第46話 会議は進む、されど踊らず 後編
魔王とは何か。
その問いは、この世界に文明が生まれてから幾度となく繰り返されてきたが、未だにその答えは出ていない。
はっきりしているのは、神々にその力を認められた者、という一点だけだ。
亜人魔族からは憧れと崇拝の対象として、人族からは忌避と恐怖の対象として。イメージとしては両極端だが、だからこそ魔王が超常の存在であるという何よりの証といえるだろう。
それだけに、魔王の言動は時として側近でさえ理解のしがたいものになることが多い。
突然暴走したかと思えば何十年も引きこもったり、敵に塩を送ったかと思えば次の日にはその背を討ったり。
長年仕えてきた忠臣をある日突然何の理由もなく誅した、なんて話はむしろありきたりなくらいだ。
だがそれでも、眷属やそれ以外の亜人魔族達が魔王を裏切る、あるいは見限ることなどは決してない。
眷属であるなしに関わらず、ほとんどの配下は魔王と同じか近似の種族で固められる。つまり魔王とは、その種族の代表であり庇護者でもあるというのが、世界共通の認識なのだ。だから、魔王がどれほどの悪行を重ねようとも、それは種族にとって必要なことだと配下の者達は信じて疑わないし、ほとんどの魔王はその期待に応えてきた。
イーニャ達、永眠の森の住人が勘違いした根拠はまさにそこにある。
彼女たちの中にはヨルグラフルを始めとしたトレントも混じっており、また朴人の支配する領域である永眠の森を守ってさえいれば、彼女たちの主はきっと応えてくれると信じ切っていた。
そんな保証はこの世のどこにもないというのに。
そう、たとえ朴人の唯一の側近、庭園のフランチェスカの眷属となったとしても。
「ちょ、ちょっとお待ちくださいフランチェスカ様!」
フランチェスカから飛び出した衝撃の一言に対してそう声を上げたのは、全く同じことを言おうとしたイーニャに一瞬先んじた鳥人族代表のテリスだった。
「なんですかテリスさん、これでも私は忙しいんです。あなたの疑問に答えている暇なんてないんです」
まずい、とイーニャは瞬間的に思った。
(フランチェスカ様の今の声のトーンは、明らかに不機嫌そのもの。テリスの気持ちは痛いほどわかるけれど、ここにフランチェスカ様を引き止めれば引き止めるほど悪い結果にしかつながらない……!)
だが、こうして客観視できるイーニャはともかく、フランチェスカの冷たい眼差しに心の余裕を無くしたテリスには、自分がどういう状況に陥ろうとしているのか分からない。
「どうか私達、いえ鳥人族以外でも構いません、フランチェスカ様のお供をさせてください!」
「お供?あいにく、ピクニックに行くわけではないので荷物持ちは必要ありませんよ?」
そう答えるフランチェスカの笑顔は一見無邪気に思えるが、イーニャにはその笑みの端に嘲りのようなものが含まれている気がした。
「ち、違います!私はただ、フランチェスカ様と共に憎き人族を討つ機会を与えていただければと……」
「あらテリスさん。まさかあなたごときが、この私の力になれると本気で思っているんですか?」
今度はイーニャにもはっきりと、そしてテリスも、フランチェスカの酷薄な笑みの裏側に潜む苛立ちに気づいた。
それもただの苛立ちではない。その気になれば一瞬で天幕内の亜人魔族を皆殺しにできる、公爵位の精霊の苛立ちだ。
「い、いえ滅相もない!私はただ、フランチェスカ様の眷属としてボクト様の御役に立とうと……」
「は?どうしてここで、ボクト様の名前が出てくるのです?」
なおも食い下がるテリスを無理やりにでも下がらせようかと考え始めていたイーニャだったが、フランチェスカの声のトーンが跳ね上がったのを聞いて心臓が止まりそうになる。
しかし、先ほどまでとは違ってフランチェスカの表情が純粋な驚きに包まれていることに、最悪な状況ではなさそうだと安堵した。
しかし例えば、過去に爵持ちだった経験を持つヨルグラフルがこの場に居たら、全く違う感想を持っていただろう。
眷属が主に口ごたえするなどもってのほか。ましてや、主の考えを先回りするどころかはき違えるなど言語道断、万死に値する、と。
「ちなみにですけど、他のみなさんもテリスさんと同じ考えだったりします?」
小首をかしげながら可憐に尋ねるフランチェスカ。
いつもならその魅力にため息の一つや二つくらい漏れてくるものだが、今は大天幕内の誰もが気まずそうに視線を逸らすだけだ。
その沈黙の時間は、この場の全員が大なり小なりテリスと同じ考えでいたことを雄弁に語っていた。
「そうですか。いえ、大方こんなことだろうとは思ってはいましたから、別に驚きはないんですけど。それなら、この際なのではっきりさせちゃいましょうか」
そう言って大天幕中を眺めたフランの氷の眼差しは、同じ場所に暮らし同じ主に仕える仲間を見るものではなかった。
「イーニャさん、あなたにとって、私はどんな存在ですか?」
いきなり指名されて心臓が飛び出したと思ったイーニャだったが、それでも何とか言葉を絞り出した。
「そ、それはもちろん、忠誠を尽くす主です」
「では、あなたにとってボクト様はどんな存在ですか?」
「それももちろん、フランチェスカ様の主なら私にとっても主なわけで……」
「そんなわけがないでしょう!!なぜイーニャさんごときがボクト様の眷属のような顔ができるのですか!?無関係に決まっているでしょう!」
「っ!?」
表情は真顔、しかし緑光の魔力を帯びて爛々に輝く二つの瞳がこれ以上ないほどフランチェスカの激情を表している。
そこには、普段朴人の命令で永眠の森の管理に四苦八苦しながら笑顔を浮かべる精霊の少女の姿はなく、己の分をわきまえない愚か者を一喝する、魔王に次ぐ実力を持つ爵位持ちの威容がそこにはあった。
「……そ、それでは、私達はいったい何をすれば……」
「だから、言ったでしょう?いつも通りの生活と」
「は、はあ……」
誰かが気の抜けた返事をしているが、永眠の森の幹部の中では頭脳労働担当のイーニャもまた、フランチェスカが言わんとしている意味を分かっていなかった。
当然だ、フランチェスカが具体的な話をする前にテリスが遮ってしまったのだから。
「ボクト様は人族の王国との戦争を決意されました」
「なっ……!?」
唐突なフランチェスカの言葉にイーニャを含めた全員が絶句するが、先ほどの宣言通り自らの眷属へ一切配慮を見せることなくフランチェスカの話は続く。
「すでにボクト様は永眠の森を離れ、『銀閃』と共に人族の領域へと向かっています」
フランチェスカがさらりと言った冒険者たちのパーティ名に、イーニャは思わず心の中だけで悪態をついた。
『銀閃』、『鉄鎖のガラント』、『双頭の蛇』。
この三組の冒険者たちは、永眠の森を攻略しようとイーニャ達に襲い掛かってきた不倶戴天の敵だ。
それが事が終わってみれば、いつの間にかにイーニャ達ですら立ち入りが厳しく制限されている市街地をある程度自由に歩き回る権利を得ていただけでなく、なんと捕まってから間もなくフランチェスカの眷属になったという。
そこにどんな事情があったかはイーニャも知らないが、その断片的な事実だけでも嫉妬の炎を燃やすには十分すぎた。
さすがに向こうも配慮したのか、彼ら冒険者と顔を合わせる機会はこれまでなかったが、こうして名前を聞くだけで永眠の森の亜人魔族達の心をざわつかせる存在であることは間違いない。
そんなイーニャ達の悩みを無視するかのように、フランチェスカの話は続く。
「当然、眷属の私もボクト様からいつ命令が来てもいいように待機しないといけません。シャラさん、ファラさん、これがどういう意味を持つか分かりますか?」
「え、ええっと……」 「……ごめんなさい」
元々空気を読む能力が高いとは言えない双子の妖精が気まずそうに首を振る。
「つまり、この間にあなた達がどんな危機に陥ったとしても、ボクト様はもちろん私も一切の手助けをしないということです」
「……!?」
更なるフランチェスカの衝撃発言に、何度目になるか分からない絶句に襲われる一同。
しかし、やはりショックを受けながらもある程度事態を把握した者はいた。
「そ、そっだら、この先人族の嫌がらせ、いんや、例え人族が大軍でこの森を攻めてきたとしても、フランチェスカ様は知らん顔するってことだべか?」
「よくできましたズズーさん。その通り、大正解です。ボクト様は快適に眠れる場所があればどこでもいいそうです。もし、人族の手によってこの森が灰燼と化したら、執着する理由はどこにもないそうですから、頑張って守ってくださいね」
パチパチとフランの拍手の乾いた音が誰もリアクションしない大天幕に響くが、それぞれの内心はハリケーンのように荒れ狂っていた。
「そっ、それでは最悪の場合、ボクト様もフラン様も住処を失うことになります!フランチェスカ様はそれでいいのですか!?」
さっきよりもさらに興奮気味にフランに詰め寄るテリス。
魔王が自らの本拠地を見捨てるなどあり得ない。そう信じ切っての懇願だった。
だが、
「だから、そこが勘違いだと言っているんですよ、テリスさん。ボクト様の二つ名を戴いて永眠の森と呼んでこそいますが、ボクト様自身にこの森に対する愛着など微塵もありませんよ。そして、ボクト様がいる場所こそが私の守るべき場所です。ボクト様がこの森を離れることになれば、私も即刻あなた達を見捨てます」
「バカな!?フランチェスカ様はこれから私達を眷属にすると仰ったではありませんか!!あの言葉はウソだったのですか!?」
「あなたはもう少し賢い人だと思っていたんですけどね、イーニャさん。その言葉は、自分の主と眷属を天秤にかけろと言っているに等しいですよ?正気ですか?」
それまでなんとか余計な口は挟まずに来ていたイーニャも、これには声を上げずにはいられなかったが、答えるまでもないとばかりにフランチェスカは一蹴した。
「……では、私達はいったいどうすれば……」
「だ・か・ら、自分達の生活は自分たちで守ってくださいと、さっきからずっと言ってるじゃないですか。そのための眷属契約、つまり能力の底上げと権限の委譲なんですから」
心底呆れたという顔をしながらも、律義に説明を繰り返すフランチェスカ。
そこにあるのは最低限の義務感だけで、イーニャ達への思い入れを見つけることはできない。
「別に私も、ボクト様の御寝所がみすみす人族に奪われていいとは思っていません。要は優先順位の問題なんです。一にボクト様、二に王国滅亡、三に私の命、その他いろいろ飛ばしてようやく永眠の森の保全という目的が来る、ただそれだけのことです」
それはすでにイーニャ達も理解していたことだったが、それでも実際に言葉として聞くと思うところが無いはずがなく、特にテリスやズズーといった永眠の森に人一倍思い入れのありそうなタイプは、フランチェスカの前だというのに俯いたまま顔を上げることすら忘れている。
「そういうわけで、永眠の森のことに関しては皆さんにお任せします。種族ごとでバラバラに戦うもよし、連携して集団で敵に当たるもよし、自分達の集落に閉じこもってひたすらやり過ごすもよし。もしくは、人族の軍に恐れをなしてここから逃げ出すもよし」
「に、逃げるだなんてオラ達は絶対にそったらことしないだよ!!」
「そうそう、今のズズーさんのように、逃げると言い出しにくい状況を作って、他の種族を戦いに巻き込むのもぜんぜんOKですよ」
「んなっ!?」
あまりのフランチェスカの言葉に、我を忘れて思わず席から立ち上がりかけたズズーだったが、隣にいたテリスの右の翼に制止されて、愕然としたまま腰を下ろした。
「じゃあ、私がいたままじゃ今後のことを話し合いにくいでしょうから、いったん解散という形にしますね。では眷属になって永眠の森を守りたいという方達は、あとで中央広場まで来てくださいね」
そう言って、来た時と変わらない足取りで大天幕から出て行くフランチェスカ。
その背中に敬意の念を送る者は、誰一人としていなかった。
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