第53話 ヨグンゼルト三世の急転

「まあ、出奔した直接の理由は父上からの命だったんだがな。まあ他にも、破天荒な俺の言動を父上も庇いきれなくなったとか、妾腹だが長男の俺を義母上達がいよいよ始末にかかり始めたとか、いろいろ都合が重なってな、数少ない味方だったヨグン殿に挨拶する間もなく密かに家を出る羽目になったのだよ」


 再会の挨拶もそこそこに今までどうしていたのかと問い詰めた私に、長らく行方知れずだった我が年上の従弟、マルスニウス=フィン=サーヴェンデルトは動じることなくそう話してくれた。


 マルス殿にそう言われてみれば、確かに私にも腑に落ちる点がいくつかあった。

 当時まだ幼かった私の耳にも、マルス殿に関する良いもの悪いもの正反対の噂が雑多に入ってきていた。

 例えば、とある貴族が自領の村々から若い娘を攫って囲っているという噂を聞きつけたマルス殿が、数人の冒険者を雇って娘たちが囚われている館を急襲、娘たちを助け出すとともに居合わせたその貴族を半殺しの目に遭わせたらしい。

 その貴族が犯した罪はともかく、王族が貴族を殴ったという事実だけで、大事件に発展することは間違いない。しかもマルス殿は、自分の行いの重大さをわかっていながらも決して己を曲げることはしなかった。

 その結果、王弟のマルス殿の父上、私にとっての叔父上でも庇いきれなくなり、ついには絶縁の上放逐という沙汰を下したということらしい。

 もっともこれは、後に爺やに調べさせて知ったことだ。


「しかし、なぜマルス殿が冒険者ギルドのグランドマスターに?マルス殿でしたら、騎士団など引受先はいくらでもあったでしょう」


 いくら絶縁されたといっても王家の血筋まで消えたわけではないし、王国としてもまさか平民として扱うわけにもいかない。

 そうなれば当然大なり小なり王家へ顔が利くということでもあり、むしろ王族としての籍があったころよりも各組織からの勧誘が引く手数多になることは、過去の王籍離脱の例からも明らかだった。


「まあ、当時はそんな話の十や二十は舞い込んできたがな、どいつもこいつも俺を利用するだけ利用して、最後には使い捨てにする魂胆が見え見えだったからな。そんな時だ、ヨグン殿の守役が声をかけてきたのは」


 思わぬところで思わぬ名前が登場し、思わず私は背後に控えていた爺やを見た。

 侍従長の役職についたのは私が戴冠した後のこと、それまでは私の教育の一切を取り仕切る守役として仕えてくれていた爺やのことを、マルス殿が指していることはすぐにわかった。

 しかも爺やとマルス殿は、幼少時代の私を介する形で幾度となく顔を合わせている。

 とかく王宮内で敵を作りがちだったマルス殿にとっては、数少ない信頼できる目上の者だったことは想像に難くなかった。


「ちょうど、当時の冒険者ギルドのグランドマスターが後継者を密かに捜していると聞き込ましてな、マルスニウス様を推薦いたしましたところ、一も二もなく快諾を頂きました。マルスニウス様の評判は貴族の中でこそ悪いものでしたが、その他の身分の事情通の間では破天荒な王族として人気が高かったですからな、むしろ良く紹介してくださったと、先代のグランドマスターからは感謝されたものです」


「……しかし爺やよ、それならそうとなぜ私に教えてくれなかったのだ?私がマルス殿の身を案じていたことは、そなたなら十二分に承知であったろうに」


 そう、あの日からマルス殿のことは行方を探ることはおろか、話題に乗せることすら憚られる空気が私の周囲に蔓延していた。

 おそらくは、醜聞に関わることは王子としてよろしくないと側近たちが配慮した結果だったのだろうし、その気持ちを無碍にできるほど、私の王子としての責務は軽くなかった。

 私にできたのは、人を引き付ける魅力のあった従弟殿のことを記憶の奥底に封印し、時にその引き出しを開けてはひっそりと懐かしむ程度のことくらいなものだった。


 ……しかし、その裏で側近の一人である爺やがこのような隠し事を持っていたとは……


「ヨグン殿に秘密にしてくれと頼んだのは俺の方なのだ。そちらはサーヴェンデルト王国を一身に背負う国王陛下、一方こちらは王族の身分からはじき出されたはぐれ者だ。そんな俺達の繋がりを、ヨグン殿の失点として嬉々として糾弾する輩もいるだろうからな」


「……マルス殿がそこまで考えてのことであれば、もはや私から言うことは何もない。だが、なぜ今になって打ち明ける気に……いや、愚問であったな」


「ご慧眼にございます陛下。くだんのリートノルド子爵家の印章を持ち帰る冒険者の選定を、マルスニウス様にお願いしたのでございますよ」


 爺やの返答に補足するように、マルス殿の言葉が続く。


「普段は貴族、それも家督継承に絡んだ、冒険者の身を危険にさらすような依頼は引き受けないのだがな、今回は王国の一大事、加えて弟のように可愛がっていた従弟殿のたっての頼みということで特別に引き受けた」


「おおお、礼を言うぞマルス殿」


「ヨグン殿、その礼は無事に依頼を完遂した時まで取っておけ。もっとも、奴らの予定を押さえられていなかったら断っていたかもしれんがな」


「……やはり、この依頼は危険なものなのか?」


 軍や冒険者の事情に疎い私でも薄々感じていたことに、冒険者ギルドのグランドマスターの従弟殿はゆっくりと頷いた。


「王国の名うての冒険者を集めたつもりだが、正直言って成功率は決して高くない。それどころか、まともな情報も得られないまま一人残らず全滅する可能性すらあると、ギルドの情報課は言ってきている。しかも招かれざる客まで入り込んできてるから、今回はさらに予測がつかん」


「招かれざる客?」


「詳しくは聞かないでくれると助かる。問題が表沙汰になった場合は、ヨグン殿の耳にも自然と入ってくるだろうしな」


 そう言われては、私もそれ以上聞こうとは思わない。おそらくは王宮か貴族に関わりのある何者かが介入したのだろうが、下手につつけばマルス殿に迷惑がかかるかもしれない。ここは国王として目を瞑るべきところなのだろう。


「しかし、それならばなぜ、私の依頼を受ける気になったのだ、マルス殿?」


「言っただろ、奴らの予定を押さえられていなかったら、ってな。安心しろヨグン殿。こういうヤバい依頼をいくつもこなし、全て完遂してきた、俺が最も信頼する凄腕の冒険者パーティに依頼する予定だ。奴ら、『銀閃』なら万に一つの間違いも起きないさ」






 爺やがそのことを言い出したのは、マルス殿との会談を終えて今後の密な連携を約束し、再び地下道を進む帰り路でのことだった。


「陛下、後ほどこの秘密地下通路を通るための手順をお教え致しますので、走り書きの一つも残すことなく完璧に記憶してくださいませ。この道はマルスニウス様がグランドマスターの役職に就かれてから密かに掘り進めた新しい脱出路。私めの他には陛下しか全容を知りませぬので」


「……どういうことだ爺や。まるで私の身に危機が迫っているかのような言い方ではないか?」


 そう私は訊き返すが、ランタンの薄暗い明かりに照らされる先導役の爺やの背中からはわずかな感情の揺れも分からなかった。


「備えあれば憂いなし、ということにございますよ。この先混迷の時代が続く以上、いつ御身に危険が迫るか分かりませぬ。その時になって慌てて準備をしても、却って敵にこの地下道の存在を感づかれる恐れがございます。そういうわけで、騎士派魔導派の監視の目が緩いうちに打てる手は全て打っておくべきかと思い、陛下にご足労いただきました」


「……まさか、マルス殿をグランドマスターの役職に推薦したのも、全てこのような時のための布石だったというのか?」


 一瞬、激しい感情が心の奥底から沸き上がったが、言葉として発する前に何とか抑え込んだ。


 仮にその通りだったとして、それがなんだというのだ?爺やが為したことは紛れもなく私を利するため。そして爺やの助けにすがらねばならぬほど、王としての私の力は弱い。この体たらくで私が爺やを糾弾することなどどうしてできようか。


 だが、そんな私の愚かな考えはただの杞憂だったようだ。


「そのような悪辣さが私めにあれば、陛下にここまでご心労をお掛けすることなどなかったでしょうな。ですが、陛下の幼き頃の思い出を傷つけてまで王家の存続を図る果断さは、私めには御座いませんでした」


 そう言う爺やの背中が小さく見えたことを、私はランタンの揺れる光のせいだと思い込むことにしたのだった。






 そんな私の望みとマルス殿の目論見が脆くも崩れ去ろうとしていると知ったのは、それから約一月後のことだった。 

 といっても私が爺やの口を介したマルス殿の伝言から得たのは、「森の攻略に参加した四つのパーティ全てが予定日になっても戻らず。しばらく事態を静観する」という一度きりの知らせのみだった。


 直後に爺やが集めた情報によると、今回のリートノルド奪還作戦の失敗によって冒険者ギルドは多大な損失を被ったらしく、中でも優秀な冒険者を一気に失ったことで依頼の受注に支障が出ており、グランドマスターのマルス殿はその対応に奔走しているとのことだった。


 こうなると気がかりなのは、再び騎士派と魔導派の対立が激化するするかどうかという点なのだが、どうやら騎士派の方でも何らかのダメージを負ったらしく、派閥としての活動が不気味なほどに少なくなっていた。

 その騎士派の動向を変に邪推したのか、魔導派の動きもこれまでの十分の一ほどの規模まで縮小したため、僅かな間だがサーヴェンデルト王国の貴族社会は平穏な時を迎えたのだった。






 だが、そんな平和が長く続くはずもなく、それから一月ほど経った辺りから今回のイスカ卿らの暴挙のようなことが頻発し始めた。

 これが王都から遠く離れた魔族の領域での出来事だからと、無関心を通せればどんなに良かったか。

 だが、魔族の領域の森付近に留まる騎士派、魔導派の手の者達に実際に命を発しているのはここ、王都からなのだ。


 もちろん、私の命ではない。

 この王宮に隣接した敷地を持つ『王国騎士団総本部』、『魔導師団本部』に巣食う二大派閥の重鎮たちが、遠く魔族の領域へ命を飛ばしているのだ。


 だが私には止められぬ。

 先祖を恨んでも仕方のないことだと分かってはいるが、もはや王に大貴族たちを抑える力が無いことは厳然たる事実なのだ。

 そのせいか、最近の平民たちは二大派閥の本拠地のことを「双璧の城」と呼んで憚らないらしい。

 要は、その中心に位置するはずのこの王宮はすでに形骸化していると理解しているのだ。


 何か、何か手は無いのか?

 このままではますます二大派閥に存在感を奪われ、王宮の威光は地に落ちかねぬ。


 そんな願いが神に通じたのであろうか、このところ顔色が優れなかった爺やが興奮に顔を赤くしながらこう告げた。


「陛下!冒険者ギルドのグランドマスターが謁見を求めてきましたぞ!」






 謁見と一口に言っても、その方法は幾通りもの種類に分かれている。

 まあ簡単に言うならば、相手の位と功績によって決まり、中でも貴族などの爵位持ちならば公式に、それ以下の者ならば非公式に謁見する仕来りと区別されている。


 さて、今回の冒険者ギルドのグランドマスターだが、実はその扱いは非常にに難しい。

 単に冒険者ギルドの代表という意味では平民と捉えることができるが、実は大昔からグランドマスターという役職には貴族に連なる者を当てることが慣例となっている。

 ならば貴族として扱えばよいかと言うと、それはおかしいと反発する貴族が出てくるのでそれも難しい。


 なので冒険者ギルドのグランドマスターに対しては、非公式ながら貴族並みの待遇として玉座の間での謁見、という実に奇妙な扱いでもてなすことに落ち着いている。


 まあ今回に限っては、余計な貴族、官僚らを同席させる必要がないので非常に助かるのだがな。


「陛下、こちらが冒険者ギルドのグランドマスターでございます」


「陛下、この度は謁見の栄誉を賜り、大変光栄に存じます」


 侍従長の紹介でグランドマスター、マルス殿が頭を下げたまま礼を述べる。


「うむ、大義である。面を上げよ」


 玉座に座る私の言葉で顔を上げるマルス殿――と、その後ろに控えている五人の若者。


「してグランドマスター、その者達は?」


「は……か、彼らは、この度多大な功績を上げました四人組の冒険者パーティでございます」


 もちろん、マルス殿の同行者については事前に申請が出され、爺やが許可を出している。

 それもそのはず、彼らはマルス殿が以前口にしていた、最も信頼する冒険者パーティ『銀閃』の四人である。

 リートノルド奪還作戦に失敗して行方不明になっていたと思われていたが最近無事に帰還、なんと件のリートノルド子爵家の印章を見事持ち帰ったと知らせが入ったので、今回特別に謁見が許された経緯がある。


「そうか、そなたらが『銀閃』と申すか。大義であった」


 私の言葉に、頭を下げたままの『銀閃』の四人はさらに深く礼をして返す。

 彼らが言葉を発することは許されない。平民の最大の栄誉は国王との謁見までであり、それ以上は貴族や騎士の領分だからだ。



 だからこそ、次に起きたことに玉座の間の誰もが凍り付いた。



「ん?たしか『銀閃』は四人と聞いていたが、そこに居る男はいったい何者だ?」


 謁見の申請があったのはマルス殿も含めて五人だったはず。それがなぜか私の目の前にいるのは六人。

 確認の不備かと思って爺やの方を見てみるが、侍従長は不思議を通り越して不信の目で六人目の男を睨みつけている。


「……はあ、腰が重い。もう頭を上げてもいいですかね?」


 だからだろう、その男が勝手に頭を上げたことにこの場の誰も反応できなかった。


「ええっと、あなたが人族の国の王様ってことでいいんですよね。こんにちは、私は朴人、一応魔王です」


 ぬけぬけとそう言い放った冴えない雰囲気の男の頭部には、いつの間にかに歪曲した角が生えていた。

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