第52話 ヨグンゼルト三世の懊悩
「どういうことだ!?危険極まりない魔族の領域に接しているのだ、リートノルドの陥落はまだわかる。だが子爵までもが討ち死にとは、どんな愚行を犯せば貴族当主死亡という結末になるというのだ!?」
「へ、陛下、どうかお心を安らかに。他の者も見ておりますゆえ……」
そう爺やに言われて、ようやく私は自分がひどく取り乱していたことに気づいた。
普段は粛々と自分の役目を果たす他の侍従たちが、驚きの表情のまま固まっている。
王たるもの決して家臣に弱みを見せるな、と周りから言われてはきたが、それでも王らしからぬ態度を取ってしまったのなら、真摯に受け止める必要がある。
それゆえに、爺やには何度も諫められたが、やはり私の取るべき行動はこれしかなかった。
「……済まぬな皆の者。少々驚かせてしまったようだ」
「陛下が謝ることなど、どこにもありませぬ。むしろこの私めの至らぬ言葉が陛下にご心労をおかけしてしまったのでしたら、謝罪すべきはこちらの方でございます」
爺やはそう言うと、目配せ一つで他の侍従を下がらせた。
確かに爺やの報告は私の心に重くのしかかったが、だからといって無視できる案件ではない。
なによりこれより先の話は、侍従長の影の役目をよく知らぬ他の侍従には聞かせられぬ話だ。
「それで、その知らせは確かなのか?」
侍従たちが去ったことを確認するや否や、王としての威厳に欠けると知りつつも、私は爺やに詰め寄った。
どの道、後で正式な報告が騎士団か貴族辺りから来るのは確実なのだ、そこで狼狽えないためにも、誰に気兼ねする必要もないこの私室で十分な情報を得ておく必要もあった。
「まだ第一報ですので詳細は何も……。ですが、リートノルドの街が魔族の領域にあった森の急拡大によって飲みこまれたこと、その急拡大の前後にリートノルド子爵が率いていた軍ごと巻き込まれたことは確実なようでございます」
「むうう、それでは、リートノルド子爵の生死は不明ということか……」
私の質問に首を振りながら答える爺やだが、その内容は決して芳しいものではなかった。
リートノルド子爵が死亡ではなく行方不明扱いとなると、子爵の救出に騎士団を派遣せねばなるまいな、という私の考えを読んだのか、爺やは深刻な面持ちで言った。
「まだ生き残りの証言を取るなど必要な手順がいくつかありますが、おそらく早々にリートノルド子爵は死亡扱いになるかと思われます」
「なぜだ?今のところ、生死が定かになる見込みは無いのであろう?」
「陛下、だからこそでございます。仮にも王国の根幹を成す貴族家の当主が不在のままでは、他国への体面に大きく差し障りが生じます。ましてや、リートノルド子爵は魔族との戦いの最前線に立っておられた英雄であり事業主でございます。王国がこのまま放置すれば、他の対魔族戦線の士気の低下と、子爵を支援していた他の貴族や商人が暴走することは避けられませぬ。ここは王国として、リートノルド子爵家に仮当主を認め、早々に事態の収拾に当たらせるべきでございます」
「……うむ、そうできるのならばそれに越したことはないのだろうが、問題は無いのか?」
「戦時特例を適用するつもりでおります。やや強引な解釈となりましょうが、上手く根回しをしますゆえ」
「う、うむ、……まあ、あまり官僚の手を煩わせ過ぎぬようにな」
「おお、なんと慈悲深い御言葉。さっそく各所に伝えておくことにいたしましょう」
すでに爺やの中では官僚どもを説き伏せる心算が早くもあることには、さすがの私も苦笑を禁じ得ない。
これほどの権力を持ちながら、侍従長が二大派閥に本格的に目を付けられていないのは、ひとえに王たる私への揺るがぬ忠誠ゆえだ。
情報収集以外では勝手に手の者を動かすことはない上、いざ行動を起こす時には必ず私の内諾を得てから動く。そしてなにより、私の意に添わぬことは絶対にしない。
「無欲の侍従長」という評価が王国の事情通に知れ渡っているからこそ、通常の引退の年齢を過ぎても、爺やは王の側近として仕え続けられているのだ。
「ではさっそく、情報の取りまとめと仮当主の件の根回しを始めさせていただきます」
「うむ、よきに計らえ」
だが事態は、私の意図とは全く別の方向へと転がり出した。
「申し訳ございませぬ。まさか騎士派が新たな候補を立ててくるとは……」
「……仕方あるまい。なにより、その後の展開の方が予想外だったのだからな」
あれから数か月後、いつものように執務を終えて私室へ戻った私に、平身低頭して迎えた爺やの言葉はあの時よりも重苦しく聞こえたように感じた。
リートノルド子爵家をめぐる、その後の動きはこうだ。
冒険者ギルド、商人ギルド、王国騎士団などの正式な組織に加えて、爺やが指揮する王宮、関係する貴族、騎士派、魔導派などの非合法な者達などなど。
リートノルド子爵捜索の手はそれこそ王国中から伸び、互いの妨害による暗闘での犠牲者の数は、分かっているだけでも百は下らないと言われている。
そんな泥沼の状況でもなんとかリートノルド子爵の死亡という確実と言える傍証を得られたわけだが、本当の問題はその後に待っていた。
リートノルド子爵には子はおらず、王都などに囲っている女はいずれも貴族に列せられる身分ではなく、身籠ってもいなかった。
そこで爺やが方々を捜した結果、子爵の遠い縁戚に資格を満たす若者がいることが判明し、早速とばかりに家督継承の準備に取り掛かったそうだが、そこにまさかの存在が待ったをかけてきた。
なんとこれまでリートノルド子爵を支援してきたはずの騎士派が、騎士派に連なる別の縁戚の者を後継に立ててきたのだ。
あまりに強引なやり方に、爺やも私も開いた口が塞がらなかったが、リートノルド子爵家再興とリートノルドの街の復活には騎士派の力は不可欠。幸い、こちらが捜し出した縁戚の者にこの件を知らせる前だったので、騎士派の顔を立てるために爺やに手を引かせた。
ところが話はこれで終わりではなかった。
私達が擁立を断念したリートノルド子爵の遠縁の若者を、どこでどう調べてきたのか今度は魔導派が確保、正統な後継として担ぎ上げたのだ。
かくして、騎士派と魔導派の対立はリートノルド子爵家後継問題に絡んでさらに激化、一触即発の様相を呈してきたのだった。
その後、数か月にわたる両派閥の対立は日々私の悩みを深くし、もはや執務すら手におぼつかなくなるほど不穏な報告が連日この耳に届くようになっていた。
このまま内戦突入かとすら思われたある日、このところ姿を見せることが少なくなっていた爺やが吉報を提げて私室で待ち受けていた。
「陛下、印章を利用いたしましょう」
「印章?なんのことだ?」
珍しく要領を得ない言葉を使った興奮気味の爺やは、私の疑問の言葉に我に返ると、理路整然と説明を始めた。
リートノルド子爵家の後継争いが決着の道筋すら立っていない最大の理由は、どちらの候補も遠縁の血筋に過ぎない点だ。そのため、連日のように両者の襲撃、暗殺未遂事件が起きており、正に泥沼の様相を呈しているという。
そこで爺やは考えた。それならば正統な後継者と呼ぶにふさわしい証の品を用意すればいい。
「用意だと?しかし、リートノルドの街と子爵の遺体は魔族の森の中であろう?」
「もちろん、取りに行くのは容易なことではありませんし、私めが動けば両派閥に意図を感づかれましょう。そこで、騎士派、魔導派に属していない商人と、リートノルド家に関わりのある貴族を密かに焚きつけました」
その商人と貴族に資金を出させて冒険者を雇い、魔族の領域の森を攻略させる。これが爺やの考えた策だった。
「しかし、印章のことをその者達が知れば、こちらに素直に渡すとは考えられんが……」
「もちろん、こちらの真意は伏せております。彼らには魔族の領域からリートノルドの街を奪還するための先駆けと説明しております。そして、見事街を奪還した暁にはそれなりの見返りを約束すると密約を交わしました」
「ふむ……」
確かにこれなら、二大派閥に気づかれることなくリートノルドの街から印章を持ち帰ることも可能かもしれん。そして印章さえこちらの手にあれば、既定路線通りに騎士派に主導権を握らせることができるだけでなく、大きな貸しを作ることもできるだろう。
まさに一石二鳥の策。
……いや待てよ、この策、一つ肝心なところが抜けておるではないか。
「……だが爺やよ。その肝心の印章を持ち帰らせる冒険者はどうするのだ?未知の魔族の領域を踏破する実力だけでなく、リートノルド子爵家継承の鍵となる印章を私の元へ必ず持ち帰るという信用がなければ、この策はそもそも成り立たぬ。抜きんでた実力と絶対に私を裏切らぬ信用を合わせ持つ冒険者など、どうやって捜し出すのだ?」
砂漠から金剛石を見つけ出すような難題に、再び私の肩にずしりと重いものが圧し掛かりかけた。
だが反対に、爺やのにこやかな表情はいささかも曇ってはいなかった。
「陛下、安心を。そのことについても、目星は付けております」
「陛下、足元にお気を付けください」
先を行く爺やが持つ明かりに照らされた、冷気の漂う石床を歩く。
そのランタンの明かりが唯一の頼り。その他はとこしえの闇に閉ざされ、一寸先も見通せない。
ここは王と極一部の側近のみが知る、万が一の事態の時に王宮脱出のために掘られた、秘密の地下道の一つ。
王宮中が寝静まったころ、侍従長の権限を利用して爺やが意図的に空けた警備の隙を突いて私室を抜け出した私は、爺やの案内の元、ある場所へ向かっていた。
といっても、その場所について私は何も聞かされてはいないし、爺やも話そうとはしない。
だが、生まれた時から私に仕えてくれている爺やを疑うことは、王としての私の器量を疑うに等しい。
全てを爺やに任せてある以上、その言葉に従って粛々と行動するのが王の務めだ。
やがてほぼ一直線の地下道は終わりを告げ、地上へ続くと思われる石段がその姿を現した。
「さあ陛下、先にお進みください」
爺やの勧めに従って、一段一段慎重に石段を登る。
そして天井に頭が触れようとしたその時、突如上から新たなランタンの明かりが差し込んだ。
「さあ、御手を」
言われるがままに手を差し出すと、硬い皮膚に覆われた太い指がガッチリと私の手を掴んで地上へと引っ張り上げた。
「陛下、いやヨグン殿、お久しぶりですな」
「お前は……いや、貴殿はまさか……!?」
ランタンの明かりに照らされたその顔を見た時、私の古い記憶が乾いた大地に水が流れ込むように一気に蘇った。
「陛下、紹介いたします。こちらは王国中の冒険者を纏め上げる冒険者ギルドのグランドマスター、マルスニウス殿です。以前の御名前は……私めが申し上げるまでもないでしょう」
幼少の頃から遊び相手として幾度となく顔を合わせ、ある時突然実家から絶縁されどこへともなく行方を眩ましたと聞かされていた、我が従弟のマルスがそこに居た。
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