいながら巨塔の頭上で融合、先端が黒い球状になるとそのまま雲を突き抜けて見えなくなった。


「……なんだ、何をするつもりだ?」


 赤騎士卿の言葉と同じく、ブルトリウスもまた漆黒の巨塔に意志が宿っていることを感じていた。

 殺意と言うにはあまりにも希薄、しかし意思なき物ができる動きではない。ならば――


「っ!?全員――」


 そう叫びながらも、その時のブルトリウスは自分でも何を伝えようとしたのかよくわかっていなかった。


 攻撃か、


 撤退か、


 待機か、


 絶望か、


 そのどれもが正解であり大間違いなような気がして、結局その先の言葉を飲みこむしかなかった。


 ブルトリウスがその先を発する前に、ソレが何をしようとしているのか分かったからだ。



 ズウウウウウウゥゥゥン



 何もないはずの空間で何かを叩いたような重低音。

 それが雲のはるか上のあの黒い球体が大気を叩いた音だと気づいた時には、空は割れていた。



 ゥゥゥウウウウウウウウウ    バアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアガッアアアアアアアアアアアアアアアァァァンッ!!



 破砕、ではなく粉砕。



 黒い球体が直撃したのは、ブルトリウスに限らずその光景を見ていた誰もが予測していた、王国騎士団総本部。

 そして本来襲い来るはずの瓦礫が驚くほど少ない。


 視線を逸らすことなく見ていたブルトリウスには分かった。

 あの黒い球体が地面に激突することなく寸前で止まったことが。

 そしてその結果、球体が天から降ろした圧力が、全て直下の騎士団総本部を押しつぶすための重圧となって使われたことを。


「……魔神だ、我らは魔神の怒りを買ったのだ」


 まるで天に還るように黒い巨塔の元へと戻っていく球体を見ながらそう言う黒騎士卿の言葉を、誰一人として世迷言と切り捨てる者はいなかった。

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